悪い子には、お仕置きよ
ひたすらに疲れ切った私たちは宿屋に帰ると即座にベッドに倒れ込み、そのまま朝までぐっすり眠った。
そして目覚めても、ウィルは現れなかった。
「もう少し待つようかな」
朝ご飯を食べながらレオが言う。サーモンのような魚がパンに乗ったオープンサンドだった。
「なにを待つの?」
宿屋の食堂でご飯を運ぶのを手伝うライラが尋ねる。昨日金を盗もうとした罰でしばらく手伝う羽目になるんだと朝のあいさつ代わりに彼女は愚痴をこぼしていた。
「もう一人、仲間がいるの。この町で待ち合わせようと思ってて」
「そうなんだ」
答えるとライラは頷いた。もっと話したそうだったが別のテーブルに呼ばれたので行ってしまう。宿屋の朝は忙しそうだ。
レオはのんびり構えているからウィルの身に何かあったと万が一にも思っていないんだろう。離れてまだ二日ほどだし、心配はないのかもしれない。
と、宿屋に見たことのある男が現れた。歯なし男のテッツォさんだ。
「ようノラ! この宿屋だったか!」
「レオと呼べ」
「おうおう、すまんレオ! いい知らせだ! おはようお嬢ちゃんも!」
私にも挨拶をしながら陽気にテッツォさんはテーブルに近づいてくる。そして空いている椅子にどかっと座ると声を落とした。
「船だが、もう用意できた」
「本当か! 早いな」
レオが嬉しそうな声を出す。
「ものすごく苦労したんだぜ。おっと感謝はいらない、金がもらえたらいい。言っておくが、取り分は……」
「分かってるよ、皆まで言うな」
「出発はどうする?」
「実はもう一人仲間がいるんだ。この町で待つことになってる。合流してからかな」
先ほどライラに説明したのと同じように言う。テッツォさんは納得したようだった。
「じゃあ、おれは先に船の準備をしてる。黒い船だ、暇になったら見に来いよ」
言った後に少しだけ眉を顰めて言った。
「……ところで、ドレッドって奴知らねえか? 性格は最悪だが腕は確かな船乗りで、この仕事に誘ってやろうと思って探してるんだが、姿が見えねえんだ。……この町に来たばっかのお前らが知るわけないか」
「知らない」「全然分からない」
私たちは口々に答えた。
部屋に戻って、やることもなく私はレオが持っていた世界地図をぼんやりと見る。レオは武器の手入れをしていていつになく静かだ。集中しているらしい。
男はこういう細かい作業が意外と好きなことはロードバイクとかいう自転車に夢中になっていた朱雀で知っている。話しかけたらうんざりするほど蘊蓄を語られるのも知っているから声はかけない。
今いるのは、大陸の端の港町だ。そして進むのは、この大陸と対面している別の大陸のはずだ。
「ねえ、レオは向こうの大陸に行ったことあるの?」
私は尋ねた。レオは手を止め答える。
「ないよ、どうして?」
「この地図って、誰が作ったんだろう」
それはぼんやりと思っていた疑問だった。こうやって旅をする上で、地図は指針となる。その地図は精巧に思える。この世界は魔物がいるし、はっきり言って危ない。気軽に世界中回って地図を作れる情勢でもないように思える。
そう言うとレオは考え込んだようだ。
「誰がって……。考えたこともなかったよ」
レオは私を見た。唖然としたような表情だ。
「ねえ、それに、国ごとに言葉も変わらないよね?」
「それって、おかしなことか? りんねの世界では国で言葉が違うの?」
「全然違うよ。私は日本語しか話せないけど、隣の国に行けば、もう違う言葉だもん」
考え出したら疑問は止まらなかった。
「それに、宗教も一緒だよね? 私たちの国では、人に寄って信じている神様が違うんだよ」
「そんなの変だ。神が違うって? ややこしくないか?」
「だって世界は広いし遠く離れているのよ。文化が違うように、言葉や神様も違うの。ねえ、それにいつか言ってたよね? この星も空に浮かんでるって。それってみんな知ってるの?」
「共通理解だと思うけど……」
「ずっと不思議だった。魔法がこんなに発達している世界なら、もっと文明が進んでいなきゃ変じゃないのかって」
「よく分からないよ、なにがおかしいんだ?」
レオは私の言っていることが分からないみたいだった。私は上手く言葉にできない。もう少しで何かが見えそうだった。
この世界の常識や技術は進んでいるのに、文明は地球の遙か昔にあるように思える。移動手段は馬だし、かまどに火を焚いて料理を作る。移動魔法はあるけど一般人は使えない。それはいびつにも感じる。
でもそれを、この世界の人たちは疑問すら抱いていない。そういう風になっている。疑問を持たないように。
「ねえ、もしかして……」
言いかけたとき、背中に悪寒が走った。
瞬間感じた恐怖はダークウルフが現れる前触れと少しだけ似ている気がする。でも、違う。
「りんね、大丈夫?」
レオこら心配そうに声をかけられた瞬間、外が騒がしくなった。どんどんと扉が叩かれ、ライラが飛び込んできた。
「大変だ! なんだか兵隊がいっぱい来て、聖女を探し回ってる!」
心当たりは一つしかない。バルト将軍だ。
「もう気づかれただって!? 早すぎる!」
レオが慌てて武器をしまい、荷を持った。
「表は兵隊がいる! 窓から逃げて!」
ライラが言う。私たちは勇敢な少女に短い別れを告げて、宿屋から脱出した。
町の中にはもうすでに兵がいた。適当に歩くと見付かりそうだ。
慎重に行動しよう、と思い家の角を曲がった瞬間兵と鉢合わせした。
「ぬあっ!」
レオが驚いた声を出すと、バルト兵は叫んだ。
「き、貴様レオナード! いたぞー!!」
兵たちが集まってくる前に逃げなきゃ! 私たちははじかれたように町中を走り回る。
兵たちは追ってくる。人がいるにも関わらず矢をこちらに放つ。人々は悲鳴をあげながら屋内に引き返した。
「消そうか!?」
兵たちを消すのは容易い。しかし私の言葉にレオは首を横に振った。
「怖いこと言うなよ、ウィルに怒られちまう。この町の人だって怖がるだろ。りんねの力を使うのは、いざというときだけだ」
おどけたような口ぶりだけど、その顔は少しも笑っていなかった。
入り組んだ町を抜け、遂に港まで追い込まれた。これ以上逃げ道はない。
「くそ。これまでか?」
レオが舌打ちをして、弓を構えた。兵たちは私たちが逃げられないと気がついたのか余裕の表情を浮かべた。
「おや、ウィラードはいないのかい? 喧嘩でもしたのかな?」
まるで幼い子供にいうような言葉を吐きながら現れたのはバルトだった。隣にはイグリスさんもいる。複雑そうな表情を浮かべていた。
レオの緊張が高まるのを感じた。
「さあ、悪い子にはお仕置きが必要だ」
バルトは笑う。もう、これまでだ。
「レオ、私はやるよ」
隣のレオに声をかける。彼が目線をバルトに向けながら頷くのが分かった。
「悪い子はどっちよっ!」
そう叫んで私は集中を始めた。手を前にかざす。兵たちが身構えるが、遅い。
――消えちゃえっ!
念じて、手から光を放った。兵たちも、バルトもイグリスさんも、美しい黄金の光に包まれる。
これで何度目だろうか。悪人をこの世から消し去ることに、私はもうなんの抵抗も覚えない。
バルトは消えるはずだ。初めからこうしておくべきだった。
しかし、光が消えた後聞こえたのは余裕のある声だった。
「これが、聖女の力か。思っていたよりも大したことないな」
「どうして!?」
バルトはまだ立っていた。その顔からも笑みは消えない。兵士たちやイグリスさんは驚いた表情を浮かべているものの、やはり無傷のままだ。
「りんね、手を抜いたのか?」
レオが言うが、私は本気で彼らを殺すつもりだった。どうしてバルトたちが無事でいるのか全く分からない。
「加護を受けているのは、聖女だけではないのだよ。では、もう、いいだろう。ここでお終いにしよう」
バルトはそう言った後、部下に命じる。兵士たちが弓を構える。
レオは私をかばうように前に一歩踏み出す。魔法は効かない。絶体絶命だ。
兵士たちが弓を引き絞る。――終わった。
そう思った時だった。突然、ものすごい轟音とともに地面が揺れた。
立っていられず思わず尻餅をつく。何事かとみると、バルトたちに向け砲弾が撃ち込まれているのに気がついた。
「おい! レオ、お嬢ちゃん、早く乗れ!」
次いで後ろから声をかけられて振り返ると、手漕ぎの船があり、テッツォさんが乗っている。私たちは急いで乗り込む。すぐそこに黒い大きな船が見えた。砲台がこちらに向いている。
「驚いた、なんだあの兵隊たちは?」
「僕らを追ってるんだ。助かったテッツォ」
「いいってことさ! おい、もういっちょ!」
テッツォさんが船に合図をすると、二度目の砲弾が放たれた。砲弾は兵たちを直撃する。
レオがなにやら水の魔法を使って、船を早く進ませた。兵たちが矢を放つが、もう私たちには届かない。
黒い大きな船まで着くとすぐにそちらに引き上げられた。町を見ながらレオが言った。
「あの町にはいられない。バルト兵がまだたくさんいるから」
「ウィルはどうするの!?」
「あいつなら、確実に僕らの意図を汲んで追ってくるだろう。集合場所がポートへブンから向こうの大陸に変わっただけだ」
「出航ーー!! 面舵いっぱい!」
テッツォさんが声高く宣言すると、船はゆっくりと動き始めた。
カモメが空を飛びながら鳴いている。バルトがこちらを見ている。レオは厳しい視線を町に向けている。
ウィルはいない。
私たちは、新たな大陸に向けて出発した。




