護衛依頼 ー 1
幌から垂れ下がったカーテン代わりの布が揺れ、涼しげな風が吹き抜ける。隙間から見える空は雲一つない晴天で、日よけもなく歩いていれば汗をかいていたかもしれない。
アリス、エリィ、レティシア──そして新たにパーティに加わったサラとリネット。五人は今、街道を行く幌馬車の荷台の中にいた。荷台から見える景色はのどかなもので、時折がたごとと鳴る小さな振動に眠気すら誘われるほどだ。こくり、こくりと舟をこぐサラの頭が揺れに任せて荷台のふちにぶつからないよう、アリスは彼女の肩を着ている鎧ごと抱き寄せた。
「あうっ……。ご、ごめんなさい」
「眠かったら、無理しないで寝ててもいいんだよ。今のわたしたちは"荷物"だからね」
そう言って、アリスは対面に座るエリィ──の、膝の上ですやすやと眠る魔術師を示した。出発が早朝だったせいで寝ぼけ眼だったレティシアは、エリィに支えられて荷台へ上がるなり、そのまま幼馴染の膝に頭を乗せて寝てしまったのだ。初めて行動を共にするリネットはレティシアの突拍子もない行動に目を丸くしたが、彼女が朝に弱いことをよく知っているアリスらにとってはいつものことだ。断りもなく膝の上を占拠されたエリィも、気にする素振りすら見せない。それどころか、幼馴染の青い髪を梳くように撫でながら、その心地よさそうな寝顔を見て優しげな笑みを浮かべている。
なんだかんだ言って、仲がいいのだ、この二人は──微笑ましい幼馴染たちから視線を外し、アリスは隣に座るもう一人の仲間に声をかけた。
「リネットは大丈夫?」
荷台から見える外の様子を落ち着かなさそうに見ていた赤髪の少女は、一瞬びくりと肩を震わせ、恐縮したようにうなづく。
「は、はい……。あの、私、馬車ってほとんど乗ったことがなくて。なんだか、緊張しちゃって……」
小さな村の住民などは、街から街へと移動する馬車に乗ることなど滅多にない。彼らはむしろ、その土地の特産品や農作物を仕入れるため年に数度訪れる行商人や、旅人を迎える側なのだ。狩りの獲物を取り引きするために時折街を訪れていたという元猟師のリネットも、故郷の村との行き来はすべて徒歩だったという。実家は大きな商家だというレティシアが、揺れる車内で慣れ親しんだ寝床のように心地よさそうに眠っているのはそういった違いもあるのかもしれない。
「目的地に着いたら、そこから帰るまではほとんど歩くことになると思うから、それまでの辛抱だよ。レティシアは文句を言うかもしれないけど」
アリスの軽口に、リネットは眉を八の字にしてくすりと笑った。言われてるわよ、とにやにやと笑いながらエリィが幼馴染の頬をつつくが、まったく起きる素振りを見せないレティシアに、仲間たちはまたくすくすと笑う。宿で働いていた時から知っているサラと違い、アリスたちと知り合ってから日の浅いリネットだったが、順調に打ち解けられつつあるようだ。控えめながら笑みを見せるリネットの様子に、アリスは内心安堵していた。
「……」
ごそり、と荷台の隅でなにかが動く。アリスらパーティメンバー以外の、唯一の"荷物"が身じろぎしたのだ。瞬間、和やかだった空気が張り詰める。仲間たちが皆一様に表情を硬くする中、アリスが声をかけた。
「すみません、シオンさん。騒がしくしてしまって」
シオンと呼ばれたその人物は、全身を覆い隠すように外套を身にまとっている。馬車に乗ってからひと言も発さず、アリスたちの会話にも加わらなかったシオンは、目深に被った頭巾の奥から琥珀色の鋭い視線をアリスへ向けた──
***
事の発端は二日前、サラとリネットがパーティに加入したその日だった。サラの訓練所での適性検査を無事に終え、冒険者として、そしてパーティメンバーとして正式に登録手続きを行うために冒険者ギルドへ戻って来た一行を待っていたのは、相変わらず愛想の欠片もないいつもの受付嬢と──
「おう、戻ったか」
その後ろで窮屈そうに立っている、派手な鎧姿の偉丈夫──ギルド長だった。思わぬ人物の登場に、エリィとレティシアは顔を見合わせる。彼は基本的に受付奥にある執務室に籠っていることが多く、こうして冒険者たちと直接顔を合わせる機会はそう多くない。そのせいで、ギルド長の存在は知っていても顔を見たことがないという冒険者も少なからず存在するほどだ。一度見れば、派手な装飾が施された鎧とそれを着込んだ巨躯、そして豪快な所作と、そうそう忘れられない人物なのだが──
「こんにちは、ギルド長」
いつもの調子で挨拶をするアリスの後ろで、リネットがぎょっとした。突然出てきた最高責任者の名前のせいか、それともアリスの気安さのせいか──たぶん両方だろう。
対するギルド長も、気にする素振りもなくニッと笑うと軽く手を上げ、挨拶を返す。
「おう。すこし見ない間に、いっぱしの面構えになってきたじゃねぇか」
「そうですか? よくわからないけど」
相変わらずぼんやりした顔で、首をかしげるアリス。確かに傍から見ればその姿は、最初にここを訪れたときとそう変わらないように見える。ギルド長も細かく説明するつもりはないのか、曖昧に笑った。
「そういうもんだ。探索の方も、順調らしいな」
「はい。まだ一階だけど……二人とパーティを組めて、本当に良かったと思ってます」
そう言って、アリスは後ろを振り返る。二人、とはもちろんエリィとレティシアのことだ。エリィは照れくさそうに笑うとアリスの肩を小突き、レティシアは悪戯っぽく笑うとリーダーの傍に寄り、自身の華奢な腕を絡ませる。
「嬉しいね。もちろん、ボクたちも同じ気持ちだよ」
すこし見ない間にずいぶんと距離の縮まった駆け出しの冒険者たちを見て、彼らの先達でもあるギルド長は豪快に笑った。
「仲も良くなって結構結構! そこでだ、そんなお前らにちょっと頼みたいことがあるんだが……」
そう言いかけて、ギルド長はアリスたちの後ろで所在なさげに立っている二人──サラとリネットを見る。
「その前に、まずは新入りの登録だな。ほれ、ほったらかしになってるぞ、リーダー」
「あ、ごめん──」
はっとしたアリスは二人を振り返り、謝った。エリィやレティシアとの仲が深まるのは良いことだ。だが、それが原因で今日からパーティへ加入する彼女らとの間に溝を作ってしまうわけにはいかない。本来なら、リーダーである自分から気をつけるべきだった。
サラは訓練所で発行された証明書を提示し、冒険者としての登録を行ったのちアリスたちのパーティへ加入登録を行うことになる。すでに冒険者登録を終えているリネットはパーティへの加入登録だけだが、どちらにしろ立ち合いは必要になるだろう。ギルド長の言った通り、まずは手続きを済ませてから全員で話を聞くべきか──?
すこし考えて、アリスは言った。
「エリィ、二人についててあげてくれるかな? その間に、わたしとレティシアで話を聞いておこうと思うんだけど」
仲間に任せるのも、信頼の証だ。アリスはそう結論づけた。メンバー個々の特性を把握し、役割を決めるのはリーダーの役目である、とも。もっとも、今回の場合はそんな大げさな話ではない。単純に、忙しい中時間を作っているであろうギルド長を無為に待たせるのも悪い気がしたからだ。
任せて、と快く引き受けたエリィは二人を促すと、すっかり顔なじみになった受付嬢に手続きを頼んだ。愛想こそ欠片もないものの、仕事に一切の妥協を許さない彼女に頼めば心配はないだろう。
むしろ、問題なのは──
「それで……頼みたいことって、なんですか?」
ギルド長直々のご指名だ。先ほどは迷宮の探索が順調であることを褒めてくれたものの、だからと言って自分たちがわざわざ名指しで仕事を頼まれるほど成長したとはとても思えない。丁度人数が増えてパーティらしくなってきたものの、加入した二人の冒険者としての実力は素人同然だ。
そんなアリスの警戒が伝わったのだろうか、ギルド長は苦笑しながら話し始めた。
「そう構えるなって。実は、お前たちに請け負ってもらいたい依頼があってな──」
***
「護衛、ですか?」
その巨躯を見上げながら、訝しそうに聞き返したアリスに、ギルド長はうなづく。
「ああ。ここから馬車で二日ほどのところに、小さな街があってな。冒険者組合もないくらい、小さな街だ。当然、居着いてる冒険者も多くない。なもんで、前々から手に負えない依頼をウチが代行することもよくあったんだが」
今回の依頼もその一つだ、とギルド長は言う。
冒険者というものは、とかくどこの街や村にでもいるものだ。だが組合となるとそうはいかない。数多くの冒険者が集い、彼らに対する依頼が集まって管理する必要があるからこそギルドが設立されるわけで、その順序が逆になることは決してないのだ。小規模な街では多くの冒険者が食いつなげるほどの依頼や探索場所がない場合が多く、冒険者はいるがギルドは存在しない、という街は少なくない。
ちなみにそうした街では、依頼は良くも悪くも人の出入りが激しい酒場で管理されることが多い。とはいえ大抵の場合は掲示板に依頼を貼り出すだけという、冒険者が依頼を請け負う場を提供しているだけだ。ギルドのように仲介料を取らない代わりに、なにかしらのトラブルがあっても補償もしない。冒険者ギルドのない街では、そうした仕組みが一般的だった。
しかし、それでも手に負えない依頼というのは発生しうる。例えば、魔物が大量に発生して討伐のための戦力が足りない──そうした場合、他の街に助けを求めることも珍しくない。
「……前置きが長くなっちまったな。要は、ウチに回ってきた依頼をお前たちに頼みたいって話だ。肝心の依頼内容だが、依頼主──つまり護衛対象だな──はその街から更に二日と半日くらいの距離にある、別の街までの移動と、その道中の護衛を希望してる。荷物は荷馬車一台分だから、護衛としては小規模な部類だな」
「それだけなら、特に手に負えないような話には聞こえないけど。その小さな街とやらは、よほどの人手不足なのかな?」
黙って話を聞いていたレティシアが言った。歯に衣着せぬ物言いに、ギルド長は苦笑する。
「ああ、いや、そうじゃない。まあ人手不足なのは確かだろうが……問題はそこじゃねえ。一つだけ、依頼主がつけてきた条件があってな……」
「条件?」
ギルド長は腕組みをすると、気難しげに唸る。鎧姿の巨漢が黙ってそうしているとかなりの迫力と威厳があったが、続く言葉はそれらにまったく似合わないものだった。
「護衛につく冒険者は全員が女性であること、だそうだ」
「はあ……?」
あまりに突拍子もないその"条件"とやらに、レティシアが珍しく胡乱な声をあげた。ギルド長はばつが悪そうに頭をかくと、言い訳のように続ける。
「どうも、依頼主は良家のご息女ってやつらしくてな。まあ……男の冒険者を護衛につけるのはまずいってわけだ」
「……ああ、なるほど」
ひと口に冒険者と言っても、その内情は実に様々だ。アリスたちのように探索と自己研鑽に励む、ごく一般的なものもいれば、探索や依頼がもたらす金にしか興味のないものもいる。食い詰めた元傭兵やゴロツキ同然のものも少なくない。後者のような連中は自らの、あるいは冒険者の評判など気にも留めないし、ギルドが定めた規則に反しないギリギリのところで悪事を働くことすらある。冒険者、と聞いてそうした連中を思い浮かべるものは多く、特に貴族など上流階級の人間にとっては、冒険者など皆けだもののようなものと断じる輩も少なくない。
その"良家のご息女"とやらがどれほどの地位にいるのかは知れないが、男の冒険者を雇って万が一にも"間違い"が起こったりしたら、取り返しがつかないのだろう。だからこそ、そんな条件を出してきたというわけだ。
「ただでさえ多くない冒険者を更に選り好みしようって話だ。向こうじゃ頭数が揃わなかった」
「それでこっちに話が回ってきた、と。確かに、ボクたちみたいなパーティには打ってつけの依頼だね」
やれやれ、とばかりにレティシアは肩をすくめた。
「依頼主がいる街までは、別の隊商に便乗する形で向かうことになる。そっちには別で護衛がついてるから、行きの心配はしなくていい。実質依頼主と合流してから目的地までの二日半が仕事になるわけだが、出発地点が元々行商や旅人が立ち寄るほどの街でもないからな。目的地までの道のりで賊と出くわすことも、そうそうないはずだ」
この街には、迷宮で得られる貴重な武具や魔法の宝物を取引するために多くの行商人や隊商が訪れる。そのため、道中の護衛として冒険者が雇われることも日常茶飯事だ。そしてわざわざ金銭を支払って護衛をつけるということは、積み荷を狙う輩もそれだけ多いということでもある。
だがそれも、迷宮という無尽蔵に宝物を生み出し続け、そしてそれを目当てに冒険者が集い、結果様々な需要が常に存在し続けるというある意味異質なこの街ならではでもある。商人や旅人の行き来がさほど多いわけでもない街道に張り付き、大した実入りも期待できない一台の荷馬車を襲うような輩は滅多にいないだろう。獲物が通りかかるのを待つ間に飢え死にしては、元も子もない。
「わたしたちにできることなら──」
「待て待て、話は最後まで聞くもんだ。まだ報酬の話もしてないだろう」
ある意味冒険者にとって一番重要な部分を確認もせず引き受けようとしたアリスを、ギルド長がたしなめる。そういえば、と頬を赤らめるリーダーに、くく、と小さく魔術師が笑う。責めるつもりはなかった。困っている人がいれば、手を差し伸べずにはいられない──これは彼女の欠点ではあるが、同時に美点でもある。長所になるかどうかは微妙だが、なに、そのために自分が傍についているのだ。
「合流地点まで二日、そこから目的地まで二日半、片道は約五日ほど。帰りは来た道をそのまま引き返すなら、合計で十日……徒歩ならさらにかかるわけだけど。ギルド長、目的地はどこなのかな?」
ギルド長が答えた街の名に、ふむ、とレティシアは考え込む。どうやら彼女の頭の中の地図にも記載されている場所のようだ。
「そこなら引き返すよりも、依頼を終えたらそのままここへ戻ってきた方が早いね。徒歩だと三日くらいかな」
「そうだな。報酬の受け渡しもこっちでやることになってるから、そのあたりは問題ないぜ。帰りのアシをどうするかは、任せることになるがな」
「ボクとしては帰りも馬車でお願いしたいところだけど。それで、報酬は?」
問われてにやり、と意味ありげにギルド長が笑う。
「まず前金で一人頭1000gp。さらに成功報酬で、ここへ戻ってきたらもう1000gpだ」
思わぬ金額に、アリスは目を丸くした。1000gpともなれば、三人で一日迷宮で戦ってなんとか稼げるかどうかといった金額だ。もちろんそこから人数分に分けるから、一人あたりの取り分はもっと少ない。しかも成功報酬でさらに1000gp──パーティ五人全員分と考えると、実に一万gpという大金だった。長距離を移動するために支度金はかかるだろうが、それを考慮しても破格の報酬と言えるだろう。特に、自分たちのような駆け出しのパーティが引き受ける依頼なら。
何事もなければ、道中にかかる日数は約八日。仮に今まで通り二日に一度のペースで迷宮を探索したとして、四日間で一人あたり2000gpを稼ぐのは今の自分たちには難しいだろう。しかも、そのうちの三日近くはただ馬車に乗って移動するだけで、戦う必要もなければ命の危険もない。いや、そもそもギルド長の話通りであれば依頼全体を通しても戦闘がある可能性自体そう高いものではないのだ。報酬の金額と安全性──迷宮の探索で得られるものと天秤にかけて、どちらに傾くかは明白だった。
ただ一つ、懸念があるとすれば──
「ずいぶんと太っ腹なことだね。そこまで好条件だと逆に怪しくなってくるけど……?」
「もちろん、確認済みだ。積み荷に妙な物は入ってないし、依頼主も身なりのいいただの子女。というか、変な依頼を寄越してウチとの関係がこじれたら、困るのは向こうの街だからな」
だからと言って依頼の精査に手抜かりなどしないのが、ギルドの役割だ。ギルド長直々ともなれば、これ以上信頼性のある保証もないだろう。
「ああ、それとな。もう一人、中堅どころに声をかけてある。さすがにほとんど未経験のお前らだけに任せるわけにはいかないからな」
報酬は人数分あるからそこは安心してくれ、とギルド長は付け足した。確かに、自分たち五人だけでは万が一の事態に陥ったとき、依頼主を確実に守り切れるとは言い切れない。迷宮での戦いと地上で、しかも背中に守るものを抱えた状況とでは勝手が違いすぎる。
報酬にも影響しない戦力の増加であれば、手放しで喜ぶべきだろう。ふむ、と可愛らしく小首をかしげて、魔術師は情報を吟味した。比較的長期間にわたる、街の外での依頼。これは純粋にマイナス要素だが、迷宮の探索で得られるそれとはまた違った経験が積めると考えれば、そう悪いことでもないだろう。報酬は破格で、危険性が高いわけでもない。依頼そのものの確実性も、ギルド長のお墨付きだ。となれば──
「どうする、リーダー。ボクとしては、引き受けても問題はないと思うよ」
「うん……」
アリスはうなづいたが、即答はしなかった。つい先ほど咎められたことを反省したのか、考え込んでいるようだ。とはいえ、こうして内容を聞いた限りでは考えるまでもない好条件のはずだが──
「すみません、ギルド長。他の皆にも話してからでもいいですか?」
アリスの応えを聞いて、レティシアは得心した。彼女が思案していたのは依頼の内容ではなく、引き受けるか否かを皆に聞いてからにするかどうかだったのだ。もちろんアリスはパーティのリーダーなのだから、この場で返事をしてしまっても別段文句を言われたりはしないだろう。それに、これだけの好条件であれば反対されることもないはずだ。
それでも、アリスは皆に話してから返事をすることにしたのだ。たとえ最後に決断するのが自分であっても、それを仲間たちの知らないところで決めることはしない、と。ともすれば優柔不断ともとられかねないアリスの選択に、レティシアは嬉しげに目を細めて微笑んだ。
どう伝わったかはわからないが、アリスの返事にギルド長もうなづく。程なくして手続きを終えた仲間たちに、アリスは今聞いたばかりの話を伝えた──