仲間たちとの出会い
騒がしかったギルド内が、一瞬、水を打ったように静まり返る。確かに大きな音ではあったが、そんなものに冒険者たちが驚いて静かになるくらいなら、誰かがとっくにやっていただろう。彼らが一様に押し黙ったのは──開け放たれた扉の奥からのっそりと現れた、男に対してだ。
その男は、見上げるほどの長身だった。身につけた鎧は派手な色に塗られ、入口に掲げられていた紋章と同じ意匠が施されている。ひと際目を引くその鎧のほか、篭手や脛当てにも砕いた宝石があしらわれ、紋様を形作るように刻まれていた。実物を見たことがない子供が騎士や勇者と聞いて思い浮かべるような、そんな恰好だ。よく見れば鎧の下に着こんでいる布地すら光沢を放っていて、その過剰にすら思えるほど見た目を重視したそれは実用性を排した儀礼的な装備のように見えたが、それをまとう筋骨隆々で頑健そのものといった肉体は全く見劣りしていない。
あとは武器さえ持てばすぐにでも戦場へ駆けだせるほど完全武装した偉丈夫は、周囲の反応に心外そうな顔をしながら、その凍りついた空気を追い払うように手を振った。仕事を続けろ、とでも言いたげに。その仕草を見て受付嬢たちは各々の仕事に戻り、押し黙っていた冒険者たちもすこしずつ口を開き始める。程なくして、先ほどまでと変わらない喧噪がその場を満たした。
鎧姿の大男はがちゃがちゃと金属のこすれる音を立てながら他の受付嬢の後ろを窮屈そうに避けて通り、アリスの目前──の、受付嬢の傍まで歩いてきた。よく見れば、その両手には羊皮紙の束がいくつも抱えられている。
すぐ近くで改めて見ると圧迫感すら感じるその巨漢は壮年らしく、短く刈り込んだ頭には白いものが混ざり、精悍な顔つきには皺が刻まれているものの、その所作も、眼光も、衰えを全く感じさせない。
男がカウンターの上に抱えていた羊皮紙の束をどさどさと乱雑に置くと、受付嬢はフードの奥から咎めるような目つきで男を睨みつけた。
「朝持ってきた依頼書だ。一通り目を通したが、認可できるのはこれだけだ」
突き刺すような視線も気にした様子もなく、男は野太く威厳のある声で羊皮紙の束のうちの一つを指し示した。
「こっちのヤツは報酬に難がある。難度に対して成功報酬がちと安いな。これじゃ受けるヤツは少ないだろう。依頼者に確認したあと、無理そうなら領主に打診しろ。最悪、仲介料を下げても構わん。それからこの村の依頼、ただの魔物退治だがここんところ頻度が高すぎる。巣を作ってるかもしれん。ウチから斥候を出して村の周囲を調べてから、改めて依頼を出せ。そうだな……斥候には元々の報酬の何割かを当てて、巣が見つかれば不足分を領主に出してもらう。大事になるからな。見つからなければ、ウチが出す。それから──」
「ギルド長」
だぼついた袖から伸ばされた、小さな手が羊皮紙を指している大きな手を押さえつけた。まるで親の手を取る子供のような光景だ。
大柄な見た目に似合わず細やかな指示を出し続けていた男が言葉を止め、受付嬢を見やる。
「あん、なんだ?」
「応対中です」
そう言って指を揃えた手の平を上に向け、受付嬢は応対中の人物──アリスを示す。壮年の偉丈夫はそう言われて初めて気づいたように、彼からすれば文字通りの小さな少女を見下ろした。
いつか巨人と相対したら、こんな気分になるのだろうか。せめて気圧されないよう胸を張って、アリスはその男を見上げる。
だが、厳めしかったその男の表情は、拍子抜けするほどあっさりとほころんだ。
「おお、すまんすまん! 朝からずっと書類と格闘してたせいでな、ちと注意力ってヤツを部屋に忘れてきちまったみたいだ。慣れないことはするもんじゃねぇな!」
そう言ってがはは、と豪快に笑う男の姿はさっきまでの威厳はどこへやら、酒場で飲んだくれるそこらの男と大差なく見える。
大きなため息を吐いて、受付嬢はもう一度咎めるようにその男──ギルド長を睨んだ。
「それが貴方の職務です、ギルド長。それにさっきの音、またドアを蹴り開けたでしょう。大工の仕事をいくつ増やせば気が済むんですか?」
「ンなこと言ったって、手が塞がってたんだから仕方ねぇだろう。それより──お前、見ない顔だな?」
ギルド長と呼ばれた男は受付の前に突っ立っている少女を、品定めするように見下ろした。金属製に比べると比較的安価な革製の防具に身を包み、片手でも難なく扱える程度の小盾に、なんの変哲もない長剣。どこにでもいる、新米冒険者そのものだ。強いて言えば、それらが買ったばかりのぴかぴかの新品ではなく、傷だらけでずいぶんと使い古された印象を受けることか。
少女はこのあたりでは珍しい黒髪を肩につかない程度に切り揃えていて、剣を持って戦う者にしては優しげな顔立ちをしている。新米にはありがちな気負いや緊張といったものは感じられず、どこか気の抜けるような雰囲気をまとっているようにも思えた。それを頼りないと捉えるかは、見る人間に因るだろう。
自分の苦情を押しのけられて顔をしかめている受付嬢から、ため息がまた一つ。彼の登場から、目の前の女性はずいぶんと人間味が出てきたように思えた。
「ちょうど今、仮登録が終わったところです。これから訓練所の場所を──」
「おお、やっぱり新入りか! 冒険者ギルドへようこそってヤツだな!」
ギルド長は嬉しそうに顔をほころばせると、自分で聞いておきながらまた話を遮られ、あからさまに不機嫌な表情で押し黙る受付嬢にも構わず、続けた。
「改めて、俺はこの冒険者ギルドの代表を務めさせてもらってる。いわゆるギルド長ってヤツだ。どれくらいの付き合いになるかはわからんが、よろしくな」
そう言って、ガントレットがはめられた大きな手が差し出される。アリスは一瞬戸惑ったが──その手を取り、握手を交わした。革のグローブはあまりに頼りない感触だったはずだが、ギルド長は新たな冒険者の手をしっかりと握ると、一つ、二つと嬉しそうに振った。
「アリスです。えっと……よろしくお願いします」
「おう、いい名前だ。堅っ苦しいのは俺も苦手でな、もっと楽にしてくれていいぞ。それでお前さん、あの迷宮に挑むつもりか? それとも街に留まって依頼を?」
「ギルド長、冒険者の活動指針に口出しするのはギルドの規約に反します。それに、それは登録が完了してからの話で──」
たまりかねたように、受付嬢が口を挟む。先に彼女が説明した通り、迷宮へ直接挑まずとも一定の活動さえしていれば、この街では冒険者として認められる。それはギルド長であっても、いやだからこそ、圧力をかけて捻じ曲げるようなことはあってはならないのだ。
「いいじゃねぇか、あとは訓練所に行くだけなんだろ? それにどっちにしろって言ってるわけじゃない。ただ聞いてるだけさ」
「しかし──」
「迷宮に、挑もうと思ってます。今のところは」
どうやら目の前の男女はまったく正反対の性格をしているようで、口論になりかけた二人の話に割って入るように、アリスは言った。
新人冒険者の宣言を聞いて、受付嬢はほんの少しだけ驚いたように目を開き、ギルド長はにやりと口元を歪めて笑う。
「いい気概だ。正直なところ、近頃は日銭を稼げりゃそれでいいってヤツも増えてきててな。危険な迷宮なんぞお断りって手合いも多いんだ。しかし今のところ、ってのは?」
「一緒に行ってくれる人が見つからないかもしれないと思って。特にアテもないし……だから、今のところ、です」
「そりゃあそうだが……。もしかして、自分で新しくパーティを作るつもりか?」
それがなにか、と言うようにうなづくアリスに、ギルド長と受付嬢は顔を見合わせた。
「あー……その、なんだ。当たり前の話だが、一からメンバーを集めるよりは募集中のパーティに入る方が早いと思うぞ。それに……」
「街に来たばかりの新人が新しく作るパーティに入りたい、という人は少ないでしょう。新人と組むのは新人だけ、ということです」
言いにくそうに言葉を濁したギルド長の代わりか、切って捨てるように受付嬢が付け加える。歯に衣着せぬ物言いに顔をしかめたギルド長は、しかし苦い顔のままうなづいた。
「まあ、そういうことだ。それに同業の俺が言うのもなんだが、職業として就くこと自体に修行が必要になる僧侶や魔術師と違って、戦士ってのは極論腕力と体力があれば務まるからな。他のヤツらは尚のこと、集まりは悪いと思うぞ」
信仰する神へ祈り、癒やしの奇跡で傷を癒やす僧侶や、難解な呪文を習得し多種多様な魔術を操る魔術師は、あらゆる戦闘、戦術において要となり得る存在だ。冒険そのものはもちろんのこと、かの迷宮に挑むのであれば必須とも言える。無論戦士とて熟達した使い手ならばその限りではないだろうが、今この場にいるのは望むべくもない、どこにでもいる未熟な戦士だった。
それでも──アリスは顔色一つ変えることなく、おだやかに微笑む。
「はい。でも、お互いに自分の命を預ける仲間ですから。自分で探したいんです」
「……そうか」
なにか思うところがあるのか、ギルド長は丸太のように太い腕を組んで唸り、押し黙る。やがて納得したようにうん、とひとつうなづいて、ギルド長は新米冒険者を正面から見据えた。
「まあ、ウチとしてはああしろこうしろって指図はよほどのことがない限りできないしな。思うようにやってみるといいさ。縁ってのは、どこで繋がるかわからないもんだしな」
「登録完了後、ギルド内の掲示板にパーティメンバー募集の張り紙を出すこともできます。希望するのであれば、後ほどお申し出を」
署名された登録書を丁寧に折り畳んで棚にしまいながら言う受付嬢に、ギルド長もうなづく。
「さっきはああ言ったが、お前さんと違って誰かから声がかかるのを待ってたり、入れるパーティを探してるヤツも少なくないからな。それと、人探しなら酒場にも寄ってみるといい。定番だが人の出入りも多いし、さっき言ったように募集待ちで暇をつぶしてるヤツもいるかもしれん。訓練所に行くついでに、寄ってみな」
「わかりました」
世話焼きな上司の話がようやく一区切りついたのを見て、最初の氷のような表情を取り戻した受付嬢は、新米冒険者に訓練場と近くにある酒場の場所と、その名前を伝えた。ひと口に酒場と言っても、酒を出す店ならこの街にはいくつも存在する。中にはごろつきの溜まり場のようになっている店もあり、そんなところに新人丸出しの少女が入ってしまえばどうなるかなど、考えるまでもなかった。
前途有望──かどうかはさて置き、これから冒険者となって街に貢献しようという若者への配慮だろう。彼らの中には、まだ子供と見られてもおかしくない年頃の者も多いのだ。それがギルドとしてなのか、この受付嬢個人のものなのかはわからなかったが。
律儀な性格なのか、改めて礼を言ってぺこりと頭を下げると、新米冒険者は出口への道を歩き出した。その背を見送ると、ギルド長はにやにやと笑いながら受付嬢を見やる。
「お前にしては、随分親切だったじゃねぇか」
「仕事ですから。それよりも、ギルドの長である貴方の態度の方が問題なのでは? 書類仕事から逃れる好機だったのはわかりますが、贔屓ともとられかねませんよ」
「おい、仕事はちゃんと終わらせただろ……。まあなんだ、先達としてのアドバイスってヤツさ。今時自分でパーティ作って迷宮に挑もうなんて気概のあるヤツは、そうそういないからな……」
ギルド長は記憶を遡るように目を細め、視線を中空にさまよわせる。その責任を背負うと決めるまでは、彼も一介の冒険者だったのだ。今でも剣の腕ではそうそう遅れをとるつもりはないが、ギルド長という肩書きと立場は、まるで自分をがんじがらめにするように付きまとい、一挙手一投足を監視してくる。
こうして後輩の背を見送るのは、そんな彼の数少ない楽しみの一つだった。
「見込みがあるんですか?」
冷たい声に現実へ引き戻されたように、ギルド長は再び視線を下げる。藍色の瞳は物怖じすることもなく真っ直ぐに自分を見つめてきて──いや、睨んできていて、彼女をよく知るギルド長の苦笑を誘った。
ギルド長という肩書きは、人を遠ざける。無礼とすら思える態度をとる彼女も、彼にとっては貴重な存在なのだが──
「さあ、な。案外ああいうヤツが迷宮の謎を解き明かすかもしれんし、明日には屍になってどこかに転がってるかもしれん。そうならないようにできるだけのことをしてやるのが、俺たちの仕事ってわけだ」
「……そうですね」
年若い彼女が受付嬢としてギルドで働き始めたのは、ここ数年のことだ。そんな短い時間ですら、その命を散らした冒険者を、彼女は数えきれないほど見送ってきた。例え迷宮に挑まずとも、死というものはどこにでも転がっている。その大口をぽっかりと開けながら、迂闊な、あるいは不運な者が転げ落ちてくるのを待っているのだ。
押し黙る受付嬢をちらりと見て、ギルド長は肩をすくめる。訪れる冒険者すべてに親身になって応対し、その死を悼むことができたのなら、どんなにいいことだろう。もしそんなことをする者がいれば、あっという間に心を病んでしまう。だから、最初からお互い必要以上に踏み込まないようきっちりと線を引いて自衛している彼女の対応は、ある意味では間違ってはいないのだ。もちろん、程度の問題はあるだろうが──
「にしても、もうちょっと愛想よくできないもんか? ここだけガラガラじゃねぇか」
アリスが去ったあと、相変わらず一人も訪ねてくるものがいない受付を指して、ギルド長が言った。もちろんその間も、他の受付は冒険者でごった返しているのも変わらず、だ。
上司からの苦言にも、若き受付嬢は涼しい顔で言い返す。
「順番待ちの列整理は業務に含まれていませんので。そんなことより、書類の追加です。依頼の審査も思ったより早かったですし、こうして"散歩をする"ほど元気が有り余っているようですので──」
受付嬢は席を立ち、後ろの棚からごっそりと羊皮紙の束を抜き出すと、呆然としているギルド長へ押しつけるように渡した。最初にギルド長が持ってきた依頼書の束の、ゆうに数倍はある量だ。
「こちら、ギルドの運営に関する書類と老朽化した施設の修繕費用の見積もり、ギルド加盟店からの冒険者割引に関する交渉と新たに加盟を希望する店主からの挨拶状です。あと先週貴方が破壊したドアの修理費の請求書」
「ぐっ……たまにやる気出したら仕事量が倍になりやがった。こりゃ今日も遅くなりそうだな……」
がっくりとうなだれつつも渡された書類を抱え、げんなりした表情で執務室へ戻りながら、ギルド長がぼやく。
「帰りを待つような奥方もいないのですから、別に良いのでは?」
「うるせえ! ほっとけ!」
容赦のない追い打ちをかけられ、負け惜しみのように吠えると、組織の長は行儀悪く足でドアの端を引っ掛けて、乱暴に閉めた。彼が出て来たときと同様、一瞬、ギルド内がしんと静まり返る。だが今度は誰に促されるでもなく、自然と声があがった。
笑い声だ。多くの冒険者にとっていつもは近寄りがたいギルド長だが、それは同じ職場で働く者も同様であるらしく、何人かの受付嬢が制服の大きな袖で口元を隠して、肩を震わせていた。馬鹿にしたり、蔑むような笑いではない。雲の上とまではいかずとも、言葉を交わすときはそれなりの緊張を伴う相手が見せた親しみのある姿への、安堵を感じる笑いだった。
それを引き起こした張本人である不愛想な受付嬢はどこか満足げに周囲を一瞥すると、相変わらず自分の担当するカウンターには誰もいないことを確認してから他の書類仕事に手をつけようとして──
「あ、あの……すいません」
冒険者と思しき若者が目の前にいることに気づいて、受付嬢は目を瞬いた。他の受付が仕事になっていないからか、あるいは単純に待っている者がいなかったからか。つい先ほど見送った、あの少女のように──
が、それも一瞬のことだ。彼女は変わらず平坦な声で、飽きるほど繰り返した言葉を述べる。
「ようこそ。冒険者ギルドへ。ご用件をどうぞ──」
***
冒険者ギルドを出て教えられた通りに道を歩いていると、目当ての酒場には容易にたどり着くことができた。訓練所を後回しにしたのは、単にギルドからだとこちらの方が近かったからだ。ちょうど昼食の時間を迎えた街は人通りも多く、足を止めたアリスの横を通り過ぎて店に入っていくものもいた。
人魚、だろうか。店先には木彫りでなにかの意匠が施された看板がぶら下がっていて、店の出入り口に設置されたスイングドア──押しても引いても開く、酒場にはよく見られるアレだ──の向こうからは、喧噪が漏れ聞こえてくる。酒場といえば主な営業時間は夜だが、この店は食事処も兼ねていて朝から店を開けている──とは、道順を教えてくれたあの受付嬢の言だ。態度こそ冷たいものの、彼女の気遣いは実に細やかだった。
ドアを押し開けて店に入ると、アリスは一瞬うっと顔をしかめた。肉を焼く香ばしい匂いと、それにかかるソースの濃厚な香り。スープや煮込み料理といった馴染み深い匂いもする。昼間だというのに酒の匂いまでするのは、酒場の面目躍如といったところか。それら一つ一つは食欲をそそるものだが、全てがない交ぜになって押し寄せてくるようなある種の熱気に気圧されるように、アリスは店の入り口で足を止めてしまった。酒場にいる客は住民と冒険者が半々といったところで、そのうちの数人が入り口に突っ立っている少女を怪訝そうな顔で見た。もっとも冒険者の視線はアリスの恰好を一瞥すると、すぐに興味を失ったように自らの食事を再開したが。
店の中にはいくつかのテーブル席と、カウンター席があった。奥には入り口と同じようなドアがつけられていて、そこに給仕が出入りしているところを見るに調理場があるのだろう。テーブル席はほとんどが埋まっていて、何人かの給仕は注文に配膳にと、客の間を忙しく飛び回るように働いている。
カウンター席は──なぜか、客がまばらだった。
「いらっしゃいませーっ! 空いてるお席へどうぞー!」
片手に料理を乗せた盆を持ち、もう片方の手で器用にもなみなみと酒が注がれた木製のマグをいくつも持った給仕の女性が、入り口で突っ立っているアリスに向かって叫ぶように声をかけた。そうしなければ聞こえないほど、繁盛している酒場というのはうるさいものだ。
ここに立っていては他の客の邪魔だという意味合いもあったのだろうが、あいにくと自分は食事をしにここへ来たのではない。そういえば、"酒場に行け"とは言われたが、行ってどうするのかまでは聞いていなかった──困ったような表情をしているアリスを見かねたのか、給仕の女性は手にした料理とジョッキをテーブルへ運ぶと、小走りでアリスの元までやってきた。
「お客さん、どうかしました?」
「あの、わたし冒険者で。パーティメンバーを探していて──」
そう言いかけると、給仕は得心がいったようにうなづいて、後ろを振り向き、カウンター席に向かって声を張り上げた。
「ママさーん! 冒険者のヒトですー! ちょっと相談があるみたいでー! お願いしまーす!」
声をかけられたカウンターの向こうで、一人の女性がその声に気づいて軽く手を振った。
「あそこのママさんが店主だから、そっちで事情を話してみて。ごめんなさいね、あたしらだとそういう話はわからないから」
申し訳なさそうに微笑むと、給仕は仕事へ戻っていった。アリスがカウンターの方を見ると、先ほど手を振った女性と目が合う。遠目に見てもはっとするほどの美人だった。小さく手招きする彼女に吸い寄せられるように、アリスはカウンターへ向かった。
近づくにつれて、なぜカウンター席だけこうも客が少ないのか、理由がわかった気がした。綺麗な人だ──単純に、それ以外の感想が出てこなかった。肩から胸元までを大胆に露出した薄手のドレスをまとい、艶やかな髪がそのはだけた肌にかかっている。たれ気味の目許は優しそうに細められていて、泣きボクロが妙に色っぽかった。薄手のドレスは女性らしい身体の線を惜しげもなく晒していて、胸の下で組まれた腕はその豊満さを強調している。夜になって酒の入った冒険者が自慢げに語る武勇伝を、微笑みながら聞くのが似合うような──そんな女性だった。
なるほど、同性すら妖しげに感じさせるほどの色香を漂わせる女性が目の前にいては、まともに食事などできないだろう。
「いらっしゃい。どんなご用かしら?」
声すらも美しく、相手の警戒心を解かせるような優しさで、酒場の女主人が話しかけてきた。現実に引き戻されたようにアリスははっとして、説明すべき事柄を整理する。
カウンター席にもまばらではあるが食事をとっている者もいたが、構わずに説明する。むしろ、広めてほしいくらいの話なのだ。
「……わたし、さっき街に着いたばかりで。冒険者ギルドで仮登録をして、今、迷宮に挑むためのパーティメンバーを探してるんです。ギルド長が酒場に寄るといいって」
「あら、そうなの……」
女主人は困ったように眉をひそめた。その仕草すら魅力的だったが、雲行きは怪しかった。
「ごめんなさいね。今、私が把握している限りでは、新しいパーティメンバーの募集を待っている人は思い当たらないわ。欠員の補充待ちなら、何人かいるとは思うけれど……」
その先を言葉にしなかったのは、女主人の優しさだろう。すでに完成しているパーティの欠員待ちということは、それなりに腕に自信がある者ということだ。
新人と組むのは新人だけ──氷のような受付嬢の言葉が思い出される。
「せっかく来てもらったのに、ごめんなさいね。私の方でもそういう人がいないか、気にかけておくから……」
「ありがとうございます」
ここはあくまで酒場であって、冒険者の斡旋所ではない。それでもそう言ってくれるのは、彼女ができる最大限の譲歩なのだろう。好意には、素直に感謝すべきだ──アリスは礼を言うと、小さく頭を下げた。
「せっかくだし、なにか飲んでいくかしら? よければ食事も用意できるけれど──」
「いえ、わたしは──」
アテが外れたとはいえ、やることはまだある。訓練所に行って審査とやらを受け、その結果をもう一度ギルドへ向かって登録しなければならないのだ。今のアリスは仮登録しただけであって、正確には冒険者ですらない。
気を遣わせてしまったことを申し訳なく思いながら、そう断ろうとしたのだが──
「ねえ、ちょっといいかな?」
思わぬ言葉に、アリスは女主人を見て──相変わらず優雅に微笑んでいるその視線の先を追った。
そこにいたのは、アリスとそう変わらない年に見える少女だ。カウンター席で食事をとっていた客の一人だった。僧侶や魔術師がよく着る布のローブをまとい、その上から金属製の胸当てをつけている。腰にはメイスと盾を下げていて、一見して僧侶だとわかる恰好をしていた。魔術師は魔力の流れが遮断されることを嫌って、装飾品以外の金属製品を身につけることはほぼないからだ。
席を立った少女は豪奢な金髪を背に流し、自信に満ちた勝気そうな表情でアリスを正面から見据えた。
「急にごめんね。話、聞こえちゃった」
悪びれもせず僧侶はにっこり笑ってそう言うと。
「あたしはエリィ。見ての通り僧侶で、あなたと同じ冒険者をしてるの。よかったら、あなたが募集してるパーティに参加させてもらえないかな?」
***
「それは、もちろん……こっちからお願いしたいくらいだけど。でもわたし、まだ迷宮に入ったこともなくて」
アリスにとっては渡りに船の提案だったが、安易に受けるわけにはいかない。相手が自分のことをどう思っているかわからないのだ。もしかしたら、パーティメンバーを募集するほど──つまりリーダー役を率先して引き受けようとするほど、経験豊富なのだと思っているのかも、と。
エリィと名乗った僧侶は笑ってうなづいた。邪気の感じられない、人懐っこい笑みだ。
「聞いてた聞いてた。さっき街に着いたばかりなんだって? あたしたちもそれなりに経験はあるけど、腕利きってほどじゃないし。本当はどこかのパーティに混ぜてもらうつもりだったんだけど、一から経験を積み直すっていうのも、悪くないかなって思って」
「あたし、たち?」
溌剌と話すエリィの言葉を聞きとがめ、アリスが問うと、彼女は言われて初めて気づいたようにはっとした。
「そうだった! ごめんごめん、黙ってるつもりじゃなかったんだけど。魔術師の連れがいてね、パーティにはその子と二人で参加させてほしいの。見たところあなたは戦士みたいだし……もう魔術師の席が埋まってるなら別だけど──」
前衛で剣をとって戦う戦士。戦いで負った傷を癒やす僧侶。そして、攻撃や補助など様々な呪文を操る魔術師。パーティの職業バランスで言えば、最適と言えるだろう。
問題は、その魔術師とやらの姿が見えないことだ。
「それは大丈夫。まだ、わたし一人だから。でもその魔術師って──」
「……それはもしかして、ボクのことを言っているのかな?」
今度は背後から声がかかった。ここに来てから落ち着く暇もないな──そう思いながら振り返ったアリスが見たのは、エリィと同じローブをまとい、腰帯に短杖を差しただけの素っ気ない恰好をした少女だった。お揃いの防具──というわけではなく、単に同じ安価な装備を身につけているだけだろう。
唯一違っていた、日差しを嫌うように目深に被っていたフードを下ろしながら、その魔術師は二人の間に歩いてきた。綺麗に切り揃えた深い青色の髪を揺らしながら、すこし不満げな表情で、その少女はエリィに向き直る。エリィと違ってだぼついたローブのせいで気づかなかったが、ずいぶんと華奢で小柄な体型のようだ。
「ちょうどよかった! この子が今言ってた魔術師で──」
「ちょっと待って。なにが丁度いいのさ? エリィ、また勝手に話を進めていたね?」
不満そうな連れにも構わず、機嫌よく話を続けようとしたエリィを、小柄な魔術師はわざわざ手を上げて止めた。そうでもしないと強引に話を進められてしまうのだろうか。
「前にも言ったよね。ボクのいないところで勝手に話を決めないでって」
「それは……悪かったけどさ。でも、アンタが来るの遅いんだもん。彼女、もう帰っちゃいそうだったし」
「引き留めれば済む話じゃないか。それに、ボクは待ち合わせの時間通りに来たよ。……もうご飯も食べちゃってるし」
エリィの席にある、粗方平らげられた料理の皿を見て、ふう、と魔術師がため息を吐く。それを見て、ようやくエリィは渋々と謝罪の言葉を口にした。
「……ごめんなさい」
「わかってくれればいいさ。それで──長々と失礼をしたね。どういう話なのか、説明してもらってもいいかな?」
魔術師は蚊帳の外だったアリスへ向き直って一言謝ると、友好的な態度を示すように微笑んでみせる。
この酒場にきて、この説明をするのは何度目だったか──大して長くもない事情を語ると、魔術師はふむ、と考えるように腕を組んだ。
「なるほど、それは願ってもない話だね。ボクたちにとっても、恐らく──キミにとっても」
キミ、というのはもちろんアリスのことだ。アリスがうなづくと、ようやく同意を得られたエリィがぱっと表情を明るくした。
「でしょ!? だからあたしが──」
「申し出た、と。ボクの加入を、本人の了承も得ずに?」
「う……で、でも、いつも一緒なんだし、いいじゃない……」
「……あのね、エリィ。ボクが言っているのは、最終的に彼女のパーティに加えてもらうよう申し出たことではなくて、ボクがいない時にそういった話をしないでほしいってことだけなんだよ。分かり切ったことでも、同意を得てからにしてほしいんだ。いかに幼馴染だからと言っても、礼儀として、ね」
優しく諭すように言われて、エリィはそれ以上反論しようとせず、うつむいた。
「……ごめん」
悄然とした様子で謝るエリィに、魔術師は困ったように苦笑する。
「謝るのは一度でいいよ。……というわけで、自己紹介が遅れたね。ボクの名はレティシア。見ての通り、魔術を学ぶ者だ。扱える呪文は初歩に毛が生えた程度で、迷宮は地下一層を一通りと、二層をすこし、すくう程度に歩いたくらいだ。キミの名前も、聞いてもいいかな?」
すらすらと自己紹介をし、エリィの時にはなかった己の力量や迷宮での経験まで付け加えたレティシアの言葉に、なるほど冒険者の名乗りとはこういうものかと思いながら、アリスも名乗る。
「わたしはアリス。今日街に着いたばかりで、冒険者ギルドには仮登録をしたところ。パーティメンバーを探すなら、ここに寄った方がいいって言われて来たの。訓練所にはこのあと行こうと思ってたんだけど……一応、戦士ってことになるのかな」
ぎこちないアリスの自己紹介に、レティシアは満足げにうなづいた。
「では改めて。この少しばかりせっかちな僧侶と一緒に、キミのパーティに加えてもらえないだろうか?」
「もちろん。喜んで、歓迎するよ」
アリスが手を差し出すと、だぼついたローブの袖の奥から華奢な手を伸ばして、レティシアが握手に応じる。次いでエリィにも握手を求めると、彼女はバツが悪そうに照れ笑いを浮かべながら、その手をしっかりと握った。
「……お話は、まとまったかしら?」
ひと際優しげな声に、なぜかエリィとレティシアの二人はびくりと肩を震わせて、声の主へ振り向いた。
「あ、ああ……ごめんなさい、ママさん。すっかり話し込んでしまって。ええと、そうだな……なにか歩きながら食べられるものを二人分、包んでもらってもいいですか?」
さっきまでとは打って変わって丁寧な口調で、レティシアはそう言うと、カウンターの上に何枚かの貨幣を置いた。
「ふふ、かしこまりました。このまま訓練所に向かうのね? 怪我をしないように、気をつけて、ね」
女主人が給仕を呼んで、レティシアの注文を伝える。本来はエリィと二人で食事の約束をしていたようだが、肝心の当人が先に済ませてしまっている上にこのあとの予定もできたのだ。訓練所へ向かう道すがら、空腹も癒やしてしまおうということだろう。
「色々ごめんね、ママさん。夜にまた寄らせてもらうから」
「ああ、それはいいね。我らがリーダーはお酒はイケる口かな? そうでなくても、この酒場が出す料理はどれも絶品でね。よほど腕のいい料理人を雇っているみたいだ。夕飯は楽しみにしてていいよ」
「はいはい、褒めたって冒険者割引以外に値引きなんてしませんからね」
冗談ぽくそう言って注文の包みを一つレティシアに渡すと、女主人はもう一つの包みをアリスに差し出し、微笑んだ。そこらの男なら一発でノックアウトされそうな、極上の笑みだ。
「アリスちゃん。私は直接お役には立てなかったけれど、仲間が見つかって本当に良かった。貴方たちの活躍と……ふふ、ご贔屓にしてくれることを祈っているわ」
「はい。ありがとうございます、ママさん」
ほんのりと温かい包みを大切そうに受け取って、アリスは酒場の女主人に丁重に頭を下げた。役に立たなかったなどとんでもない、ここに来て彼女と話していたからこの出会いは在ったのだ。
「よし! それじゃあ訓練所に行って、それからギルドで登録ね!」
「仕切らない仕切らない。リーダーは彼女だよ」
張り切るエリィと、彼女を窘めつつ寄り添うように立つレティシア。思わぬ縁で得た仲間を頼もしげに見て、アリスは言った。
「うん。それじゃあ、行こう」
──こうして、彼女らの冒険譚は始まろうとしていた。
その果てに得るのは栄光か、はたまた数えきれないほどの財宝か。あるいは、暗く冷たい永遠の眠りか。それとももっと、別のものなのか──
この時点では、まだ誰も、知ることはない。