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巡礼者たちは何を求める

 シューナ神殿は、千年前、聖女が神威を消し去り、世界を救ったことを受けて造られた建物だ。

 かつて、聖女・イブキがこの地に立ち寄り、奇跡を起こしたため、神殿はここでなくてはならないのだそうだ。


「な、なんでこんな辺鄙な山奥に造ったの、お姉ちゃんてば」


 そう、神殿がある場所は険しい山の頂なのだ。中腹までは、移動魔法の扉が開かれているものの、そこから先は自力で行かなければならなかった。


 神聖な場所だから、という理由で宿も、店もない。


 必要なものはすべて前もってそろえておかなければならなかった。

 それでも、時折、巡礼者と思わしき人々が登山道沿いにテントを張っているのが見える。私は聖女とばれたくなくて、ずっとマントを頭からかぶっていた。


「奇跡というのは、世界中の人々にこの地からシューナ神の代弁者として聖女様の声を届けたことだと言われています。四聖人と共にこの山の頂に立ち、神威が起こる場所を正確に予言し、人々を逃がしたのです。シューナ聖典の第四章ですね。


 『そして、イブキはその地の最も高い場所に立ち、言われた。“聞きなさい、神の子たち。今より半刻のうちにテルセ、ミドー、ヨシュニアの地に神威が下る。私を信じるものは親と子とともにその地を去りなさい”』


 その後、聖女様はその地の権力者に告げました。『この地にシューナの神殿を建てなさい』と。それで神殿が建てられたのです」


 もの珍しげに周囲をきょろきょろ見回しているドラゴンの子を抱えたまま、セリムが丁寧に教えてくれる。


 いつもながら彼の知識には驚かされる。

 まるで今その聖典が目の前にあるかのようにすらすらと文章が出てくるから。最も、ウィルもレオも感心もせずにいることを見るに、この世界の人々の常識なのかもしれないと思った。


 でも、シューナ教の聖典を知らない私はセリムに尋ねる。


「声を届けたって、どうやって? 神威が落ちる町はかなり離れてるんでしょう?」

「そこは実は現代においても解釈が分かれる説で、同時に町に姿を現したのだとも、世界中に一度にその声を聴かせたのだとも、いやあるいは、手紙をしたため、届けさせただけなのだともいわれています」


 そこが分かれば、もしかしたら、私も神威が落ちる町を救えるかもしれないと思った。横で黙って聞いていたレオがそっと耳打ちをする。


「話半分に聞いておけよ? 信者の前じゃ大声では言えないけど、聖典なんて後のシューナ教の神官たちが自分たちに都合のいいようにまとめたんだろうからさ」

 

 シューナ教に対して、レオは一歩引いた態度を見せる。それは、たぶん、この世界では少数派なんじゃないだろうか。


 どこに行っても教会はあるし、黒い太陽を模した飾りは、訪れた場所のあちこちで見受けられたから。

 ウィルは以前、盲目的に信じてるわけじゃないと言っていたけど、首から下げているペンダントにシューナの姿が刻印されていることを私は知っている。


 はあ、それにしても。ひたすら山道を登りながら思わず弱音を吐く。


「疲れたよー! ちょっと休もうよー!」


 歩き続けて足が棒の様だった。


 元兵隊であるウィルとレオが全く疲れないのは分っていたけど、細いセリムまでもが、なんとドラゴンの子を抱えたまま、疲れた態度は見せないのだ。


 レオがため息をつく。


「何言ってるんだよ、一番身軽な人間が。りんねの荷物はほとんどウィルが持っているじゃないか」

「だが、そろそろ休憩してもいいころだろう。じきに日が暮れる。神殿まで半分ほど進んだか」


 ウィルが助け舟を出す。

 ありがとう! ウィル、大好き!


 それを見たレオが目を丸くして言った。


「ウィルはりんねに甘いよな」




 ほどなく開けた場所に出て、野営の準備を整える。


 既に巡礼者の先客がおり、距離を保ち、テントを張る。どんな人が巡礼に来ているのだろうと、ちらりと伺うと、老いた女性と若い女性たちだけの少数の集団だった。


 彼女たちは口数も少なく、薄汚れた衣服を身にまとっている。一体、どんな理由があって、ここにいるんだろうか。

 そう思っていると「あまり、じろじろ見るな、失礼だろう」と、ウィルに注意された。


 夕食はセリムが手際よく用意してくれた。


 乾燥肉と野草のスープに乾パンのようなビスケットを浸して食べる。うーん、結構イケる。セリムはそれをドラゴンの子にも分け与えていた。


「これはムルの肉?」


 いつか立ち寄った村の食堂で食べた料理を思い出しながらセリムに尋ねる。おいしかったのを覚えていたから。しかし彼はぎょっとした顔になる。


「ム、ム、ムル!? いいえ、それはたぶん、牛か馬の肉だと思います! ムルなんて!!」


 予想外の反応に、驚いてしまう。


 黙々と食べていた騎士二人の手も止まる。セリムはすぐさま「しまった」、という表情になると、慌てて取り繕ったかのように言う。


「あ、いいえ! そういえば、エルドールではムルを食べるんでしたっけ? エルドールのように発展した国が、ムルを食べるって聞いたときは信じられませんでしたけど」


「サウザンの一部でも食べるぜ」


 レオが言う。


「食わず嫌いしないでお前も食べてみろ」


 ウィルも言う。


「わ、わたくしは、機会があったら食べてみますね!」


 あ、これは絶対食べないやつ。


 セリムの反応を見て、私は少し不安になる。ムルってなんの動物なんだ? 鹿に似た動物で、人気の肉だと聞いたんだけど。


「まあ、四足歩行で、角が生えているところは似ているよ。昔、飢饉のときに食べたら意外にも美味しかったそうだ、それから伝統の味なのさ」


 レオがあっけらかんと答える。


 彼の言うことなのでどこまでからかわれているか分からない。今度ムルを食べるときは少し注意深くなろう。


 たき火を囲みながら、たわいもない話をする。騎士たち二人も、気を使う相手がいないからか口数も多く、たくさん話しをしてくれた。


 エルドールの変な貴族のことや風習のこと。セリムは神殿での暮らしや勉強のことを。私は、自分が暮らしていた生活や文化について。

 初めて聞くセリムはとても興味深そうにしていた。


 話がひと段落した時にセリムがなんとはなしに呟いた言葉が印象的だった。


「不思議なものだと思います。

 今、わたくしたちがここでこうして語り合っていることが。

 出身の国も生きてきた場所も違うのに、たった一度、たまたま運命が交差しただけで出会うことができた。普通であれば、きっと知ることすらなかったでしょう。


 誰が予想できたでしょうか?

 わたくしのようなみなしごが、聖女様とそして歴戦の騎士様たちと同じ時を過ごしていると。

 こうしてここにいるのが、わたくしでなくてはならなかった意味を考えているのですが、まだ答えは出ません。ただひとつだけ言えることは、わたくしは本当に幸せ者でございます」


 木々の間から、星々がちらつく。見慣れない星座だった。


 神様や運命なんてちっとも信じていない私よりも、ずっとセリムは、この出会いを真摯に捉えているみたいだった。


 今まで、ただ、翻弄されてきたばかりだと思ってきた。突然異世界に飛ばされて、聖女になって、利用され、狙われて、守られて。


 なぜ今、ここにこうして存在するのが私でなくてはならなかったのか、その問いに対する答えはあるのだろうか。


 そうやって黙っていると、突然、弱々しい声が聞こえた。


「もしや、貴女様は、聖女様ではないのでしょうか」


 はっと驚いて声のした方を向く。


 見ると、隣のテントにいた女性が立っていた。炎でその姿がぼんやりと照らされる。


 ぼろの布マントをまとって、ぼさぼさの白髪は結ばずに垂らしている。


 先ほどは気がつかなかったが、近くで見ると、いくつも怪我をして、それをまた汚れた布で覆っているのを知った。

 深く刻まれた皺が、彼女の苦労を物語っているかのようだった。


 ウィルとレオも彼女を確認するが、一見すると害はないと判断したようだ。動かずに私の言葉を待っている。


 女性は、震える声で話しかける。


「間違いない、そのお姿は、聖女様であられる」


 女性のその言葉に、隣で野営をしていた他の女性たちも私を見るのが分かった。覚悟を決めて、答える。


「はい、私は、聖女と呼ばれている者です」


 そう答えると、女性は目を大きく開き、「ああ……」とその場に泣き崩れた。


「ど、どうしたの!?」


 驚いて、駆け寄り、震えるその背中をさする。小さく、骨ばった背中だった。女性は、やっとの思いで絞り出すように言葉を紡ぐ。



「かような場所で、聖女様にお目にかかれるとは……! 私は過去に過ちを犯しました、償っても償い切れないほどの過ちを……!

 それでもあの人のためにとここまで旅をして参ったのです。貴方様にここで巡り合えるなんて!

 ああ、あの人の魂は救われたのでしょうか!? 神が私をお許しになられたのでしょうか!?」



 彼女はついに泣き出してしまった。そんな彼女の手をそっと握った。女性は握られた手を凝視する。


「ついに私は報われた! ありがとうございます、聖女様……。なんと慈悲深く、愛にあふれていらっしゃる……!」


 様子を見ていた、女性の中の一人がすすりなく声で、


「聖女様、願わくば私にも、お手を触れてくださいませ」


 と言った。



 女性たちは礼儀正しく並び、順番に私の手に触れた。

 許しを得るかのようなその態度に、いたたまれなくなってしまう。



 この人たちがどんな罪を犯したのか、私は知らない。



 それでもやせ細り、衣服はボロボロで、靴をすり減らし、体は傷だらけになりながら、ここまでたどり着いたのだということはわかった。


 どこから来たのかも知らないが、かなりの遠方だと思う。女性たちだけで、守る兵士もなく、道中、魔物にも出会っただろう。



 犯した罪への償いはとうに終わっているのではないのか?



 清潔な服を着て、疲れたとわがままを言う自分のことが急に子供じみて思えて恥ずかしくなる。私は、ありがたがられるような、そんな高尚な人間じゃない。



 最後の女性が私の手を握り終わった時に、尋ねた。



「あなたたちは、それぞれ罪を犯したのですか?」


 その問いかけに、彼女らは沈黙で答えた。

 私はそれを肯定と受けとる。この人たちはきっと犯した罪への許しが欲しいのだ。


 そして、おそらく、許す人はこの世にいないのだ。だから、神様に問いかけに来たのだ。



 私が許せば、この人たちは、救われる。でも、それでいいのか?



「では、あなたたちのために、祈ります。あなたたちが、もとの人生に戻れるように。あなたたちが、自分たちを許せるように」


 女性たちは感激したように、また泣き出した。


 許すとは言えなかった。その権利はないと思ったから。



 私は聖女について、また考える。



 ただ、神威を止めることが聖女だと思っていた。だけど、人々は私の中に絶対の神を見る。


 時に奇跡を望み、時に許しを望んでいる。例え、私にそんな力がなくとも、そんな価値がなくとも、私は聖女。


 それだけで信仰の対象になっているんだ。


 たき火の音に女性たちのすすり泣きが混じる。ウィルとレオが静かに見守っているのを感じた。

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