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迷宮の街  作者: 諸葉
4/22

芽生えつつある絆

 力を込めて思い切り突き出したはずの剣先が、飾りのような小盾に弾かれた。


「軽い軽い! そんなんじゃ邪妖コボルト一匹倒せないよ!」


 そう楽しそうに罵声を浴びせてくるのは、エリィだ。波打った豊かな金髪を風に揺らしながら、無邪気に笑う顔は健康的な魅力に溢れ、清楚で慎ましやかな僧侶ではなく、そこらの村娘となんら変わりないように見える。左手に盾を構え、右手に持ったメイスを振り回している首から下を見なければ、の話だが。


『彼女はね、元々は戦士だったんだ』


 エリィの幼馴染だという、レティシアが手合わせの前に話してくれたことを思い出す。


『エリィの両親は傭兵でね、ボクたちの故郷の辺りでは結構名の知れた戦士だった。その一人娘であるエリィもまた、戦士となるべく育てられていたんだ。けれどなんの因果か、それとも運命ってやつなのか。神の啓示を受けた彼女は僧侶への道を歩み、今に至るってわけさ』


 街や施設のことを教えてくれた時と違い、冷めた表情でレティシアは語っていた。もしかしたら、彼女にとっては幼馴染の選んだ道になにか思うところがあるのかもしれない。

 ともかく、だ──自分の感情に区切りをつけるように、若き魔術師は言葉を続ける。


『ああして身につけている武器や防具は、彼女にとっては飾りじゃない。世間一般の僧侶と違ってね。その分加減もわかっているから、怪我をするようなことはないはずさ。互いに、これから命を預ける相手がどれほどの腕前なのかを知るいい機会だと思って、気楽に臨むといいよ』


 もちろんボクは遠慮しておくけどね──そう締めくくったレティシアは、訓練場の隅に座り込んで見物している。

 気楽に臨むといい──だって? とんでもない。アリスは額に汗を浮かべながら、思った。

 審査の疲れが残っていないわけじゃなかった。あの重たい両手剣を持っていた手に、重厚な金属鎧に包まれていた上半身に、まとわりつくような疲労感が残っていた。けれど、息を整える時間は十分にとったはずだ。

 そして、きっと万全の状態でも同じような結果になっていただろう──素直にそう思えるほど、アリスの繰り出す剣はことごとくエリィに捌かれていた。様子見に突き出した剣先はメイスではたきおとされ、それならばと袈裟懸けに切り下した刀身は小盾の傾斜に沿って滑らされる。

 胸当てと足元まであるローブをまとっているにも関わらず、その身のこなしも軽やかで──彼女の繰り出すメイスの一撃は、信じられないほど重かった。


「はぁっ!」

「う、ぐっ……!」


 裂帛の気合いとともに打ち下ろされる打撃を、こちらも構えた盾で受け止める。腕の骨がみしみしと軋む音が聞こえそうなほどの衝撃が伝わった。盾でしっかりと受けているのに、痛い。互いに怪我をしないよう、武器には──訓練の時は大抵こうするらしい──分厚い布を巻いていたが、効果があるのか怪しく思えるほどだ。

 それでも──アリスは半ば自棄やけになったように盾ごとメイスを押し返し、長剣を振り上げた。手合わせを始めてからずっといいように弄ばれて、いい加減頭にきていたのかもしれない。あるいは芽生えつつある戦士の矜持、というやつなのかも。

 技量で劣っていたとしても、単純な腕力ならば決して負けてはいないはずだ。彼女にできることの大半が自分にできなくても、これだけはできるはずだ。否──戦士を名乗るなら、できなければならない。


 要するに──盾の上からでも響くくらい、思いっきりぶっ叩いてやる!


「やあぁっ!」

「っ!」


 渾身の力を込めて振り下ろした長剣は、やはりというべきか──エリィの小盾に受け止められた。布越しだというのに、がぁん、と派手な激突音が訓練場に響く。だが、その音こそが今までのように易々と受け流されてはいないという証明だった。

 互いの武器を互いの盾で受け止めて、奇妙な鍔迫り合いのような恰好のまま、二人は訓練場の土の上に倒れ込んだ。上になったのは──アリスだ。技も技術もなにもない、力任せに押し倒しただけだったが、エリィは確かに押し負けたのだ。

 一瞬、二人は睨みあったが──ぱんぱん、と乾いた音が聞こえた。丁度先ほどの審査の時に、教官が手を叩いて終了を告げた時のように。


「はいはい、そこまでにしなよ。そろそろギルドに向かわないと、日が暮れるどころか今日中に全部終わらないよ」


 いつの間にか腰を上げ、近くまで歩いてきていたレティシアにそう言われて、二人ははっとして空を見上げる。酒場で出会った時には真上あたりにあった太陽が、だいぶ傾き始めていた。


「ごめんね、大丈夫?」


 馬乗りになっていたアリスは立ち上がると、起き上がったエリィに手を差し出す。


「ありがと。これくらい平気平気、むしろそっちの方が痛かったんじゃない?」

「あはは……」


 "痛くした"本人にそう言われては、苦笑するしかない。おまけにエリィには大して疲れた様子すら見えなかった。

 エリィはメイスに巻いていた訓練用の分厚い布をはぎ取ると腰帯ベルトに戻し、衣服についた砂ぼこりを払ってから、改めてアリスに向き直る。


「剣術、誰かに習ったの? これが初めてって風には見えなかったけど」

「習った、ってほどじゃないんだけど。……住んでた村に自警団があって、そこで少しだけ」


 エリィにならってアリスも長剣から布をはぎ取り、鞘に収めながら答えた。


「なるほどね。じゃあ一つアドバイス。メイスみたいな打撃武器はね、盾や鎧で受けちゃダメだよ。こういう武器は元々分厚い鎧の上からでもダメージを与えられるように作られてるから、避けるか、最低でも受け流せるようにならないとね」

「わ、わかった……」


 なるほど、盾で受けても痛いはずだ。そもそも対処方法が間違っていたのだから。これからはこうした知識も学ぶ必要があるかもしれない。


「ところで、自警団にいたということは実戦経験もあるのかな?」


 審査からこっち、まるで出番のなかったレティシアが首を突っ込むように話に割り込んだ。魔術師が興味を示す話題とは思えなかったが、パーティメンバーの実力を推し量るという意味では知っておくべきことなのかもしれない。そう思って、アリスは記憶をさかのぼるように目を細め、視線を中空へさまよわせた。


「本当に少しだけだけどね。酔っ払って暴れる人をこらしめたり、たまに群れからはぐれた魔物が数匹、村に迷い込んでくるのを、皆でやっつけたり……田舎だったから、自警団っていってもやることはそれくらいで」


 まだ子供だし、女だからってあまり戦いには出されなかったけど、とアリスは語る。笑みを収めて淡々と語るその表情を見るに、彼女にとってはあまり愉快な思い出ではないようだ。

 場の空気を変えるように、殊更明るくレティシアは言った。


「でも、安心したよ。この街で冒険者を始めようって人は、大抵がまともに剣を握ったこともない初心者だからね。おまけに実戦経験まであるなんて、守ってもらう後衛としては望外の喜びってやつさ」

「そうなの? でもさっき見た通り、エリィに手も足も出ないくらいの腕なんだけど」

「それはただ、あたしが戦士として経験を積んでたからってだけよ。力押しとはいえ、最後は押し負けちゃったしね。それに、一番大事なのは"生きている相手に剣を振るえるかどうか"だもの」

「生きている相手に……?」


 そう、とエリィはうなづく。出会ってからこれまで、エリィはその時々でころころと表情を変える明るい少女だった。その彼女が、初めて見せる真剣な表情で言う。


「例え魔物が相手でも、生きているものを傷つけようと暴力を振るうことは、考えているよりもずっとずっと難しいことなの。ましてや殺すつもりで剣を振るうのは、もっとね。初めての時は特にそうだし、経験が浅いうちはずっと躊躇い続けると思う。……それが悪いことだとは、あたしは言わないけどね」

「まあ、その意味では、訓練とはいえエリィを相手にあれほど剣を振るえたキミは実に頼もしいってことさ。特にあの迷宮には、人間を模した魔物も出てくるからね。実戦経験を積むのはもちろんだし、これからもこういった訓練はしておいた方がいいだろうね……と、そろそろ行こうか?」

「そうね。教官、あんまり待たせちゃ悪いし」


 審査は無事に終えた。合格という、喜ぶべき結果を伴って。あとは教官が作ってくれているらしい証明書とやらをギルドに提出すれば、晴れて冒険者と名乗れるわけだ。それを受け取るべく、三人は訓練所の受付があった場所へと向かう。

 しかし──


 人間を模した魔物。何気なく言ったレティシアの言葉が、アリスには引っかかった。その魔物がどんなものなのか、例えば魔法人形ゴーレムのように人の形をとっているだけなのか、それともコボルトやゴブリンなどの亜人種を指しているのか。

 あるいは──本当に、人間と戦うことになるのか。もし、そうなったとして。


 わたしは、人間を殺せるだろうか──?




***




「ただいま。審査、受けてきました。これで大丈夫ですか?」


 冒険者ギルドへと舞い戻り、相変わらず混雑している受付の中、一つだけ誰も並んでいないカウンターに向かってエリィとレティシアが止める間もなく一直線にアリスは歩を進めると、これも変わらず不愛想な受付嬢の唇がお決まりの文句を紡ぐ前にそう言って、訓練所で受け取った証明書を台の上に広げた。

 開きかけた口を今更閉じるわけにもいかず、さりとてアリスが発した挨拶に応じる言葉は一つしかなく──逡巡したのち、渋々と受付嬢は言った。


「……おかえりなさい。証明書を確認します」


 受付嬢と新米冒険者のやり取りを一歩離れた場所から聞いていたエリィとレティシアは、顔を見合わせた。

 冒険者ギルドへようこそ。ご用件をどうぞ。まるで人に会ったらそう言えと命令されたゴーレムのように、この不愛想極まる受付嬢が決まった言葉以外を口にしているところを見たことがなかったのだ。二人とて何度か彼女の世話にはなっているものの、こんな風に挨拶を交わしているところを見るのは初めてだった。


「はい、結構です。では本登録の手続きに移りますが──そちらのお二人は?」

「ああ、あの後教えてもらった酒場で知り合ったんです。わたしのパーティに入ってくれるって、訓練所も一緒に行ってきました」


 水を向けられたエリィとレティシアはもう一度顔を見合わせると、カウンターの前まで歩いてきた。


「こんにちは。アリスの言った通り、僧侶エリィと魔術師レティシアは、彼女のパーティに参加します。そちらの手続きもよろしく」


 改まった口調で宣言するように、レティシアが言った。それは別にこの受付嬢が苦手だからというわけではなく、単に手続き上はっきりと宣言する必要があっただけだろう。隣に寄り添うように立つエリィも気にした様子もなく、うなづく。


「かしこまりました。少々お待ちを──」


 そう彼女が言いかけた途端、ばたん、とアリスにとってはつい最近聞いたばかりの音が、ギルド内に響いた。即ち──ギルド長が、執務室の扉を開けたのだ。それも恐らく、勢いよく足で。

 こめかみをひくひくと痙攣させながら黙り込む受付嬢の元に──予想通り──羊皮紙の束を抱えた壮年の男が、疲れた顔でやってきた。

 既視感を覚える──というより、初めてギルドを訪れた時とほぼ同じ展開に、事情を知るアリスは一人苦笑する。


「おい、やっと終わったぞ……。頼むから明日からはもう少し量をだな──おっ?」


 今度は受付嬢に指摘されるまでもなく、ギルド長はカウンターに並ぶ見覚えのある顔に気がついたようだ。


「こんにちは」

「おう。その様子だと、審査は大丈夫だったみたいだな」

「今しがた確認を終えたところです。その後の登録手続きの最中に、貴方が現れたので中断されましたが」


 もしも言葉が目に見えていたら、きっと今のそれは茨がのたくっていたことだろう。受付嬢は刺々しい声でギルド長をなじったが、当の本人は平然としている。


「お前が増やした仕事だぞ、これ。まあそれはともかく、だ。そっちの二人は──」

「こんにちは、ギルド長。相変わらずお忙しいようで」

「あたしたち、二人まとめてアリスのパーティに参加することになったんだ」


 二人ともギルド長とは面識があるようで、からかうように挨拶するレティシアにも気分を害した様子もなく、続くエリィの報告に、彼はその厳つい顔をほころばせた。


「そうかそうか! お前ら二人ならこっちとしても安心できるってもんだ。よかったじゃねぇか、アリス」

「はい。お二人の言う通り、酒場に寄ってよかったです」


 社交辞令とも思えない素朴な少女の感謝に、ギルド長はにかっと笑い、受付嬢は──なぜかフードの裾を引っ張って、顔を隠してしまった。


「エリィとレティシアも、無事に組める相手が見つかってよかったな。ワケアリだったから心配してたんだが──」

「え?」

「あ……」


 ギルド長が何気なくこぼした言葉を、アリスは聞きとがめた。隣に並ぶ二人を見ると、レティシアは気まずそうにうつむき、エリィは焦りと不機嫌とがごちゃ混ぜになったような、複雑な顔をしている。

 その様子を見るとギルド長は笑みを収め、二人を咎めるように見た。元々厳つい顔をしているから、こうして真顔になっただけで相当に迫力がある。


「おい、お前らまさか──」

「言うつもりだったわよ! ただその、タイミングっていうか……言いそびれちゃっただけ」


 エリィは即座に反論したが、その威勢も最後まで続かない。ギルド長は大きくため息をつくと、困ったように頭を掻いた。


「本来こういうことは、ギルド側から口出しするべきじゃないんだがな……。あの迷宮に入れば、お前らは否が応でも互いに命を預ける仲間になる。いや、ならざるを得ないんだ。隠し事なんぞない方がいいに決まってる。やましいことであろうとなかろうと、な」

「……わかってる」


 まるで親が子を諭すように、ギルド長は言い聞かせるように言った。それは彼の今の立場からの言葉であり、先達としてのアドバイスだ。それがわからない二人ではなかった。

 ふう、とため息をつくと、ギルド長は握りこぶしに親指を立てて、自身の後ろ──扉が開けっ放しになっている執務室を指した。


「話す気があるなら、執務室を使え。あそこなら誰かに聞かれる心配もない。この場でする話でもないからな……」

「……ありがとう、ございます」


 レティシアが礼を言い、三人はカウンターの裏側へ回って執務室へと入った。受付に並ぶ冒険者たちの中には好奇の視線を向けてくるものもいたが、それを遮るようにアリスは扉をしめた。あの受付嬢に叱られないよう、ゆっくりと、静かに。

 執務室は応接間も兼ねているようで、二人掛けの長椅子が向かい合うように二つ、テーブルを挟んで置かれている。部屋の一番奥にはギルド長の席だろう、大きめの机と豪華な椅子があった。壁には、この部屋の主には似つかわしくない額縁に入った絵や装飾品まで飾ってある。

 アリスが席につくと、テーブルを挟んで向かい側にエリィとレティシアが腰かけた。


「それじゃあ……改めて。事情を聞いても、いいかな?」


 これじゃまるで尋問してるみたいだな──どこか戸惑った様子で、アリスは問うた。


「……ボクから話すよ。リーダーであるキミには聞く権利があるし、ボクには──ボクらには、話す義務がある。本当はもっと早くに言うべきだったんだ。ごめん」

「あたしも……ごめんなさい」


 事情を話す前に、エリィとレティシアはアリスに頭を下げて謝罪した。そして改めて、レティシアは口を開く。


「これから話すことで、もしもキミがボクたちとパーティを組むことを撤回したくなったら、遠慮なくそうしてほしい」


 そう、前置きをして。


「ボクたち二人は以前、別のパーティに所属していたんだ。迷宮の一層と二層をすこし歩いた経験があるって言っただろう? それも、そのパーティでのことさ」


 言われてみれば、当然の話だった。まさか僧侶と魔術師の二人だけで迷宮に潜っていたわけではあるまいし、どこか別のパーティに所属していたというのはごく自然なことだ。

 そうなると、二人が今フリーなのは当然、なにかしらの理由があってそのパーティを抜けたのか、あるいは──


「そのパーティは、今はもうない。解散したんだ。ボクが原因で、ね」


 自嘲するように、魔術師の少女は言った。




***




「そのパーティのリーダーは、キミと同じ戦士だった。ただし、男の、ね」

「無駄に声がでかくて押しが強くて、人当たりがいい代わりに馴れ馴れしくって。恫喝まがいのごり押しで大抵のことは済むと思ってるようなヤツだったわ」


 思い出すのも嫌だという風に、エリィが言う。

 そんな相手とパーティを組んだのか、と思うかもしれない。だが冒険者とて現実問題、実入りがなければ食べていけないのだ。おまけに新米ともなれば、性格が合わないからとえり好みをしてパーティを組まずにいれば、いずれ一人で無謀な依頼や探索に手を出す破目になる。

 戦力さえ噛み合えば、パーティとしては機能するのだ。そう割り切って、パーティを組んでいる者も多い。むしろ気の合う者ばかりとつるみ、和気藹々と日々を過ごしている冒険者の方が少数派かもしれない。


「そのパーティでは、迷宮の探索だけじゃなく街の依頼も受けていたんだ。もちろん、身の丈に合ったものをね。……"問題"が起こったのは、近くの村へ荷物を届ける依頼を受けた時だった」


 ふう、とレティシアはため息を吐く。それは気の進まない話をしているからというよりは、自分を落ち着かせるための深呼吸のように見えた。


「近くの村、と言っても徒歩で数日はかかる距離でね。道中、そのパーティは野営キャンプを張った。交代で二人ずつ、見張りを立てて、ね。それで……その日、二番目の見張り役が、ボクと、リーダーだったんだ」


 まるで息切れしたように、レティシアは何度も息を吐く。エリィは心配そうに幼馴染の肩を抱くと、聞いた。あたしが代わろうか、と。

 レティシアは首を振り、話を続ける。


「彼は日頃から、自慢話をすることが多かった。故郷の村では一番腕っぷしが強くて、迷い込んできた魔物を退治したとか、村中の娘に惚れられていたとか。次期村長にと推されていたから、村を出る時は引き留められて大変だったとか……ね」


 それが本当かどうか、誰も聞けなかったな──どうでもよさそうに、レティシアはつぶやいた。


「その日の夜も、見張りの途中で、皆疲れて寝てるっていうのに、彼はいつものように自慢話を始めたんだ。ボクはたき火が消えないように薪を見ながら、適当に相槌を打っていた。ボクは……彼のことが、あまり好きではなかった。いや……嫌いだったんだ。大きすぎる声も嫌だったし、無神経なところも嫌いだった。女性を侍らせることを、まるで武勲のように語るところも」


 べたべたと必要以上に体に触ってくるし──と、怖気がするように、レティシアは自らを抱いて、ローブの端を皺ができるほど強く握った。


「彼は上機嫌で話を続けた。ボクは聞いているフリをしながら、早く次の順番になるよう願っていたら──突然、彼が言ったんだ」


『おまえも、オレに気があるんだろ?』


 それも自信満々にね、とレティシアは言った。皮肉めいた嘲笑を浮かべようとしたのだろうか、引きつった口元は痛々しくすら思える。


「……彼が何を言っているのか、ボクはわからなかった。そんな素振りは一切したことがないし、そもそも日頃からできるだけ関わらないようにしていたんだ。どうもそれが彼の目には、奥手で恥ずかしがって声をかけられないでいる──という風に見えたらしい。だから自分から言いよってやれば、喜ぶに決まっている、と」

「……」


 アリスは黙ってレティシアの話を聞いている。同じ女性として、言いたいことは山ほどあったが、それは話が終わってからでも良いことだ。

 レティシアは目をつむって、大きく息を吐く。それを何度も繰り返してから、ようやく続きを話せた。


「それから……彼は、ボクに、近づいてきた。肩とか、腰とか……ボクの体をべたべたと触りながら、彼はさかんになにかを話しかけてきた。たぶん、口説き文句だったと思うんだけど、よく覚えていないんだ。ボクは……彼が怖くて、仕方がなかった。彼が何を求めているのか、わかっていたから。夜闇に浮かぶほどぎらついた目で、ボクの体を見ていたんだ。はは……こんな、子供みたいな体型なのにね」


 レティシアはぎこちなく自嘲しようとして、失敗した。彼女の喉から出る声は、もはや震えるだけだったからだ。


「何も答えないボクに業を煮やしたのか、彼はボクを強引に押し倒した。それで……ボクの、衣服に手を、かけて……。この街に着て、初めてエリィと一緒に買ったローブが、簡単に……破かれて。それで……下着を……っ」


 エリィは話を遮ることもいとわず、幼馴染を抱きしめた。レティシアは抵抗せず、豊かな胸に顔を埋めると、小さく嗚咽を漏らし始めた。


「……すんでのところで、あたしがテントから外を見たの。元々あのクソ野郎のバカでかい声のせいで全然眠れなかったし、それが急に静かになったと思ったら、なんだか様子が変だったから。そしたら……」


 震えるレティシアの頭を優しく撫でながら、腹の底から湧きあがる憤怒を隠そうともせず、レティシアはアリスを見据えた。


「この子が襲われてるのを見て、あたしは頭に血が上った。いきなりテントから飛び出してきたあたしにあいつはびっくりしてたみたいだけど、そんなこと構わなかった。レティシアに覆いかぶさろうとしてたあいつの腹を蹴り上げて、ご丁寧に下衣を下ろしておっ立ててたアレを踏み潰してやった。野営で食べた夕飯を全部吐き出すまで何度も腹を踏みつけてやったし、顔も腫れあがって元がわからなくなるくらい、何発も殴ったわ」

「……」


 今度は別の意味で、アリスが黙り込んだ。エリィの言葉通りだとすれば、明らかにやり過ぎだ。無論原因はそのリーダーとやらにあるとしても、限度というものがある。それに、つい数刻前に彼女と手合わせした身からすれば、確かに素手でもそれくらいはやってのけるだろうと思えてしまった。


「他のメンバーが起きだして止められるまで、あたしはあいつを殴るのをやめなかった。止められなかったら、殺してたかもね。当然依頼は失敗。あたしが治療を拒否したせいもあって、街に戻るまでにあいつは重体になって即教会送り。残りのメンバーはギルドに呼び出されて事情聴取されたんだけど」


 エリィがちら、と執務室の奥のひと際大きな椅子を見る。きっと、普段はそこで頭を悩ませながら書類と格闘している人物を思い浮かべているのだろう。


「本来なら登録を抹消されて、牢屋に入れられてもおかしくなかった。結果だけ見れば、依頼を失敗させる原因になった上に、自分のパーティメンバーに重傷を負わせたんだからね。でも、ギルド長はあたしたち全員から話を聞いた上で、罪には問わなかった。喧嘩両成敗、なんて単純な話じゃないけど、自分のパーティメンバーを襲ったっていうなら、それはあたしもあいつも同じだ、って。確かにお前はやり過ぎだが、あいつは男として最低のことをしやがったんだ、ってさ」


 ギルド長、怒ってくれてたな──と、エリィが当時を懐かしむように言う。


「だから、この子はさっき自分が原因だって言ったけど、直接解散の原因を作ったのはむしろあたしなのよ」

「そっか……。彼は、どうなったの?」

「あいつも一応罪には問われなかったけど、体が治ったらすぐに街を出ていったわ。まあ、自分のパーティの女に無理矢理手を出そうとした挙げ句、別の女の、それも僧侶に素手でボコボコにされたなんて話、広まったら面目丸つぶれだもんね。ギルド長も、この話はできるだけ広まらないように気を配ってくれてるみたい。知ってるのは当時のパーティメンバーと、ギルド長と……酒場のママさんくらいかな。あの人の情報網、凄いから」


 解散したあとの、他のパーティメンバーのことは知らない──そう締めくくって、エリィは話を終えた。


「あたしがあなたのパーティに参加したいって言ったのもね、半分くらいはこの話が理由なんだ。もう男のリーダーなんてまっぴらだったし、かと言ってあたしたちもえり好みできるほど熟練してるわけでもない。自分たちでパーティを作る気にもなれなかったし、たぶんやろうとしてもできなかったでしょうね。いっそ二人で故郷に帰ろうか、なんて話も出てた」

「そこに現れたのがわたしだったんだね。ギルド長にも自分でパーティを一から作る人は多くないって聞いてたけど、あなた達の場合、わたしの方が求める条件にばっちり当てはまってたんだ」

「……そういうこと」


 渋い顔をして、エリィがうなづいた。なるほど、渡りに船とはまさにこのことだろう。女性の戦士がこれからパーティメンバーを集めようというところに、たまたま居合わせた。本当に幸運だったのは、アリスではなくこの二人だったというわけだ。


「……うん。話はよくわかったよ。……レティシア」


 名を呼ばれ、小柄な魔術師はびくりと肩を震わせた。できるだけ優しく、と心がけながら、アリスは声をかける。


「話してくれて、ありがとう。それと、つらいことを思い出させて、ごめん。エリィも、ありがとう」

「……あたしは、別に……。そ、それより、どうするの? その……これから」


 思いもよらぬアリスの態度に面食らったように、エリィは戸惑った。てっきり黙っていたことを糾弾されて、パーティの話はご破算になると思っていたのだ。だって、パーティメンバーを素手で半殺しにした輩なんて、どう考えても危険人物ではないか。

 それなのに、目の前の少女は平然としていて。


「どうもしないよ。君達さえよければ、これから作るわたしのパーティに加わってほしい」


 そんなことを、当然のように言うのだ。


「……どうしてよ? だってあたし、もうちょっとで前のリーダーを殺すところだったのよ!?」

「でも、それはレティシアを守るためにやったことなんでしょ?」

「それは……そう、だけど……」

「もちろん程度の問題はあったんだろうけど、わたしはエリィが間違ったことをしたとは思わない。ギルド長も、そう思ったから不問にしたんじゃないかな」

「……」


 言葉を失うエリィに、アリスは優しく微笑みかける。


「自分で言ってたじゃない。生きているものを傷つけようと暴力を振るうことは、考えているよりもずっとずっと難しいことなんだって。それを幼馴染を守るためにできちゃうんだもん。エリィは、優しいよ」

「……そんな……こと」


 胸に抱いた幼馴染の頭に顔を埋めるように、エリィはうつむいた。あの時拳を振るえたのは、ただ実戦経験があったからに過ぎなかったかもしれない。けれどそれ以上に、エリィはレティシアを守ろうとしたのだ。大切な、幼馴染を。

 あの時、エリィを表立って非難する者はいなかった。けれどアリスのように、その行いを肯定してくれる人もまた、いなかった。ましてや、優しいなんて。

 うつむいたエリィの瞳から、涙が一筋、頬を伝ってこぼれ落ちる。


「あたし……」

「うん」


 涙声でつぶやくと、エリィはローブの袖でごしごしと乱暴に目許を拭う。顔を上げたエリィは潤んだ瞳を隠そうともせず、アリスを正面から見据えて、言った。


「あたし、あなたのパーティに入りたい。今度は性別とか職業とか、そんな理由じゃなくて……あなたの作るパーティの一員として、戦わせてほしい」

「……ありがとう、エリィ」


 アリスが笑顔で礼を言うと、話を始めてからずっと気を張っていたエリィの表情がようやく緩む。きっとそれが、彼女本来のものなのだ。


「ボクは……」


 エリィの胸から顔を上げたレティシアが、弱々しい声をあげた。


「……ボクは、エリィみたいに強くない。あの時ボクは、なにもできなかった。自分が襲われてる時も、エリィが彼を殴っている時も。ただ震えて、見ているだけだった。今だって、男の人が怖いんだ。でも……ただ震えて、守られるだけの存在は、あの迷宮に挑むパーティには必要ない……」

「レティシア……」


 それまでとはまるで別人のように暗い表情で、レティシアは言う。それだけ彼女にとって、一連の出来事が残した傷は深く、大きかったのだろう。あるいはそれは、今なお血を流し続けているのかもしれない。

 しかし──


「レティシア。今日会ったばかりのわたしに、色んなことを教えてくれたよね。この街のこと、迷宮のこと、冒険者のこと。エリィのことも……自分のことも。きっと、君達には当たり前すぎてつまらない話もあったと思うんだ。でも、君はわたしに教えてくれた。それは、わたしにとって必要なことだったから、だよね?」

「……そう。冒険者としてこの街で暮らして、あの迷宮で生き残るためには、戦う力だけじゃなく色んな知識が必要だ。これからパーティを率いるリーダーになるキミには、知っておいてほしいことがたくさんあった」

「うん。レティシアの話はためになったし、それを聞くのが楽しかったのも本当だよ。それに、そうやって話してくれたのは、わたしがちゃんとしたリーダーになるためだったんだよね?」


 ぐす、とすすり上げて、レティシアは顔を上げ、アリスを見つめる。涙に濡れて赤くなった目許はいかにも弱々しい少女のそれだった。だが──


「……そうさ。そうとも。ボクは、キミに立派なリーダーになってもらいたい。戦う力だけじゃなく、多くの知識を得てほしい。パーティを、その一人一人を活かすために。そして、そんなキミの作るパーティの一員になりたいんだ。こんなボクを、受け入れてくれるのなら。それが……今のボクの、正直な気持ちだよ」


 言葉を重ねるうちに、レティシアの瞳に強い光が戻っていく。それは、弱々しい少女でも持ち得る知性という名の光だ。

 それを見て、アリスは微笑む。


「歓迎するよ、レティシア。これからも、わたしに色んなことを教えてほしい。もちろん勉強になることだけじゃなくて、友人としてのおしゃべりも、ね」


 そう言って差し出されたアリスの手を、レティシアは迷いなく握る。


「……ふふ。ボクの話は、本当に長いよ?」

「それについては、あたしが保証してあげる。仕方ないから、一緒に聞く役も、ね」


 握手をした二人の手を包むように、エリィの両手が重ねられた。三人の少女は互いの芽生えつつある絆を確かめるように、固く手を握り合った──



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