聖女は黒猫を手なずけた!
「おい、聞いてるのか?」
私が鏡をガン見してると、ぶっきらぼうな声が頭の上から降ってきた。
その声にはっと我に返る。こんな無礼な奴、あいつしかいない。
「な、なに勝手に入ってるの!」
動揺してついつい朱雀に接するように怒ってしまったが、その相手……ウィラードは眉を少しひそめただけだった。
レオナードはいない。単独行動のようだ。
「一応声はかけたぞ。お前が自分に見惚れてる間にな」
「ち、違くて、これは……」
ジロリと見られると威圧的でかなり怖い。
また何か文句を言いにきたのだろうか。
「あの、ごめんなさい」
萎縮して謝ると、彼は不可解な顔をした。
「なぜ謝る?」
あなたが怖いからです。とは言えず、
「えーと、ケガさせちゃった事です。大丈夫ですか?」
と言った。それはもちろん本心だ。
彼の右手はどこかで手当てを受けたようで、包帯でぐるぐる巻きにされていて、おまけに三角の布で首から吊るされていたのだ。
「あ? ああ、気にするな。仕事だ」
「そ、そうですか……」
「……」
「……」
気まずい沈黙だった。リリーナも様子を伺っているのか何も言わない。
……っていうかこの人何しに来たんだろう?
不思議に思っていると、こほん、とウィラードが咳払いをした。
「……一応、礼を言いに来た。お前は命の恩人だから」
「へ?」
まさか礼を言われるとは思っていなかった私は、慌ててしまう。礼を言っているのはもちろん、さっき魔物を消し去ったことだろう。
なおも、ウィラードは私に向かって頭を下げている。
「そ、そ、そんな。自分でもどうやったか分からないんです。ウィラードさんを、皆を助けなきゃって思ったらあんなことに……。ウィラードさんこそ、本当にありがとうございました」
ペラペラと誰に対してか言い訳をして、ペコペコと頭を下げてた。これぞ日本人の魂に刻み込まれた謙虚の姿勢だろうか……。
そんな私を見て、ウィラードはフッと笑った。私は驚く。
それがなんだか、今までの嫌味な笑みではなく、本心から笑ったように感じて、不覚にもどきりとしてしまう。
「ウィルでいい。敬語もいらん。俺も使う気は無い」
ウィラードが言う。
相変わらず無愛想だが、とげとげしい雰囲気はなかった。
なんだか、今は接しやすかった。魔物襲撃により、少しは打ち解けたと思っていいのだろうか。
それにしても彼のケガ、少しは責任を感じる。私はあることを思いつき、彼に手を伸ばす。彼はびくりと体を震わす。
「な、なんだ」
「じっとしてて」
できる気がする。そして、それは確信に近かった。
私は目を閉じる。そして、自分の手から、彼の腕に力が流れるのをイメージする。
終わって、目を開く。
驚いた顔のウィルとリリーナが見えた。
「治った……だと……」
信じられないというように、ウィルは自分の腕を見つめる。
そう、彼の腕の傷はすっかり治ったのだった。そしてそれは、私の力によってだった。
どうしてそんなことをできたのかはわからない。でも、当然できるという思いがあったのだ。これも、異世界に来て与えられた力なのかもしれない。
「……聖女の力、か」
ウィルがつぶやいて、私に向き直る。
「お前、名前は?」
「え?」
「聖女様じゃ呼びにくいだろ、なんて名前だ?」
ウィルにそう言われて気がついたけど、この世界に来て名前を聞かれたのは初めてだった。
レオナードもリリーナも、私をただ、「聖女様」と呼んでいたから。改めて名前を聞かれるとこそばゆい。
「神宮 りんね、です」
「そうか、ジングーリンネ」
んん? イントネーションがおかしい気がする。
そう思っていると、ウィルは私に向かって再び頭を下げた。
「改めて礼を言う。ジングーリンネがいなければ俺たちは死んでいたかもしれない。それに、傷まで治した」
そう言われてもどういう顔をしたらいいか分からない。野良猫を少しだけ手懐けた気分、とでも言うのだろうか。
立ち尽くす私がやっと口に出せたのは、
「りんね、でいいよ」
という事だけだった。
◆
「おお、とても可愛らしいですね」
広い廊下にレオナードの声が響いた。
場所は謁見の間の前。重厚な扉は固く閉ざされている。この奥に、このエルドール王国の王様がいるのだ。
ウィラードとレオナードとともに、これから会いに行く。リリーナはいない。彼女は使用人なので、会う権利がないのだそうだ。身分が厳しい国みたい。
扉の両脇に衛兵が立っていて、ちらちらとこちらに視線を投げていた。私は緊張して、両手を固く握る。
そんな中でも、レオナードはにこにこと爽やかな笑顔を浮かべている。もうすぐ王様に会うというのに彼の緊張感のなさはすごい。
そう言えば、王様の部下の部下って言っていた。王様が社長なら側近は副社長だとして、二人は部長や課長といったところかな。なら、何度も会っているから緊張もしないのか。
ウィルとレオナードを盗み見る。
性格は全く正反対のようだけど、不思議と二人の間には強い友情があるようだ。
そう思って、ふふ、と笑った。少しだけ緊張が解けた気がする。
こういう風に考えられるようになったのは、先ほどのウィルとの会話があったからだった。彼は不愛想だけど、不器用なだけでリリーナの言うとおり本当は優しいのかもしれない、と思った。
「なぜ俺たちを見て笑うんだ。不気味だ、りんね」
引き気味にウィルが言う。
彼はせっかく治してあげたのに、なぜだかまだ、三角巾をつるしている。
「なんでもないよ、ウィル」
そう私が答えると、レオナードが意外そうな顔をした。
「おい、りんねって?」
「聖女様の名前だ」
「いつ、ウィルって呼ぶようになったんだ?」
「ついさっきだ」
へぇ、と意味ありげにレオナードがウィラードを見た。
「いつの間に仲良しに……。分かってるだろ、ウィル?」
「分かってる。そういう訳じゃねえ」
何が分かってて、どういう訳じゃないんだろう? 二人の真意の分からない会話を一人、蚊帳の外で聞いていた。
「ふうん。では、りんね様」
レオナードが私に向き直る。
「抜け駆けしたウィラードに遅れましたが、私のことはお気軽にレオ、とお呼びください」
パチリ、とウインク。
だんだんとこの人の性格が分かってきた気がした。ひとことで言うと、軽い。
「聖女さ……りんね様」
レオナード改め、レオが笑顔をやめて真剣な表情になる。
「この先に王がいます。起こった事の説明は、私が行います。どうか、私を信じていてください」
その真っ直ぐな瞳に引き込まれそうになりながら、うん、と頷く。
「広間にはこの国の首脳陣が集結しています。しかしどうか恐れないで、堂々としていればいいのです。そう振る舞えば、案外そう見えてくるものですから」
レオがうやうやしくお辞儀をして片手を差し出す。私は頷くと、その手に自分の手を重ねる。男の人にエスコートされるなんて、生まれて初めてかもしれない。
私たちは扉の前に立つ。この先に王様がいるんだ。王様に会ったら、帰り方を聞かなくちゃ。そんな事を、ぼんやりと思った。
バァン、と扉が開けられる。
瞬間、レオとウィルの視線が意味ありげに交差した気がした。