君、死に給うことなかれ 1
オブシディアンが呟いた。
この異様な見た目にも驚きだが、これが人を襲っていなかったことも、透明になったことも信じられなかった。“魔法使い”はおうおうにして見た目どおりだ。人を食べそうなら人食いだし、火を使いそうなら、火を使う。シンプルなのである。この知能のなさそうな“魔法使い”に擬態のような魔法を使えるとは思えない。ならば身体に備わった機能なのだろうか。それならばまだ納得がいく。しかし、人を襲わないのには納得がいかない。
オブシディアンはひさしの下を見やった。黄色く薄汚れたガラスの下には、人がたくさんいて、オブシディアンらを見上げていた。
「ここで戦うのは……」
逃がすのは不味いと考えて攻撃したが、それもまた失敗だったか。こんなところでまともに戦ったら、破片や瓦礫が人に降り注いでしまう。そうならないためには、こちらから先に動かなければならない。
オブシディアンは、蜥蜴のような鳴き声をあげて襲い掛かってきた“魔法使い”目掛け、黒曜石の雨を浴びせた。先ほど腕につけて攻撃したものとは違う。魔力のこもっていない、ただの窓ガラス強度の石つぶてだ。人相手につかえばずたずたになるだろうが、“魔法使い”相手ではただ鬱陶しいだけだ。
だがオブシディアンはただ黒曜石をぶつけたわけではなかった。速度は遅めに、魔法使いを浮き上がらせるつもりでぶつける。細やかな動作をするのは神経がいる。勢いが殺され、ほんの少しだけバランスを崩した“魔法使い”を見て、オブシディアンはその体にタックルし、裏通りまで一緒に落ちた。“スナックの前に置いてあった看板を叩き壊し、地面へしたたかに叩きつけられる。オブシディアンは”魔法使い“の上に馬乗りになり、その両手を黒曜石で拘束した。
オブシディアンは“魔法使い”の肩や胸に刺さった黒曜石の塊に触れ、それを更に十五センチほど伸ばした。これはオブシディアンの必殺技を発動する条件の一つだった。
相手の体に黒曜石の杭が刺さっていること。それが打ち込める長さであること。そして最後に、十分な勢いを以てそれに衝撃を与えること。
オブシディアンは巨大な黒曜石の塊を空中に出現させた。地上6メートルほどの位置に設置したそれへ飛び上がって掴まる。未だに商店街の屋根にいるパーライトが横目に映る。パーライトは動かないでオブシディアンを見ている。そのオブシディアンは、掴まっている塊の背後に三つ、黒曜石を並べて出現させ、“魔法使い”を見下ろした。
“魔法使い”は黒曜石の拘束をもう抜け出そうとしていた。がむしゃらに暴れているだけだが、すでにほとんど割れそうだ。だが、間に合わないだろう。一番遠くに設置された黒曜石が二番目の黒曜石に命中し、二番目の黒曜石が三番目の黒曜石に命中する。そして、すべての黒曜石がオブシディアンの足場に命中したとき、累積されたエネルギーを利用し、オブシディアンは足場を蹴って離れ、空中で一回転し、“魔法使い”、がちょうど立ち上がったところを、刺さった杭めがけ跳び蹴りを喰らわせた。
「オブシディアン・キック!」
オブシディアンが技名を叫ぶ。杭が体内に打ち込まれ、その杭にオブシディアンの体が吸い込まれるようにしてかき消えると、その背後に出現した。オブシディアンは“魔法使い”の背中に拳を叩きつけた。“魔法使い”は黒い石となって砕け散った。
「よかった……」
と、オブシディアンは安堵の息をつく。壊したものはあるが、誰も傷つくことはなかった。パーライトの気配を感じ、オブシディアンは振り返った。
パーライトがオブシディアンを持っていた杖の先で突いた。
「なんのつもりだ?」
「あー、残念です。頭か胴体に当たってれば終わりだったんですけど」
パーライトが狙ったのはそこだった。胸周りを曖昧に放った攻撃をオブシディアンは体を曲げて避け、パーライトの杖はオブシディアンの腕を掠めるにとどまった。
「なんのつもりっていうかというと、単純に、あなたを倒そうとしたんですよ……わたしと直接かかわりがあるわけじゃないですけど、倒した方がいいのは知っていたので」
「昨日、どんな言葉を受けてあの現場に来なかったか訊こうと思っていたが。ラブラドライトになにを言われた」
オブシディアンが体を正面に向ける。
パーライトが杖を構え、距離をとる。
「ラブラドライトのことはあんまり知らないんですよね。これから同じ地区で働くんだから知ってた方がいいのはわかってるんですけど、ほら、あの人といると息苦しいじゃないですか」
オブシディアンは冷や汗をかいている。
「お前、あの修道服とキチガイの仲間か」
「あーそれね」
ぺらぺらと話すな、こいつ。
オブシディアンが思う。こっちとしては助かるが、こいつ本当にそこまでのバカなのか?
「やー驚いたなー。こっちはただ単にあの“魔法使い”を追ってただけなんですけどね。マッチポンプみたいなものなんですけど、初陣ってそんなものかなって。そしたらオブシディアンに会うんだもん。驚いちゃった。それじゃ、ここで消えてもらいます」
「そんなに簡単に行くと……」
オブシディアンが腕に黒曜石の爪をつけようとして、違和感に気づく。右腕の感覚がおかしい。まるで浮いているように軽い。
――というか、間違いなく浮いている!
見ると、オブシディアンの腕にラグビーボール大の気泡がくっついている。