4:サタン王より報告です
クレイは朝日とともに目を覚ました。日の出がそのまま部屋に入ってくる立地を、やはり贅沢だなと思って、伸びをして、窓を開けると冷気が舞った。一度布団を流し目で見て、頬を叩いて気合を入れた。今日は過密スケジュールなのだ。
制服に着替えて会議室に向かう。つい食堂に足が向かいそうになって、昨日のバルベニア公との約束を思いだした。そもそもこんなに朝早くでは食堂も開いていない。会議室にはいつのまにか着いていて、憂鬱な気分で扉を叩いた。
「入れ」
応えるはしわがれた声。バルベニア公だ。隣には当然のようにウィズダムがいた。
「今日の予定は、二人の地方領主と、一人の辺境伯との面会じゃ」
クレイが席に着くなり、バルベニア公はそう言った。
「エンペラブ侯爵、セルフィー伯爵。それに、マスタライク辺境伯ですね」
「そうじゃ」
独立を図る有力貴族たちには、大きく分けて三種類いた。それらを代表するような人物であるこの三人を説得できれば、その勢力ごと帝国に回帰させることができるというわけだ。
それから内容を詰めて話して、会合が終わったのは午前九時頃だった。エンペラブ伯爵との面会は十時より予定されている。朝食は携帯食料になりそうだった。
今回このような過密スケジュールになったのには二つの理由がある。一つは一週間という短い期間指定。もうひとつは、彼ら三人に優劣をつけないという意図。あとで、「どうして私よりも先に彼らと面会したのだ」と不公平を責められてはたまらない。客観的に公平であるように、同じ日に、帝都から近い順に面会するのだ。
味気ない携帯食料を食べ終わってしばらくして、馬車が止まった。侯爵家に到着したのだ。御者のエスコートに従ってバルベニア公、ウィズダム、そしてクレイの順に馬車を降りて、そこからはエンペラブ侯爵の使用人に案内される。それからも、滞りなく予定は進んでいった。
「やあ。お忙しい中、ようこそお越しいただいた」
応接間にて出迎えるはエンペラブ侯爵。大別される反帝国民としては、帝国愛者と呼ばれる者たちを率いる貴族。かつて人界最強とまで言われた帝国の栄華を愛するからこそ、魔族に率いられる現状に納得ができない男だ。
「単刀直入に言おう。わしらもお主も、時間は有限じゃからの」
対面のソファを勧められたバルベニア公は、腰を落ち着けるなりそう言った。背後に直立する二人の知将も、済ましたような表情だった。
「演説のさいに見せた映像は、もうご覧になられたか」
「いいえ。なにぶん忙しい身ですから」
「簡単に言うと、わしらがサタン王から、正式に帝国を任される、というものじゃ」
許可をもらって、その場に再び映像を映し出すバルベニア公。それを見るエンペラブ侯爵の目は、それはそれは希望に輝いていた。
「サタン王は、世界征服こそ成し遂げたが、その身一つではできることも限られよう。帝国についてはわしらに一任された。名目上はサタン王がトップにおるが、事実上のそれはわしらじゃて」
「……ふむ」
「決して、サタン王、ひいては魔族の好きになぞさせぬ。どうか、わしを信じてはくれぬか」
しばしの逡巡ののち、エンペラブ侯爵は差し出されたバルベニア公の手を握った。バルベニア公もこれに笑顔を返す。
こうして、最初の面会は無事成功に終わった。
○
午後。やはり昼食は携帯食料になった。つまりは休まずに馬車を走らせているのだが、それでもセルフィー伯爵領に入ったのは二時を回っていた。面会は三時から予定されているので、余裕のある到着とは言い難かった。
「ようこそ。歓迎するよ」
馬車が止まるなり、家の前で出迎えてくれたのは伯爵本人だった。位の違いにクレイは恐縮し、他二人は純粋に好意を示した。談笑しながらセルフィー伯爵に案内される二人を見て、やはり日頃から王族と関わっていた人間は違うなとクレイは思う。いや、クレイも皇太子とは接していたのだけれど。
「さて、さっそく本題と行こうか」
談笑は廊下で済ました。そう言いたげに話を切り出したのは、今度は伯爵からだった。
「帝国は私にどんな利益をくれるんだい?」
その発言に、空気が緊迫するのがわかった。
セルフィー伯爵。帝国に住む人ならば誰もが知る自己愛者で、利益のためならば平気で他国にも尻尾を振る女。だからこそ彼女を説得できれば、その他有力貴族に『帝国に従えば利益を得られるのか』と思わせることができる。失敗できない会談だった。
綺麗な赤髪を後ろに流して、セルフィー伯爵はにこにこと微笑む。バルベニア公は意を決したように話し出した。
「帝国の再建後、公爵の地位を約束しよう」
「あっはあ。現金だねえ」
これは今朝、会合にてクレイも聞いていた。だから後ろに立つ自分たちが驚いてはならない。顔を引き締め、これが帝国の総意であると、セルフィー伯爵に伝えるのだ。
「これは、他言無用かな?」
「ああ。漏洩が知れた際はなかったことにさせてもらおう」
「うんうん。これだけでその辺の馬鹿どもが手のひら返してくれるんなら、安いもんかあ」
セルフィー伯爵は自分の影響力と知名度を知っている。自分の握手が周りの貴族にどう思われるかを知っている。だからこそ、彼女はタチが悪いのだった。
「とりあえず、帝都を見せろよ」
「承った」
こうなることも予期していた。たとえ公爵になれたとて、疲弊した帝国では意味がない。バルベニア公が投影する映像には嘘偽りのない現在の帝都、つまり活気に満ち溢れた大通りの姿があった。
活気。再建にそう時間もかかりそうにない。皇太子の生はともかく、死は確認されていない。だからおそらくいまだ人界最強は帝国だし、そうでなくとも、平等に征服された身である我々は他国と争う必要がない。この国での公爵は、きっと価値のあるものだ。
「……うん。よし、合格だ。手を出せ、握ってやる」
「……感謝する」
握手が交わされ、こうして、二人目との会合も成功に終わった。
○
日が沈んだ。日の入りを目の当たりにするのは久しぶりだった。クレイは真っ暗になった街道に、御者のために明かりを灯す。辺境伯領には既に入っていて、辺境伯家ももうすぐだけれど、それでも暗闇の行進は危険だと思う。御者は丁寧にクレイにお礼を言った。
辺境伯。帝都から最も遠い土地を任される彼は、すなわち最も前国王に信頼されていた忠人だった。そして、そんな彼もまた前国王を慕っていた。だからこそ現在彼ら一派は反旗を翻しているのだ。
前方に明かりと、その下に燕尾服を着た執事然とした男が立っていた。男はたった一人で、馬車に気付くと丁寧にお辞儀をする。彼がちょうど頭を上げたあたりで馬車が止まった。中から出た三人は、等しく男にお辞儀を返す。
「やあ、マスタライク伯。その対応は、以前の無礼を思い出す。どうかやめてくれんかのう」
「ふぉっふぉ。いやなに、老いぼれの数少ない楽しみなのですよ、これが」
あまりに使用人くさいその男こそ、マスタライク辺境伯その人。下人然とした彼へのバルベニアの無礼は記憶に新しい。白髪をオールバックに、白ひげを撫でる彼の姿は依然若々しく、体格の良さから執事服も似合っていた。彼はそのまま「では、いきましょう」と、三人をエスコートしようとする。
「……なにを言われようとも、意見は変わらんのですがのう」
道すがら、ぼそりと辺境伯が呟いた。
「王は、死んだのじゃ。……これで帝国を皇太子様が率いてくださっていたのならばまだしも、ああいや、公らを悪く言うわけではないんじゃが──」
「……話は、腰を据えてからにせんか。わしが考えなしにくるわけもないじゃろうが」
「……そうじゃった。公はそういう男だ」
それきり、会話はなかった。辺境伯家への短くない行進の中、初対面のクレイはひたすらに気まずかった。
○
「まずは、私の立場を再度表明しておこうかのう」
席についてからも、話し出したのはマスタライク辺境伯からだった。彼は食わせ物だ。主導権を握らせてはならないとは誰もが思っていたが、招いたのは彼で、話を遮る理由もなし。沈黙に先を促されていると感じたか、マスタライク辺境伯は身を乗り出した。
「私が愛していたのは帝国ではなく、前国王ただお一人。じゃから私は帝国ではなく、『国王から任されたこの辺境』を救うことに全力を尽くす。その他にも、国王から任されていた仕事をこなすだけで、私は精一杯なのですじゃ」
淡々と、穏やかに、諭すように話を締めた。乗り出していた体を落ち着かせて、マスタライク辺境伯は椅子に体重を預けた。続いて話の終わりを悟ってバルベニア公が口を開こうとしたが、辺境伯は手を振ってそれを遮る。
「こんな言葉を知っておりますか。『正義が使い道を考えている間に、悪は地球を半周する』と」
「……?」
困惑する来客に、モノクロの眼鏡をかけ直して、伯は言う。
「いくらサタン王が強くても、結局は個人ですじゃ。いま、『魔界はどうなっている』んですかのう」
「……正義が使い道を考えている間に、悪は魔界を征服するか」
「……ええ。特に魔界は、戦力を根こそぎ殺されておるのじゃから」
その新興勢力に備えなければならないのだと。そして、辺境伯領だけで、この短い両手からは溢れんばかりなのだと。
「なればこそ、帝国に加担してくれはせぬか」
「……最優先は、前国王の命令ですじゃ。協力──というからには、リソースを割かねばならないのでしょう?」
これが、辺境伯のスタンス。帝国愛派のエンペラブ、自己愛派のセルフィーに続いて、国王愛派のマスタライク。
信頼と忠義を重んじた前国王は、辺境伯らにあれこれと指図するでなくおもいおもいに統治させていた。そして唐突に世界を征服したサタン王のせいで、マスタライク伯にとっての前国王の最後の命令は『辺境の領地を平和に統治しろ』というもので終わっている。その命令を遵守するだけで精一杯だと、彼らは言うのだ。
帝国に協力するほどの余力はない、と。
しばしの沈黙ののち、バルベニア公が口を開いた。
「……薄情とは、思わぬ。そも辺境伯殿は他国の人間じゃしの。──ああいや、王国の人柄を悪く言うておるわけではなく、それだけ前国王を敬愛しておったのじゃろ。だから辺境伯領が一番大事というのを、エゴとは思わぬ」
そこで伏せていた目を開けて、今一度マスタライク伯の目を見た。そうして、振り返ってウィズダムを呼ぶ。
「ダン坊。名乗れ」
「はっ」
二、三歩前に歩み出て、バルベニア公の隣でウィズダムは跪いた。目を伏せ、胸に手を当てて膝をつき、そのままに名乗り出す。
「私の名前は、『ウィズダム・サイクロペディア』と申します」
「……あ、ああ。し、知っておるよ。ウィズダム・サイクロペディアくんじゃろーー」
突然の名乗りに困惑をあらわに同様するマスタライク伯だったが、その名を反復したところで、目を見開いて驚く。
「ーー『サイクロペディア』? 今、『サイクロペディア』と言ったか?」
「……はい」
「……どうして──いや、確かにお主はウィズダム・サイクロペディアくんじゃが、……そうじゃ。お主は、ウィズダム・サイクロペディアじゃ。……どうして今まで気付かなかった?」
がたんと音を立てて立ち上がり、わなわなと震えるマスタライク伯。右手で顔を覆い、跪くウィズダムを事細かに観察する。それでも一向に頭を上げようともしないウィズダムを見て、急に、マスタライク伯は慌てだした。
「……ああ、ああ、どうか頭を上げてくれ。『お主は、帝国の皇太子じゃろうが』!」
その言葉に、ウィズダムはゆっくりとマスタライク伯を見上げ、立ち上がり、一礼して元の場所へと戻っていった。それでようやくマスタライク伯も椅子に座りなおしたが、体の震えはまだ収まりそうにない。
「……どういうことか、説明してくれるな、バルベニア公?」
「もちろんじゃとも」
曰く、ウィズダム・サイクロペディアは前国王とその召使いとの間にできた忌み子である。
曰く、物心つくまでを名前を捨てて過ごし、物心つくやいなやバルベニアに師事し、名前を拾う努力に励んだ。
「おかげで認識阻害の魔法に関してダン坊の右に出る者はおらぬわ」
「……認識阻害……か。なるほど。概ね把握はできたんじゃが……」
ここで冷静に頭を回して、マスタライク伯。
「……であれば、ウィズダムくんは前国王の意思を継いでいるとはいえないのではありませんかの?」
「そうじゃな。せいぜいが忘れ形見といったところか」
「……私が『せめて皇太子が率いてくだされば』と言ったのは、血統の意味もありますが、皇太子が国王たろうとすればこそですじゃ。そういう意味でウィズダムくんは、すでに表舞台を去った者──言わば、影の者すぎる」
マスタライク伯のこの返答も、バルベニア公の予想する通りだった。もとより三人中二人でも今日中に説得できれば御の字であったのだ。ウィズダムの存在に頷きこそしなかったが、心を揺らがせることはできた。顎に手を当てて今後を思考するマスタライク伯を見て、バルベニア公はここで会談を締めて、後日また伺うことを決めた。
その時だった。
『ば、バルベニア公、す、少しよろしいでしょうか』
『なんじゃ、ダン坊』
念話。王族のみに使える時空魔法の応用で、思念だけで会話することができる。当然ウィズダムも使える。バルベニア公は表情一つ変えず、後ろを振り向くこともせず、ウィズダムに続きを促した。
『えっと……サタン王より報告です。「ウィリアム皇太子を保護した」──と』
『なーー!?』
マスタライク伯は、いまだ熟考の構えを取っていた。