朱雀の決意
百地 朱雀は、とある場所に向かうため、歩いていた。閑散とした住宅街に入り、目指すはある人がいるアパートだった。
学校帰りの小学生たちが、群れをなして歩いている。それに、自分とりんねの姿を重ねた。
少し緊張しているのは、気のせいではない。それでも、向かわずにはいられなかった。
目的の場所に着く。
インターホンを鳴らす。
程なくして、扉が開けられた。
「朱雀くん……。いらっしゃい」
出てきたのは、朱雀の幼なじみ、神宮 りんねの母親だ。
彼女は酷く疲れた様子で、それでも気丈に振る舞う。以前は企業でバリバリのキャリアウーマンとして働いていたが、ある出来事により心労がたたり、今は休職している。
「あの、これ。持ってきました」
そう言って、授業のノートを取り出す。
「学校違うから、内容も違うかもしれないですけど。あいつが戻って来た時、全く何もないんじゃ可哀想だし」
言い訳のようにそう言って渡す。りんねの母親は、力なく笑った。
「いつもありがとう。もし時間あったら、よっていかない?」
言われるがまま、家に上がる。憔悴しきった彼女の呼びかけを、断る勇気はなかった。
出されたお茶は、綺麗な湯呑みに入っていた。こんな時まできちんとするのが、この人らしい、と朱雀は思った。
ずぼらなりんねとは、顔は似ているけど、性格は全然似ていない。
学校のことを聞かれたので、少し話した。
「りんね、あの子、今何をしてるのかしら」
唐突にそう言われたので、思わず答えに詰まる。それでもなんとか励まさなければと、努めて明るく言った。
「りんねは、あいつは、明るい奴だし。
なんで家出なんてしてるか分かんないけど、絶対元気にしてますよ! ほら、あいつ、結構たくましいじゃないですか。
昔、オレが溺れた時も、真っ先に助けに入ってきて……」
子供の頃のことだ。必死なりんねの顔を思い出す。朱雀を助けようと川に一番に飛び込んできたのは彼女だった。
自分では、なにも取り柄がないというりんねだが、人一倍優しく勇敢であることを、朱雀は知っていた。
小さい頃からずっと一緒だった。これからも側にいると思っていた。
あの時……。
車が猛スピードで突っ込んできた。轢かれるのは自分、だったはずだ。
だが、りんねが自分を突き飛ばした。そして、代わりに……。
一瞬のことで、轢かれた、と思った。事実、車は近くの電柱にぶつかって大破したのだから。
しかし、りんねは、彼女の姿はどこにもなかった。
消えてしまったのだ。
「りんねは、本当に、昔からドジで、勉強全然できなくて、だけど、優しくて、明るくて……。
一緒にいると、楽しかった……。オレが、オレがあの時、りんねを守ってたら……! オレが代わりに、死ねばよかったんだ!」
「朱雀君!」
その声にハッと我にかえる。目の前には、青ざめた顔のりんねの母がいた。
今、自分はこの人に向かって、言ってはいけないことを言ってしまった。代わりに死ねばよかったなどと、軽々しく言うべきではないのだ。
夫を、娘二人を失った人。
「ごめんなさい……」
謝る。
目の前の人は悲しそうな瞳をして自分を見つめる。そして、
「りんねは、もう、二度と帰って来ないんじゃないかしら、って時々思うの」
彼女の目は充血している。大人のこんな表情を見たのは生まれて初めてで、どういう態度でいればいいのか判断に迷ってしまう。
彼女は続ける。
「りんねがいなくなる朝、私、あの子と少し喧嘩しちゃったのよ。あの子が思い出す最後の私の姿は、苛立ちを自分にぶつけてくる、母親の姿よ」
「そんなこと……!」
そんなことない、と言おうとする。りんねが母親を尊敬し、大好きだったのはよく知っていたから。
しかし、彼女は、首を横に振ると、ゆっくりと言った。
「……朱雀君。いつも、りんねのためにありがとう。
でもね? ここに来るのは今日でお終いにして欲しいのよ。……私、あなたを見ると、どうしても思ってしまう。
ここにいるのがあの子じゃなくて、なんで、貴方なのって。事故に遭ったのが、どうしてあの子だったの、って」
彼女の肩が微かに震える。
ああ、オレはこの人を傷つけていたんだ、ようやくそれに気がついた。
りんねのためにここに来ていたと思っていたが、本当は自分のためだったのだと分かった。
「すみません、オレは……」
謝りかけて、やめた。謝るのではない。別のことを言う。
「オレは、りんねの事が、好きでした。昔から、ずっと。そして、多分、これからも、死ぬまでずっと。もうここには来ません。だけど、オレもりんねの事、待ってます」
そう告げて、両手で顔を覆う彼女を置いて、部屋を出た。二度と、ここへは来ないだろう。
りんねのために、何ができるか?
「絶対お前を探し出すからな、りんね」
朱雀の決意は、誰にも聞かれないまま、夕闇に消えた。
現実世界に残された方もたまったもんじゃないですよね。朱雀の戦いはここから始まります。




