私たちのダーティ・ワーク 1
「逃げ出す悪い小鳥ちゃんには、紐をつけておかないとね」
反対になったスピネルがそう言って笑う。彼女はヘリポートの近くに立っている。
オブシディアンは混乱する。確かに自分はこの女を出し抜いて天井の穴に潜り込んだはずなのだ。なのにどうやって先回りをしたのか。方法はわからない。ウルツァイトはいないようだ。スピネル一人だけで来た。オブシディアンは足の様子を確認する。傷がついているわけではない。しかし、見えないロープのようなものが絡まっているらしい。触れると確かにそこにあるのがわかる。
外そうと足とロープのあいだに指をいれたが、スピネルの矢に妨害される。オブシディアンは黒曜石を使ってスピードをあげ、それらを振り切って逃げようとするが、途中でロープに引っ張られ、うまく行かなかった。強くひきすぎない程度に引っ張って円を描く。
足が引っ張られ、また振り回されそうになるが、その力の方向に走る向きを変えることで転倒を防ぐ。そのまま手綱を握っているであろうスピネルのもとへ駆ける。
黒曜石の爪を再び装着し、走り抜ける。
オブシディアンがちょうど、ロープの可動範囲の中心、つまり根元のあたりにきたところで、オブシディアンはスピネルが自分を縛り付けているわけではないことに気が付いた。ロープの先はどこか屋上の一部に括りつけられているのだ。
スピネルの矢が飛んでくる。普通の矢でも、炸裂矢でも、彼女がダイヤモンド戦でホワイトリリーを狙う際に使った分裂する矢とも違う。矢はオブシディアンの黒曜石の爪を破壊し、左腕を貫いた。本来は胸のあたりに命中するところだったが、すんでのところで躱したのだ。それを受けたオブシディアンはその方向に無理やり移動させられた。矢が左腕を貫通したあとも、なにかが腕のなかを通っている感触があった。
スピネルの矢の先が屋上の縁に突き刺さり、これとともにオブシディアンもその周辺に転がった。立ち上がろうとするがうまく行かない。足を引っ張られている。
左腕を貫いた矢は紐がついており、簡単には抜けそうになかった。耳でスピネルの歩く音を捉える。
「グ。ググ……」
ロープの引っ張る力が強くなっていく。オブシディアンの足が半分浮いている。ずりずりと引っ張られ、体全体が空中に浮きかけている。左足を踏ん張り、紐に力をこめて耐える。左腕を貫いた紐付きの矢の紐が左腕の穴を広げ、穴から滴った血が二の腕を伝って地面に落ちた。
「ああいやだわ。おかわいそうに。わたくしが救って差し上げましょうか」
スピネルがオブシディアンの頭に狙いを絞る。矢は貫く矢だ。これでオブシディアンの動きを完全に止めて、コア・ストーンを破壊するつもりなのだ。
オブシディアンはスピネル目掛け黒曜石の渦を飛ばした。スピネルの体に命中するが、歯牙にもかけていない。「またそれ? もう飽きたわ」と鼻で笑う。
スピネルはオブシディアンの狙いに気づいていない。
ボウガンで撃とうとしたところで、スピネルは違和感を覚えた。腕の筋肉繊維が離れていく感覚と、体勢を崩している感覚だ。
これが起る直前、オブシディアンの体からはぱきん割れると音がし、彼女は解放された。左腕と右腕を壊したのだ。空中に浮いていたからだが地面に落ちる。
アーマメントを使ったのだ。昼間パーライトに使用したのと同じ。疑似的な遠隔攻撃。
落下した次の瞬間には、オブシディアンは欠損した腕と足を、黒曜石で補おうとしていた。黒曜石の腕と足。それが断面へと近づき、装着する――だが、うまくいかない。ガソリン切れが近いのだ。
なにせアーマメントをほぼ連続に使用している。もともと体力の少ない状態で突入したオブシディアンにとってこれは苦渋の選択だった。そうしなければ逃げられない状況だったし、そうしなければ殺されている状況だった。
狙い通りアーマメントを命中させることはできたのだから、そこは結果オーライと言えるだろう。
問題は、そのあとだ。
突然オブシディアンと同じ欠損を患ったスピネルは、あら、と呟いてその場に倒れ込んだ。車いすが転げたようにだ。車いすの人々がそこへ戻るのに苦労するのと同様、一度倒れれば人は簡単には起き上がれない。特に欠損に慣れていなければかなり苦労する。普段やっているように手足に力をいれるということができないからだ。
オブシディアンは逃げられればよかった。この瞬間はスピネルを仕留める絶好の機会だっただろう。だがそうはしない。何故ならウルツァイトが下にいる。スピネルが隠し玉を持っている可能性もある。それが絶好の機会であればあるほど、慎重になるべきなのだ。
オブシディアンは残った右手にこぶし大の黒曜石を握りしめた。
ウルツァイトが来る前に、スピネルがリカバリーする前に、タワーから遠くへ行かなくては。
その試算を、オブシディアンは十数秒と見ていた。
スピネルが復活するのも、ウルツァイトが自分を叩き潰すのもだ。スピネルがなぜここまでそうしなかったのかはわからないが、ウルツァイトのパワーがあれば、無理やりここに到達するのはそう難しいことではない。しかしあの頭の悪さだ。屋上に出て、体中の埃を振り払い、オブシディアンを見つけて倒すのには余裕がある。
逃げ切るビジョンは見えた。あとはそれを実行に移すだけ。だがオブシディアンは、言いようのない不安を感じていた。
――スピネルはどうやってわたしの先回りをしたのだ?
それが疑問だった。それだけが解決できなかった。魔法少女の魔法は、一人一つずつ。あとは武器と、必殺技があるだけ。必殺技は武器か魔法と連動している。武器と魔法は関係がない。魔法と連動していない必殺技も、関連はしている。
アーマメントとキック。
サップレッサー・ウィズ・ダイヤモンドとチャージ。
あの女の魔法はなんだ? 姿を消すことと、先回りしたことになんの関係があるっていうんだ?
気持ちが悪い。なにかマズい気がする。なにか見落としている。
オブシディアンが振り返る。
スピネルが転がった手足を集め、それぞれをそれぞれの場所にくっつけた。「ビビデ・バビデ・ブー」冗談めかして呪文を唱え、欠損部位を撫でると、彼女の体は元通りになっている。
オブシディアンは思い出した。彼女とはじめて遭遇したとき、彼女はウルツァイトを相手にあの魔法を使っているのだ。
はじめからおかしいとわかっていたはずなのに、気づけなかった。
オブシディアンの背後、街のほうで大きな爆発音がした。
魔法使いが動き出したのだ。
スピネルは足を治し、左腕を手にオブシディアンの隣に立った。彼女は侮蔑的な表情でオブシディアンを見下ろした。
「仕事が終わる直前ほど、ハイになる瞬間ってないわ」
スピネルは続けた。
「誉めてあげてもよくってよ? キュア・シリーズの魔法少女ごときが。こんなに頑張ったんだからね。でもざ~んねん。奇跡ってそう何度も起こらないものよ。あなたはちょっと前に奇跡を起こしたけど、今回は既定路線そのまま。予想外のこともあったけれど、これで終わり。ウルツァイト! もうこっちに来ていいわよ! 終わったから!」
スピネルはオブシディアンの頭を踏みつけた。
「安心しなさい。あなたのやっていたことは、わたくしたちが引き継いであげる。あの魔法使いはわたくしが倒すわ。それで市民はみんな救われる。ね、最高のエンディングだと思わない?」
「ふざけんな……魔法少女なんてやる気ないくせに」
馬鹿みたいな返しだ、と自分でも思う。だが、今はそれが大事に思えた。自分は認めていなかったが、結局のところ魔法少女ではあったのだと。疲れたと思ったことはあるし、嫌になったこともあるが、魔法少女をやめようと思ったことなんてないのだと。
「それじゃ遺言じゃないか……」
オブシディアンは頭を踏みつけられながらも、アーマメントを再度、発動した。オブシディアンの頭が踏み砕かれる。スピネルの頭が割れる。