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流浪者の英雄【後編】

2-1


 ドン・マリはノラを面白く思ったのか手元に置いた。そこで雑用として働いた。どうやら彼はこの町を取り仕切る悪党のボスらしい。誰しも彼を恐れた。


 ローヴァーの遺体は町の門にしばらくの間吊されていた。腐って異臭がしてきた頃、捨ててくるように命じられた。命じたのはドン・マリで命じられたのはノラだった。

 

 ノラは彼女を降ろすと、たまらず腐りかけの唇にキスをした。最初で最後のキスだった。唇が糸を引く。


 遺体は森の中の花がたくさん咲いている場所に埋めてやった。ローヴァーは別に花が好きだったわけでもないけれど、これ以上汚い場所にいさせたくなかったからだ。せめて安らかにと願った。


「僕を生かしてくれてありがとう。守れなくてごめん。仇は取るから」


 そう告げて、立ち去った。涙も出なかった。


 それからドン・マリの下で必死に働いた。内心ではどうやって殺してやろうかとそればかり考えていた。普通に殺すのではだめだ。痛い目に遭わせてやらなければ。ローヴァーが味わった数億倍の苦痛を味合わせてやらなければならない。


 演技は得意だった。自分の顔が人よりも優れているらしいことには、ローヴァーのおかげで気がついていた。笑顔を見せていれば誰も疑いはしなかった。だから貼り付いたような笑顔を作っていた。


「ノラは小せえのに良く働くなあ!」


 ドン・マリの部下の一人が前歯の無い口でいつもそう言って笑った。




 *




2-2


 ドン・マリの下で働くようになってから数ヶ月経って、ノラは彼の屋敷で働くように言われた。これまでの真面目な働きが評価されたらしい。


「ノラ。お前は頭がいいからいつか幹部になるだろう。オレの右腕としてな」

「ありがとうございます」ノラはそう言って笑みを浮かべた。


「案内しよう」とドン・マリは言って、ノラを連れて屋敷を回る。数ヶ月前に侵入したのは夜だったので昼だと雰囲気が違っていた。

 ドン・マリは機嫌が良さそうだ。ある場所で立ち止まると彼は振り返った。


 見覚えがある。寝室だ。


「ここはオレの寝室だ」


 そう言って扉を開ける。ノラははっと息をのんだ。そこにはローヴァーの弓があったからだ。


「ああ、その弓は前にオレの寝室に忍び込んだ女が持っていたもんだ。馬鹿な女だ。昔死んだ家族の復讐らしい」


 ドン・マリの淡々とした声が聞こえる中でも、ノラの体は冷えていく。胸はざわつく。ノラを支配するのは憎悪だった。自分では止められない激しい感情が、勝手にあふれ出してくる。


「部下に取り押さえられて一晩中嬲られていたらしいな。敵わぬ力で押さえられ殺されるのはどんなに恐怖なんだろうな? なあ、おまえ、なぜ泣いている?」


 言われて初めて目から涙が出ているのに気がついた、視線を弓からドン・マリに向ける。ドン・マリは笑っている。でも目はノラを冷酷に見ている。


「あの日、鍵のかかった裏口が開いていた。調べたら屋根裏の窓が割れていた。小さな窓で、大人じゃまず入れない。入れるのは、小人か、あるいは体の小さなガキか……」


 ドン・マリは自分を疑っている。いや、おそらく初めから気づかれていたのだ。それを悟ったとき、ドン・マリの部下が部屋になだれ込んできた。ノラを捕らえ、殺すために。ノラの体は町の門に吊され、腐ったころに降ろされるのだ。


「遊びは終わりだ、ノラ。もう飽きた。死んでいいぞ」


 部屋にドン・マリの冷たい声が響く。




 *




2-3


 刹那。

 ノラは自分でも驚くべき速度で壁に立てかけてあったローヴァーの弓を手に取ると矢を放った。人に向けた矢を放つのはもちろん初めてで、それでも一切の迷いはなかった。ゴミ虫を殺すのになんの躊躇があるというのか。


 瞬間、自分にまるでローヴァーが乗り移ったようだった。弓の引き方も、当て方も分かった。矢は次々と部下たちに当たり、殺していく。


 最後に残ったのはドン・マリだった。彼は驚き目を見開いている。ノラは彼に向けて矢を放った。


 右足に当たる。


 ドン・マリは後ずさる。再び矢を放つ。


 左足に当たる。その場に崩れる。


「ひ、ひいいい」


 ドン・マリは少女のような声を出して自由の効く両腕で部屋の外へと這っていく。


「馬鹿げてるよ、そうは思わない? こんな哀れな男のために、キミが死ぬ必要なんて少しも無かったんだ。僕と一緒に生きると言ってくれればよかったのに」


 そしたら僕は、キミのためになんでもしたのに。


 ノラはまた矢を放った。右手に当たる。矢がなくなったので死んでる部下の男から引き抜き、またドン・マリに当てる。左腕に当たる。

 それでもずるずると這う姿は醜い毒虫のようだった。ノラは弓を置きナイフに持ち替えた。弓で殺すのは面白くない。


 指を一本ずつ削いで、目をえぐって、皮膚を体の先からめくっていこう。思いつく限りの残虐な方法で、この男を殺してあげなければ。


「そうでしょう? ローヴァー」


 花畑で眠っている彼女にそっと呼びかける。答えは永遠に返ってこない。




 *




3-1


 少年は隣国に渡っていた。祖国にはろくな思い出がない。名も捨てた。

 ローヴァーと出会う前のように、ただただ正体もなく生きていた。少年は大切なものを失ったのだ。


 町を転々としながら食いつないだ。盗みもしたし、意外にも全うに働いて駄賃を貰うこともあった。

 日々は瞬く間に色を失い、また灰色の世界が戻ってきた。


 ある時、港町に行き着いた。なんの変哲も無い寂しい町で、潮と魚の匂いがした。日に焼けた漁師たちがたくさんいた。魚にありつこうとする野良猫もたくさんいた。猫ならば愛想を振って生きていけるだろうが少年はそうでない。


 季節はいつの間にか冬で、寒かった。この町にはろくな仕事がなく、また路上で生活を始めなければならない。町民は少年に気がついているらしかったが、また見えないふりをしていた。文句でも言ってこようならまた殺してやろうと思ったが、それすらない完璧な無視だった。


 どうってことない、僕は透明人間だ。少年はそう思って世界を憎んだ。親に捨てられた子猫が暖を取ろうと少年の懐に入ってきた。少年はそれをそっと抱きしめた。




 *




3-2


 翌日はひどく寒かった。遂に空から雪が降り始めていた。

 子猫は冷たくなって呼吸を止めていた。その死に心が痛んだ。しかし少年は生きていて呼吸を止めなかったし、そのつもりもなかった。敵もいないが見えない何者かに負けてなるものかと思っていた。


 とにかく腹が減っていた。ここ数日、ろくなものを食べていない。町を歩くとパン屋が見えた。店主はいない。当然盗んだ。急いで立ち去ろうとする。


「おい貴様! なにをした!」


 突然声をかけてきたのはパン屋の店主ではない。主を振り返ると嫌に高価そうな服を着た自分と同じ年頃の黒髪の少年が立っていた。腰に立派な剣を差している。貴族だ。貴族を見たのは初めてだが嫌いな人種だと思った。自分が哀れで惨めに思えたからだ。


「くそ!」


 少年は苦し紛れにパンを黒髪に向かって投げつけると思いっきり走った。今までも盗みが見付かって走って逃げ切れてきた。今回もそのはずだ。なまっちょろい貴族が自分を追ってくるとも思えない。


 しかし、少年の期待を込めた予測は大きく外れ黒髪は追ってきた。そしてついに少年に追いつくとその頭を思い切り殴り飛ばした。




 *




3-3


 少年は地面に転がる。口の中が切れて血の味がした。黒髪は息を切らしながらもまっすぐに少年を見て言った。


「貴様は盗人だ。罪を償え」


 その一方的な物言いに少年は怒りを覚える。黒髪はゴミでも見るような目で自分を見てくる。


「僕の罪だって? ふざけるな! お前たち貴族が税金をかすめ取るから今、腹を空かせたんだろうが!」


 腹のそこからの渾身の叫びに黒髪はややたじろいだようだ。少年が税金を払っているわけではないが、口からでまかせにしては功を奏したようである。

 少年は立ち上がり向かい合う。感情がなだれ込むようだった。ドン・マリを殺したときの熱い憎悪ではない。ただ悲しみとやるせなさが自分の口から悲鳴となって現れた。


「貴族は僕の罪を責められるほど偉いのか? なんでも分かった気になるなよ。僕がパンを盗んだのは飢え死にするからだ。死ぬ直前まで腹を空かせたことがお前にあるのか? 冷たい雪の中で自分の体が凍り付いていく経験は? 今日生き残っても明日死ぬかもって恐怖は?」


 じきに大人たちが駆けつけるだろう。少年は思った。 


 今日、僕は死ぬ。死んだらローヴァーは待っていてくれるだろうか? また抱きしめてくれるかな?


 雪が降り続く。とても寒い。ローヴァーはいつも温かかった。会いたい。無性に会いたい。あの目尻が下がった笑顔が見たい。仇を取った自分をローヴァーは褒めてくれるだろうか。


「今日、僕は死ぬ。大人に捕まって殺されるんだ。お前のせいで」


 負け惜しみでそう言った瞬間、一瞬だけ黒髪の瞳が揺れた。その隙を少年は見逃さない。隠していたナイフを手に取ると、襲いかかった。同じ死でも、ひとりでも道連れにして死んでやろうと思ったのだ。




 *




3-4


 しかし、黒髪の反応は早かった。瞬間的に剣を抜くと少年のナイフをいとも簡単に受け止めはじき返した。恐ろしく強い力で少年は地面に再び倒される。


 少年はしかし諦めなかった。生きようと思う意思が少年の手にむき出しの土を握らせた。そしてそれを黒髪の顔めがけて投げつけたのだ。


 土は見事黒髪の目に入り、視界を奪う。その瞬間少年は黒髪に体当たりした。黒髪はバランスを崩し地面に尻餅をつく。目が痛いのか、うめき声をあげる。


「勝ったぞ!」


 立っていたのは少年だった。


「僕が勝ったんだ!」


 少年は黒髪に叫んだ。ざまあみろ。貴族だって地面に倒れれば僕と一緒じゃないか。何が違うんだ?


 大人たちが駆けつけてきた。黒髪の従者だと思われる屈強な男に少年は取り押さえられる。


 少年はおかしかった。おかしくて笑った。


 これでお終い。僕の人生はただみじめなだけだった。ただただ滑稽で、まるでできの悪い喜劇だ。なにも成し遂げられずに死ぬだけの命ならクソみたいな世界に生まれるだけ損だ。生まれてこない方がましじゃないか。

 

 しかし、同時に別の感情も生まれた。


 ふざけんな。こんなところで終わってたまるか!


 ふいに顔を上げると、黒髪と目が合った。綺麗な緑色の瞳をしていた。不思議な表情をしていた。


 怒りではない、同情でもない。

 それはまるで価値のある無しを値踏みしているようだった。また、理解の及ばない物をなんとか理解しているようにも見えた。


 少年は言った。


「僕のような人間がいるのは、お前のような、贅沢をする貴族がいるからだ。結局は一握りの幸せの上に、僕や彼女が遭う必要のない悲劇に暮れているんだ。王様か貴族か知らないが、お前たちは僕らのモノを奪う以外に何をしてくれているんだ?」


 黒髪は黙って少年を見つめた後で、従者に言った。


「離してやれ」


 少年は驚いて黒髪を見た。




 *




3-5


 少年はなにも言えずに立ち尽くしていた。黒髪に何を言われた意味が分からなかったからだ。黒髪はまた言った。


「今まで見たことがないほど強い目をしているな。名はなんという?」


 少年はまだなにも言えない。答える名はやはり持ち合わせていない。黒髪の目はまっすぐに少年を見る。少年が卑怯な手を使ったことを少しも気にしていないような目だ。その態度に少年はまた自分が惨めになり、やっとしぼりだした声で答えた。


「そんなもの、ない」


 黒髪はまた笑って言った。


「なら、レオナードと名乗れ。聖人であり、強い兵士の名だ」


 そしてその場にいた全員が耳を疑うようなことを言った。


「俺と来い、レオナード」


 空耳じゃなければ自分の頭が壊れたのかと思った。「頭がおかしいのか」そう答える。


 その場の唖然とした空気も読まずに黒髪は当然のことのように続けた。


「お前はさっき、なにをしてくれるんだと言ったな? 俺は二度と、戦が起きない強固な国を作る。誰しもが平和に暮らせる国を。だから、俺とともに来い、レオナード。お前の力が必要だ」


 誰しもが平和に暮らせる国だって?


 それは自分とローヴァーも含まれているんだろうか。

 そんなことを本気で言っているのなら、この黒髪貴族野郎はとんでもないまぬけだ。天地がひっくり返ってもそんな世界はやってこないだろう。


 でも、と少年は思った。


 ここで従っておけばすくなくとも今日は殺されないだろう。それに、少しだけ、ほんの少しだけこの理想主義のお坊ちゃんがどこまでやれるか見てみたいと思った。それを見る資格があるのは野良犬の自分だけだとも。

 嫌になったら隙を見て逃げればいいだけだ。


 そこまで思った所で、少年は頷いた。


「いいよ、力になってやっても」






 とある大国に無敗の強さを誇る騎士団がいた。その名は異国にも轟き恐れられ、また憧れられていた。

 その隊長を務めるのは、黒髪のまっすぐな目を持つ青年だ。そして彼の隣にいつもいるのは弓の得意な副隊長だ。

 副隊長は鬼のように強い。異国人である以外、出自は誰も知らない。


 彼には、聖人と、流浪者の名が付けられていた。


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