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迷宮の街  作者: 諸葉
21/22

護衛依頼 ー 3

「斥候がこの先で待ち伏せしてる賊の一団を見つけた! 一旦馬車を止めろ!」

「前衛担当のパーティは隊商キャラバンの先頭に集合! 後衛担当は馬車につけ!」


 隊商を護衛する冒険者たちのまとめ役だろうか、鎧を着込んだ年嵩の男が矢継ぎ早に指示を出している。先ほどまで荷馬車の歩みに合わせて行軍していた冒険者たちは、予め役割を割り振られていたのだろう、慣れた様子でそれぞれの持ち場へと向かっていく。それは訓練された兵士のように整然としたものでこそなかったが、ごく自然にパーティ単位で動く彼らからは、動揺は微塵も感じられない。


「わたしたちも、手伝った方がいいのかな」


 そんな様子を荷台から見ていたアリスが、だれにともなくつぶやいた。護衛についている冒険者たちと自分たちとでは、装備も、技術も、経験も、歴然とした差がある。それでも冒険者の端くれとして、ここでただ傍観しているのは──

 そんなアリスの懸念に応えたのは、いつの間に起きていたのか、レティシアだった。


「やめた方がいいと思うよ」


 幼馴染の膝から気だるげに体を起こすと、賢者たる魔術師は初めての事態に遭遇したリーダーに顔を向けると、安心させるように笑いかけた。その顔からは眠気はすっかりとれていて、どうやらずいぶん前から起きていたようだ。


「これだけの規模の隊商だ。護衛につく冒険者も、相応の手練れを組合ギルドが配しているはずさ。襲撃の際の打ち合わせも事前にかわしているだろう。ボクたちが乱入したら、かえって混乱を招くだろうね」

「そっか……」

「くわえて、今のボクたちは"積み荷"だ。彼らが命をかけて守るべき、ね。気持ちはわかるけど、ここで大人しくしているべきだと思うね」


 そう言うと、レティシアはアリスへちら、と目配せをした。視線を追った先にいるのは、サラだ。


「……」


 いつも賑やかな彼女は珍しく神妙な顔で黙り込み、出発前に買ってから訓練場で数度振り回しただけの、新品同然の剣の柄を固く握りしめている。よく見ればその顔は青ざめていて、サラが怯えているのは明らかだった。

 当然だ。いくら冒険者になることを夢見ていたからといって、それで戦いへの心構えができるわけではない。サラにとって今回の依頼は冒険者として初めての活動であり、今直面している事態は間近に迫る危機に他ならない。たとえ戦うのが自分ではないとしても、危険がまったくないわけではないのだ。

 アリスは手を伸ばし、サラのそれへ重ねた。叱られるとでも思ったのか、びくりと肩を震わせたサラは、怯えを隠そうともせずアリスを見る。

 気づけなかった──いや、考えてもいなかった。初めての依頼、初めての旅、初めての襲撃。それらはすぐ隣にいる仲間の様子にも気づけなくなるほど、自分の視野を狭めていたのだ。まだ駆け出しだから、なにもかも初めてのことだから──言い訳などいくらでもできるが、それでは駄目だ。緊張するのは仕方のないことだ。戦いが目前に迫って、気持ちが逸ってしまうのも。だが、それで仲間たちのことを考えられなくなるのは駄目だ。それでは、パーティのリーダーなど務まらない。


 アリスはサラの視線を正面から受け止め、うなづいた。彼女の怯えを責めることも、言葉で励ますこともしなかった。そんなアリスの行動をどう思ったのかまではわからないが、サラは不安や怯えを飲み込むようにぎゅっと目を瞑ると、緊張を残したままの表情で、しかししっかりとうなづき返した。


「よし。身の程知らずの賊どもに、この隊商を襲ったことを後悔させてやれ! 行くぞ!」


 隊商の先頭で、先ほど指示を出していた男が声を張り上げた。護衛の冒険者たちはそれぞれに喊声をあげて応えると、彼らは馬車から離れていく。程なくして、彼らの姿は荷馬車の中からは見えなくなった。


「ずいぶん離れるんだね……」

「彼らの仕事は賊退治じゃなく、隊商の護衛だからね。可能なら離れた場所で戦う方が安全ってことさ。護衛のための戦力も残しているし、心配はないと思うよ」


 レティシアの言葉通り、残された隊商の周りには複数の冒険者パーティが周囲を警戒している。その数は、迎撃に出発したパーティと同じか、すこし多いように見えた。いずれも見ただけで自分たちのような駆け出しとは明らかに違うとわかる、熟達した冒険者たちだ。


「街にやってくる商人たちにとっては、貴重な武具や宝物を無尽蔵に生み出し続けるあの迷宮は、夢のような場所だ。中に立ち入らない限りは、ね。けれど、彼らが商品として街に持ち込み、売りさばくものもまた、街にとって生命線でもある。だからこそ、その護衛には冒険者組合や領主殿も心を砕いているのさ。たとえ行き先が宝の山だとしても、途中で命を失っては意味がないからね。ただ……」


 魔術師は一度言葉を切ると、幌の中から外の様子をうかがう。護衛についた冒険者たちが、いつの間にか武器を手にしていた。


「そのおこぼれに与ろうとする輩も、そんなことは承知の上だろうね」

「それって──」


 どういう意味、と聞こうとしたアリスの声を、喊声がかき消した。慌てて外を見ると、馬車へ向かって突進してくる一団が見える。斧や剣、棍棒など思い思いの武器を手にし、てんでばらばらの防具をつけた荒くれ者たち。自らを鼓舞するというよりは、目の前の獲物にただ歓喜の雄叫びをあげながら襲い掛かろうとするその様は、野蛮そのものだ。


「こ、これは……!?」

「囮をわざと斥候に見つけさせて、護衛を遠ざける。その隙に本隊が獲物を襲う……だれでも思いつく、簡単な策だ」


 無口な先輩冒険者が、久しぶりに口を開いた。事もなげに言ったシオンは、しかし慌てる様子もなく、それまでと変わらずぼんやりと景色を眺めているだけだ。

 対して、アリスは青ざめた。迎撃に出ていった──シオンの言う通りならば、囮に引っかかったパーティは全体の半数近い。そんな状態で襲われたら──


「だれでも思いつくって言っただろう。護衛の連中もこの程度は想定済みだ。心配なら、外を見ていればいい」


 見かねたように続けられたシオンの言葉に、アリスは仲間たちと視線を交わすと、頭を下げて幌の中からそっと様子をうかがった──



***



 隊商に襲い掛かる賊と最初に激突したのは、前に進み出た戦士職のものたちだった。馬車の傍に控える魔術師や僧侶、あるいは弓などの遠距離武器を扱う仲間たちの援護を受けられる距離で、彼らは余裕をもって敵を迎え撃っている。

 パーティごとの戦術に長けた冒険者たちに集団戦を挑む愚を避けたのか、あるいはただ統率がとれていなかっただけなのか、思い思いに突撃してきた賊たちに合わせる形で迎撃したために、戦線は横に伸びきっている。各所で怒号と雄叫びがあがり、剣戟の音が響いた。

 当初、数で勝る賊たちが勢いに任せて冒険者たちを押し込み、劣勢に立たせているように見えた。だが、その優位は数刻ともたない。白刃が閃き、あちこちで血しぶきと悲鳴があがる。そのどれもが、襲い掛かってきた賊のものだ。冒険者たちは変わらず後衛から離れすぎないように戦っているものの、呪文が飛び交う様子はない。限りある呪文や奇跡を使うほどの相手ではない、と判断したのだろう。もちろん、前衛を見守る術師たちもいつでも援護を飛ばせるように、油断なく気を配っている。

 襲ってきた賊は瞬く間に数を減らされていたが、倒された仲間に怯みもせず、それどころか屍を踏みつけてまで戦いを止めないあたり、この規模の隊商を襲うだけの気概はあるようだ。


 そんな中、ひと際周囲の目を引く冒険者たちがいた。数での優位など微塵も感じさせない戦いぶりを見せている、二人組の女戦士だ。一人は長く美しい黒髪を背に流し、片手剣と盾を持っている。その剣は賊の粗末な防具をやすやすと切り裂き、たった一撃で明らかな致命傷を与えていた。荷馬車の中からでは判然としないが、いずれ名のある名剣か、あるいは魔法の武器だろう。武術とは程遠い、でたらめに武器を振り回すばかりの賊の攻撃も、ときにステップを踏んで避け、ときに片手に持った盾で簡単にいなし、次の瞬間には容赦なく返礼を浴びせている。強力な装備と、それに見合った実力を併せ持つその女戦士は、まさに熟練の冒険者と呼ぶに相応しいだろう。

 だが、彼女のまとう防具だけは、戦場というこの場において似つかわしくないものだった。金属製の胸当てや篭手は身に着けているものの、その下に着ているのは鎧の隙間を補うような帷子かたびらの類ではなく、裾を長く伸ばし、スカートのように広げた布製の上衣だ。ふくらんだ肩周りに、袖は手首の辺りまで伸び、咲いた花のように広がっている。フリルのついた裾から覗く下半身にはしっかりと下衣を履き、グリーヴもつけているものの、白を基調とし、自身の髪と同じ色に染めた胸当てはその上衣に違和感なく溶け込んでいて、まるで一セットのドレスのようだ。彼女が目立つ理由の大半が、この装備のせいでもあった。

 そんな黒髪の隣で戦う、もう一人の女戦士。武器を振るうたび肩を撫でるようにふわりと揺れる、ウェーブのかかったその髪は燃え盛る炎のような赤色で、身に着けている防具は黒髪のそれと色違いのものだ。深い赤を基調としている以外は、目立った違いはない。二人が明らかに違うのは、手にした武器だ。赤髪が振るっているのは、戦斧と呼ばれる両手持ちの巨大な斧。とても女性が振るえるような代物には見えないが、彼女はそれをやすやすと振り回し、賊どもの体を文字通り両断している。ともすれば、その赤色は返り血で染まったものではないかと思えてくるほどに豪快な戦いぶりだった。

 二人の戦士は、一見ただ並んで戦っているだけのように見える。だがすこし観察すれば、正反対とも言える二人の戦い方が互いを補い合うものだとわかるだろう。派手で目を引く豪快な戦斧の一撃が振るわれ、敵がなぎ倒される。その大振りの隙をつこうと進み出た賊を、黒髪の剣が切り裂く。相手が怯み、警戒するように距離をとれば、防御もなにも関係のない戦斧の一撃が、避けようのない断頭台の刃のごとく振り下ろされる。まるで言葉を交わさずとも意思が通じているかのように、ぴったりと息の合った二人の戦いぶりに、賊はかすり傷一つ負わせることもできないまま、屍を積み上げていた。

 見たところ、彼女らと連携をとっているようなものはおらず、恐らくは二人だけのパーティなのだろう。呪文の使えない戦士二人ではなにかと不便そうだが、あれだけの強さと息の合った動きができれば、違うのだろうか──


「黒髪の方、あれは君主ロードね」

「わっ」


 思いの外二人の戦いに見入ってしまっていたアリスは、突然間近でささやかれた声に驚いた。いつの間にか隣で同じように観戦していたエリィは一瞬心外そうな顔をしたが、すぐに視線を戦場へと移す。気が付くと、サラやリネットも食い入るように並んで外を見ていた。


「君主っていうと……神聖魔法が使える戦士、だっけ?」

「簡単に言えば、そうね。ただ、神聖魔法が使えるだけの戦士と君主ロードはまったくの別物よ。本来は癒やしや守りの奇跡を扱うことも相まって、仲間を守ることに長けているのが特徴の一つなんだけど……」


 エリィは嘆息すると、相変わらず次々と敵を葬る二人に呆れたような視線を向ける。


「正直、規格外ね。黒髪が動く瞬間、よぉく見てて」

「うん……」


 言われた通りに、アリスは目を凝らして黒髪の君主を注視する。その動きは軽快で、鎧や剣の重みなどまったく感じていないような軽やかさだ。今もまた、赤髪の隙をつこうとした相手に必殺の一撃を見舞おうと──


「あれ、今……」


 その一瞬、違和感を覚えたアリスがつぶやく。

 赤髪の──恐らく黒髪がカバーすることを前提として、わざと見せた──隙に振り下ろされた賊の武器が、弾かれたように見えたのだ。まるで、見えない壁にぶつかったように。そして間を置かず振るわれる、君主の鋭い一撃。相手の攻撃を防ぎ、斬り返す──言葉にすればなんの変哲もない戦い方だが、君主の振るう剣があまりに早すぎて、間断なく行われるその動作に気づけなかったのだ。

 しかし、盾を使った様子もないのに、一体どうやって攻撃を防いだのか。


「守りの奇跡よ。本来はだいたい戦闘一回分の時間、だれか一人の守りを厚くする奇跡。といっても盾や鎧で攻撃を受けたときに、完全に防ぎやすくするくらいの、ごく初歩的な奇跡なの。体が硬くなるわけじゃないから斬りつけられれば怪我はするし、革鎧なんかだと貫通しちゃうこともある。だからあたしも、今まであんまり使わなかったんだけど」


 言われてみれば、エリィが癒やし以外の奇跡を使っているところを、アリスは見たことがない。それは戦闘中に戦士と並んで前線に立つという、彼女ならではの立ち回りのせいもあった。戦闘中に集中して祈りを捧げる暇などないからだ。

 しかし、それはあの君主にしても同じはずだ。


「身を守る性質そのものは同じだけど、効果時間と範囲を犠牲にして……うーん、たとえるならとんでもなく硬い代わりに小さな盾を一瞬だけ出してるって感じかな」

「そんなことできるの? 全然違うものに聞こえるけど」

「奇跡や呪文のアレンジ自体は、そんなに珍しいものじゃないの。可能かどうかは別として、ね。すくなくとも、今のあたしやレティシアには到底無理」


 あの黒髪の君主は、それを戦闘中に咄嗟の判断でやってのけたのだ。いったいどれほどの研鑽を積めばそんな芸当が可能になるのか、今のアリスには想像すらできない。上には上がいる──そんなことは重々承知していたが、格が違いすぎて参考にすらならない。下手に彼女らの動きを真似ようとすれば、かえってメンバー間の連携に支障をきたしてしまうだろう。


「ボクらはボクらなりに経験を積んでいくしかないさ。だれだって、最初から強いわけではないからね。……おっと、そろそろ戦闘も終わりかな」


 散々屍を積み重ね、敗色濃厚な戦いに及び腰になっていた賊の一団は、一人、また一人と隊商から離れるように逃げ出し始め、程なく潰走した。だれも殿しんがりを務めるようなことはせず、我先にとちりぢりになって逃げていく様は統率のとれていない賊そのものだったが、それでも冒険者たちが護衛対象から離れられないことを見越して隊商から離れる方角へ逃げていくあたり、こうした襲撃や敗走が初めてではないことを物語っている。

 前衛で戦っていた戦士職の冒険者たちは賊の思惑通り追撃こそしなかったものの、逃げる賊の背には後衛から矢が浴びせられる。背中を撃たれ、点々と屍を晒しながらもわずかな数の賊が逃げ延びて、襲撃から始まった戦いはようやく終わりを告げた。



***



「人を襲って糧を得るような輩は、実質的に魔物と変わらない。これからボクたちがするような一つのパーティ程度の護衛なら、恨みを買って面倒なことにならないために見逃すこともあるけど、こういう大規模な隊商を襲うような連中は取り逃せば必ず同じことをやる。だから、可能な限り討ち取ってしまうんだ。全滅しなくても、再起不能なほど人数を減らせれば同じことだからね」


 必死に逃げる人の背を撃つという衝撃的な光景を目にして言葉を失うサラを慰めるように、レティシアが言う。先に襲ってきたのは彼らだし、もし護衛の方が弱ければ連中は躊躇なく殺していただろうし、積み荷は残らず略奪されていたはずだ。そんな連中に情けをかける必要はない──サラも、頭では理解しているだろう。だが、あらゆる意味でこれが初めての冒険となる彼女には、すぐに受け入れるのは難しいようだ。つい先ほどまで悪者を圧倒する先輩冒険者たちの活躍に目を輝かせていたのが信じられないほど肩を落とし、悄然としているサラに、レティシアは肩をすくめた。あるいは隊商を守って戦う英雄のような冒険者たちが、同じ手で逃げる相手の背を撃ったことがショックだったのかもしれない。

 ともあれ、戦いは終わった。護衛の冒険者たちも全員が無傷とはいかなかったようだが、いずれも軽傷で済んだようだ。パーティごとに集まって癒やしの奇跡や薬で傷を癒やしたり、地べたに座って休息をとったり──冒険者たちはそれぞれ思い思いの行動を取り始め、あたりは戦闘中とは違った喧噪に包まれた。どうやらまとめ役を含めた迎撃パーティが戻ってくるまで、馬車は動かさないようだ。

 そんな中、荷馬車の幌の中で大人しく待機しているアリスたちに、声をかけてくるものがいた。


「ねえねえ、そこの金髪のお嬢さん」


 鈴の音のように高く、涼やかで可憐な声。不思議と喧噪にかき消されることもなく耳に届いたその声にアリスたちが振り返ると、そこにいたのは──


「!」


 あの、黒髪の女君主だった。



***



「……あたし、ですか?」


 この場で唯一、金色の髪を持つエリィが、さすがに緊張した様子で問いかける。

 こうして間近で見てみれば、背丈はレティシアとさほど変わらない程度で、小柄な印象を受ける。声と同じく美しい顔立ちは、しかしどこか幼さを感じさせた。そのドレスのような衣装──近くで見ると、もはや防具などという物々しい呼び方はできなかった──も相まって、まるで夜会を抜け出してきた貴族の令嬢のようだ。とてもあの熟達した戦いぶりを示した君主と同一人物とは思えないが、皮肉なことに、その衣装こそが見間違えるはずのないものだった。

 緊張と警戒をあらわにする後輩冒険者を安心させるように、黒髪の君主ロードはにこっ、と笑った。


「うん。さっき、リンゴ食べてたよね? もしまだ残ってたら、一つ譲ってもらえないかなぁって。戦ったら喉が渇いちゃって」


 天使のような、とはこんなときのためにあるたとえだろう──こんな顔で頼みごとをされたら、並の男ならまず断れまい。

 男でもなければどこかの聖女のようなシスター以外に心動かされることもないエリィは、用件を聞いてほっとしたようにうなづいた。


「ああ、ちょっと待ってくださいね。……はい、どうぞ」


 背嚢を探ると、先ほど自分たちが食べていたものと同じリンゴを若き君主に差し出す。代金を払う素振りを見せた彼女に、エリィは首を振った。


「いいですよ、そんなに高いものでもないし。それに、さっきの戦いでは勉強させてもらいましたから」


 彼女ほどの冒険者なら、アリスたちとは文字通り桁が違うような額を稼いでいることだろう。そんな思惑はないにせよリンゴ一つで恩など売れるわけがないし、ひねくれた性格の持ち主なら馬鹿にするなと怒りだしていたかもしれない。


「いいの? ありがとう!」


 だが、黒髪の君主は好意を素直に受け取ると、愛らしい仕草でぺこりと頭まで下げてみせた。どこまで本心かは知れないが、このような人当たりの良さと素直さは冒険者には必須の信頼関係を築く上で、重要な要素であることは確かだ。

 そんなやり取りをしていると──


「おい、なにやってる」


 とがめるようにそう言って黒髪の隣に立ったのは、戦場でも同じ場所に立っていた、あの真っ赤な髪の戦士だった。やはりと言うべきか、この愛想のよい君主と同じく、彼女もまた若い女性だ。色違いのドレスをまとった二人はこうして並んでいるとまるで姉妹のようだが、赤髪の凛とした顔立ちは不機嫌な表情すら大人びた魅力を感じさせる。それでいて黒髪と同じ、可愛らしいとも表現できるドレスのような装備も違和感なく着こなしているのだから、彼女もまた女君主とは違った意味で魅力的な女性と言えるだろう。

 それだけに、戦斧という洗練さからは程遠い彼女の得物はアンバランスだった。黒髪よりも背は高いもののその体躯はアリスたちとそう変わらず、こうして間近に見ても巨大な戦斧を振り回せるような膂力を有しているとはとても思えない。

 そんな女戦士の姿を見て、黒髪の君主はぱっと花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。


「ちょうどよかった! 紹介するね、お嬢さんたち。私はメルヴィ。この子はパートナー(相棒)のミルドレッド。二人で冒険者をしているんだ」


 この場で一番幼く見える彼女──メルヴィと名乗った少女に"お嬢さん"と呼ばれるのはいささか抵抗があったが、冒険者としてあれほどの実力を見せつけられた今となっては文句を言う気すら起こらない。実際、彼女にとっては自分たちのような駆け出しなど子供同然だろう。

 明らかに年下のように見える相棒に"この子"呼ばわりされた赤髪の戦士、ミルドレッドはそれ自体に気分を害した様子はなく、アリスたちを鋭い目つきで見やる。が、すぐに駆け出しのパーティであるとわかったのだろう、大して興味もなさそうに視線をメルヴィへと戻した。


「リンゴもらったんだ。ほら、君みたいに真っ赤でおいしそう!」

「……先行したパーティが戻ってきてる。各パーティの損害をまとめたら、出発するそうだ」

「そうなの? じゃあ、せめて一口食べてから行こうよ。ね?」


 そう言って、メルヴィはリンゴを差し出すと、ミルドレッドを見上げたままそっと目を閉じた。その行動の意味を理解できたのは、当然というべきか彼女の相棒ただ一人だけで、赤髪の戦士は一瞬、不機嫌な表情を崩してたじろぐ。


「はあ!? ……ったく」


 渋々といった様子で、ミルドレッドはリンゴを持っているメルヴィの腕をつかむと、自身の髪に負けないくらい真っ赤な果実に口をつけた。しゃく、と小気味よい音がして、果汁が形のよい唇を濡らす。

 いったいなにをしようというのか、アリスたちが見守る中、相変わらず目をつむったままのメルヴィに、ミルドレッドは果肉を口に含んだまま顔を近づけると──


「あ──」

「えっ」

「きゃ……」


 メルヴィの小さく可憐な唇に、ミルドレッドは口づけをした。思わぬ展開に声をあげるアリスたちに構うことなく、ミルドレッドはリンゴを相棒に食べさせる。

 すると、それまで大人しく待っていたメルヴィが、空いている方の手で離れようとしていたミルドレッドの後ろ頭を押さえた。


「んッ……!?」


 ミルドレッドは一瞬体を強張らせたが、抵抗はしなかった。だれも言葉を発せず、奇妙な沈黙の中、ぴちゃ、ぴちゃ、と水音が鳴った。それが果実から滴った蜜の音でないのは明らかだ。

 柔らかな果肉をたっぷりと味わって、ようやく満足したのか、メルヴィはミルドレッドをゆっくりと放した。つう、と二人の間に糸が引く。

 口に残ったリンゴの果肉を咀嚼して飲み下すと、メルヴィは満足そうににっこりと笑った。


「うん、甘くておいしい!」

「……そりゃ良かったな。アタシはもう行くぞ」


 殊更なんでもない風に言って、ミルドレッドは隊商の先頭に向かって歩き出す。幌の中から見えなくなる直前、その頬がリンゴに負けないくらい真っ赤になっているのが見えた。


「私も行くね。今度街で会ったら、リンゴのお礼にご飯でもご馳走するよ。それじゃまたね、お嬢さんたち!」


 にこやかに手を振って、メルヴィは相棒の後を追っていった。

 ──取り残されたアリスたちはだれもなにも言えず、気まずい沈黙が荷馬車を支配する。さしものレティシアも、今回ばかりは"ああ、パートナー(恋人)ってそういう"……などとは言えず、口を閉ざしていた。


「……なんか、今日一番の衝撃だったわね……」

「……そうだね」


 疲れた顔でぼやくエリィに、アリスが同意する。初めての長旅と、賊の襲撃。自分たち以外の、冒険者の戦い。その中でも圧倒的な強さを見せた二人の少女。そして、彼女らの──


「強い冒険者の人って、みんなあんな風なんでしょうか……」


 普通ならまだ恋に恋する年頃であろうサラが、年相応に恥じらう乙女のように赤くなった頬に手を当ててつぶやいた。

 そんなわけはないが、実際目にしてしまってはおいそれと否定はできない。


「全員じゃないだろうが、強いやつほど変わり者も多いとは聞く。そもそも、冒険者なんて因果な商売をやっている時点で世間一般から見れば、私たちもあいつらも、大して変わらない」

「はは、確かに……」


 最初から最後までそっぽを向いて我関せずを貫いていたシオンが、身もふたもないことを言って、乾いた笑いを誘った。

 かの迷宮の街のように、冒険者は場所によってはそこで暮らすものたちにとっても必須ともいえる存在だ。だが、遺跡や迷宮の探索にしろ、なにかしらの依頼にしろ、当然のように命の危険を侵す彼らを、自らの命を切り売りしている野蛮な輩と差別的な目で見るものは決して少なくない。実際、そうしなければ生きていけないようなものがいるのも確かだ。

 アリスたちもまた、人の目を気にするような性質であれば、冒険者になどなっていない。その点だけで言えば、あの二人の女冒険者も同じことだ。

 ただ、それでも──


 いつか自分たちが彼女らと比肩するほど強くなったとしても、時と場所はわきまえよう。

 そう心に留め置くアリスたちであった──




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