マール城の夜(チャラ男を添えて)
私がエルドール王国首都マールで過ごして一週間経った。
少しずつこの世界での生活に慣れてはきたけど、帰りたいという思いが消えた訳ではなく、千年前の聖女様の日記を読み進めることも忘れてはいなかった。
日記には、彼女がここに来た戸惑いや、聖女として周りに期待されても自分にはそんな力がないという葛藤が書かれていた。
そして、「神威」という災害のことも。
夜、ベッドの上で日記を読みながらひとり呟いた。
「千年前も同じ状況だったんだ」
初めてこの世界に来た時、聞かされた話を思い出す。 確か、空から雷みたいな巨大な閃光が落ちてきて、それを食らった町は燃え尽きてしまうんだっけ。大都市ばかりに神威が来るからこのマールが襲われるのも時間の問題だという。
マールでそんなに長い時間過ごしているわけではないけれど、皆親切で、そんな災害に見舞われてほしくはなかった。
日記によると、千年前も神威が起きていてだけど、状況は今よりもずっと悪かったようだ。
いくつもの大国が滅び、世界は急速に滅亡に向かっていった。
残された人々もいつ自分たちの番が来るかと震えていた。加えて、少ない資源を巡って至る所で暴動や殺戮が繰り返し行われていた。
そんな死の淵がすぐそこにあるような世界で、この聖女様は懸命に人々の希望になろうとしたみたいだ。
『もし、皆の言う通り私にこの世界を救う力があるんだったら、助けたい。
まずは災害の原因を探ろうと思う。仲間と共に神威が初めて起きたという西へと旅をすることにした。』
始めの方にそんな文章が書かれている。
「偉いなぁ、この女の子は。見ず知らずの世界のために頑張るなんて」
同じ聖女でも大違いだ。私なんて帰る方法しか考えてないのに。
だけど、と疑問に思ったことがある。
千年前って言ったら、日本だと平安時代になるはずだ。私だって、古文の授業で枕草子や源氏物語くらい見たことある。
でもこの日記は、千年前にしては感覚が現代っぽい。というか、書かれている文章も漢字もひらがなも言葉使いもどう考えても現代日本の感覚だ。
平安時代といったら「ありおりはべり、いまそがり」、でしょ。
まだ疑問は多い。私は千年前の聖女様について何も知らない。
神威についても、実際、どうしておこっているのか、どんなものなのか、分からない。
……たったひとつだけ分かってることは、この聖女様は、見事に世界を救ったということだ。
今この国が、この世界が続いているのは、そんな絶望的な状況から救った彼女がいたからだ。
ウィルやレオを始め、王様までもが聖女を信奉するのもわかる気がする。
日記を閉じて丁寧にベッドの脇に置く。
そのまま目を閉じる。今日はもう遅いし、寝てしまおう。
………。
……。
「全然! 寝れない!」
考えが頭の中をぐるぐると駆け巡って、全く冴えてしまった。
「こういう時は! 城の中を散歩してみよう!」
そう思って、部屋を飛び出したのだった。
静かな夜の城は昔肝試しをした夜の学校に似ている、と思った。
天井は高く、足音が壁に反響する。
だけどそこまで不気味に感じないのは、城の中で沢山の人が生活をしている気配がするからかもしれない。
もう深夜だけど、たまに明りの灯る部屋が窓から見えた。使用人たちが起きているらしかった。
加えて城の廊下は、歩くたびにぼうっとロウソクの火が灯るので暗くない。これは魔法によるもので、センサーのように反応しているのだ。
初めてこれを見たときはお化けかと思って怖がり、ウィルに呆れられてしまった。
と、
――ボソボソ、クスクス。
廊下を曲がろうとした先で何やら人の声が聞こえた。
その人物たちの姿はちょうど見えない。けれど、男女が話しているような声で、何となく近寄るのが憚られた。
Uターンしようとしたところで、しかし、壁にいた鎧に思い切りぶつかってしまった。
ガッシャーン!
衝撃で鎧の頭が取れ、床に落ち、大きな音を立てる。 慌てて拾い上げようとすると、
「りんね様?」
私の背中から、先ほどの声の主の片割れが声をかけてきた。
知っている声に振り向く。
「レオ……?」
そこには、金髪碧眼、王子様のような顔をしたレオがいた。
私の出現に多少なりとも驚いたようで、目を見開いている。
そして、その後ろには城の使用人の若い女性が驚いた顔をしていた。
『深夜の密会。若手イケメン騎士に恋人発覚!?』
週刊誌だったらこうだろう。
もしかして、恋人同士かな。邪魔しちゃった、最悪だ。
「ご、ごめんなさい。これを戻して部屋に戻るね!」
いたたまれなくなって、転がったままだった鎧の頭を持ち上げようとするが、思ったより重くて、踏ん張ってしまった。
自己嫌悪に浸っているとレオが代わりに鎧の頭を持ち上げ、元に戻す。完璧な姿に戻った鎧は、私の気持ちも知らず、どこか誇らしげだ。
「どうしてこんなところに?」
とレオが改めて聞くので
「考え事をしていて。ちょっと城の散策に」
と正直に答える。
レオはくすりと笑うと、
「では、とっておきの場所をお見せしましょう」
そう言ってさっと私の手を取るレオ。女性にキッと睨まれてしまった。
レオが案内してくれたのは、塔と塔を結ぶ外にある渡り廊下だった。
「すごい! すごく綺麗!」
思わず感嘆の声を上げる。
このお城はただでさえ周囲が見渡せるよう、町より高い場所に建てられている。この廊下の上では夜の海とまだ起きている家々の明かり、そして星々がよく見えた。
レオは来た側とは反対方向にある、廊下の先の塔を指さして言った。
「あっちの塔は今はあまり使われていなくて、人は滅多に通りません。なのでここは考え事にはうってつけの場所ですよ。私の秘密の場所ですが、りんね様は特別です」
しーっと人差し指を口にあててレオが微笑む。
秘密の場所に連れてきてくれたんだ、と思うとドキドキしてしまう。
だけど気になるのは、
「さっきの方、恋人じゃなかったの? よかったのかな……」
「恋人? いや、まさか。たまたま話し込んでただけですよ」
ははっと笑って、レオは即座に否定する。
たまたま話してた人があんな目で睨むだろうか。少なくとも女の人のほうはレオに好意を持っているに違いない。
なるほど。この人、チャラいお方だ。
「考え事、とはどのようなものでしょう?」
勝手なことを考えていると、レオが聞いてきた。「昔の聖女様について」と素直に答える。
「千年前の聖女様についてですか?」
「そう、知っていることを教えて欲しいの」
「でも、どうしてご興味を?」
一つの家で、明かりが消えるのが見えた。あの家は、もう眠るのだろう。
それを景色を見下ろしながら、さっき思ったことを伝える。
「千年前の聖女様の日記を読んだんだけど、もしかしたら、私と同じ時代から来たんじゃないのかなって思えてきて」
レオは静かに聞いている。
そして、どうやって災害を止めたのかについも知りたい、ということを彼に伝えた。
同じように私がこの世界を救うか、については言えなかった。まだ答えは出ないし、レオも特に聞いてはこなかったから。
「……確かに、千年前に現れたはずの聖女様とりんね様がいた時代が同じだというのは不思議ですね。帰り方を探るヒントになる可能性もある」
そう呟くとレオは私を見つめる。
綺麗な青い瞳だった。
だけど、何かを探っているように見えて少し居心地が悪い。
この人は優男風で一見とても穏やかだけど、もしかするとウィルよりもかなり慎重で疑い深いんじゃないだろうか。吸い込まれそうな彼の目を見返して、そんなことを思った。
やがて、レオは話し出した。
「このところ、考えていたことがあります。貴女が一体どこから来たのか、本当は何者なのか」
私が日本から来た女子高生だ、という話は散々してきたはずだけど今更なんだろう?
「初めは、貴女が僕らを謀っているのかと思いもしましたけど、どうやらそうは見えない」
「謀るなんて!」
左右に首をぶんぶん振る私を見てレオはふっと笑った。
「昔、誰かが言っていたことを思い出します。
この世界も空に浮かぶ星の一つなのだと。そして、その星のどこか一つに、我々と同じように人間が生活している。
だけど……星と星の間は驚くほど離れていて、とても行き来することはできない、と」
この世界の科学でもそう考える人がいるんだ、と感心する。人間、どこの世界でも考えることは一緒なのだろうか。
レオが何を言おうとしているのか分からず、ただ彼の次の言葉を待っていた。
「もしかしたら、貴女はそんな星の一つからこの星へやって来たのかもしれません」
「宇宙人ってこと?」
「ははっ、“宇宙人”ですか。上手いことを言いますね」
私が作った言葉じゃないけど。
レオが空を見上げたので、私もつられて見上げる。知っている星座は何もない。日本で見ていた空とは何もかもが違う。
嘘みたいに美しい夜空だった。星々がそれぞれ瞬いている。天の川のような白い靄がみえる。
この光のどこかに、地球があるのだろうか。
ふと、空を見上げるレオに朱雀の姿が重なった。朱雀も星が好きだった。よく、見上げていたっけ。
レオは私に向き直って言った。
「もし、聖女を召喚する儀式が時間も空間も全て凌駕するものなのだとしたら、貴女と千年前の聖女様が同じ時代から来ることもあるのかもしれません。だけど、明確なことは私にも分かりません」
「そうなの……」
そう言って、黙り込む。
私が黙っていることをどう取ったのか、真剣な表情をしてレオが言った。
「……貴女の様なか弱い少女に世界を救ってもらおうと言う都合のいい考えが、そもそも間違っているのかもしれません。我々の世界の事は、本当だったら自分達で解決しなくてはならないのでしょう」
「レオ……」
イケメンにか弱い少女と言われてちょっと嬉しい。
レオは続ける。
「貴女が望むのであれば、明日にでも千年前の聖女様のお話をいたしましょう。私は非番ですから」
今日は遅いので、と付け足してその日は解散となった。




