わたしが神様だったら こんな世界は作らなかった
私が叫んだその瞬間、自分の体にかつてないほど力がみなぎるのを感じた。
そして気がついたのは自分の体が光っているということだ。
今まで魔物や敵を消し去るために放ったものとは比べものにならないほど、強烈な光だった。
すべてが黄金の光に包まれ周囲の様子は見えなくなる。
私を支配しているのは、怒りと、そして悲しみだった。
この世界はなんて酷い世界なんだろう。私が神様だったら、絶対にこんな世界は作らなかっただろう。
私は叫ぶ。無慈悲なこの世界に向かって、力の限り、叫んだ。叫びながら、見えるはずもない映像を見た。
ユートレートで、王様と王妃様が空を見上げる。鍛錬をしていたシャフィムも、剣を止め空を見た。
荒れ果てたシューナ神殿の、たくさんの墓の前でセリムが祈る。隣には学者風の神官と少し大きくなったドラゴンの子がいる。二人は空を見た。
ポートヘブンで、壊れた町を直しながら、人々は空の異変に気がつく。中にはライラの母親の姿もある。
人々は空の異変に気づいた。
そして、恐怖する。
だけど、どうしようもなくて、人々は祈る。
神に、聖女に、祈る。
私に祈る。
私の力はにわかに強くなる。
この世界は、残酷だ。
それでも、救いたかった。
体が痛い。耐えきれない。
またしても私は叫んでいる。私は光る。体が熱い。
宮殿が揺れている。
力が止まらない。
ガンディア人たちにかかっていた聖人の加護が消し飛ぶ。
兵士たちが消し飛ぶ。
力は止まらず、宮殿の柱が折れる。
チテンはいない。逃げたのか。
ここにいながら、遠いたくさんの場所に神威が落ちようとするのが見えた。私はそれに向かって手を伸ばす。
お姉ちゃんが神威を落として世界を滅ぼすというなら、私はそれを防いでみせる。
まさに落ちようとする神威に向かって、対抗するように光を放った。
――どれくらい時間が経ったのか分からない。
両手が熱かった。
見ると、皮膚が裂け、血が出ていた。口に流れ込む味で、鼻血も出ていることに気がついた。
肩で呼吸する。
できた? 防げた? 防いだ!
神威は落ちていない! 神威を止められた!!
その感覚だけは確かだ。魔物も現れていない。
私は遂に、あの奇っ怪な災害に打ち勝つことができたのだ。
「りんね、今のは……」
倒れるレオの周りには、灰のようなものがふよふよと漂っている。兵たちだったものだ。
レオは苦しそうな顔をしている。さっき腹を刺されていた。早く治療しなきゃ。
「治すよ、待ってて」
「りんねの方が重傷じゃないか」
そう言う彼を無視して、私は魔法で治してあげた。そして治療しながら、ウィルについて聞くことになった。
◆
闇夜を照らすその光が現れたのは、ほんの数秒程度だっただろう。しかし、その凄まじいエネルギーを持った力が、明らかに聖女によってもたらされたものだと、ウィラードは気づいた。
気を取られたのはウィラードだけで、目の前のバルトは何事もなかったかのように襲い来る。
しかし、先ほどとは明らかに何かが違っている。
(力が、弱まったか?)
光を浴びて以後、バルトの動きは鈍ったようだ。それでもバルトは剣を持つ。
「なかなか、しぶといな」
言うバルトだが、その余裕は崩れ始めている。
「バルト将軍、なんでだ! 俺には分からない、あんたは誰よりも、正義を貫き、人の痛みが分かる人間だっただろう!」
たまらず、ウィラードは叫んだ。もう互いに後戻りはできないところに来てしまった。しかしわずかでも、まだその心に触れたかった。
突然豹変したように思える彼に、一体何があったのかと。
「青二才が。だからお前は簡単に感化されるのだ! 私は元からこういう人間だった!」
「違う! 少なくとも、故郷が襲われたとき、俺を助けてくれただろう! あの時のあんたは、誇り高きエルドールの将軍だったはずだ!」
キィィィンと剣が重なる。ギチギチと震わせながらにらみ合う。押し負けるものか、とウィラードは思う。
「大馬鹿者だ、お前も所詮、信じたいものしか信じられないのだ。お前の故郷を襲わせ、家族を殺したのは、誰だと思う?」
バルトの瞳は暗い。
――大切なものからは、手を離しちゃだめだぜ、ウィラード坊ちゃん。
弟の手を離したとき、覆面からかけられた声と、カインの声が重なる。
そしてバルトは遂に告げる。
「私だよ、ウィル。
お前の父親を罠にはめ、そして殺させたのは、私だ。
どこまでもお人よしなお前たち家族を潰すなど、造作もないことだった。
イクスヴォーグ家の手駒が欲しかったからな。お前のように御しやすいのは格好の餌食だった」
(――ああ)闇が深まる。
ウィラードの剣は押し負け始める。
バルトと初めて会った日、強烈に憧れた。故郷から救われ、剣も勉学も教わった。共に過ごし、共に敵と戦った。時に叱られ、褒められ、勇気づけられた。
その日々は、確かだ。
そしてウィラードは知っていた。バルトは嘘を付くのが下手くそだということを。
ウィラードは、諦めたように、笑った。
「あんたは結局、悪人にはなりきれない」
バルトの剣が、ゆっくりと目前にせまる。
「それでも、父親のように思っていたんだ」
ウィラードの剣が負けそうになる刹那、バルトの動きが唐突に止まった。
それを逃さず、押し負けていた剣を、逆に返してく。バルトの力は少しずつ、弱まる。
そして再び、バルトの体に、異変が起きた。
その背に矢が突き刺さっているからだと、ウィラードは気がついていた。
バルトはそれに気がついているだろうか。誰が放ったものだか知っているだろうか。
その答えを教える間もなく、ウィラードはバルトの体を正面から叩き斬った。人の体を確かに斬った感触が伝わる。
「バルト様ああああ!!」
イグリスの絶叫が聞こえる。
バルトは、地面に倒れた。
「礼を言ってくれてもいいぜ」
そう言いながら現れたのは、レオナードだ。
彼がここにいるということは、上手くりんねと合流できたのか。レオナードのその言葉は、ウィラードにではなくバルトに向けられていた。
「やっとあんたを、憎悪の中から解放してやるんだから」
バルトは目だけ動かし、レオナードを見た。
「レオ……生きて、いたのか。……人のことを、言えないな、私も、見たいものを見ていただけだ……」
絶え絶えに言う。
そして、空を見た。やけに大きな月が、広場を照らす。
ルーメンスは黙って見ている。イグリスは、カインに捕らえられている。カインに牽制されている兵たちは、主人を失い戦う意思も失ったようである。
一気に形勢は逆転した。ウィラードが勝ったのだ。
「友情の勝利だな」
レオナードがそんなことを言いながら、ウィラードの隣に立った。
◆
(……いや、本当は、知っていたのやもしれん。ウィルが、レオを殺すはずがないと。レオが、必ず、抜け道をみつけるはずだ、と)
バルトは静かに、自分の死を感じていた。
先ほどの光を浴びたときから、自分の負けは決まっていたようなものだ。あれは聖女の力だろう。自分とともにあった聖人の加護がなくなったのを感じたのだ。同時に、激しく渦巻いていた憎悪も、嘘のように消え去った。
(なぜ、私はあれほどまでに、聖女を敵対視していたのだろうか)
さすがバルトが仕込んだウィラードだけあって、その剣の腕は確かだ。彼に斬られてもう指ひとつ動かせない。イグリスが何かを叫んでいるが、それも聞こえない。
やけに、大きな月が浮かぶ。
それを見つめながら、思い出す。いつだったか。バルトの耳に、エルドール建国の聖人レオナードを名乗る声が聞こえたのは。
――バルトよ。武人としての力を与える代わりに、我らの眷属に下れ。
力がなくては、何もできない。世界を変えることすらできない。
バルトはずっと昔に、妻と子を、反乱分子により殺されていた。特に妻は、より残虐な方法で殺されていた。辱められ、絶望の中で死んでいった。愛する家族を守れなかったのは、バルト自身だった。
後悔した。己のせいで愛する者が死んだ。実行犯はすぐに分かった。裁判にかけるまでもなく、思いつく限りの残虐な方法で、全員殺した。
そして、二度とそんな悲劇を起こさないようにするために、さらなる力が必要だった。
声に身を委ねたのは、ウィラードの故郷を救えなかった、すぐ後のことだった。またしても、救えなかったという自責の念。その心の隙間に、少しずつ闇が侵入していった。
(そうだ……。ウィル)
バルトは思い出す。ウィラードを息子のように思っていたが、それは今も変わらないということを。
弟を盗賊から守るウィラードの姿を確かに勇敢だと思い、助けなくてはと思った。亡くなった我が子のように大切にしていた。そしてそれはレオナードも同じだった。少々生意気な少年だったが、それもかわいく思っていた。
バルト城の地下室で、彼ら二人が自分から離れていくのを感じて、ひどく自虐的な気分になったのを覚えている。
バルトから、遂に陰が去る。
いや、もう既に、ひたむきに敵であるバルトをも理解しようとしていたウィラードに、魂は救われてしまっていたのだ。
(伝えなければ……)
バルトは思った。これから彼らに待ち受けるであろうことを、なんとしても伝えなければ。
◆
「ウィル……」
かすれたバルトの声に、ウィラードは反応し、倒れる彼を見た。その顔色は白く、また体は小さく見えた。目前に死が迫っている。
「……お前たちの敵は、千年前の聖人だ。聖女を打ち砕こうと、人を操り使っている」
レオナードは顔をしかめた。
「何を言ってる? ウィル、どうせ罠だ」
しかしウィラードは思った。これは、かつてのバルトの姿だと。まさしく尊敬していた武人だと。堪えていた思いが込み上げてくる。
心が通ったと思ったこともある。あの日々は、果たして真実だったのか?
「……信じて、よかったのか? 俺はあなたを尊敬していた。その背中を追い続けたことは、間違っていなかったと、思っていいのか? 俺とリーアムを助けてくれたあなたは、あの時のあなたは、本当のあなただったんですね?」
ずっと自問していた。バルトを信じ、付き従っていたことは、本当に正しかったことなのか。初めから、バルトはおかしかったのか。いつから彼は狂ったのか。
初めて会ったとき、勇敢だと褒めてくれた。故郷の危機に駆けつけてくれた。両親とリーアムの死を悼んでくれた。
自分を助け、側に置いたのは、イクスヴォーグ家出身なだけでないと、信じてよかったのか。
バルトは笑う。かつてのように、優しく。
「……苦しめて、すまなかった。ウィル」
その言葉に、ウィラードの心の澱が、消え去った気がした。
(ああ、元のバルト将軍だ……)
最期にまた、彼に会うことができた。目から、一筋の涙がこぼれる。ウィラードは、ようやく解放された。
バルトは、そして最期に言った。
「シューナ神を、決して、信じてはならん」
タイトルは、チャットモンチー「世界が終わる夜に」から。




