王の思惑
司書さんに日記が私がいた国の言葉で書かれていることを説明すると、少し考え込んだ様子の後、「その日記は貴女が持っているべきなのかもしれませんね」と言った。
だけど、受付の女性からはくれぐれも本を持ち出すな、と言われている。
「私が上手く誤魔化しておきます」
そう言って、司書さんは微笑んだ。
誤魔化す時点で大丈夫ではないけど、この日記をゆっくりと読みたいと思った私は、黙って(お礼だけ言って)地下室を出たのだった。
「お待たせ!」
外のウィルに声をかける。
彼はおじさんの石像のまえで、人に囲まれている。なにかあったのだろうか。
ウィルは振り返ると、「おう」と無愛想に返事をした。彼の周りを取り囲む人たちが一斉に私を見て、目を見開いた。
全員若い女の子たちだった。町娘だろうか。
女の子たちは口々におしゃべりをはじめる。
「あれが?」「聖女様だわ」「私の方がかわいいじゃない」「ウィラード様に守ってもらえるなんて羨ましい」
意外。こいつ、モテるのね。
確かに、リリーナがそんなこと言っていたっけ。
きゃあきゃあと話す彼女たちを押しのけるようにして、ウィルが私の方に向かってくる。心なしか、疲れているように見える。
「望みのものは見つかったか?」
ウィルの問いにコクリと頷き、後ろ手に隠していた聖女様の日記を見せた。
「ああ? 人の話聞いてたのかよ!? あれだけ持ち出すなと言っただろうが!」
「違うよ! 司書さんに持って行っていいって言われたんだもん!」
ウィルが声を荒げるので思わず言い返す。私の答えにウィルは意外そうな顔をした。
「あの受付の司書がか?」
「ううん。綺麗な男の人だった」
「男?」
いかにも腑に落ちない、といった風なウィルだったので「読み終わったらちゃんと返すよ」と言ってなんとか納得させた。
城への帰り道、気になっていたことをウィルに尋ねた。少しだけからかいの意味も含めて。
「ウィルは、女の子にモテるんだね」
ウィルはうんざりしたような顔をして、なにも答えなかった。
◆
ウィラードは、りんねを彼女に与えられた部屋まで送り届ける。「じゃあねー!」と明るく手を振り、彼女は部屋の中へと入っていった。
(……全く、調子が狂う)
りんねと別れた後、そう思った。
彼女が現れる前は、聖女、という人物は、きっと慈悲深く、強い意志と力で人々を救うものであり、その姿は神々しいものだ、と漠然と考えていた。
しかし、さっきまで自分と一緒にいた聖女は、その人物像からかけ離れていた。
ウィラードの使用人であるリリーナも、明るく元気な少女であるが、りんねは……。
輪をかけて無邪気であり、同年代の少女たちと比べるとさらに幼く見える。感情のままに思ったことを言い、よく笑う。
彼女が暮らしていた国は平和だったというが、それが関係しているのだろうか。感情を表に出さないようにしている自分とは、まるで正反対の人間に思えた。
しかし、特に、エルドールのような大国においては、彼女の無邪気さは命取りになるだろう。一見、美しいこの国の内部は、王に近いほど、権力ゲームが盛んなのだ。
バルトはもうしばし、聖女についていろと言っていた。しかし、それがなくとも生来真面目なウィラードは放って置かなかっただろう。
入れ込みすぎるな、とも言われたが、時に危うさを覚えるほど頼りない彼女を見捨ててはおけない。
ウィラードはため息をひとつつくと、王のもとへと向かった。
王立図書館から城に帰った時に、使いの者にことづてされていたからだ。
――話があるので、執務室まで来るように。
気乗りしないが、進んでいく。王がいるのは謁見の間ではなく、彼の執務室だ。彼はいつもそこで、膨大な量の書類にサインをしている。
「筆跡の印影を作り、別の者に好き勝手押させたいものだ」
愚痴のように、そう冗談を言っていたのを思い出す。
執務室の扉をノックすると、すぐさま、「入れ」という声が聞こえた。
案の定、リアド王は執務室に置かれている大きな机に向かい合い、書類の山と格闘していた。隣には、大臣が立つ。
王はウィラードが部屋に入るのを確認すると、代わりに大臣を追い出した。大臣には非難のまなざしを向けられるが、王に向けろ、と思う。自分を呼び出したのは、他ならぬ王だからだ。
王の座る机の正面に行き、単刀直入に尋ねた。
「お話とは」
王は、サインをしていたペンを置くと、座ったままウィラードを見上げる。そして、相変わらず無愛想な騎士団長を見て、微笑した。
「聖女を王立図書館に案内したようじゃな?」
謁見の間よりも、くだけた口調でリアド王はそう言った。「はい」と返事をする。自分の行動が筒抜けなのは、今に始まったことではない。もっとも後ろめたいこともない。
「彼女はお前の目から見て、どうだ?」
「どう、とは……」
「あの娘は、本当に聖女なのか」
なぜ、自分に問うのか、ウィラードは王の真意をつかもうとする。
ウィラードは直接的にはバルトの部下だ。そのバルトがただ、王に忠実なだけな人物でないことを、知っているはずだ。
しかし、王の目は真剣だった。
イクスヴォーグ家、その出身であるウィラードに、王はバルトの部下である以上の信頼を寄せているようだった。
「彼女は儀式により召喚された、まぎれもない聖女であると考えます。正直、雰囲気だけではそうは見えませんが」
「そうか。藁にもすがりつく思いで儀式を行っていたが、つい成功したか。これで、神威から国民を救うことができる」
王は聖女の出現を心底喜んでいるようだ。その反応が、ウィラードにとって意外だった。
いまでこそ老人然とかまえているが、この王はかつて武力により他を制圧していった戦人だからだ。
「余の反応は意外であるか」
態度に現れていたのかリアド王は、そう笑った。そして驚くべきことを口にした。
「余は、もう長くはない。死の病が、この体を蝕んでいるのだ」
その言葉に、ウィラードは反応できない。
驚愕するべき事実の上、なぜ、国家最大機密とも思われるそんな事を自分に言うのか分からなかった。
リアド王がそのような冗談を言う人物ではないことは知っている。
「この年になり、より世界について考えることが多くなった。何が、平和の世に必要であるかをな。
死は怖くない。恐れているのは、余、亡き後、エルドールがよい方向へ進むかどうかだ。
今の政治に携わる者どもを見てもそうは思えぬ。余には子どもはおらぬ。後継者問題は、どの老人の頭を悩ますことじゃ」
王は真剣な目をして続ける。
「余は王たるものとして、常に正しい行いをしてきたつもりだ。
だが、一つだけ後悔がある。
それは、ウィラード、お主の故郷の事じゃ。あの時、すぐに救いの手を差し伸べておれば、お主は、今とは違った生き方出来たのかもしれぬ、とな」
ウィラードは、リアド王の言葉を静かに聞いていた。
(老いて性格が丸くなったのか)
後悔している、というその言葉が、真実かは分からない。
しかし、今更何をいったところで、故郷亡き後、救いの手を差しのべたのは、王家ではなくバルトであった。
「……俺は、今の立場で満足しています」
様々、思いはあったがそれだけ伝える。
リアド王は、そんなウィラードを見つめ、
「近々、後継者については指名するつもりだ。王家の血を引く者を、な」
そして、「ところで」と話題を変えた。
「騎士団の方はローヴァーに任せよ。お主はしばし、聖女の護衛にあたれ」
「は?」
バルトにも聖女についていろと言われた。そして、思いがけず王にも。
立場は違えど、同じような命を受けるとは。
「護衛に関して、お主以上の適任者はおらんだろう。バルトもそう思うのではないか? 奴には余から話をつけておく」
有無を言わせない王の言葉に、異論をはさむ余地もない。
最も、バルトはその申し出を二つ返事で了承するだろうから、はじめから選択肢はないのだ。
「仰せのままに」
そう言って、ウィラードは正式に聖女護衛の任に就いたのだった。
王様もなかなか大変なようです。