滅びは誰にも止められない
その言葉を聞いた時、読み間違えた、とレオナードは思った。
「聖女りんねを神威を止めるべく旅に出させることとした」
そうリアド国王が告げた時はついにボケたかこのじじい、とさえ思った。
王の間で、左右には王の近衛兵たちが並ぶ。
その前でウィラードとレオナードは二人、呼び出され跪いていた。
レオナードの考えはまとまらない。
リアド国王なら聖女を手元に置いておくと考えていた。
そうしておいた方が、国益に繋がる。少なくとも、バルトであればそうしたはずだ。この王も、バルトに近い感覚を持っているものと思っていた。
だが、そうではなかったのか。
(まさか、国王も聖女に感化されたとでも言うのか?)
王は続ける。
「ウィラードについては、王宮にいる間、聖女りんねの護衛を命じたが、これより先はその必要はない」
「つまり、別の者を護衛に?」
神妙に聞いていていたウィラードが、初めて顔を上げてリアド国王に聞く。
「その通り。お前たち前へ出よ」
「「はっ」」
呼ばれた二人が近衛兵の列から前へ出る。
共に三十代の兵士で、その剣の腕は確かだ。しかし、共に位の高い貴族であり戦場の前線に出る事はほぼない。
それが意味するところは、つまり、試合での剣しかほぼ経験がない、ということだ。
(本当にこいつらで大丈夫か? きっと厳しい旅になるぜ)
レオナードの胸を不安がかすめる。
「この二名を筆頭に、熟練の兵どもを護衛につける。そなたたちは、また騎士団に戻れ」
「仰せのままに」
レオナードがあれこれ考えているうちに平然とウィラードが言った。
思わずウィラードを見るが、すまし顔だ。
ウィラードと自分の最終的な忠誠は王にある。しかしそれは、主君のバルトが王に忠誠を誓っているからだ。
そのバルトは、身ひとつで成り上がった者でありながら、戦場で手柄を次々と上げ、領地や富を拡大して今や王と同等の権力を持っている、と言われている。
バルトは、必要があれば王を出し抜く為に自分たちに聖女を張らせた。
だからこそ、簡単には聖女から離れる訳にはいかない、と思っていた。だが、ウィラードの考えは違ったようだ。
ウィラードが最近、王に呼び出された事は知っていた。そのときに、何かしらの話があったのだろうか。
レオナードは、隣の親友の顔を見るが、彼の澄ました顔からは、なんの情報も読み取れない。
「レオナード」
「はっ」
突然名前を呼ばれたレオナードは、反射的に返事をする。
「余は王だ。この国の唯一王である。
だが今、世界は滅びゆく最中だ。その中でやる事は聖女を手元に置いておくことではない。この世界を救う方法を考える事だ。
そして、たった一人世界を救う力を持つ聖女がそれを望むのであれば、叶えるだけだ。それこそが国利であると判断したのだ」
レオナードは心の中で苦笑いをした。
(国王陛下は、バルト将軍の考えも全て承知の上か)
ならば、自分もウィラードと同じように返答するほかない。
ウィラードも全て承知の上で、先ほど了解したのだろうか。いや、この男にそこまでの考えが浮かぶだろうか。恐らく別の思いがあるのだろう。
隣にいるウィラードの気配を伺う。
彼らの友情は熱かった。
ウィラードとレオナードが初めて会ったのはエルドール王国の北の外れの町で、季節は冬だった。
ウィラードは12歳、レオナードは11歳。
最もその頃の少年に、レオナードという名前はなく、好き勝手に生きていたのだが。
――ならば、レオナードと名乗れ。聖人であり、強い兵士の名だ。
ウィラードがそう言ったのだ。彼はその頃、既に故郷を失っていたはずだ。
あの日、二人の道が交差しなければ、自分はここにいない。
あの日、ウィラードによって、レオナードの運命は変えられたのだ。
ウィラードが自覚しているかは知らないが。
以来、同じ道の上にいる。
聖女の道は二人から離れた。しかし、それになんの問題があるというのか。
(生粋の貴族のウィルと違って、僕は流れ者だ)
ウィラードは粗野に見えて理想家だ。だから人を疑う自分がいて、それで丁度良いと思う。
結局、レオナードにとって付いていきたいと思う人間は王ではない。そして、バルトでもない。
この偏屈な友人に他ならなかった。
「仰せのままに」
駆け巡る思いの中、そう返答した。
◆
――神威を止める旅に出ます。そして、姉を探します。
そうリアド陛下に告げたのは昨日のことで、その日のうちにウィルとレオに話がいったというのは知らなかった。
「余が選んだ兵士も選りすぐりの精鋭だ。不足はない。
本来ならウィラードとレオナードをつけてやりたいところだがな。ウィラードにはこの国にとどまり、任せたい仕事があるのだ」
翌朝、旅立ちに備えて部屋で荷物の整理をしていると、訪ねてきたリアド陛下はそう言って「ほっほっほ」と笑った。
ウィルとレオともここでお別れか。それに、リリーナとも。
やっと皆の性格を掴んできて、仲良くなれそうな予感がしていただけにかなり寂しかった。
しばらく、リアド陛下と話していると、今度は騎士二人が訪ねてきた。お別れを言いに来てくれたらしい。
陛下がいるのを知って出直そうとするが、「よい」と陛下が言ったので、そのまま話す。
「短い付きあいだったが、お前ならできる。頼んだぞ、りんね」
ウィラードが力強く言う。
「貴女は不思議な方です」
レオナードが言う。
「素直で純粋で、人を変える力を持っている。必ず何もかも、上手く行きますよ」
二人の言葉が本当にうれしかった。
私は二人に約束をする。
「必ず神威を止めてみせる。私も、お姉ちゃんと同じ血が流れているもの。信じて、待っててね、二人とも」
二人は微笑んで頷いた。
リアド陛下も優しげな笑みを浮かべている。
陛下がおっしゃっていた事を思い出す。
――必ず戻ってきてしまう道。進むべき道。
それならば、もう、前にしか道はない。
本音を言えば、二人にはついて来て欲しい。でも、二人にも生活というものがあるはずだ。だから、何も言わないでおく。
だけど、そう言えば一つだけ心残りがあった。
それは、私の荷物だった。お財布や携帯をウィルのお屋敷に置いてきてしまっている。
こっちの世界で使えるとは思わないけど、全部大事なものだ。
私は、ウィルに向かって言う。
「私の持ってきた荷物なんだけど、まだ、ウィルのお屋敷にあるよね? とってきたいんだけどいいかな?」
「ああ。いや、なら俺が取ってこよう」
そう話してたところで、「ならば」とリアド陛下が言った。
「三人で散歩がてら行ってきてはどうか。神威を止める旅への出発は明朝だ。それまで語り合うと良い」
三人で顔を見合わせて、「まあ、そうしようか」ということになった。
「これで、最後なんですねぇ。りんね様、神威を止めたらまたマールまで来てくださいね! 次はゆっくりご案内しますから」
一緒に馬に乗るリリーナが寂しそうに言ってくれた。
正直言うと、同年代のリリーナとはもっと話がしたかった。「必ず寄るよ、約束する」と、そう伝えた。
馬にも乗れるようにならなきゃな、と思う。その他にも色々とやらなきゃ行けないことが沢山ある。
この世界で、きっとまだ知らないことが沢山あるはずだ。
「りんね様、ほら、ご覧ください」
マールの町に来るときに通った丘の上に来たところで、レオが言った。
そんなに時間は経っていないはずなのに、初めてここを通ったのが随分と昔に思える。
振り返って、マールの姿を見る。相変わらず美しい町だった。特に、そこで暮らす人たちのことを知った今では、より格別のものに思える。
「この先、お前がどこを旅しても、この町を忘れないでいて欲しい。世界中どこを探しても他にないほど、美しい都だ」
ウィルもマールを見つめながら言う。きっとそれは彼の本心なのだろう。
マールの町はひとつの絵葉書のようだった。私は、この景色を心に焼き付けておこうと、しっかりと見つめる。
まだ早朝だからか太陽は高くなく、空は分厚い雲が覆っていた。
ウィルは私に向き直ると微笑んだ。
「どうか、これからお前にシューナ神の加護があるように祈っている」
シューナ? 誰?
そう思った瞬間。
――ピリ。
雲が揺れ、空気が振動した気がした。
多分一瞬だったと思う。
「なにか、くる」
直感だった。
「ここにいちゃ、だめだ」
"マールが危ないわ"お姉ちゃんの声がこだまする。
「逃げて!」
大声で私は叫ぶ。三人が、私を見る。
でも私は、マールを見ていた。
雲が割れたように思った。
そして光が差す。
雲の割れ目から、まばゆい光が差す。
それは、徐々に太くなっていき、
ついに、光の柱がマールを直撃する。
あまりにまぶしくて思わず目がくらむ。
続いて、耳をつんざく轟音。
ドゴオォォオオオオオオオオ
マールは飲み込まれる。
――叫び声が誰のものだったのか。
あるいは、私のものだったかもしれない。
その日『神威』が、マールの町を飲み込んだ。
この物語においては、いろんな人物の視点がさまざま混じります。同じものを見ていても、人によって全然別の見え方をするものですよね。




