千年前のお姉ちゃん
翌朝。
部屋で朝食をとった後、聖女様について詳しく聞くため、待ち合わせをしていた城の中庭の噴水の前に向かう。
と、使用人の女の子たちと和気藹々と話しているレオを見つけた。
レオが何かを話すと、周りを囲む女の子たちがわっと沸く。皆うっとりと彼を見つめていた。
この間、女の子たちにたじたじだったウィルとは全く違う態度のレオに、思わずくすりと笑ってしまう。
その笑いに気がついたレオがくるりとこちらを振り向き、私だと分かるとパッと微笑みを作った。
対照的に周りの女の子たちはむっとした顔になる。
ぐっ……。でも私だって真剣なのよ。
心の中でそう言い訳してから、駆け寄って来たレオと共に応接室のような場所に案内された。
勝手に入っていいのかな、と疑問に思ったが、見透かしたかのように
「ここは我が隊に与えられた部屋なので」
とにっこり言われた。
「我が隊?」
「あれ、まだ言ってませんでしたか。ウィラード・イクスヴォーク率いる騎士団、ちなみに私はその副隊長です。……まあ、軍の中の組織とでも思っていてください。お聞きになりたいのは聖女様についてですよね?」
「うん」
レオは軽く頷くと話し始めた。
――それは、聖女様の美しい伝説だった。
世界の終わりに突如として現れた聖女様。
初めは自分の力を恐れ、戸惑いを感じながらも運命を受け入れる。
彼女は魔法の才能に溢れ、それだけでなく慈悲深く誰からも愛される存在だった。
神威は次々と大都市を襲い、国を滅ぼしていくが、今までの軋轢もあり、国々は争いをやめなかった。
しかし聖女は持ち前の勇気と愛情で仲違いしていた国をまとめ、皆を団結させて、未知の災害に立ち向かった。
神威が始まったという西の砂漠、世界の果てまでも仲間と旅を続け、ついに神威を起こす悪魔を突き止めたのだ。
最後には悪魔と対決し、打ち倒し、世界を救った。
そして彼女は自分を召喚した国へ報告をし、いずこかへ去った。
その後、聖女を見た者はいない。
レオの語りは巧みで引き込まれるようだった。
「聖女様に救われた後、彼女の仲間の一人がこのエルドールを築いたと言われています。
聖女様の伝説は建国の物語でもあるのですよ。
ただ、この地以外でもさまざまな伝承が語り継がれていて、全部まとめるととてつもなく長い物語になります。真偽は不明ですが」
話し終えた彼は紅茶を一口飲んでから、私の様子を伺うように言った。
「聖女様はその後、この地で没したとも、元の世界へ帰ったとも、また旅に出たとも伝えられていて、正直なところ何が正しい話なのかは分かりません。
私たちにとってもそれは遠い伝説の物語で、神威が再び起こるまでは実感として持っている者は少なかったでしょう」
「そう……」
私の消沈にレオは哀れむような視線を送った。
たしかに、私は悲観していた。
ただそれは、帰り方が分からないからということよりも、むしろ千年前の聖女と自分との、あまりの違いに恥ずかしくなったからだった。
彼女の勇気を私は持てない。でも、何かできることがあるかもしれない。
「神威って、いつから始まったの?」
気を取り直して、私は尋ねた。
レオは少し意外そうな顔をして、しかし一瞬にして元の微笑みを作ると「少しお待ちを。」と言って、棚から世界地図を取り出した。
広げると模造紙ほど大きい。
そこに、山脈や海、砂漠が細かく記されている。巧みな地図に思わず感心した。
当然のことながら、地球のそれとは異なる。大陸は三つ。大きな二つの大陸が、小さな大陸を囲うように存在していた。そのうち、右側の大きな大陸をレオは指差した。
「ここが、エルドールです」
大陸のちょうど真ん中の半島を指す。山脈によって他国との境が出来ているようだ。
「そして、ここが今回初めて神威が確認された場所です」
大陸の西側の小島を指した。
「貿易の拠点として栄えていた小さな国ですが、今は跡形もありません。三年前のことです」
背筋が寒くなるのを感じる。
「その後も発覚しているのは三回です。ここと、ここ、それからここ」
レオは迷うことなく地図を指す。
「千年前は大小約五百回、神威が記録されています」
「ご、五百!?」
「それに比べると、今回はまだ、これから起きるのでしょう」
レオは真剣な顔だ。
「神威を目撃した者の話によると、
空が光ったかと思うと雲の切れ間からまばゆい光の柱が降りてきて一瞬にして町を焼き尽くしたと言います。
そしてまた、不思議なことに、ぽっかり空いた穴からは沢山の魔物達が這い出て来たそうです」
「そ、そんなの……」
そんなの、どうしようもないじゃない、と言おうとして気がついた。
さっき、聖女について話してくれた時、レオはなんて言ってた?
「悪魔が、神威を引き起こしたって……。その悪魔を倒せば止まるということ?」
「そう、ですね。ただ、悪魔というのは比喩表現ではないかと」
この世界にも一部で信じている人はいるけど、悪魔という存在はいないらしい。魔物はいるのに、なんだか変なの。
「少なくとも、何かが原因で神威が引き起こされているのは間違いないと思われます。
千年前に聖女様が突き止めたこと、貴女が読めるというその日記を読み進めればもしかしたら手がかりも見つかるかもしれません」
レオは慰めるようにそう言って、
「そう言えば、異世界の方というのは、皆『ジングー』と付くのですか?」
「え!? 苗字のこと!?」
思わず聞き返す。
「そんな訳ないじゃない! 佐藤だって田中だっているよ」
そう説明すると「では、偶然ですね」と言い、信じられない事を口にした。
「昔の聖女様は、ジングー イブキ、というお名前ですから」
私はその場で気を失ったのかもしれない。
「神宮 いぶき」だって、それは。
私の「お姉ちゃん」の名前だったから。