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迷宮の街  作者: 諸葉
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万全の備え

 使った道具には、手入れが必要だ。例えば、切れ味の鈍った包丁を研ぐように。破けた服を繕うように。常日頃から使うものだからこそ、それを怠れば道具の寿命を縮めることになる。

 冒険者が使う武具も同じだ。刃毀はこぼれした剣は研がなければならない。へこんだ兜は打ち直さねばならない。裂けた革鎧は修繕しなければならない。彼らの場合、それを怠れば、縮むのは己の寿命だ。

 だからその日、迷宮の探索を終えた彼女も自らの"武器"の手入れをすべく、とある店を訪れていた──


 活気のある表通りから路地裏へと入り、陽の光も当たらない曲がり角を何度か通ると、この街の雰囲気は一変する。舗装もされていない道に、何日も前に降った雨が汚水となってたまっている。どこからかえたような異臭がただよい、道端には汚物が文字通り吐き捨てられている。そして、そんな場所ですら存在する住人たちが、そこかしこにいた。ある者はへたり込み、ある者は寝転がり、ある者はきょろきょろとせわしなく周囲を見渡している。彼らの目に光はなく、みな一様に虚ろな表情をしていた。

 ある程度大きな街や国であればどこにだってある、スラム街と呼ばれる場所だ。よほどの大きな騒ぎでもない限り、街の治安を守るはずの衛兵ですら近寄らない無法地帯。

 そんな場所を、外套マントで全身を覆い、頭巾フードまで被った人物が歩いている。ただよう異臭を嫌ってか外套の襟を口元まで合わせ、フードの奥から覗く鋭い眼光以外はその表情すらうかがい知ることはできない。時折スラムの住人たちから値踏みするような視線を受けるが、意に介した様子もない。明日をも知れぬ日々を送る住人たちは、興味本位で、あるいは哀れにも道に迷ってここへ来た者に躊躇なく牙を剥く。それが例えギルドに認可された冒険者であろうと、自分たちが"喰える"相手ならば。

 だが、彼らは誰一人としてその人物に近寄ろうとすらしなかった。知っているのだ。あるいは本能的に悟っているのかもしれない。この人物に手を出せば、手痛いしっぺ返しを食うことを。

 外套の人物はとある建物の前で足を止めた。薄汚れた外壁に、枠の歪んだ窓。はまっているガラスはすすと埃で汚れきっていて、中の様子すらうかがえない。この無秩序に増築を繰り返したスラム街には珍しくもない建物だった。

 だが、彼女──そう、彼女にとって、必要なものはこの"店"にあるのだ。外套の間から右腕を伸ばし、腐りかけて今にも崩れそうな木製のドアを押し開ける。ぎしぎしと木が軋む、嫌な音がした。


「──」


 "店"に入った彼女は中を見渡して、しばし黙り込んだ。呆然としていた、と言ってもいいかもしれない。その"店"の中には、なにもなかった。彼女にとって必要なものも、それを商う店の主人も。常に薄暗いスラム街に店を構えるには必須の、ランプすらもなくなっていた。

 そこはもはや、店ではなくなっていた。


「……」


 外套の女はため息を吐くと、その場所を後にした──



***



「冒険者ギルド、訓練所、酒場──今日だけで色々と回ってきたけれど、冒険者として活動する上で知っておくべき施設はまだまだある。差し当たって明日の出発に必要なのは、武器屋、道具屋、それから宿屋ってところかな」


 ギルドを出て表通りを歩きながら、レティシアは語った。この通りに主要な施設が集中しているせいなのだろう、夕暮れ前の時間帯だが相変わらず人通りは多い。閉店前の追い込みとばかりに客寄せの声をあげる露天商もいれば、それを値切ろうと交渉する客もいる。注意して耳を傾けなければ、話を聞き逃してしまいそうだ。


「……わたしの装備、やっぱり駄目かな?」


 くたびれた己の革鎧を不安そうに見ながら訊ねるアリスに、レティシアは安心させるように微笑む。


「それを専門家に聞きに行くのさ。剣や鎧のことなんて、ボクにはわからないしね」

「とりあえず意見を聞いて、買い換えとか修繕が必要ってことになったら、値段との相談ね。武器と防具だけじゃなくて、薬とかキャンプ用品、携帯用の食料や水なんかも買わなきゃいけないし。で、それらを揃えるのが道具屋ってわけ」

「どちらもギルド加盟店だから心配はないよ。迷宮で出土した宝物や武具の買い取りでもお世話になるし、顔見せも兼ねて、ね」

「そっか……金貨やgpがそのまま出てくるわけじゃないもんね」


 あの地下迷宮がこの街に莫大な富をもたらしているのは間違いない。だが実際に冒険者たちが持ち帰るのは貴重な魔法の宝物(マジックアイテム)であったり、名だたる名剣や鎧といった装備品、ときには貴重な宝石や貴金属があしらわれた装飾品であったりする。どれも価値ある逸品には違いないが、金に換えるのなら当然ながら買ってくれる相手が必要だ。それも、その価値を正しく見極められる相手でなければならない。

 もっとも冒険者であれば、優れた装備品を手に入れればまず自分たちで使うという選択肢をとることになるだろうが──


「おとぎ話みたいに金銀財宝がざっくざくーって話なら簡単だったんだけどね」

「さて、案外迷宮の深奥にはそういった財宝が隠されているかもしれないよ。ボクにとっては、つまらない話だけどね──っと、到着だ」


 レティシアが足を止めたのは、大通りに立ち並ぶ商店の一つだ。ドアの上には店名が書かれた看板が掲げられ、脇には剣や鎧──の模型が飾ってある。見れば、看板の端には冒険者ギルドのシンボルが飾られていた。酒場では気づかなかったが、これがギルド加盟店の印しということなのだろう。


「……タック商店」

「店主の名前らしいよ。ここは工房も兼ねていて、元々は武器職人だったそうだ。それが高じて店を構えるまでになったとか──」

「はいはい、入って本人に聞いた方が早いわよ」


 店の前でまたも長話を始めそうになった幼馴染と素直に聞き入る新米リーダーの背をエリィが押して、一行は店へと入った。

 ドアの内側についていたのだろう、からんからん、と呼び鈴が鳴る音がして、それに負けないくらい張りのある声が返ってくる。


「いらっしゃーい!」


 店の中には剣や槍、盾が壁を埋め尽くさんばかりに飾られている。その下には全身板金鎧フルプレートアーマーを着せられた木偶が今にも動き出しそうな雰囲気で佇んでいて、所狭しと置かれた机や台の上には兜や篭手が並べられていた。あちこちにある木箱や樽には恐らく一山いくらで売り買いされるのだろう、雑多な具足や刀剣がひとまとめに放り込まれていた。

 なるほど、ごちゃごちゃとした印象こそ受けるものの、この店は間違いなく武器屋だ。

 入り口から入って正面にあるカウンターに、年若い娘が立っている。先ほど声をかけてきたのは彼女のようだ。年は自分たちと同じくらいだろうか、艶やかな茶色の髪に、そばかすの浮かんだ愛嬌のある顔立ちをしている。刺繍の入ったピンク色の布を折り畳んで頭巾のように被り、足元まであるスカートの上からつけたエプロンには、染み一つない。たわんだ長袖の袖口はさすがに絞られていて、両手には分厚いミトンのような手袋をはめているものの、それはとてもこんな物々しい場所に似合う風貌ではなかった。とはいえ、若い娘が店番をすること自体はよくある話だ。訪れる者のほとんどがむさ苦しい冒険者であれば尚のこと、若い女性の応対は喜ばれることだろう。であれば、この恰好もそう不自然なものでもない。

 エリィとレティシアが店の奥──カウンターへ近づくと、店番の娘はにこっと笑った。邪気を感じさせない、人懐っこい笑顔だ。それが店番としてのものなのかは、わからなかったが。


「いらっしゃい、二人とも。ちょっと久しぶりじゃない?」


 どうやら顔なじみであるらしく、親しげに話しかけてくる娘にエリィもにこやかな笑顔で答える。


「ここしばらく、二人して開店休業状態だったからね。でもそれも今日で終わり! またお世話になるから、よろしくね」

「ってことは、もしかして入れるパーティが見つかったの?」

「そうとも。彼女こそ、ボクたちの新しい──」


 レティシアは道を譲るように振り返ったが、そこにリーダーの姿はなかった。

 アリスにとって、武器屋なる店を訪れたのは初めてのことだった。住んでいた村にも鍛冶職人はいたものの、店を構えるほどではなかったし、どちらかといえば農具や鍋、釜といった日用品を作るついでに自警団が使う剣や鎧を作っていたようなものだ。

 だから、仕方なかったのかもしれない。壁にかけられた名剣に目を輝かせ、次いでその値段に目を剥いたり、全身板金鎧の表面をおっかなびっくり撫でてみたり、並べてある兜の覗き穴を覗いてみたり──田舎者丸出しの、まるで子供のように物珍しげに店の中を歩き回っていた。

 レティシアは嘆息すると、苦笑しながら紹介を続けた。


「ボクたちが加入する、新しいパーティのリーダーさ。見ての通り、とても素直で純朴な御仁でね。彼女自身今日この街に着いたばかりで、パーティといってもまだ三人だけなんだ」

「なるほどねぇ。まあ、品物を勝手に触ったり剣を抜いて振り回したりしないだけ、冒険者にしては行儀はいい方なんじゃない?」


 店番の娘が実に微妙なフォローを入れた。鎧に触っていたのは見逃してくれるようだ。


「アリス! あとで好きなだけ見ていいから、とりあえず用事済ませちゃおうよ」

「あ……ごめん。そうだね」


 エリィが声をかけると、はっとしたアリスが照れくさそうにはにかみながらカウンターへやってきた。

 店番の娘はもう一度笑顔を作ると、大仰に両手を広げてみせる。


「それじゃあ改めて……タック商店へようこそ! 安価な革製品からお高い魔法の武具まで、武器と防具のことなら当店にお任せを! アタシは店主ボル・タックの娘の、ニーナ・タック。うちは裏で工房もやってて、パパはそっちにかかりきりだからアタシが売買を担当してるの。よろしくね」

「初めまして、わたしはアリス。一応、パーティのリーダーを──」


 そう言いかけたアリスの肩を、エリィが小突いた。


「一応、じゃないでしょ。あたしもレティシアも、あんたにならついて行けるって思ったから、納得してパーティに参加してるの。胸張って言ってよね」


 エリィの反対側から挟むように、レティシアがアリスにもたれかかってくる。か細い腕を絡ませながら、戸惑うリーダーの顔を見上げると、微笑んでみせた。


「ボクも同じ気持ちだよ。それに、言っただろう? キミには立派なリーダーになってもらわないと、ね」

「……うん。わかった」


 笑い合う三人をカウンターの向こうから眺めていたニーナも、優しげな微笑を浮かべる。


「良かったじゃない、今度のリーダーはいい人そうでさ。末永く仲良くして、ウチをご贔屓にしてね」


 商売人らしく冗談めかしてニーナはそう言ったが、二人がこうして落ち着けたことを素直に喜んでくれているようだ。

 エリィとレティシアの事情を知る者は少ないと聞いていたが、それを踏まえた上で彼女の口ぶりから察するに、前のリーダーとやらは普段から素行は良くなかったのかもしれない。


「それで、今日はどうするの? パーティを組んだばかりってことは、売りにきたわけじゃないよね。なにか見ていく?」

「ああ、彼女の装備を見てほしいんだ。しばらくはボクたち三人で地下一階を回ることになると思うんだけど、キミの意見を聞かせてほしい」

「なるほどね。それじゃ、ちょっと失礼」


 カウンターから出て来たニーナはアリスの正面に立つと、傷だらけの革鎧を検め始めた。分厚いミトンを外すと、無数についた大小の傷を撫でるように調べ、次いで革の手袋(レザーグローブ)脛当て(グリーブ)もチェックしていく。

 正面から鎧を触っていたと思うと側面に回り、かと思えば背後へ移動して背負っている小盾を軽く叩いたり──せわしなく自分の周囲を行きつ戻りつする武器屋の娘にアリスは戸惑ったが、任せるほかはなかった。時折腕や足を持ち上げるように言われ、まるで下手なダンスを踊っているような気分だ。


「剣も、見せてもらって大丈夫かな?」

「あ、はい。お願いします」


 アリスは腰帯ベルトから長剣を鞘ごと引き抜くと、ニーナに手渡す。頼まれたこととはいえ、武器に触る前に一言断るあたりはさすがに武器屋の売買を任されているだけはあった。戦士に限ったことではないだろうが、己の装備をまるで命の次に大事なもののように扱う冒険者も少なくない。例えそれが数打ち物の、ただの長剣であったとしても、だ。

 ニーナは受け取った長剣をそっとカウンターの上に置くと、ゆっくりと鞘から引き抜いた。カウンターの脇にある道具類から小さな筒のようなものを取り出すと、片目に近づけて刃の表面を丹念に観察し、同じく取り出した小さめの木槌ハンマーで軽く叩いて音を確かめた。

 結局ものの十数分程度で、装備のチェックは片付いたようだ。


「どうだった?」


 鞘に戻した長剣をアリスに返すニーナに、レティシアが訊ねる。うーん、とすこし唸って、ニーナは答えた。


「手袋と脛当ては、このままでも大丈夫だと思う。結構くたびれてるから、お金に余裕ができたら金属製の物に買い換えた方がいいと思うけどね。盾の方も、細かな傷はあるけど大きなへこみもないし、地下一階程度なら壊れるような心配はないんじゃないかな。問題は鎧ね」


 ニーナは革鎧についた大きな裂け目のような傷にいくつか触れながら、言った。


「切り傷と、経年劣化のせいか裂けてるところが多いの。何か所かは内側まで貫通してるでしょ? あと、革自体が腐りかけてる。手入れ、ロクにしてなかったんじゃない?」

「……元々、別の人のお下がりを譲ってもらったから。最初からこんな感じだったけど……手入れは、確かにしてなかった」

「ああ、最初からこれじゃ仕方ないかもね。ここまでいくと、必要なのは手入れじゃなくて修繕だもの。あとは剣だけど、刃毀はこぼれが結構酷いね。まったく斬れないわけじゃないと思うけど、一階でも腐った革鎧程度の装備をした魔物も出るっていうし……このまま挑むのはちょっと怖い、かな」


 手入れを怠っていたアリスを責めるわけでもなく、淡々と語るように、ニーナは言った。装備を着たまま、それも調べた時間を考えれば驚くほど詳細だ。


「つまり、鎧と剣の買い替えが必要ってことかな?」

「それがオススメね。できれば鎧も金属製にした方が安心だろうけど……ちなみに予算は?」

「ギルドの支度金」


 アリスが口を開く前に、レティシアが答える。アリスがちらと見ると、小柄な魔術師は大丈夫、とでも言いたげに目くばせしてきた。

 簡潔な答えを聞いた武器屋の娘は、腕組みをすると眉間にしわをよせて気難しげに唸った。顔立ちと服装のせいか、それでも可愛らしく見えてしまうのは店番としては美点かもしれない。


「500gpかぁ……。ってことは道具屋もこれからよね。当面の宿代と食費も考えると──」


 ぶつぶつと独り言のように言っている内容は、明らかに商品を売る側である彼女の立場から逸脱したものだった。極端な話、商店を営む者であれば客の都合など関係なく、予算の許す限り高くて良い物を売れば良いのだから。

 まるで家計のやり繰りに頭を悩ませる母親のように唸っていたニーナは、よし、とうなづくと、店の棚から新品の革鎧を、木箱に突っ込まれている剣の中から長剣を鞘ごと取り出した。どちらも、アリスが今装備しているものと同じサイズだ。


「今着ている鎧と剣って、特別思い入れがあったりする? 大切な人からの贈り物とか、先祖代々伝わってきた品だとか」


 取り出した鎧と剣をカウンターの上に並べると、ニーナは聞いた。

 冒険者の中には、親が同業であったり友人などから贈られたという装備品を身につけている者も多い。そういったものを大切にすること自体は良いことなのだが、魔法の武具でもない限り使っていればいつかは必ず劣化し、壊れる時が来る。そうなった時、それらを手放すことができるかどうか、あるいは思い出の品として取っておき、実戦で使うものは新しく買う──そんなことが許されるほどの資金力があるかどうか。些細なことだが、それで命運が分かたれることもあるのだ。


「ううん、ただのもらい物」


 そんな事情を知ってか知らずか、アリスはあっさりと否定した。恐らくは住んでいた村で入っていたという自警団にいた時に譲り受けたものなのだろう。そのこと自体にも、こだわりはないようだった。


「そっか。じゃあ、ここからは商談よ。今着ている革鎧と長剣を下取りに出す──つまりはウチが買い取ることを前提にして、新品の革鎧と長剣、二つ合わせて100gpでどう?」

「……どう、なのかな?」


 武器や鎧の適正価格など知るはずもないアリスが、困ったようにレティシアに意見を仰いだ。が、答えたのはエリィだ。


「新品の革鎧と長剣なら、だいたい150はするはずよ。……言っちゃ悪いけどその装備で下取りが50gpもあるとは思えないし、損はしないと思う」

「すまないね、交渉なら任せてくれていいんだけど、さすがに剣や鎧の目利きはエリィの方がいい。それにしても、値引きとは珍しいね?」


 元々は戦士として、傭兵だった両親に育てられたというエリィの方が武器や防具の類には詳しいようだ。

 レティシアの言葉に、武器屋の娘はにっこりと明らかに営業用の笑顔を作った。


「そこはそれ、新規顧客へのサービスってやつ。最初だけだけどね」

「……というわけだ。ボクには剣や鎧の価値はわからないけれど、ボクはエリィを信頼しているし、ニーナの目利きも、商売人としての矜持も信頼の置けるものだと思ってる。それに、前衛で戦う戦士であるキミが上等な装備を身につけることは、パーティ全体の生存率を上げることにも繋がる。決めるのはキミだけど、ボクとしては購入を勧めたいね」

「あたしも賛成。資金的にも無理のない範囲だしね」


 仲間たちの賛同を得たリーダーは、うん、とうなづくと武器屋の娘に応える。


「買います」

「まいどあり!」


 商売人らしい張りのある声をあげて、武器屋の娘は値段がつきそうなくらい満面の笑みを浮かべた。



***



 またねー、と気安い別れの挨拶を交わして、一行は武器屋を後にした。

 剣はともかく鎧を持ち歩くのも不便だから、とその場で着替えた真新しい革鎧を着たアリスは、その具合を確かめるでもなく、なにやら思案顔で黙ったままだ。次に向かうべき道具屋は武器屋のほぼ隣に位置していたが、心配になったのかエリィが声をかける。


「あのさ、お金のことなら大丈夫よ? 100gpって普通に暮らしてたら一度に使うような金額じゃないけど、迷宮で稼ぐならそう難しい額じゃないし。宿代だって加盟店ならそんなに高くないから──」

「え……ああ、いや、ごめん。そうじゃないんだ」


 てっきり武器屋での買い物のことで悩んでいたと思ったエリィに謝りつつ、アリスは考えを打ち明けるように話し始める。


「さっき、レティシアが言ってたことが気になって……」

「ボクが言ってたこと? なにか気に障るようなことを言ってしまったかな?」

「ううん。そうじゃなくて……前衛のわたしが上等な装備を身につけることは、パーティ全体の生存率を上げることにも繋がる、って話。わたし、そんな風に考えたことなかったんだ。剣や鎧を新調して本人が強くなるのはわかるけど、それがパーティ全体に及ぼすことなんて想像もしてなかったなぁって。……これからは、そういうことも考えなきゃいけないんだよね」


 自省するように言うアリスにエリィとレティシアは顔を見合わせ──ふ、と笑う。本当に、よくできたリーダーだ、と。

 魔術師はリーダーである戦士の腕にもたれるようにくっつき、ささやく。


「向上心があるのはとても良いことだ。でも、知りようのないことにまで責任を感じる必要はないよ。知らないことはこれから学べばいい。ボクやエリィに教えられることなら、なんだって教えよう。今はたまたまボクらが先を歩いているけれど、それもすぐに追いつくさ」

「そういうこと。あたしたちだって、駆け出しに毛が生えたようなものだからね。知らないことも、経験してないことも、いっぱいあるんだから。これから一緒にやっていくのよ。それがパーティってものじゃない、リーダー?」


 そう言うエリィに背中をどやしつけられ、アリスはつんのめった。

 地下一階と二階をすこし──最初にレティシアが言っていたその経験がどれくらいの差なのかはわからないが、自分と二人の間には歴然とした差が感じられる。ただそれは、経験者と未経験者というだけなのかもしれない。二人だって最初から今と同じ知識や経験を得ていたわけはないし、自分もこれからそうした経験を積み、知識を得ていくのだ。もしも今後パーティメンバーが増え、それが今の自分のような駆け出しであったなら、同じように教える機会があるかもしれない。そう考えると、今自分が感じている焦り、あるいは劣等感のようなものが薄れていく気がした。

 これからなんだ。まだ、なにもしていないのだから。自省するのは、なにかを果たしてからでいい──


「うん。……ありがとう、二人とも」

「どういたしまして。それじゃあ、そろそろ入るとしようか?」


 からかうように言われて、アリスは自分たちが既に道具屋の前まで着いていたことに気づく。本当に、武器屋の隣というか目と鼻の先にある。掲げた看板には薬の入った瓶のようなシンボルが描かれており、こちらも同じくギルド加盟店を示す印も同じように刻印されていた。店主の趣味なのか、入口周辺には鉢植えの様々な花が飾られていて、看板を見逃せば道具屋とはわからないかもしれない。

 アリスは看板に書かれている店の名前を口にした。


「……道具屋フェクト」

「こっちも店主の名前ね。基本的にはいい人なんだけど……ちょっと変わり者だから、まあ、その、気をつけてね。変なもの買わないように」

「う、うん……? わかった」


 言いにくそうに言葉を濁すエリィに、アリスは首をかしげながら道具屋のドアを開ける。


「うわぁ……?」


 店の中を見て、アリスは嘆息するような声を漏らした。

 子供のおもちゃ箱をひっくり返して並べたような、百人の人間がそれぞれに自分の好きなものを好き勝手に飾ったような──とても形容し難い内装だ。いや、内装その物はごく普通の店なのだが、そこら中にある──恐らくは──売り物らしきものが問題だった。

 とにかく物が多い。壁際の棚には色の違う薬らしき液体の入った瓶が並べられているかと思えば、間に挟まるように花の入った花瓶が飾られている。隣の棚には巻物が整然と積まれていて、その隣には『非売品』と書かれた札がかかった絵が置かれている。別の棚にはアリスたちが使用しているものと似たような背嚢バックパックやキャンプ用品として簡易テント、火打石や携帯食料と──何故か笛やラッパ、竪琴らしきものが一緒に置いてある。いずれも子供が遊ぶ玩具のように小さなものだが、キャンプ中の暇つぶしにでも使うのだろうか。

 一応棚ごとに大まかな商品別に分けられてはいるようだが、明らかに売り物ではない花瓶や絵を飾っている意図はわからない。更に冒険者が購入するような品にくわえて日用雑貨も扱っているらしく、それらが収められた棚や台、木箱もあちこちに置かれていて統一感が全くなかった。にも関わらず、前述の通り棚ごとに大まかな種類を分けているせいで買いたいものがだいたいどこにあるかの見当はつくし、その混沌とした品ぞろえはただ眺めているだけでも楽しめる──凄いのかそうでないのかよくわからない店だった。


「ええっと……」

「まあ、コメントに困るわよね……。とりあえず、薬品類には触らないようにね」


 落として割ったりしたら弁償だから、と釘を刺して、エリィはカウンターへ向かった。レティシアはと見ると、店の端に置かれた台の上で、なにやら羊皮紙らしきものをめくっている。


「これは……? 魔法の巻物ってわけじゃないよね」

「ああ、違うよ。そういう類の書物は開いた時点で効果が発揮されるからね。これは架空の物語を記しただけの、ただの羊皮紙さ」


 そう言ってレティシアがめくって見せた羊皮紙にはびっしりと文字が記されており、それが何十枚と綴られて束になっている。内容によって区切りを分けているのか、台の上には同じくらいの羊皮紙の束がいくつか置かれていて、中にはすり切れかかったものもあった。この台はどうやらこの書物専用のようで、珍しく他には一切の品が置かれていない。


「全部非売品なんだけどね。店主の趣味で、こうして読むだけなら自由にできるんだ。これがなかなか面白くてね。作者の名前は書いてないし、聞いても教えてくれないから、結局ここでしか読むことはできないんだけど」


 冒険の役には立たないけれど、暇な時にでも読んでみるといいよ──そう言ってレティシアがめくっていたページを直すのと同時に、カウンターの方で呼び鈴を鳴らす音が聞こえた。恐らくエリィだろう。アリスとレティシアが連れ立ってカウンターへ向かうと、店の奥から元気の良い女性の声が聞こえてきた。

 よく見れば、カウンターの上にも色んなものが置いてある。薬草かなにかだろうか、野草の束や粉末の詰まった瓶に、臼──薬研という、薬師が薬剤をごりごりと挽くアレだ──が置かれている。もしかしたら、薬の調合もここで行っているのかもしれない。

 エリィの鳴らした呼び鈴の隣には、奇妙なぬいぐるみのようなものが鎮座していた。頭に緑の毛玉をつけ、ふてぶてしい表情をした黄色い鳥──のように見える。魔物を好んで題材にする画家や彫刻師は多いが、これもその類なのだろうか。


「はいはーい! ちょっと待ってねー!」


 がちゃがちゃとガラス瓶がぶつかる音と、床の上を遠慮なしにばたばた走る音を盛大に立てながら、店の奥から彼女は出て来た。

 三角の帽子をすっぽりとかぶり、おさげが二つ、顔の両隣で揺れているのが印象的だった。胸のところに大きなリボンがついた服はスカートの前半分を切り取ったように後ろへと伸びていて、下衣にはだぼついたズボンを履いている。その風貌が与える活発な印象の通り、彼女は薬品らしき液体を入れた瓶をぎっしりと詰めた木箱を抱えながら、カウンターへとやってくると、どすん、と音を立ててそれを置いた。瓶が割れないかこちらが心配になるような扱いだ。


「はい、ポーション二十本ね! 2000gpになります!」

「……いや、そんな注文してないから。しかも割高!」


 もちろん冗談だったのだろう、店主は明るい笑い声をあげた。


「いらっしゃい、エリィにレティシア。それと、新顔さん?」

「ええ、あたしたちの新しいパーティのリーダー。今日街に着いたばかりだから、準備を──」

「おっ、そういうことならオススメの品があるよ!」


 エリィが言い終わらないうちに、店主は先ほど運んできた木箱から瓶を一つ取り出した。話を途中で遮られたエリィは、諦めたように嘆息するだけだ。どうやらいつものことらしい。

 カウンターの上に置かれた瓶には、透き通った青い色の液体が入っている。なにかの薬品だろうか。


「……ただの水薬ポーションに見えるけど」

「そう、飲めばたちどころに……とまではいかないけど、まぁそれなりの即効性で傷を癒やして、痛みも止めてくれる、冒険者には必需品のポーション。でもこれは、そこいらのポーションとはワケが違うのだ」

「へえ、それは興味があるね。どんな効果があるのかな?」


 好奇心に駆られたのか、レティシアが横から口を挟んだ。待ってましたと言わんばかりに胸を張って、店主は商品の売り込みを続ける。


「効果は同じだよ。回復と痛み止め。でもね……このポーションは、なんと!」

「なんと?」

「飲むと美味しいの!」

「……はあ?」


 思わず聞き返したのはエリィだ。


「それだけ? 傷の治りが早いとか、値段が安いとか、割れにくい瓶に入ってるとか、そういうのじゃなくて?」

「傷の治りは同じだし、手を加えてる分値段は高いし割れない瓶なんてものは存在しないよ! 飲むと美味しいだけ!」


 まるで子供が描いた絵を親に見せるように、すごいでしょ、と店主はえへん、と胸を張った。……エリィは瞑目するとこめかみのあたりを抑え、神への祈りの言葉をつぶやいている。


「まあ、悪くない発想だとは思うけどね。正直、薬とはいえポーションって不味いし」


 期待外れだったのか、レティシアは肩をすくめるとそれ以上深入りしようとはしなかった。確かに口に入れるものであれば味が良い方がいいに決まっているが、いざ怪我をした身でそんなことを気にしている余裕などあるはずもない。これで普通のものより安かったなら購入を考えもするだろうが、高いのではなおさらだ。


「どんな味がするんですか?」


 それまで黙って成り行きを見守っていたアリスがそう口にした途端、エリィは露骨に嫌そうな顔をし、レティシアはくすりと笑い──店主は、満面の笑みを浮かべた。


「よくぞ聞いてくれました! ……と言いたいところなんだけど、今のところは混ぜられた薬草とかのエグみや苦みをハーブの香りでなんとか誤魔化してるだけって感じかな。それでもずいぶん飲みやすくはなってるはずなんだよ」

「へえ……」


 感心するようにうなづくアリスに気を良くしたのか、店主は喋り続ける。もうその商品を売り込むということすら忘れてしまったかのようだ。


「元々完成してる薬に別のものを足して、効果をそのまま保つって結構難しいんだよ。本当はお菓子みたいに甘くしたいんだけどね。子供でも飲めるくらいにさ」

「……!」


 子供、という言葉に瞑目していたエリィがぴくりと眉を上げた。確かに、子供でも飲めるようなポーションがあれば様々な場面で役立つだろう。なんらかの理由で医者にかかることができず、こうした薬を調達して子供に飲ませる親は多い。もちろん命に関わるような病気や怪我をしているなら味など二の次だろうが、もしそれが改善できるのなら。病や怪我に苦しむ子供に、それ以上の負担をかけずに済むかもしれない。

 だが──


「……馬鹿馬鹿しい。そんなの、一部の金持ちの子供しか飲めないじゃない」


 結局は最初にエリィが言った、値段が問題なのだ。普通のポーションですら、冒険者や富裕層でもなければ手を出せない代物なのに。


「ま、そうなんだよね。だからこれは、ポーションとしては満点でも、道具屋フェクト特製ポーション! ……と名付けるには、まだまだ程遠いのであった」


 腕組みをして一人納得するように、店主は難しい顔をしてうなづく。

 もう放っておこう──そう決心したように、最後に一つため息を吐くと、エリィはアリスへ買うべきものを伝えようとした。


「とりあえず、ポーションと傷薬はいくつか持っておいた方がいいかな。癒しの奇跡にも限りがあるからね。それから──」

「なら、そのポーション、一つ売ってくれますか?」

「え?」

「は?」


 アリスが言った言葉に、その場にいた全員が──店主でさえもが、呆気にとられた顔をして固まった。それ、と彼女が指差したのは、カウンターに置かれている──つまり、ただ飲みやすい味になっただけで割高のポーションだ。


「ちょ、ちょっと待って! 話聞いてた!? これはただ味が変わっただけの、なんの変哲もないポーションなのよ!? しかも割高の!」


 血相を変えたエリィが止めようとするが、アリスはいつも通りの気の抜けたような笑みを浮かべて答える。


「うん。でもわたし、ポーションって飲んだことないんだ。もし迷宮で大怪我して、その時飲んだポーションが思ってたよりすっごく不味くて吐き出しちゃったりしたら、大変じゃない?」

「そんなこと──!」

「ふ、ふふっ……まあ、あり得ないとは、言えないね……っくく」


 背を丸め、笑いを堪えながらレティシアは同調した。どうやらこの場においては完全に傍観者として楽しむつもりのようだ。あるいは、この店主相手に論理的な話をしても無駄だと思っているのかもしれない。


「あっははははは! 面白いねえ、新顔クン! 気に入った!」


 高笑いをあげると、店主──フェクトは両手をカウンターに叩きつけるように置き、ぎらりと目を光らせた。それまでのどこか奔放な少女の面影を感じさせるそれとは違う、商売人の目だ。


「要するに値段が問題なんだね? よーし、それならこのフェクトさんに任せなさい!」


 そう言ってフェクトはカウンターを飛び出すと、店中を駆け回るように商品をかき集め始めた。同じことを自分たちがやろうとすれば、まずなにかの商品や木箱に足をぶつけてしまうだろう。

 あっという間に両手いっぱいに荷物を抱えて戻ってきた店主は、どん、とカウンターの上にそれらを置き、並べ始めた。


「まずはこれ! 駆け出しの冒険者から倹約家のベテランまで、みんながお世話になる傷薬だ! 切り傷、打ち身、打撲に捻挫。多少の怪我ならなんでも治るけど時間がかかるのが玉に瑕! 戦ってる最中に悠長に塗っている暇はないけど、キャンプでゆっくり傷を癒やすには最適だよ! なによりポーションより安い!」


 手の平大の容器に入ったそれを、一つ、二つと店主は積み上げていく。


「お次はこちら、迷宮に挑むにも街で依頼をこなすにも、冒険者なら持っていて損はないキャンプ用品! 魔除けの魔力が込められた簡易結界の魔法の宝物(マジックアイテム)に、火打石。まさか火をつけるのにいちいち呪文なんて使っていられないからね! それから迷宮では使わないけど、野営用のテント。そしてキャンプには欠かせない、飲む頃にはぬるくて革の味が染み出てる飲み口つきの水筒用革袋と、安くてまずくてお腹は膨れて、これなら干し肉の塊でもかじってた方がマシなんじゃないかと好評の携帯食料もつけちゃう!」


 どん、どん、どん、と矢継ぎ早に商品を積まれ、口を挟む暇もない。


「それから飲み比べ用に普通のポーションもつけて、全部で150gpでどうだーっ!」


 そう言って最後に水薬ポーションを並べて──こうして見ると特製(仮)の方と見分けがつかない──、怒涛の売り込みは終わった。

 しん、と一瞬店内を静寂が支配する。思わぬ事態の展開にどうしたものかとアリスは仲間たちを見たが、頼りになる魔術師はうずくまって肩を震わせているし、僧侶は両手で顔を覆ったまま固まっている。

 これは困った。傷薬程度ならともかくとして、アリスには薬品やキャンプ用品の値段などわからない。最初に言っていた通り、あの特製ポーション(仮)がもし本当に100gpなら、それ以外の品物全てで50gpということになる。50gpでこれら全てを揃えられるとは思えないから、買ってもよさそうなものだが──


「むむ、まだ足りない!? よーし、それならこの玩具のラッパもつけて──」

「い、いや、それには及ばないよ……ふふっ。アリス。是非、買うといい。この品ぞろえで150gpはまさに破格だ。他の客が聞いたら、まず間違いなく文句を言ってくるだろうね」

「……そうね……。傷薬やポーションなら、いくらあっても困ることはないし……」


 ようやく笑いが治まったレティシアと、ぐったりと疲れた様子のエリィに同意されて、アリスはほっとした表情をした。これで一安心だ。──次からはこういう判断も、自分でできるようになった方がいいなと思いながら。


「それじゃあ、150gpで」

「まいどあり! 背嚢バックパックは持ってるね? 食料や傷薬はともかく、水薬ポーションは瓶が割れたらそれまでだから、布にでも包んで入れておくんだよ」

「はい。ありがとう」


 駆け出し冒険者への道具屋の店主らしいアドバイスを聞きながら、アリスは一つ一つ背嚢に収めていく。買った──売りつけられたとも言う──品物をすべて収め終わる頃には、背嚢はぱんぱんに膨れていた。丸めた簡易テント等はその上に乗せるので、全て合わせたその重さはなかなかのものだ。

 よいしょ、と大きくなった背嚢を背負うと、アリスは店主に挨拶をする。


「ありがとうございました。なんだか結局、凄い値引きしてもらっちゃって」

「なんのなんの! でも次からは通常価格だから、迷宮でたくさん稼いでおいで!」


 それでまたたくさん買い物してってよ、と機嫌よく言う店主に、アリスも笑顔で答える。


「それから、特製未完成ポーション! 飲んだら感想、聞かせてね!」

「あはは。覚えておきますね」


 店を出ようとしたアリスの背に、店主がそんな注文を投げつける。げんなりした様子のエリィに背嚢ごと背中を押されながらアリスは答えて、一行はようやく道具屋を後にした。



***



「あの店……っていうか、あの子と話してるとやたら疲れるのよね……」

「キミは真面目に応対しすぎなんだよ。最初から会話を楽しむくらいの心積もりで行けば、愉快な人さ。まあ、時折妙な新商品を売り込んでくる以外、商売に関しては至極真っ当で真面目な仕事をしてくれるし。だからボクたちも含めて、多くの冒険者が利用しているわけだろう?」

「まあ、そうなんだけどさ……」


 ふう、と一つため息を吐くと、気分を変えるようにエリィは大きく伸びをした。夕陽はもう沈みかけていて、周囲が黄昏色に染まる中、豊かな金髪がその色のままふわりと風に揺れる。


「これで、迷宮探索の準備は整った……の、かな?」


 いまいち自信なさげに言うリーダーに、レティシアが微笑む。


「もちろん。まあ、あの迷宮では万全の準備なんてものは存在しないかもしれないけれど、現状できるだけのことはしたと言えるだろうね。あとは宿をとって、荷物を預けて──」

「酒場で祝杯、ね!」


 嬉しそうに言葉を引き取るエリィに、やれやれとレティシアが肩をすくめる。


「祝杯というなら、明日の探索が成功に終わってからすべきだと思うけど?」

「前祝いって言葉もあるじゃない。それに、パーティの結成記念でもあるしさ」

「……そういえば、ママさんに約束もしてたね。夕飯、楽しみだな」


 律儀に口約束を覚えていたアリスがそう言うと、我が意を得たりとエリィは笑い、つられるようにレティシアも笑った。


「別に反対してるわけじゃないさ。明日の冒険のために英気を養うのも、冒険者にとっては必要なことだからね。ああ、でもお酒は明日に残らない程度にしてよ」

「もちろん! それじゃ、早く宿に行きましょ!」


 すぐ近くだよ、とエリィが先を行き、大きくなった背嚢を背負ったアリスと、力仕事は専門外とでも言わんばかりに手を貸すこともなくレティシアが続く。

 酒場や武器屋、道具屋の例に漏れず、この街にはいくつかの宿屋があるが、これから向かうのは二人が既に利用している店舗らしい。格安というわけではないが、その分部屋は綺麗で使いやすいし、別料金を払えば朝食まで用意してくれる──宿へ向かう道すがら、そんな話をしていた一行だったが──


「わ、っと」


 先頭を歩くエリィが驚いたように声をあげて、急に立ち止まった。どうやら建物の角から不意に現れた人影にぶつかりそうになったらしい。外套で全身を隠すように覆ったその人物も、同じように足を止めていた。


「ごめんなさい」

「いや、こちらこそ悪かった」


 エリィが先に謝ると、外套の人物は素っ気なくそう言って、足早に立ち去っていく。ぶつかったわけでもなく、双方ともに怪我もなかった。相手も恰好こそ怪しいものの、難癖をつけてくるような輩ではなかったようだ。

 ふと、アリスはその人物が出てきた道を覗いた。建物の間にあるその道はどうやら路地裏へと続いているようで、まだ夕刻の今ですら先の方は見通せない。


「大丈夫?」

「うん、ぶつかりそうになっただけ。……アリス? どうかしたの?」


 後から追いついて心配そうに言うレティシアにそう答えたエリィは、路地裏を覗き込んだままのアリスに声をかけた。


「あ、いや……今の人、ここから出てきたよね。どこに繋がってるのかなって思って」

「ああ……」


 道の先を見やると、エリィは顔をしかめた。その行き先が見えたわけではないだろうが、どこへ繋がる道なのかは知っているようだ。


「この先は、いわゆるスラム街に繋がってる。どこの国でもある、大手を振って表を歩けないような連中が集う無法地帯ってやつさ。なにかあって助けを呼んでも衛兵すら来てくれるか怪しいし、立ち入った時点でなにがあっても自己責任と見なされる……そんな場所だ。用がない限り──いや、ここへ立ち入るような用事を作らないようにするべきだね。ボクたちみたいな駆け出しは特に」


 声をひそめて、レティシアはそう言った。険しいその表情には、強い嫌悪が見て取れる。


「……わかった。覚えておくよ」

「まあ、普通に生きてれば一生縁がない場所よ。そんなことより、早く行きましょ! 席がなくなっちゃうわ」


 そう言ってエリィはまた歩き始め、レティシアも後をついていく。いい加減重くなってきた背嚢を早く下ろしたいアリスも、それに異論はなかった。


 普通に生きていれば。エリィはそう言った。

 では、そこから出てきたあの外套の人物は、普通ではないのだろうか──



***



 陽が沈み、辺りが暗くなり始めた頃、彼女は冒険者ギルドに現れた。ギルドの職員も大半が業務を終えて帰ったあとのようで、総合受付に残っているのはたまたまなにか用向きがあったのだろう、ギルド長と、昼間に駆け出し冒険者ご一行の世話をした、愛想のない受付嬢だけだ。


「おう。どうした、こんな時間に」


 彼女は外套で体を隠すように覆い、頭巾フードまで被っていたが、ギルド長には誰が来たのかわかったようだ。先んじて声をかけてきた彼に、外套の女は受付の前まで歩を進めると、ぼそりとつぶやくように言った。声が聞こえる範囲に収めるために近づいたのかと思うほど、素っ気ない声だ。


「機械屋がなくなった」

「……なんだと?」


 なくなった、とは。言葉の足りない外套の女に、ギルド長はその厳めしいつらを不機嫌に歪ませて、どういうことだと問い質す。


「今日、探索が終わったあと……昼過ぎだったか。店に行ったら、もぬけの殻になっていた。なにもなかった」

「お前が行ってた機械屋ってぇと……」

「こちらかと。ここ数ヶ月、加盟料を滞納していたため、何度か使いを出して警告をしていた店舗です」


 はたで話を聞いていた受付嬢が、棚に収められた膨大な量の資料から羊皮紙を一枚抜き取ってギルド長に手渡した。書面に目を通してようやく合点がいったように、ギルド長はうなづく。同時に、我がことながら平然としている彼女の分まで背負うような、憤怒の表情を浮かべて。


「あの野郎、必ず払うっつうから待ってたが、とうとう逃げやがったか! くそ、すぐに衛兵隊に連絡して街を出てないか確認しねぇと……! ああいや、すまん、それよりお前が先だったな」

「ギルド長、こちらを。衛兵隊への連絡は、私が行ってきます」


 受付嬢は別の羊皮紙をギルド長に手渡すと、身支度を整え始める。ギルド長は一瞬迷う素振りを見せたが、すまん、と一言だけ言って、ギルドを出ていく受付嬢の背を見送った。


「いいのか?」


 外套の女が聞く。こいつはいつも話す言葉が端的に過ぎるのだと思いながら、ギルド長は首を振った。


「良くねえ。すぐに俺も後を追いかける。が、その前にお前の話だ。他の機械屋の紹介だな?」

「ああ」


 ギルド長は受付嬢が残していった羊皮紙を彼女にも見えるように、受付台の上に広げた。


「かなり昔からある機械屋でな、店主も俺より年寄りの爺さんだが、腕は確かだ。俺が現役だった頃から加盟店の誘いを断り続けてたんだが、どういうわけか最近になってその誘いに乗ってきてな。場所は相変わらずスラムの方だが、お前なら大丈夫だろう」

「ああ。前の店もそうだった」


 羊皮紙に記してある店名と地図をこの一目で覚えるようにじっと見つめながら、女は答える。


「他に用はあるか?」


 本来最重要事項である冒険者の応対に急かすことを心苦しく思いながら、ギルド長は焦る様子を隠すこともなく聞いた。よほど逃げた機械屋とやらが気になるのか、あるいは今しがた出ていった受付嬢の方か──

 まあ、女性が一人で出歩くには少々危険な時間になりつつあるのは確かなのだが。


「ない。今からその店に行く」

「そうか。慌ただしくて悪いな」

「別に、構わない」


 結局最初から最後まで素っ気なく、どこか他人事のように言って、女はギルドを出ていった。ギルド長はしばしその後ろ姿を見つめていたが、はっと我に返ったようにギルドを閉める準備を始めた。受付嬢が取り出した羊皮紙を元の場所──はわからなかったので、適当な棚に突っ込んで、執務室へ戻ると門の鍵を引っ掴んだ。

 いつもなら掃除でもして、その間にたまに来る冒険者を相手しながらゆっくりと帰り支度をしていたところだが、そんなものは全て明日に回せばいい。普段なら数人がかりで開ける、威厳たっぷりの巨大な門を力づくで無理矢理閉じて、鍵穴に鍵を突っ込んだ。


「ああ、クソ。見送る側ってのは、やっぱり性に合わねえな!」


 かつての戦士はそう独りごちると、今は自らが長を務める組織の建物から、飛び出すように駆け出した。

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