姉の日記の真実は
ウィルとレオは、なんと私が寝ている間に行ってしまったらしい。二人の強さを知っているから無事で帰ってきてくれると信じてるけど、心配なものは心配だった。
「ひとことくらい、言ってくれてもいいんじゃないの?」
ぶつぶつと文句を言う。
やっぱり、二人の反対を押し切って着いて行けばよかった。だって私の力があれば、ゲランの皆の仇打ちなんて容易いだろうから。
だけど、二人は私の力は魔物を消すだけの力で人間には効かない、とゲランの人々に説明をしたのだ。
それは私を巻き込みたくないから言った嘘だとわかっているけど、もっと信頼してもらっても構わないのに……。
外を歩く気にもなれず、テントの中で久しぶりにお姉ちゃんの日記を読んでみる。
レオが持っててくれてよかった。今はこの日記が、私とお姉ちゃんを結び、そして、この世界を救う手がかりになる。
しっかり者のお姉ちゃんらしく、天気や食事、その日の行程、印象深かったことが記されている。
だけど細かい部分は読み飛ばす。伝説の中では、悪魔が神威を引き起こしていたという。なら日記に、そのことが書いてあったりするんじゃないかな?
そしたら、私たちの目的も早く果たせる。
パラパラとページをめくる。中々それらしき記述はない。日記には書かなかったのかも、そう思ってめくり続けると、あることに気がついた。
この日記は途中から白紙だったのだ。
白紙の手前に、ページが何かでくっついているようで、重なっている場所がある。文字が書かれた最後の部分のようだ。
それを丁寧に剥がす。そこには、今までとは違う、殴り書きで記されていた。
『この世界はなんて残酷なんだ。私は今まで、なんのために戦ってきたのか、もう、分からない。神威は、起こって当然のものだ。あれは、神の怒りなのだ。私は間違わない。この日記は、サイフリートに託すことにする。もう二度と会うことはないだろうけど、彼を愛していたから』
乱暴なもの言いに驚いた。一体、なにがあったんだろう。
そして、次に書かれた文章に、私の胸は張り裂けそうだった。
『家族に、会いたい。お母さんに。りんねに、会いたい』
◆
野営地で、サニギは一人、外にいた。男達はアバデへ行き、残っているのは数人の女と、聖女だった。
サニギは大テントでの騒ぎから、ほとんど誰とも口を聞いていない。クシューとも。
それは、勝手をしたクシューへの怒りが存分に含まれているもので、それをクシューも感じているらしく、彼女からも話しかけては来なかった。
(だけど、それも、今日で終わる。この苦しみが、対に終わるんだわ)
サニギは思う。
長かった。父を殺され、領地も民も奪われた。そして、サニギが何よりも恐ろしかったのは、
――妻になれ、サニギ姫よ。
あろうことか、タルールは父を殺したその翌日に自分に求婚して来たのだ。タルールが自分を愛しているわけではないことは分かっている。
既に彼には妻が五人いたし、子供もいる。彼の目的は、サニギに忠誠を誓っている、サウザン最強とも言われるクシューらゲランの戦士達だ。
馬鹿にしている。そんなことを言えば、反発するとは考えなかったのだろうか。
人には心がある。誇りがある。それを踏みにじられて、のうのうと生を享受できない。
サニギは、ゲランの子達の成功を、神に祈る。全能の神にして、太陽の化身シューナに。
すると、
「サニギさん?」
不意に話しかける者があった。
「りんねさん……」
そこには聖女の姿があった。手には、本を持っている。目は赤く、泣いていたのかもしれない。
「皆の無事をお祈りしてたの?」
りんねは人懐っこく話しかけてくる。サニギは微笑んだ。
(可愛らしい子だわ……)
「そうよ。全てが上手く行くように、と」
「待っているだけは、辛いよね」
そう言うと、りんねは隣に座り、「一緒にお祈りしてもいい?」と聞いてきた。
彼女はシューナ神を信仰している訳ではないだろうが、特段断る理由もなかったため了解する。
自分に毒を盛った人物の仲間など普通は関わり合いになりたくはないはずで、恨まれても仕方ない。しかし、彼女は違うようだ。
きっと、人を疑ったことなどない世界にいたのだろう。
「りんねさん、泣いていたの?」
彼女に尋ねると、頷いた。
「お姉ちゃんのこと、思い出しちゃって……。遠い場所にいて、今は会えなくて」
「りんねさんは、別の世界から来たのよね? 来れたんだもの。きっと帰れるわ」
そう言って慰めると、
「サニギさんと話すと懐かしい気がしてたの。今は分かる。お姉ちゃんに少しだけ似ている気がする」
彼女は寂しそうに笑った。
いつか、クシューがサニギを聖女のようだと言ったことがある。
だけど、本当の聖女は、りんねなのだ。
聖女というと、もっと神々しいものを想像していた。絵画の中のイブキのように。しかし、目の前の少女はどうだろうか。危ういほどに純粋で、何も知らない子供のように見える。
加えて、よたよたと進んで行くものだから、真っ直ぐ歩かせなければ、と周りは放って置けないのだ。
あの二人の騎士も、きっとそうなのだろう。
(クシューも、私をとても慕っていたのに)
子供の頃、彼女を助けたことがある。それから、ひたすらにサニギを信奉し、献身的に尽くしてくれた。
――アタシは貴女の剣となり、盾となります。
彼女にそう言われて、久しい。その言葉の通り、強者揃いのゲランの戦士の頂点に立った。だからこそ、クシューが反乱に反対したのは意外だった。彼女は一番に従うものと思っていたから。
――今動けば、民の命が危険に晒されます。時機は必ずやってきます。その時に立ち上がるべきだ。
(クシュー、馬鹿な子、愚かな子。私の剣ならば、盾ならば、ただ従えばいいものを)
クシューは恐れたのだ、とサニギは思った。
勇敢な戦士である一方で、彼女の人生は喪失の連続だった。
親を失い、家を失い、友人を失い、今度はその主君をも失った彼女は、これ以上の喪失を恐れたのだ。
サニギはクシュー抜きでも、反乱を進めようと考えていた。自分に共感する者もあった。しかし、優秀な戦士の半分は、クシューに従ったのだ。
そんな折、タルールが反乱準備を知った。情報を漏らしたのは……。
サニギはぎゅっと口を結ぶ。仕方がなかった。
反乱には、戦士が必要だ。しかし、半数はクシューに従っている。反乱を成功させるには、クシューを説得しなければならない。
一番良い方法は、タルールにゲランを襲わせることだった。
タルールは怒り、ゲランはもう二度と元に戻らないほど崩壊した。
クシューはそこでやっと、サニギに従った。
サニギにとって、ゲランはただの土地だった。先祖の代に得た場所で、当たり前にあるものだ。だから、失ったことに、強いショックを受けてはいない。たった一人の肉親の父がいる場所こそが、サニギにとっての故郷だった。
許せない。父はさぞ、無念だっただろう。だからこそ、取り戻さなければならない。
情報を漏らしたのは……。
そう、タルールに反乱を教えたのは、サニギ自身だった。妻になると言って連絡を取り、手紙でそっと教えた。
『私がこの恐ろしい秘密を、貴方様に教えたということは、どうぞご内密に』
最後にそう添えた。
(仕方なかった……。仕方なかった……。誇りを踏みにじられて生きることは、時に死よりも恐ろしいもの。 皆、分かってくれるはずよ)
「サニギさん!」
サニギの思考は、突然耳に入ってきた焦った声に中断される。りんねだ。
顔面蒼白で、ひどく怯えた様子の彼女に、嫌な予感が胸をよぎる。
何を伝えようとしているのか?
「あれが、来る!」
そして、次に告げられた言葉に、立っていられないほどの衝撃を受けた。
「アバデに、神威が落ちる!!」
りんねがなぜ神威が落ちると知ることができたのか、は次の話で分かります。




