航海をして後悔……ってやかましいわ!
青い空と白い雲。風を切る船はぐんぐんと進んでいく。気持ちの良い風景の中で、レオは船の縁までいって水平線を見るように遠くを見つめていた。その姿のなんと様になることか。やはりイケメン。映画のワンシーンのようだ。
金色の髪がさらさらと風になびく。すると青い瞳がわずかに細まり、
「おええええ」
海に向かって盛大にゲロを吐いた。彼は酷い船酔いなのだった。
航路は順調で、天気は快晴。しかし船は嫌でも揺れる。乗り慣れていない人は、ときに船酔いになるのだとテッツォさんが教えてくれた。
この真っ黒な船の船長はテッツォさん。船員は二十名弱。ちらほら女の人もいて、皆日に焼けていて気が強そうではある。
初め私も何か手伝えないかと船内をうろうろしていると、「邪魔だ!」と言われてしまったので仕方なく邪魔にならないように身を小さくしていた。肩身が狭い。聖女なのに。
仕方なくレオにつきそう。
「大丈夫?」
「りんねの魔法で船酔いを治してくれ……」
心配して声をかけると、レオは弱々しく答えた。
「魔法で治すなんて軟弱者がすることだ。すぐ慣れる! 放っておいても大丈夫だ」
テッツォさんは大口を開けて笑った。
「船旅がこんなに過酷なんて聞いてないよ……。前乗ったときは全然揺れなかった……」
青い顔をして言うレオに、テッツォさんはまた言った。
「通常の航路ならな。オレたちゃ密航者だ! 普通の道よりはそりゃ揺れるぜ」
「み、密航者!?」
驚いて聞き返す。それって海賊と同じじゃない!
「同じもなにも、当たり前に海賊だぜ」
そう答えられると言葉も出ない。レオがまた吐いた後で呟いた。
「いっそのこと殺してくれ……」
海賊、というのはあながち冗談でもないようで、どうやら航海の許可を取っていない武装した商人をそう呼ぶのだそうだ。
「武装は海の魔物からの自衛のため、許可は元犯罪者のオレには出せねえらしいからしょうがねえ。隠れて海を渡るしかねえのさ」
明るく笑うテッツォさんは悪いことなど一つもしていないと信じているようだった。
この世界において海を渡ることは大変ではないらしい。先人たちの努力によって海路は整備され、魔法によってそこだけは大荒れが起こらないようにされている。
ただし国の許可を得た本来のルートであれば。
確かに海は穏やかで、カモメと一緒に風を切るのは楽しかった。テーマパークのアトラクション以外で船に乗ったのは初めてで、揺れる足場にも、綺麗な空と海にもわくわくしていた。
だがしかし。
この船は海賊船で、警備船がうようよいる正規ルートは通れず、それと鉢合わせしないように外れた場所を通っているのだ。
「この船が密航船ってことは、大荒れに遭遇する可能性もあるの?」
「まああるが、まあ大丈夫だろう。これから天気が悪くなることもねえと、オレの勘が言っている」
適当に答えるテッツォさんに不安を覚える。そしてそれは見事に的中してしまうのだ。
「おい! 帆をたため! 早くしろ!!」
甲板に滝のような雨が打ち付ける中、テッツォさんが叫んだ。
船はどちらが天か地かわからないほど大きく揺れる。海はうねる。昼間あれほど穏やかだったその海は、いまや牙をむく敵だった。
船員たちは必死で帆をたたむ。足場が滑り、海に落ちそうになる人を魔法で助ける。
なんとか嵐を押さえるような魔法が使えないかと思うけれど、情けないことに柱に捕まり自分の体勢を保つのがやっとだった。大がかりな魔法を使うほど、心の余裕がない。人が落ちないようにするのが精一杯だった。
……そう、嫌な予感は的中し、私たちは大嵐にぶち当たってしまったのだった。空が恐ろしいほど暗いのは夜のせいだけではない。雨が痛いほど強く体をうつ。
「誰だ、天候良好なんて言ってた奴は!」
「船長です!」
テッツォさんの叫びに船員の一人が叫び返す。レオも船が転覆しないように、魔法で波を押さえようとしているけれど、限界はあるようだ。
大波が船を襲う。容赦なく覆い被さるその大量の水は、私たちを海へと押し流そうとする。
「転覆するぞ!」
誰かが叫ぶ声が聞こえる。
そして、次の瞬間に再び巨大な横波が襲い、船が大きく揺れる。遂にバランスを保てなくなった船は大きく傾き、どうすることもできないまま私たちは冷たい海に放り出された。
水の力は恐ろしく強く、まるで意思を持つかのように体をねじ切ろうとしてくる。塩辛い水が口に入ってくる。肺がそれで満たされる前に海上に顔を出さなければならない。でも、どちらが上か下かもわからない。
転覆した船の破片が鋭い波によって攻撃してくる。もがいてももがいても、助かる方法はわからない。焦れば焦るほど、水を飲み込んだ。
苦しい……!
自分の手から力が抜けていくのがわかった。船の残骸を見ながら海の一部になったかのように流されていく。
レオは無事だろうか。他の人たちも。こんな暗闇の中では、誰の姿も見えなかった。
諦めかけたそのとき、突如強い力で体を捕まれるのを感じた。その力は、私をぐんぐんと運んでいく。
「ぷはぁ!!」
海上に出て、ようやく息を再開できた。ぜいぜいと酸素を取り込む。自分が生きているのを感じた。
「た、助かった」
他の人たちも次々と海面に顔を出す。私はまだ、自分がなにかに捕まれているのに気がついた。
助けてくれた命の恩人を振り返る。そして、その正体に気がついて、思わず涙がでそうになった。
「人魚ちゃん!!」
それは、あのライラの友達の人魚の姿だったのだ。他の人たちも、他の人魚たちに助けられている。中にはレオの姿もある。気を失っているのかぐったりとしていた。
人魚は、猫が親愛の情を示すときに私に頭をぐりぐりとこすりつけてくる。彼女の命を救ったように、今彼女は私たちの命を助けようとしてくれていた。
しかし嵐はまだ収まっておらず、波に飲まれそうになる。呼吸と心の安定を得た私は、波に向かって手をかざした。
人魚が不思議そうに首をかしげる。
「私ね、魔法の才能あるみたいなの」
通じるのかはわからないけど、そう説明をして、頭の中で念じた。
――静まれ!
すると、嵐は嘘のように収まった。驚く人魚たちの顔が見える。人間たちは突然現れた人魚たちに怯えそれどころではないようだ。「食べないでくれえ」なんて声が聞こえてくる。
海は調和を取り戻し、波は穏やかになった。船の残骸が浮かんでいる。通常の航路からは大分流されたようで、今どこにいるのか皆目見当がつかない。
頼みの綱のテッツォさんは人魚の恐怖に顔を引きつらせているし、レオは気を失っている。こんな海のど真ん中で、ピンチに変わりなかった。
途方に暮れていると、人魚が「キュー」と鳴いてざりざりする舌で私の頬を舐めた。そして、口を開け小さくてぎざぎざの歯を見せて笑った。
夜の海はきっと真っ暗なものと思っていたから、今こうやって明かりのない陸から見ると月や星の光の反射や、海自体の発光によって意外にも明るいことに気づく。
「なんだか綺麗だね」
幻想的な風景に私が呟くと、隣に座るレオは眉を顰めた。
「僕には不気味に思えるけどな。人間の手が及ぶ領域じゃないって言われてるみたいで」
「私は嵐を収めたけど?」
「りんねは人間業じゃないことをやってのけるから」
まだ気分の悪さが抜けないのか、彼の顔は青白い。胃が空っぽだったところに海水を飲んだらしく、機嫌は悪そうだった。
人魚たちは私たちをこの陸まで泳いで連れてきてくれた。初め怯えていた船員たちも、人魚がどうやら助けてくれているらしいと気がつくと幾分落ち着いたらしい。
嵐はもう過ぎ去っていた。
ひとまずの命の危機は去ったものの、ここが一体どこかはわからない。海岸の奥に森が見える。砂浜で、テッツォさん率いる船員たちは火を囲み、濡れた服や人魚が運んでくれた荷物を乾かしながら休んでいた。
私はそこから少し離れた岩場でところでなんとなく海を見ていたら、レオが隣にやってきて、そしてやっぱりなんとなく話している。
「もう最悪だよ……。こんな海の真ん中で、どうしろって言うんだ。船もないし、ウィルともはぐれたままだ……」
体調の悪さも相まってか、レオはいつになく弱気になっている。
だから、私はいつもレオがやるように彼の頭にぽんと手を置いて慰めた。
「明日、日が昇ったらきっとここがどこかわかるよ」
私が言うと、レオはやっぱり力なく笑った。
人助けをすると後で返ってくることもあります。(こないこともあります)




