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02 中編

ご覧いただき、ありがとうございます。

他国の上位貴族を丁重に持て成す事は、国内で外交の手腕を買われるだけでなく、外への太い繋がりを手に入れられる…そう思い、リシャールに近づこうと目論んでいた者達は、出鼻を挫かれた。何をするにもリシャールの横には、学園一の厄介者ヴィオレットが並んで居たからだ。ヴィオレットが不在の場合は、代わりに必ずテオフィルが並ぶ。顔は笑っていたが、テオフィルからは凍り付くような殺気が伝わってきて、やはり近寄りがたかった。だから皆が牽制し合い、リシャールに近づける者は現れなかった。




ジルは隣国の上位貴族を煩わせた事で、表向きは自主的に謹慎していた。実際は父であるフリオン侯爵が激怒し、半ば幽閉の様な形で外出禁止となっているようだった。断罪劇から一夜明けて、フリオン侯爵はヴィオレットに直接謝罪し、早急に二人の婚約を白紙へ戻すと約束した。



ジル本人が不在のまま、すぐにそれは現実のものとなる。こうして正真正銘ヴィオレットは自由になり、張り詰めていた緊張がプツりと切れた。終わりは呆気ないもの、そんな事をぼんやりと考えながら、今までジルから貰ったものを、侍女に言って全て纏めさせた。繊細な意匠の髪飾りに、お揃いのブローチとイヤリング。あんなに放っておきながら、ヴィオレットの誕生日には毎年欠かさず贈り物をくれた。装飾品にはそれぞれ、彼の瞳と同じ色のスタールビーが大きく輝いている。これを贈られた日は、嬉しくて眠れなかったっけ。



ヴィオレットが初めて社交界に臨む時、緻密なレースと滑らかなフリルで飾られた、真っ白なシルクのドレスを誂えてくれた。胸の内側には、ヴィオレットとジルの頭文字が刺繍されていた。光沢のある紅色の糸が印象的だった。どうしても自分の色を纏って欲しかったから、なんて照れくさそうに言われれば、思わず微笑んでしまった。ずぼらなのか、几帳面なのか、あやふやな人だった。


…何時からすれ違うようになってしまったのか、そう考えていたら涙が一筋零れた。婚約撤回された今、ジルの気持ちを知る術はないが、あの時は間違いなくヴィオレットは彼を慕っていた。とても温かで優しい想いだった。こんな悲しい結末を迎えてしまったけれど、ジルの事は嫌いになれない。だからこそ、彼にはナディアと幸せになって欲しい。


…そうだ、ナディアだ。ナディアも最初から言ってくれれば、仲違いせずに済んだかもしれないのに。…いえ、待って。ヴィオレットが逆の立場だったとして、打ち明ける事が出来ただろうか?答えは否だ。きっとナディアも苦しんだのだろう、そう気づいたら、とても居た堪れない。ナディアがまた話しかけてくれたら、何も言わず抱きしめよう。心に固く誓った。




大きな衣装箱に山積みにされた品々、一つ一つの想い出を振り返っていたら、あっという間に太陽は真上を過ぎていた。囚われていた想いを、全て断ち切ろう。ヴィオレットは、心を決めた。



「フリオン家へ、お返ししておいて」



漸く肩の荷が下り、晴れやかな気持ちで、ヴィオレットは微笑んだ。




◇◇◇




次の日から学園だけでなく、コルネイユ邸にまでリシャールとアンナが足を運ぶ様になった。それが二日も続けば、いつの間にか一緒に茶を飲み、食事を摂るまでになっていた。三日が過ぎた頃、突然それは起こった。もはや恒例になりつつある、三人でのお茶の時間。侍従や侍女達の「お待ち下さい」「いけません」という声と共に、コルネイユ邸の庭園にある東屋に、招かれざる客が現れた。



少し息を切らしたジルが、引き留めようとするコルネイユ家の使いの者を振りほどき、三人の前に進み出た。



「ヴィオレット、あれは一体どういう事だ」

「ごきげんよう、フリオン様。如何されましたか?」



カップを手にしたまま、視線を合わせようともしないヴィオレットに、ジルが問い詰めた。



「今朝、荷物を受け取った。あれはヴィオに贈った物だ、喜んでくれたじゃないか。それを今更返すなんて…」

「フリオン様、始めに、お願いがございます。私の事はコルネイユと、お呼び下さいませ。既に婚約は撤回されており、我々は婚約者同士では御座いません。それから先ほどの御返事ですが、知人からの贈り物としては大変高価な品々ですので、返却するのが礼儀かと、そのようにさせて頂きましたわ」



ジルは焦りの様子が色濃くなり、身体が小刻みに揺れている。発する声も上擦って時折掠れていた。



「ヴィオは私を愛していただろう…?怒ってるのなら悪かった。…ヴィオの友人だと騙っていた女とは、もう会っていない。だからまた始めから、新鮮な気持ちでやり直そう。…そうだ、それがいい!」

「再度お願い申し上げますが、私の事は家名で、お呼びくださいませ。…えぇ、仰る通り、お慕いしておりましたわ」



ヴィオレットが慕っていたと言った途端、とても分かりやすく、ジルは喜びに顔を染めた。



「っ!そうだろう、私もヴィオを想わない日は一日も無かった。だから…!」

「フリオン様がロード嬢の手をお取りになった、あの時。貴方への想いは、潰えてしまったのです。けれど、フリオン様の婚約者として共に過ごせた事、とても光栄で御座いました。改めまして、御礼を。今まで、ありがとうございました。フリオン様の更なるご活躍を、お祈り申し上げておりますわ」



ヴィオレットは深々と頭を下げ、最高位の淑女の礼をとる。



「…そん、な…、厭だ…」



それまで静観していたリシャールが、ジルからヴィオレットを守るように前に出て、静かに口を開いた。



「フリオン殿。これ以上はいけない、お引き取りを」

「…だっ、だが」



形振り構わず縋ろうとするジルを、リシャールは静かに見つめて、それを制した。



「貴族たる者、最後は美しくあれ。貴殿も分かっているはずだ」

「っく…、ヴィ…コルネイユ嬢、貴女の幸せを…願ってい、る…」



何度も振り返るジルが立ち去るまで、ヴィオレットが頭を上げる事は無かった。




◇◇◇




いくらヴィオレットやテオフィルが傍に居ても、これといった事が起きない為、徐々にリシャールに近づく者が出始める。



「エルヴェシウスからの使者に、ご挨拶申し上げる。私はラバス伯爵家…「貴殿は、コルネイユ嬢を貶める行動をしていたと聞いている」



声をかけたラバス家子息は目を見開き、その場で固まってしまう。



「貴殿と、関わりのある一族とは縁を結ぶつもりは無い。それは、エルヴェシウス王国とて同じ事。失礼する」



それを言われたラバス家子息は、恐怖で顔を歪めた。これは隣国との結びつきが絶たれただけでなく、マルスラン国内での将来すらも無くなったと等しい。リシャールは立ち去ろうと、踵を返したが思いついたように動きを止める。そして振り返り、こちらの様子を窺っている他の者達へ声を張り上げる。



「全て把握している。私との縁を希望する者は、それを踏まえて声を掛けて欲しい」

周りには大勢、リシャールに御目通りしようと目論む者が群を成していた。ラバス家子息だけでなく、表立ってヴィオレットを攻撃していた心当たりのある令息令嬢達が顔面蒼白になっていた。膝から崩れ落ちたり、気を失い倒れる者まで出る始末だ。



この年、自主退学を申し出る生徒が、例年の四倍という異例の事態になった。




◇◇◇




ここ数日、ナディアは面白くない。ジルは何だか上の空であったし、今日に至っては会いにも来ず、腑抜けてしまったようだ。


(こうなったら、あの男は用済みね)



近いうちに向こうの瑕疵で、切り捨てればいい。婚約者が居るにも関わらず、何度も浮気をしていた男だ、同じ理由だろうと誰も疑問に思わない。いやむしろナディアは悲劇の令嬢として、周りが優しく扱ってくれそうだ。そもそも、ジルを愛した事は一度も無い。美しい男に愛された自分、更にそれがヴィオレットから奪ったともなれば、最高の優越感に浸れただけ。



そんなことより、隣国の留学生リシャール。ナディアがリシャールを初めて見た時、彼もこちらを見つめていた。視線が絡み合い、ビリリと雷に打たれたような衝撃を受けた。これが運命の出会い、生涯の唯一、真実の愛。見た目の美しさ、王家由来の家柄、他を動かす能力と権力…全てが理想に一致、ナディアの心を魅了して止まなかった。



そして今、ジルをも落とした笑顔を貼り付け、自信たっぷりにナディアはリシャールに歩み寄る。隣のヴィオレットなど、まるで居ないかのように、一度も視線を合わせず完全に無視した。ところで何故、私の(つがい)はヴィオレットと一緒に居るのだろうか。いずれそこに立つのは私だけど。あの女は私から、また奪うつもりらしい。あの程度の痛みでは、まだ足りないというのか。



「リシャール様、あなたを助けに来ましたわ。さぁ、私と一緒に参りましょう」



そう言い、リシャールに手を差し伸べるナディア。



「フリオン侯爵子息は、どうするのだ。愛し合っているのだろう?」



抑揚のない声でリシャールが尋ねた。いきなり話しかけ、しかも名前で呼ぶなど不敬でしかないのだが、リシャールもアンナも咎めなかった。当のナディアは気付きもしない。ヴィオレットだけが、ハラハラしながら見守っていた。



「生涯の唯一であるリシャール様が現れた今、ジル様にはその場所を退いて頂かないと」



悪びれもせず、言い放つ。



「運命の出会いを邪魔する者は、許されないのだから」



ナディアはヴィオレットを睨んだ。少し離れた場所で、ジルが全て見聞きしていたとも知らずに。



ナディアが、また話しかけてくれた時、何も言わず抱きしめれば、前みたいな関係に戻れる。そんなヴィオレットの思いは、跡形もなく砕かれた。今まで見た事もない、冷ややかな視線をナディアから向けられ、衝撃のあまり硬直してしまう。



リシャールは、震えるヴィオレットをアンナとテオフィルに託し、その場を下がらせた。遠ざかる後ろ姿を、優越感に満ちた視線でナディアは見送った。そして何の躊躇いもなくリシャールに近づき、彼の腕に手を絡めた。遠くから様子を見守っていた者達は、思わず息を呑んだ。



「ジル様から必要以上に馴れ馴れしくされ、困っておりましたの。リシャール様から、諫めて頂きたいですわ」



眉尻を下げ、瞳に光る涙を浮かべて、ふるふると震えてみせた。完璧に演じきれた、ナディアが確信した、その時。




「…だそうだ、フリオン殿。すまないが、後は二人で解決して欲しい。私には何一つ関係のない事だ」



手を振りほどきながら、リシャールはジルに任せるべく、ちらりと目配せをする。けれど答える様子もなく無言のまま、俯いたジルは動かなかった。



「…ちょっと!リシャール様。私達は運命で結ばれた二人でしょう?」


湯気を立てたように怒るナディアを、氷の様に冷たく抑揚のない声で、リシャールが制した。


「無礼者よ、慎め」

「…えっ?何を言って…」



信じられないとばかりに、聞き返したナディアは、更に打ちのめされる。



「先ほど初めて会ったばかりの者に、いきなり触れられた上、名前で呼ばれるとは…本来ならわが国において極刑を免れない大罪だ。それが、この国の礼儀か?…随分と侮られたものだな。…不愉快だ。エルヴェシウス国からマルスラン国へ、正式に抗議させて頂く」



そう言い放ち、ナディアを一瞥もせず、ヴィオレットの去った方へ向かった。取り残されたナディアは、不機嫌さを隠すことなく、顔を真っ赤にして悪態をついた。



「…っなっ、なによ。あんな分からず屋は、こっちから願い下げよ。ジル様、行きましょうっ」



けれど、亡霊のように立ち尽くすジルに、ナディアの声は届いていなかった。



「なんなのかしらっ」




この騒動を見ていた子息令嬢は、ロード伯爵家は終いだと確信し、自身の家へ報告した。噂は物凄い速さで伝わり、当日中に国中へ知れ渡った。次の日にはロード伯爵家へ、苦情や縁を切るといった内容の書面が多数送りつけられた。慌てたロード伯爵はナディアを伯爵籍から抜き、異例の早さで親戚筋から跡取りとなる男児を迎え入れた。更にその後、騒動の責任から、子爵へと爵位を下げ領地の一部を国に返還した。それでも取り潰しにならなかったのは、不幸中の幸いだろう。



自分の置かれた状況を漸く理解したナディアは、狂ったように嗤い暴れたそうだ。ロード子爵家所縁の土地で、療養という名目で半ば監禁のような生活を強いられたが、監視の目をかいくぐり脱走、数日後に近くの湖で帰らぬ人となっているのを発見されたという。その件は伏せられ、何時しか人々の話題からも忘れ去られていった。




◇◇◇




ジルは自室の窓から、移り変わる夕暮れの空を眺めていた。徐々に室内が暗闇に染まっていったが、灯りも付けないまま、身じろぎ一つしなかった。



ヴィオレットに、嫉妬して欲しかった、本当にただそれだけ。ヴィオレットが縋りつき、謝ってくれば抱きしめよう、その程度の軽い気持ちで。それなのに、ナディアに唆された事も手伝い、思った以上に事が大きくなり、気付いた時には引くに引けない状況になっていた。



ヴィオレットの青空を溶かした瞳に、ジルだけを映して欲しかった。ヴィオレットが形振り構わず欲望を露にしてくれたら、ジルは満たされるはずだった。




はずだった。




もっと素直になれば、ヴィオレットを繋ぎ留められただろうか。


どうすれば良かったというのだろう。



幾ら考えても答えは見つからず、あれこれ浮かんでは消えていく。仮令思いついたとしても、既に手遅れなのは、流石に理解している。ジルは、惨めな自分を嗤った。不意に先日、目にしたヴィオレットの顔が脳裏を掠める。



悲しいとも困っているとも取れる、幸せとは縁遠い複雑な表情。あんな顔をさせたかった訳じゃない、本当は心から笑って欲しかったはずだっだのに。一体、何時からだ。何時から、こんな間抜けに自分は成り下がってしまっていたのか。



あぁ、これ以上、失望させてはいけない。今からでも出来る事をしよう。最後くらいは、ヴィオレットの笑顔を取り戻せるように。



…残念なのは、その役目が自分ではない、という事だ。





その後、ジルは嫡子の立場を弟に譲り、王立騎士団の門を叩いた。元来、努力家な性格が功を奏し、教えられた事を余すことなく吸収していった。後に国境近くの小競り合いを、見事に解決に導き、若くして騎士爵を賜った。紅色の瞳から、赤の騎士とも呼ばれ、多くの民から慕われ、女性からの人気も高かった。だがジルは生涯、独り身を貫いた。どんなに魅力的な女性から、声をかけられても必ず



「すまない、心に決めた人がいるんだ。この手は、もう届かないが…」



と、少し寂しそうに微笑んでいたという。時に恋愛や結婚に困っている者が居れば、こう助言した。




「自分の気持ちに蓋をするな。素直に言わなければ、きちんと伝わりなんかしない。想いが通じる?甘えるな、家族ですら黙っていたら何を考えているか分からないというのに。悋気してほしい?そんな事を思う暇があれば、嫉妬する間を与えぬよう愛せばいい。さぁ、死ぬ気でありのままを、ぶつけて来い。…想いを伝えられるうちに、な」




何時しか、ジルに相談すれば必ず成就する…愛の赤騎士として名を馳せるようになるのは、また別のお話。






宜しければ次回も見て下さい!次で完結します。


評価などもして頂けると嬉しいです。

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