迷える黒い騎士
普段のウィラードにとって、イグリスとの試合はよい気晴らしであった。
彼女は自分よりも幾分年が上であるが、出会った頃から不思議と気が合い、親しかった。
彼女の竹を割ったような性格が好ましかったのもある。
やや親しくしすぎた時期もあったが、それは昔の話だ。とにかく、イグリスといると心が休まったのだ。
しかし、
――キィィン
――ガキィィイン
剣と剣が激しくぶつかり合う時も、ウィラードは困惑していた。
いつもであれば、この試合は気が晴れるものだ。しかし今にあっては、頭の中はぐちゃぐちゃと整理がつかない。
原因ははっきりしている。
言うまでもなく、聖女りんねだった。
彼女の存在は恐ろしかった。
ウィラードにとって、マールはさほど思い入れのある町ではなかった。騎士団も自分の目指すところの、ほんの通過点に過ぎないと考えていた。
しかし、思いがけずマールの姿が失われた故郷と重なった。
――また、俺は失うのか。
そう思った時、腹に恐ろしい程の熱が宿った。
即座にマールに行くべく行動をしようとした時、止めたのはりんねだった。
今思えば、至極真っ当な判断だ。行けばたちまち魔物に引き裂かれ、命はなかっただろう。
しかし、だからこそ恐ろしい、と思った。
あの少女が、あんなにも素早く決断できたのはなぜだ。
頼りない、支えてやらねば立てぬほどの彼女が、あの場では誰よりも冷静だった。
(聖女の加護か……? くそっ!)
と、一瞬の隙をつき、イグリスがウィラードの剣を弾き飛ばす。
つーっと冷たい切っ先が喉元に当てられる。
「勝負ありだ! それで騎士団の隊長を名乗っていたとはお笑いだな。迷いがあるな、ウィラード?」
イグリスが笑う。
その目は、見透かしているぞ、そう言っている。
どう言い返そうと言葉を考えていた時、
「ウィル! 」
聞こえた声に振り返ると、先程までひどく沈んでいたはずの親友の姿があった。
しかし、今は吹っ切れたかのようにその顔は晴れやかだった。
その後ろには、りんね。
同じように、晴れやかな笑顔で手を振っている。
レオナードが、まだ息が上がるウィラードとイグリスに言った。
「見せたいものがあるんだ! イグリス様、ウィルをお借りしてもよろしいでしょうか?」
そして、その晩。
ウィラードは部屋で一人酒を煽っていた。
りんねの力は控えめに言って、彼の想像を超えていた。
それなりの使い手であると思われるレオナードの魔法を遥かに凌いでいる。いや、王宮の魔法使いも及ばないのではないか、と思えるほどだった。
火、水、風、土……
りんねは、次々と覚えたての魔法を楽しそうに繰り出す。
ウィラードは息を飲む。
これほどまでに自由に魔法を操れる人物はほかに見たことはない。より精度を増せば、これは破壊兵器だ。
りんねは無邪気に笑っていた。
「凄いでしょう? こんなに楽しいなんて!」
ウィラードは、しかし、笑えなかった。
彼女の存在は、明らかに、この世界のバランスを崩す異物だ。
バルトの言うようにこの力が誰かの所有物になれば、恐ろしい力になる。一瞬にして魔物を消し去ったあの時のように、敵国の兵を殺すこともできるのであれば……。それは、脅威になるだろう。
アルコールを流し込むが、少しも酔えない。
むしろ、頭は冴える一方だった。
コンコン、と扉を叩く音がした。
こんな時間に部屋を訪れる人物は、二人しかいない。 イグリスか、レオナードか……。
「入るぞ」
返事をする前に扉が開かれ、現れたのは、イグリスだった。
美しい金髪を揺らし、寝間着姿でいる。
「何の用だ」
ぶっきらぼうにそう答える。
「はは、ご挨拶だな。根暗なお前が一人で悩んでるんじゃないかと思って、見舞ってやったんじゃないか。このお優しいイグリス様がな」
そう言って、イグリスは勝手にウィラードの酒を瓶ごと飲み干す。
「おい!」
「酒はやめろ。いいか、一度しか言わん」
どん、と空瓶を机に置く。
「ウィラード、私の隊に来い」
「なっ……!」
言われた言葉に驚く。
マール騎士団はもうない。だからこその誘いであるのは明白だった。
イグリスの猫のような目は、真剣に言っているのだと訴えかけてくる。
そして、その目がわずかに細まると、彼女は言った。
「聖女の力は、恐ろしかったか?」
ウィラードは眉をひそめ、素直に答える。
「ああ……」
イグリスのことは信頼していた。そして、彼女も信頼をもって接してくれる。嘘を言っても意味がない。
そんなウィラードの様子を見て、イグリスは更に続ける。
「手に負えないものからは、手を引け!
……ここだけの話だ。近く、隣国を攻める。バルト様が準備をしておられるのだ。お前がいたら勝利は確実なものになる」
その言葉に対するウィラードの不快をイグリスは感じただろうか。いや、バルトに心酔する彼女は、おそらく気がつかない。
(こんな時に、まだ領地の拡大など考えているのか?)
そう、ウィラードの違和感はつまるところ、そこにあった。
世界が滅ぶ時に、なぜ、人の間で小競り合いをするのだ。見るべきは、そこではないはずだ。
この思いは、レオナードがよく自分を揶揄するように、理想主義なのだろうか。
「寛大な私は返事は明日まで待ってやろう」
「……それは寛大とは言わんだろう」
そこまで言ったところで、コンコン、と扉を叩く音がした。
ああ、今度はレオナードが来たな、と思った。
落ち込んでお酒に逃げるタイプか。




