訓練所にて
「街の入り口から続くこの大通りには、見ての通り色んな商店や施設があるんだ。特にボクたち冒険者が利用するような店は、だいたいこの大通りに集中してる。これから向かう訓練所も、その一つだね」
訓練所へ向かう道すがら、レティシアは街に来たばかりだというアリスにそう語った。彼女の言う通り、街をぐるりと囲む外壁にある門から、酒場や冒険者ギルドのある場所はほぼ一本道になっていた。訓練所は街の入り口近くにあるらしく、酒場を出た三人は今、ギルドとは反対方向に進んでいる。
食べながらにしようか、と小柄な魔術師は酒場で買った包みを広げた。
「ホットサンドか。適当な注文だったのに、相変わらずいいものを出してくれるね」
レティシアは嬉しげにそういうと、包みの中身を半分に割って隣を歩くエリィに押し付けるように手渡した。ありがと、と小さく礼を言いつつも当然のように受け取るエリィを見るに、どうやら小食らしい。あの女主人の心遣いには喜んでも、腹の具合はまた別ということだろうか。
アリスも彼女に倣って包みを開けようとして、あ、と思い出したように声をあげた。
「ごめん、わたしお金払ってなかったよね。これっていくらかな?」
「ああ、構わないさ、それくらい。大した値段じゃないし、登録を済ませたあとじゃないと割引も効かないからね」
「割引?」
冷めないうちに、と促され、改めて礼を言ってアリスは包みを開けた。ホットサンド──アリスにとっては初めて聞く料理の名前だった。薄く切った焼き目のあるパンに葉物の野菜とチーズ、更に薄い塩漬け肉が挟まれている。焼きたてのパンの甘い香りとはまた違う、食欲をそそる香ばしい匂いに、街に着いてから食事をとっていないことを思い出したアリスは、ごくりと生唾を飲む。
パンくずをぽろぽろとこぼしながらかぶりつくエリィを真似て、アリスもホットサンドにかぶりつく。
「……おいしい!」
まだほんのりと温かく、サクサクとしたパン生地の感触。挟まれた野菜にとろけたチーズと肉の塩味が効いていて、二口、三口、とアリスは夢中でホットサンドを頬張った。
「それはよかった。ちょっと物足りないかもしれないけれど、これから体を動かすことを思えば丁度いいくらいだろうね。……っと、割引の話だったっけ」
ホットサンドを小さくちぎりながらちまちまと食事を続けるレティシアは、両隣に歩く二人の豪快な食べ方にやれやれとばかりに肩をすくめた。もっとも、本来冒険者としては二人の方が正しいのだ。行儀作法など、あの迷宮ではなんの役にも立ちはしない。だからレティシアも、それについてとやかく言うつもりはなかった。
頬を膨らませながらうなづくリーダーに、たぶん登録したあとに説明されると思うけど、と前置きして、レティシアは語る。
「この街にある商店や施設のいくつかは、一定の金額をギルドに支払う代わりに、加盟店として認定を受けていてね。その店でボクたち冒険者がなにかを売買したり、あるいはなにがしかのサービスを受ける時に、一定価格の割引を受けることができるんだ。店側は割り引いてもなお高額な商品をボクら冒険者に売りさばき、あるいは迷宮から持ち帰った貴重な宝物を買い取る。ボクらは値引きを受けられるし、なにより安心して売り買いができる。ギルドは店から納められる加盟料で潤う……というのが大雑把な仕組みだね。さっきの酒場や宿屋みたいに、高額な商品は取り扱っていなくても加盟店の認定を受けている店も多いんだ。なにせこの街には酒場や宿屋なんていくつもあるからね。たとえ冒険者でも、客は多いに越したことはないんだろうね」
「な、なるほど……?」
「難しく考えることないわよ。要するに、食事や買い物、宿を利用する時は加盟店にした方がお得ってこと。加盟店なら騙されたりぼったくられたりすることもないし、ね」
「なるほど」
わかったようなわかっていないような、微妙な表情をしているアリスに、口許を拭いながらあっけらかんとエリィが要約する。レティシアは空になった包み紙を懐にしまうと、まあそういうことさ、と肩をすくめた。彼女としては詳しく説明した方がいいと思ったのだが、アリスにとってはエリィの簡単な解釈の方が性に合っているようだ。実際、その理解で間違っていないことだし。
「……っと、見えてきたね。あれが訓練所だよ」
だぼついたローブの裾から手を伸ばし、レティシアが指差した先には、城塞の外壁を思わせるような石造りの建物があった。もちろん街の中に本物の軍事施設があるわけもなく、その立派な見た目は入り口のある正面だけのようだ。石段を上がった奥に見えるのは、冒険者ギルドの内装とそう変わりないように見えた。
「ここは冒険者に関する施設では一番最初に造られたらしくてね。元々、登録を含むほとんどの管理はここで行っていたんだ」
ギルドを立ち上げて一括で管理しなければならないほど、冒険者の数が増えるまではね──訓練所の外壁を見上げながら、レティシアは続ける。
「当時は本当に、砦のような構造の建物だったらしいよ。これはその名残ってわけだね」
「レティシア~。話し相手ができて嬉しいのはわかるけど、このペースだと日が暮れちゃうよ?」
にやにやと笑いながらエリィに茶化されて、レティシアはぱっと頬を赤らめ、大人しく聞き役に徹していたアリスを見ると、照れ隠しのように笑った。
「ごめんごめん。長話は昔からの悪いクセでね」
「ううん、面白かったよ。また今度、時間のあるときにゆっくり聞かせてほしいな」
「そんなこと言うと、ほんとに一日中付き合わされるよー」
そういえば、二人は幼馴染なんだっけ──酒場でそんなことを言ってたのを思い出して、親しげに話すエリィとレティシアを見るアリスは、すこしだけ羨ましそうに目を細めた。そんな視線に気づくでもなく、エリィは軽やかな足取りで石段を上がってドアを押し開ける。
「こんにちはー!」
張りのある、よく通る声で叫ぶように言うエリィの隣に並んで、アリスは訓練所の中を見渡した。
入ってすぐに、やはり冒険者ギルドで見たような木製の台がある。横長にいくつも繋がっていたギルドのものと違い、ここにあるのは一人分だけの受付だった。部屋の壁には訓練で使うのだろうか、木で作られた剣や棍棒、盾がいくつも掛けられている。部屋の奥には通路があり、更にどこかへとつながっているようだ。
受付は無人でひと気はなく、がらんとした空気を感じる。
「はいはーい、ちょっと待ってねー!」
通路の奥から、応答する声が聞こえた。ばたばたと慌ただしい足音と、同時に金属を打ち合わせたようなやかましい音が近づいてくる。ちょうど、全身鎧を着こんだものがなりふり構わず走ってきたらこんな感じだろうか。
奥から現れたのは全身鎧の──ではなく、使い古した鎧や篭手、脚絆などの装備を両手いっぱいに抱えた女性だった。日に焼けた小麦色の肌に、薄く赤みがかった茶色の髪を後ろで縛っている。顔つきは若い娘そのものだったが、左目の真ん中を縦に真っ直ぐ裂いたような傷痕があった。両目とも開いてはいるものの、恐らく見えているのは片方だけだろう。
彼女の抱えた防具はどうやって持っているのか、ゆうに数人分はあるように見える。対する彼女の恰好は正反対で、上半身は袖がなく、首回りを広く開いた薄手の服のようなものを身につけ、下半身は腰のあたりに通した紐で縛るだけの簡素なズボンを履いている。唯一、腿や脛にあたる部分には関節の動きを阻害しないよう、階段のように重ねられた金属板が張りついていて、彼女がこの場所で働くに相応しいものであることを示していた。よく見ればむき出しの二の腕にはしなやかな筋肉がついており、手に持っている鎧のどれか一つでもつければ、あっという間に戦士へと早変わりしそうだ。
その女性は手にした防具類を足元にがらごろと置くと、頬を伝う汗を服の裾を引っ張って拭い──鍛えられた腹筋が丸見えになったが、気にする様子もない──笑顔で挨拶を返してきた。
「いらっしゃい、エリィ。それにレティシアも。そっちのお嬢さんは……見ない顔だね?」
「こんにちは、教官。今日は彼女の職業審査をお願いしたいんだ。ギルドの仮登録は済ませてあるから」
二人の後ろから顔を覗かせたレティシアの紹介を受け、アリスが軽く頭を下げると、教官と呼ばれた女性は笑顔のままうなづき、手を差し出した。差し出された手をとって握手を交わしながら、アリスは名乗る。握り返してくる手は力強い、戦士の手だった。
「初めまして。アリスと言います。わたし、今日この街に来たばかりで」
「うんうん、初々しい新人ちゃんって感じだね。私はこの訓練所で働いてて、審査の受付から訓練用装備の手入れ、訓練場の管理とか……まぁ雑用係みたいなもんかな。希望があれば訓練にも付き合ってるから、みんなには教官って呼ばれてるよ。よろしくね」
とても"雑用係"とは思えない力強い握手を終えると、教官は改めてアリスを頭の先からつま先まで、じっくりと眺めた。既視感を覚えたアリスは、そういえばギルド長に会った時も同じような感じだったな──と思い出す。
「冒険者登録に必要な職業の適正審査、だったね? 見たところ戦士みたいだけど、一応説明しておこうか」
教官は受付台の裏に回ると、なにやらごそごそと探りはじめた。その隙を見計らうようにレティシアはアリス脇腹をつつくと、すこし背伸びをして耳打ちした。
「本人はああ言ってるけど、彼女はこの訓練所の実質的な代表だよ。ギルド長とも長い付き合いらしいし、領主との応談も彼女が行ってる。雑務全般をこなしてるのも本当だし、本人は認めたがらないけどね」
ここで困ったことがあったら、まず彼女を頼るといい。けれど、失礼のないようにね──そう言ってレティシアが背伸びを止めるのと入れ代わりに、教官は受付台の向こうから顔を出した。その手には一枚の古びた羊皮紙が握られていて、台の上に広げると埃と一緒にかび臭い匂いが舞い上がった。
埃をぱたぱたと手で払うような仕草をしながら、教官は古く変色した羊皮紙の文面を指差して、読み始める。
「まずは、審査を行う目的の説明からだね。ギルドの方で説明はあったと思うから繰り返しになっちゃうけど、この街での冒険者はみんなあの迷宮の探索要員として数えられることになってる。で、大抵はパーティ──つまり何人かで徒党を組んで活動するんだけど、その時にその人が就いている職業の証明が必要なんだ。もちろん、本人の名乗り以外でね。魔法使いだと思ってパーティを組んだのに、実は呪文を一つも覚えてませんでしたー、じゃ困るでしょ?」
実際そんなことになれば、困るどころではないだろう。それが判明するのが街中であればパーティを解散するなりすれば良いが、もしも迷宮に入ったあと、戦いの最中に発覚したら、最悪パーティ壊滅の原因にもなりかねない。
「そうならないように、ここでちゃんとその職業を名乗れるかどうかの審査と、その証明をするわけだね」
例えば戦士なら、ある程度の重装備を着ても過不足なく動ける程度の体力はあるか。剣を振るうほどの膂力があるか。魔術師なら呪文を唱えられるか、僧侶なら神聖魔法を──といった具合だ。
そしてその証明が成れば、本人以外の第三者が保証してくれる、というわけだ。
「冒険者ギルドに登録される職業は、大きく分けて戦士、盗賊、僧侶、魔術師の四つだけなんだ。ほかにも信仰に目覚め、戦士ながら神聖魔法を使う君主、魔術と神聖魔法の両方を修め、鑑定技能を持つ司教、鋼のように鍛え上げた肉体と、手刀一つでどんな敵の首も刎ね飛ばす忍者──数え始めるとキリがないくらい、冒険者の職業ってのはたくさんあるんだ。けど、残念ながらここで審査できるのは先に上げた四種類だけ。どんなに特殊な職業であっても、最初の登録では大目的である迷宮の探索に必要な四つの職業に分類して登録することになってるの。例えば神聖魔法が使える戦士がいたとして、それがただ僧侶として経験を積んだあと戦士に鞍替えしただけなのか、あるいは君主なのか──その判断をつけるには、教会の偉い人を呼んでこなくちゃいけないからね。とてもじゃないけど、全員が望むような適正な審査は行えない。だから、例えば君が信心深くて君主になれる素養があったとしても、今からここで審査を行うのは戦士か、僧侶としてってことになるんだ」
そこは了承してね、と教官は念を押すように言った。
冒険者に限ったことではないが、武器を持ち、あるいは魔法を以て戦う者達が名乗る職業は様々だ。戦士一つにとっても扱う武器によって別の名を名乗る者もいるし、中には鍛え上げた己の肉体のみで戦う者すらいる。魔法にしたって、この世界に存在するのは魔術呪文と神聖魔法だけではない。
それら一つ一つを、本当にその職業を名乗るに値するかどうか、調べるのは難しいだろう。証明を立てる方も難しいが、それを認める方だって責任が生じるのだから。
アリスがうなづくと、教官はにっこりと笑った。
「うんうん。それじゃあ、改めて聞くよ。冒険者アリス。君は、なんの職業を名乗るのかな?」
「戦士です」
なんの気負いもためらいも、そしてこだわりもなくあっさりと即答した新米冒険者に、教官は一瞬驚いたように目を見開き、次いで声をあげて笑う。まあ、この恰好で僧侶や魔術師だったらそっちの方がびっくりよね、とエリィが軽口を叩き、レティシアは黙って肩をすくめた。
「あははは! そりゃそうだ! よしよし、審査には奥の訓練場を使うからね。ついてきて」
上機嫌で笑う教官は床に転がしていた装備のうちいくつかを持ち上げると、奥の通路へと向かった。アリスたち一行も、その後を追う。
***
通路を歩くと、程なくして広場のような場所に出た。歩いた距離からして、丁度表の大通りからは建物を挟んで裏側あたりに出たことになるだろうか。地面はならされた土がむき出しになっていて、壁には射的用の的が掛けてある。隅の方には雑多な武器が乱雑に突っ込まれた樽と、それらを振るっての稽古に使うのだろう、鎧を着た人の形を模した木偶が何体か並んでいた。広場は十数人くらいなら思い切り武器を振り回してもぶつからない程度の広さがあり、ここが彼女の言っていた訓練場なのだろう。通路は広場の壁──あるいは仕切り──の奥にまだ続いているから、同じような場所がほかにもいくつかあるのかもしれない。
よく見るとあちこちにえぐったような跡のある地面の上に降り立つと、教官は手にしていた装備を地面に置き、アリスたちを振り返った。
「さて、早速だけど審査を始めるよ。難しいことはしないから、あんまり気構えないでね。じゃあ、まずは今着ている装備を外して」
「はい」
アリスは街に着いてから、あるいはそれまでの旅路でもずっと着ていた革鎧の留め具を外し、装備を脱いだ。着ていた時からわかっていたことだが、脱いだあとの裏側を見ると表面から見えていた傷が中まで亀裂のように走っている箇所も見られる。次いでグローブを脱いで革鎧と一緒に置き、グリーブを外そうとして上だけでいいよ、と教官に止められた。
エリィはその様子をすぐ傍に立って見守り、レティシアは通路から降りる石段を椅子代わりに腰を下ろして見物している。決して興味がないわけではないだろうが、戦士の適正審査など、非力な魔術師は邪魔にしかならないと考えたのかもしれない。
「はい、それじゃあ今度はこれを装備してみて」
そう言って、教官は地面に置いた装備──金属製の鎧と篭手、兜を指し示す。アリスはうなづくと、まず鎧を持ち上げた。金属の鎧は想像していたよりもずっしりと重い。ただ着方は革鎧とそう変わりはないようで、頭と腕を通して留め具をつけると、サイズのせいか多少の違和感はあるもの特に苦労することもなく身につけられた。
続いて篭手を身につける。大雑把に言えば革製のグローブを金属の板で覆ったような作りになっていて、つけた感触は今までとそう変わらなかった。ただ、やはりこれも重く、指や手首の動きが制限される。文字通り、両腕に重りをつけたようだ。
最後に兜。数枚の金属板を繋ぎ合わせて作られた、頭だけでなく顔全体を完全に覆う、いわゆるフルフェイスの兜だ。バケツを逆さにしたような形のそれはヘルムと呼ばれ、頑丈な代わりに重く、視界が制限されるようなこういった兜を好んで着用する冒険者は少ない。地下迷宮という、その場にいるだけで精神が削られていくような環境でこれを着用し続けるのは相当なストレスになるからだ。戦場に出る兵士ならば遠方からの狙撃や流れ弾にも留意せねばならないのだろうが、少数対少数の戦いを主とし、戦闘と探索が常に共存する冒険者がそれらを天秤にかけたとして、快適性をとる者が多いのは仕方のないことだった。
わざわざそんなものを審査に使う理由を、アリスはすぐ察することになるのだが──
「うっ」
「ちょっと、大丈夫?」
兜を被った途端呻き、そのまま硬直したアリスを心配して、エリィが声をかける。ヘルムの下の表情まではわからなかった。
「く……」
「く?」
「くさい……」
ヘルムの口周りに開けられた通気孔から漏れ聞こえた呻くような声に、唖然とするエリィ。教官はもう堪えきれないというように、噴き出した。
「あはははは! そりゃあ審査に訓練にとずっと使い続けてきたからね! 汗だのなんだの染み込んでるさ! ごめんごめん、意地悪したわけじゃなくて、手入れしても染みついた匂いまではどうしようもなくってね」
今度香草でも詰めておくよ、と笑いすぎて出た涙を拭って教官は言う。それはそれで、別の意味で凄い匂いがしそうだ。
ヘルムの中で顔をしかめながら、アリスは何度か呼吸を繰り返す。異様な匂いは変わらなかったが、程なく鼻が慣れたのか、耐えがたいほどではなくなってきた。そうしている間に、教官は保管してある武器から大振りの剣を選んで樽から取り出すと、肩に担ぎ上げるように持ち上げる。それは両手で扱うことを前提とし、刃の切れ味よりもその重さと分厚い刀身を以て相手を叩き割る、いわゆる両手剣と呼ばれる代物だった。訓練用らしく刃は全て潰されているものの、これだけの大きさと肉厚な刀身であれば、まともに殴られれば怪我では済まないかもしれない。
慣れない鎧兜と制限された視界のせいでおぼつかないアリスの足元に、教官は両手剣を真っ直ぐに突き立て、その柄を差し出すように押した。
「次はこれを持ってみて」
「はい」
兜の孔から見える柄を、篭手越しの感触を確かめながらアリスは両手でしっかりと握った。ぐっと力を込め、引き抜く。
「っ……!」
重い。腰に佩いていた長剣とは比べ物にならないほどだ。こんなものを軽々と担ぎ上げていた教官が、それだけで熟達した戦士であるとわかる。それでも、持ち上げられないほどではない。これで戦えるかと言われれば首を横に振らざるを得ないが、少なくとも構えるくらいはできる。なるほど、この重装備にくわえて両手剣を振るえるほどの膂力と体力があれば、ひとまず戦士としての役割は果たせるだろう。
ゆっくりではあるが確かに剣を持ち上げ、ふらつくこともなくしっかりと構えたアリスに、教官は満足そうにうなづく。
「よしよし、大丈夫だね。それじゃあ、次は素振り。型や振り方は問わないし地面にぶつけてもいいから、とにかく力の続く限り振ってみて」
手振りでエリィに離れるよう示し、自らも一歩離れながら教官はそう指示した。
アリスはうなづき、両手剣を慎重に振り上げる。両腕がきしみそうなほど負荷がかかったが、もし勢いをつけて振り上げた拍子にそのまま倒れ込んだりしたら、起き上がる自信がなかった。
上段から、真っ直ぐに振り下ろす。こればかりはその重さに任せるだけで、ぶん、と空気を裂く鈍い音を立てて潰された刃が振り下ろされた。が、アリスはその勢いを殺しきれず、がつん、と地面を殴る強烈な反動が柄を握る両手に返ってくる。地面にぶつけてもいいとは言われたが、戦士としては褒められたことではないだろう。
もう一度、剣を振り上げ、斬り下ろす。今度は地面にぶつけないよう、その重さと勢いを抑えるように力を込めたが、潰された剣先だったものが地面をえぐった。
何度か訓練場の土を掘り返したあと、アリスはようやく思い至った。今まで使っていた長剣と同じ振り方では駄目なのだ。他の武器を扱ったことがない以上そうするしかなかったのだが、これでは鉄の棒で地面を叩き続けるのと変わらない。
慣れ親しんだ──と言えるほど熟練しているわけではないが──長剣よりもずっと重く、射程も倍近く長い。なら、それに相応しい扱い方をしなければ、戦士とは言えないだろう。
剣を両手で肩に担ぎ上げ、袈裟懸けに振り下ろす。剣先は地面をかすり、砂ぼこりをたてた。
柄を握り直し、逆袈裟に振り上げる。その勢いと重さに耐えられず、振りぬいた刀身はそのまま半円の軌跡を描いて背後の地面に叩きつけられる。辛うじて倒れはしなかったものの、アリスは剣に体を振り回されるようにたたらを踏んだ。もし全身に鎧を着こんでいたら、ひっくり返っていたかもしれない。これはまだ、今の自分ではできない。今は、まだ。
中段から剣を横に倒すように構え、横薙ぎに振り払う。ぶおん、と風が音を立てた。迷宮で使う機会があるかはわからないが、多くの敵に囲まれた時には有効だろう。振りぬいたあと体ごと引っ張るような剣の重さにも、なんとか耐えることができた。
剣を横に、槍のように構えて突き出す。突きは射程が長く、早い。そして一点を狙う分避けられやすい。この長大な両手剣で行うのは、一長一短だろう。
慣れない鎧を着て、重たい剣を振り回す。とっくに息は上がっていたが、不思議と心は静まり、剣を一振りする度に集中力が研ぎ澄まされていく気がする。
アリスは、一心不乱に剣を振り続けた。
「考えてるね、あの子」
アリスには聞こえない程度の小声で、教官がつぶやく。傍で見守っていたエリィがもの問いたげに見たが、教官はいつもの笑顔をどこかに置き忘れてきたように、真剣な顔つきでアリスを見つめていた。
「私はただ、素振りを命じただけだ。それも型も振り方も指定せず、地面を叩いてもいいって言ってね。大抵の子は最初にアリスがやったように地面を叩いて、審査が終わるか根を上げるまでただそれを繰り返すんだ。もちろんこの審査で見るのは体力や腕力──要するに、重たい装備をつけて重たい剣をどれだけ振っていられるかってことだけだから、それで問題はない。でも、あの子はずっと考えてる。どうすればあの重たくてデカい剣をうまく扱えるのか。どうすれば効率的に、その刀身を相手に叩きつけられるのか。剣を振りながら、思いついたことをひたすら実践しながら、駄目だったところを修正して。何度も何度も、繰り返し繰り返し」
教官はエリィを振り返る。その表情はいつもと同じ、優しげな微笑みを浮かべていた。
「もしかしたら、いい戦士になるかもしれないね」
「かもしれない、なの?」
「そりゃあもちろん。たったこれだけの時間でそれを見極められるほど、私は熟練の戦士じゃないからね」
そう言うと、教官はぱんぱん、と両手を打ち合わせて大きく音を立てた。
「はい、そこまで!」
その声で我に返ったアリスは、はっとして振りかけていた剣を止めた。次いでその重さを今思い出したようによろけ、辛うじて地面に突き立てる。
「お疲れ様。審査は文句なしの合格だよ。装備を外して、楽にして」
本来なら喜びの声でもあげるべきなのだろうが、どっと襲ってきた疲労にうなづくのが精一杯だった。それに、この重い鉄の塊を一刻も早く体から全て外したい。教官が剣を受け取ったことを確認すると、アリスはまず兜を脱ぎ捨てた。まるで頭から水をかぶったように汗だくだ。
篭手を外し、鎧を脱ぎ捨て、ようやく身軽になったアリスは地面にへたり込み、荒い息を繰り返す。ついさっきまであの装備をつけて立っていられたのが信じられなかった。
目の前に、飲み口のついた革袋が差し出される。水だ。差し出したのは、ずっと傍で見守っていたエリィだった。
「お疲れさま。心配してたわけじゃないけど、無事に終わってよかったわ」
夢中で水を飲み干すアリスを微笑ましげに見て、エリィは手拭いでその汗を拭ってやる。
「ふふ、甲斐甲斐しいね。それじゃあ、私は受付で証明書作ってくるから。ひと息ついたら、帰るときに受け取ってね」
それをギルドに提出すれば、晴れて冒険者登録完了だ。喉を潤しようやくひと息ついたアリスがうなづくのを見て、教官は最初に会ったときと同じように装備を両手いっぱいに抱えた。
そのまま立ち去ろうとする教官の背に、エリィが声をかける。
「あ、教官。ここ、すこし使ってもいい?」
「ん? そりゃ構わないけど……」
足を止めた教官は、その意図に気づいたようににやりと笑う。まるで悪戯を思いついた子供のような笑みだ。
「ほんとは訓練場を審査以外で登録してない人が使っちゃだめなんだけどね。内緒だよ?」
「ごめんなさい。今度、差し入れでも持って行くわ」
程々にね、と声をかけて、教官は通路に上がると入り口の方へと向かい、立ち去った。
入れ代わるように石段に腰かけていたレティシアが立ち上がり、こちらへと歩いてくる。
「ねえ、アリス」
ようやく息も治まって、汗もひきつつあるアリスに向かって、エリィが話しかけた。
アリスは、聖職者というものにさほど詳しいわけではない。この街にもあるはずの教会にもまだ行っていないし、故郷の村は小さく、聖職に就いているものもいなかった。
けれど、間違いなく言える。
「休憩が終わったら、さ」
このときエリィが浮かべていた表情は、決して敬虔な信徒たる僧侶のそれではなかった。どちらかといえば──
「あたしと一つ、手合わせしてみない?」
好敵手を見つけて嬉しそうに笑う、戦士の貌だった。