護衛依頼 ー 2
「に、にせんgp……」
アリスから話を聞いたサラは、報酬額を聞くと目を丸くしてそう言った。リネットにしても同様で、言葉を失っている。
無理もないことだ。ほんの数刻前までは冒険者を志すただの娘であったサラにとって、2000gpなど見たことも聞いたこともない大金だし、それは小さな村で猟師を営んでいたというリネットも同じだろう。
唯一二人と違う反応を示したのは、エリィだった。
「いいんじゃない? なにも迷宮の探索だけが冒険者の仕事ってわけじゃないし、街の外での依頼を経験しておくのも悪くないと思うわ。それに、この金額なら迷宮に挑む前に装備を買い換えられそうだしね」
「な、なるほどぉ……」
冷静なエリィの言葉に、感心したようにサラが言った。
今回の依頼はあくまで依頼主とその荷馬車の護衛であり、戦闘が目的ではない。道中なにかしらの問題に出くわさない限り、戦闘自体が発生しない可能性もあるのだ。対して、迷宮の探索となれば魔物との戦いは避けられない。猟師だったリネットはともかく、戦いの経験がないサラは迷宮に入る前にすこしでも装備を整えておきたいところだ。
「特に異論がなければ、この依頼を受けようと思う。どうかな?」
今度は仲間たち全員に向かって、アリスが言った。新入り二人は不安そうな顔はしつつも、異を唱えることはしなかった。そしてすっかり気心の知れた僧侶と魔術師は、リーダーらしい少女の言葉に微笑みながら、沈黙を以て返す。
「……話は、まとまったみたいだな?」
成り行きを黙って見守っていたギルド長が、パーティを率いるリーダーに問いかける。アリスは振り向き、迷いなく応えた。
「はい。この依頼、受けます」
「よし。ンじゃあ、依頼書にサインしてくれ。終わったら、早速前金を渡すぞ」
話している間に用意されていたのだろう、受付台には一枚の羊皮紙が置かれていた。依頼内容と報酬額、その他細かいギルドの規約が記されたそれに、アリスはぎこちない手つきで自分の名前を書く。書類を確認し、満足そうにうなづいたギルド長が目配せすると、同じく沈黙を貫いていた受付嬢がうなづき、受付台の下へしゃがみ込んだ。ごそごそと音がしてから程なくして立ち上がろうとした彼女は、珍しく顔をしかめると中途半端な姿勢で固まった。五人分の報酬ともなれば重さも相当なもののようで、見るからに女性らしい受付嬢の細腕では持ち上げることすら難しいようだ。見かねたギルド長が手を貸して、ようやく五つ分の革袋が受付台の上に置かれた。
慣れない力仕事で乱れた呼吸を整えた受付嬢は、声だけはいつも通りに言う。その頬はまだすこし紅潮していた。
「こちらが、今回の依頼の前金になります。お一人につき1000gp。中身をご確認の上、お受け取り下さい」
アリスたちがそれぞれに前金を受け取り、その中身を見て──主にサラが──わっと騒ぎ出す様子に、ギルド長は楽しげに笑った。
「依頼の準備に使ってくれ……と言いたいところだが、ギルド《こっち》としては使い道まではとやかく言わん。宿にでも預けておくのもよし、景気づけに酒場で一杯やるのもよし、だ。──おっ?」
ふと、話の途中でなにかに気づいたように、ギルド長は小さく声をあげた。その視線は、ギルドの入り口に向けられている。つられてアリスたちも入り口の方へと振り向いたが、相変わらず多数の冒険者たちが行き交うギルド内では、ギルド長がなにを、あるいは誰を見つけたのかはわからなかった。
ギルド長がその丸太のような太い腕をあげ、こっちだ、と合図を送る。それを見て行き交う冒険者たちの間をすり抜けるように近づいてきたのは、全身を外套で覆い、頭巾を目深にかぶった人物だ。見るからに怪しい風体だったが、呼び寄せたギルド長は気にした様子もない。
「丁度よかったな。さっき話した声をかけてあるもう一人ってのが、こいつだ」
中堅どころの冒険者にも声をかけてある、とギルド長は言った。荷馬車の護衛ともなれば、一人や二人では手が回らない。かと言って駆け出しであるアリスたちだけでは心もとないのも確かなわけで、ギルド長はそのためにこの人物──依頼主の出した条件からして、恐らくは彼女に声をかけたのだ。
アリスたちが同じ依頼を受けたパーティであることを、ギルド長が外套の人物に伝える。だが、彼女は頭巾の裾を小さく揺らして、うなづくような仕草を見せただけだった。ギルド長はため息を吐くと腕を伸ばし、その大きな手で頭巾を下ろす。
「ほれ、挨拶くらいしとけって。仲良くしろとまでは言わねえが、旅の仲間になるんだぞ」
まるで人見知りの子供の世話を焼く父親のようなギルド長の言葉に、外套の人物は渋々、といった様子でアリスたちへ向き直った。
紫がかった髪色に、琥珀色の瞳。顔立ちそのものはアリスたちとそう変わらない、年若い少女のそれだったが、鋭い眼光は生来のものか、あるいはくぐってきた修羅場の数がそうさせるのか。なるほど、自分たちよりもよほど経験を積んだ冒険者というのは確からしい──見つめられただけで息が詰まるような感覚を覚えて、アリスは思った。
目の前のパーティ全員を見回してから、少女はようやく口を開く。
「シオン。戦士だ」
彼女──シオンはそれだけ言うと、アリスが挨拶する間もなく、再びギルド長へ顔を向けた。
「依頼は受ける。だが、駆け出しのお守まではできない」
その一言に、一瞬、時間が止まったように場が凍り付いた。
駆け出しのお守はできない──つまり、アリスたちでは役者が不足していると言っているも同然だ。彼女らでは、誰かを守っての行軍などできないだろう、と。
アリスがこの街に来てから今までに出会った人々は、皆親切な人ばかりだった。それはこの街と、そこに住む人々にとってなくてはならない冒険者という職業がそうさせたのかもしれないが、それでもこんな風に、辛辣な物言いをされたのは初めてだ。例えそれが事実であったとしても、ショックを受けずにはいられなかった。
だが、そんなことで落ち込んで黙り込むようでは、冒険者など務まらない。なにより彼女はパーティ全体を指して言ったのだ。リーダーとして、反論しなければならない。
しかし、アリスが口を開くよりも──さらに言えば、エリィが怒りにまなじりをつり上げるよりも、レティシアが肩をすくめるよりも早く、声をあげた人物がいた。
「彼女らのパーティは」
口火を切ったのは、意外なことに──黙って静観していた受付嬢であった。
***
その場にいる全員が、驚きとともに彼女を振り返る。注目を浴びた不愛想な受付嬢は、こほん、と小さく咳払いをして、何事もなかったように続けた。
「彼女らのパーティは、すでに複数回にわたって迷宮の探索に赴いています。地下一階ではありますが、探索範囲は順調に拡大しており、なによりも死者や欠員を出さずに成果を上げていることを、こちらでも確認しています。……さらに言えば」
淡々とアリスたちのパーティを評価を述べる彼女は、一呼吸置くと、氷のような眼差しをシオンに向けた。
「今回の依頼に彼女らを選んだのは、当組合です。それは先に述べた通り、これまで彼女たちが挙げた成果を鑑みてのこと。それでもなお不服と仰るのでしたら──」
「いや、それならいい」
もう十分だと言うように、シオンは受付嬢の言葉を遮った。ギルドが認めているのなら、それ以上言うことはない──ということだろうか。
「悪かった」
改めてアリスたちへ向き直ったシオンは、拍子抜けするほどあっさりと謝罪の言葉を口にした。ただ、いかんせんこの少女は口数が少なすぎるようだ。不愛想さでは負けていない受付嬢でも、必要なことであれば多くの言葉を紡ぐが、シオンはそれすらしない。これでは内心不満を抱えたままなのか、それとも本当に納得したのかすらわからない。
それでも、先達であるシオンから謝罪されたからには、後輩である身としては受けるほかはなかった。
「いえ。……シオンさん、確かにわたしたちは駆け出しで、あなたから見れば頼りないかもしれません。それでも、足手まといにはなりません。……今回の依頼、よろしくお願いします」
はっきりと、アリスはそう言い切った。それは真っ先に擁護してくれた受付嬢への感謝の印しでもあった。
シオンは──やはり小さくうなづくだけだ。もう用事は済んだとでも言うように、前金を受け取るとさっさとギルドを出て行ってしまった。気まずい空気がただよう中、バツが悪そうにギルド長が言う。
「あー、まぁ、なんだ。悪いヤツじゃないんだ。なんつーか、ちょっと口下手でな……。ま、まあ、腕が立つことは確かなんだ」
「……」
懸命なフォローが空しく響く。歴戦の戦士もこれには耐えかねたのか、それじゃあ後は任せたぞと言い置いて、ギルド長は執務室へ引っ込んでしまった。
白けた空気の中、レティシアがため息交じりに肩をすくめる。
「それじゃ、ボクたちも行こうか? 武器屋でサラの装備を見繕ってもらわないといけないし、長旅の準備もしないとね」
「そうね……」
「装備……剣とか、鎧とかですね!? サラ、わくわくします!」
気を取り直したサラが、嬉しそうに言った。それぞれの目的のための手段として冒険者になったアリスたちと違って、職業そのものに憧れていた彼女にとっては、その象徴である装備品も戦いの道具以上の意味があるのだろう。子供のようにはしゃぐ年下の仲間にようやくいつもの空気が戻ってきて、パーティはギルドの出口へ歩き出した。
そんな中、ふとアリスが足を止めた。すぐに気づいたエリィが、リーダーを振り返る。
「アリス?」
「ごめん、すぐ追いかけるから、先に行ってて」
「? ……わかったわ」
不思議そうな顔はしたものの、エリィはそれ以上問い質すようなこともせず、一行はアリスを置いてギルドを出ていった。
アリスは仲間たちの背を見送ると、受付台を振り返る。先ほどサインした依頼書を整理し終えたばかりの受付嬢と、目が合った。まだなにか、と言いたげな冷たい視線を投げかけられたが、もうすっかり慣れたものだ。相も変わらず不愛想な彼女に、アリスは笑いかける。
「さっきはありがとう。わたしたちを、庇ってくれて」
「……事実を申し上げたまでです。ギルドの判断に疑いをもたれると冒険者の方々との信頼関係にも響きますし、ああいった軽侮はトラブルの火種にもなりますから」
そんなことかと言わんばかりに、受付嬢はよどみなく答える。実際、あのまま放っておけばエリィあたりが怒って喧嘩になっていたかもしれない。そうでなくても、少なくともリーダーであるアリスはあの場で反論しなければならなかった。
だが、シオンの侮辱ともとれる言葉に、誰よりも早く反論したのは彼女だ。その理由が、彼女の語る通り事務的なものであったとしても。
「はい。でも、わたしたちのこと、ちゃんと見ててくれてるんだって思うと、なんだか嬉しくて」
「……それは。仕事……ですから」
珍しく言い淀むと、受付嬢はフードの裾を引っ張って目深に被りなおすと、うつむくように下を向いてしまった。こうなると、目線の高さの関係上、表情はほとんど見えなくなる。
ただなんとなく、うつむいた彼女がどんな表情をしているのか、アリスはわかった気がした。
「それじゃ、そろそろ行ってきます。依頼が終わったら、報告に来ますね」
「……はい。良い報告を、お待ちしています」
結局顔をあげてくれることはなかったが、なんだか嬉しくなったアリスは上機嫌で仲間たちの後を追って、ギルドを出ていった。その背中が見えなくなって、ようやく受付嬢が顔をあげる。
その表情は、相変わらず感情をどこかに置き忘れてきたような無表情であったが──
ほんのすこし、頬に朱が差していた。
***
シオンの最初の印象は、お世辞にもよいとは言えなかった。おそらく、彼女からの自分たちへの印象も同様に。それでも彼女が先達であり、自分たちよりも経験豊富な冒険者であることに変わりはない。今回の依頼を遂行する中で、シオンに頼らざるを得ない場面は多くあるだろう。だからせめて、アリスは彼女の様子にできる限り気を配っていた。
別段アリスたちの騒がしさが気に障った様子もなく、シオンは答えた。
「私のことは、気にする必要はない。あんたたちは、できるだけいつも通りにしておいた方がいい。今から気を張っていたら、体がもたないから」
「わ……わかりました。ありがとう」
気に障るどころか、先達らしいアドバイスまでしてくれたシオンに戸惑いを覚えながら、アリスも答える。まるで初対面のときに自分がなにを言ったか忘れてしまったような様子だが、事実、シオンはあの受付嬢に負けず劣らずの無表情のまま、馬車の外で流れていく景色をぼうっと眺めているだけだ。これはむしろ、アリスたちに興味がないと言うべきかもしれない。
隊商の馬車に乗って街を出てから今まで、シオンは必要最低限のことしか話さなかった。最初はやはりギルドでの一件が尾を引いているのかとも思ったが、はなからこちらに興味がないだけだとすれば納得がいく。それはそれで癪ではあるが、険悪な関係のままでいるよりはいくらかマシというものだろう。なにも彼女と友人になる必要はないのだから。
なんだか肩の荷が下りた気がして、アリスは気づかれないように小さくため息を吐く。今からこんな気疲れをしていては、確かに彼女の言う通り体がもたないだろう。気分を落ち着かせようと、アリスは水筒用の革袋に口をつける。早朝、出かける前に補充したばかりの水はまだ冷たさを保っていて、乾いた喉を潤してくれた。
そんなアリスを見て、なにか思いついたように中空を見上げたエリィは、自分の背嚢をごそごそと探り始めた。"戦利品"を入れるスペースを空けておくいつもの迷宮探索と違い、今回は最初から荷物を満載しているおかげで膨れ上がった背嚢から取り出されたのは──
「リンゴ?」
僧侶らしいほっそりとした手で取り出されたのは、艶やかな赤が眩しい果物だ。意外そうな表情をしている仲間たちに、エリィはにっこりと笑う。
「道中、ご飯はどうしても保存食になっちゃうでしょ? 野菜は漬物があるけど、さすがに果物はね。どの道日持ちはしないからこうやって街で買ってすぐ食べるだけになるんだけど……せっかくだし、朝のおやつってことで、食べちゃいましょ」
そう言いながら、エリィは小刀を持って慣れた手つきで皮をむき始めた。
「エリィさん、凄いです! サラ、干し肉とパンいっぱい買っちゃいました!」
「ふふ、戦士といえば肉だもんね。あたしもお肉は好きだけど、そればっかり食べてちゃだめよ?」
皮をむき終えたリンゴを木製の小皿に乗せると、エリィは揺れる馬車の中でも意に介さず、器用に切り分けていく。普通に村で暮らしていれば、何日もかけて馬車に乗って移動することなどそうそうないはずだが、もしかしたらそうした経験があるのかもしれない。それが冒険者になってからなのか、傭兵だったという彼女の両親の仕事によるものかはわからないが。
アリスがそんなことを考えていると、エリィがリンゴを乗せた小皿を差し出してきた。綺麗に切り分けられた断面は瑞々しく、甘そうな蜜でしっとりと濡れている。
「何個か切っちゃうから、先に食べてて」
「じゃあ、遠慮なく。ありがとう、エリィ」
「どういたしまして。ふふ、仲良くわけるのよ?」
まるで子供を諭すお姉さんのような口ぶりでからかうように言うエリィに、アリスも笑って返す。両隣に座る二人に小皿を差し出すと、サラはいつものように元気よく礼を言い、リネットはリンゴに負けないくらい頬を赤らめて、エリィにぺこりと頭を下げた。最後にアリスが小皿の一切れをつまむと、半分ほどをかじる。しゃく、と小気味よい音を立てて、甘い水気をたっぷり含んだ果肉から、弾けるように爽やかな香りが口腔を満たした。
「朝市で見つけてね。仕入れたばかりっていうんで、つい買っちゃったの。でも、よかったわ」
幸せそうな顔でリンゴを頬張る仲間たちを見て、エリィも嬉しそうに笑う。砂糖や茶葉といった嗜好品は貴重で、菓子の類などは相応の収入があるものか、あるいは特別な日でもないと口にできない一般人にとっては、果物も貴重な甘味だ。
手際よく切り分けたリンゴがまた一皿分出来上がると、エリィはそれを同じ馬車の隅で、話に加わることもなく黙って景色に目をやっていた同乗者──シオンに向けて、差し出した。
「はい、シオンさんの分」
「……え?」
ここにきて、初めてシオンが表情を変化させる。驚き、戸惑い、困惑──それらがない交ぜになったような顔は、ベテランの冒険者ではなく、アリスたちとそう変わらない、ただの娘に見えた。
「あれ、もしかしてリンゴ嫌いだった?」
「い、いや……」
アリスですら、シオンの初対面の印象は悪かった。すこしばかり気の短いエリィなど、あのとき受付嬢が口を挟まなければ真っ先に口論になっていたことだろう。だが、相手が悪感情を引きずらない限り、彼女もまた済んだことを気にしたりはしないようだ。こういう小ざっぱりした性格は、エリィの美点の一つだ──素直に感心したアリスは、リンゴを咀嚼しながら思った。
そしてどうやら、それはシオンにも伝わったらしい。逡巡する間はあったものの、外套の合わせ目からおずおずと手を出すと、小皿を受け取った。
「あ、ありがとう……。いただくよ」
小皿を受け取ったシオンは、落とさないよう慎重に──どこか大切そうにそれを抱えると、じっと考え込むように視線を落とした。やがて、意を決したように顔を上げると、今度は自分から口を開く。
パーティメンバーはそれぞれが思い思いにシオンのことを気にかけていたようで、自然と彼女に注目が集まる。──いまだにエリィの膝枕の上で心地よさそうに眠っている、レティシア以外の。
「……先日は、すまなかった。もしよければ、なんだが……改めて、君たちの名前を、聞いてもいいだろうか」
シオンの言葉に、アリスたちは顔を見合わせる。狙ったわけではなかっただろうが、エリィの行動はシオンになんらかの心境の変化をもたらしたようだ。
あるいはそう、単純に、純粋な好意と気遣いに対して応えるだけの感性を、元々持っていただけなのかもしれない。とはいえ、荒くれ者や変わり者の多い冒険者にとって、それはそれなりに貴重なことだ。
アリスたちの答えは、決まっていた。
「もちろん。改めて、パーティリーダーのアリスです。見ての通り、戦士です」
すこし簡素過ぎるかとも思ったが、ほかの事情は折を見て話してもいいだろう。なにせこれから依頼をともに遂行し、街へ帰るまで、話す時間などいくらでもあるだろうから。
「はい! サラです! シオンさんと会った日に冒険者になったばかりの戦士です! 戦いの経験はないですけど、頑張ります!」
「り、リネット、です……。あの、一応盗賊なんですけど、その、鍵開けとかはまだ、練習中で……。あ、ゆ、弓が、すこし使えます……」
自己紹介にはすこしばかり元気過ぎるサラから順番を回されて、リネットは顔を真っ赤にしながら、がたがたと揺れる馬車の音にかき消されないように頑張って声を出した。
「あたしは僧侶のエリィ。で、こっちのねぼすけが魔術師のレティシア。よろしくね、シオンさん」
順繰りに名乗りを聞いて、シオンはうなづく。
「私はシオン。冒険者になって、五、六年といったところだ。今回みたいに他のパーティと協力することはあったが、ずっと単独でやってきた。普段は迷宮の地下四階辺りで日銭を稼いでいる」
「よ、四階を単独で……!?」
改めての自己紹介といことで、名前と職業だけを名乗った前回よりも詳しく話してくれたのだろうが、その戦歴にエリィが驚いて声をあげた。
地下迷宮は基本的に、階層が深ければ深いほど出現する魔物は手強くなり、迷宮そのものの罠なども多種多様になっていくという。アリスよりも先に冒険者として探索を行っていたエリィとレティシアも、以前所属していたパーティでは地下二階の、それも入り口付近を歩いた程度なのだ。それを地下四階、しかもたった一人で日銭を稼ぎに行くなどと、今のアリスたちには想像もできなかった。
「あの、失礼かもしれませんけど……わたしたち、ギルド長からは中堅どころに声をかけたって聞いてて」
さすがのアリスも顔を引きつらせながら、言う。彼女の言うことが事実なら、中堅などとんでもない。だが、シオンは素っ気なくうなづいた。
「別に、間違いじゃない。私程度の奴はいくらでもいるし、やっていることは探索ではなく魔物退治だけだ。それも一人分の生活が賄える程度だから、パーティで探索するのとではわけが違う。ああ……そ、それと」
ごく当然のことだとばかりに淡々と言ったあと、シオンは急に恥ずかしそうに付け足した。
「その、堅苦しいのは、あまり得意じゃないんだ。さん付けと敬語は、なしにしてもらえると……助かる」
「……」
想像もしていなかった彼女の実力と、それまでの素っ気ない態度とは打って変わって年相応の表情を見せられて、だれも、なにも言えなかった。もしシオンが初対面のときのままの、高慢で鼻持ちならない人物だったとしても、今のアリスたちでは文句のつけようがなかっただろう。それがこうして──すこしではあるが──心を開いてくれただけでも、今回の依頼に対する不安はかなり減ったというのに。素直に喜びたいのは山々だったが、あまりに想定外の情報が矢継ぎ早に出てきて、皆混乱したように黙ってしまった。
沈黙が続き、なにかまずいことを言ったかとシオンが不安になる前に口を開いたのは、やはりと言うべきかエリィだった。気持ちを切り替えるようにふう、と一度息を吐くと、僧侶らしい柔らかな表情で、安心させるように語り掛ける。
「それなら、あたしたちも名前で呼んでもらわないと、ね。頼りにしてるわ、シオン」
「……ああ。戦闘になれば、先陣を切ろう」
どこかほっとしたように、シオンが答える。もちろんそれは、アリスたちにしても同じだった。話に区切りがついて、リンゴの残りに手を伸ばしたり、流れゆく景色を眺めたりと、それぞれが思い思いに過ごす、ゆったりした空気が戻ってくる。
「それにしても、よかったよ。蒸し返すわけじゃないけど、てっきり嫌われてると思ってたから」
「ああ、それは──」
だれにともなく言った言葉だったが、アリスのつぶやきにシオンが律儀に応えた。
「逆だ。むしろ私の方が、嫌われても構わないと思ってた」
「え? それってどういう──」
ずいぶんと話しやすい雰囲気になったシオンに、アリスが聞き返そうとした。しかし、それをかき消すように、辺り一面に大声が響き渡る。
「敵襲──ッ!」
その警告の意味するところを理解できないものは、この場にはいない。先ほどまで和やかだった空気は凍りつき、アリスたちは一切の会話も行動も中断する。
馬車の外では、張り詰めた空気の中護衛についていた傭兵や冒険者たちが、慌ただしく行き交い始めていた──