狩人
「では、私は業務に戻りますので、これで。お話が終わりましたら、受付の方まで報告をお願いします」
いつものように素っ気なく言うと、受付嬢は二人──アリスと、リネットと呼ばれた少女を残してその場を辞した。
「……」
リネットは席から立ち上がったまま、気まずそうに視線をさまよわせている。眉を八の字にしておどおどと不安げにしているその様子は、最初に受けた印象とはまったく違う内気な少女のそれだった。
このまま黙っていても、話は進まなさそうだ──そう思って、アリスは自分から声をかけることにした。
「初めまして、リネット。わたしはアリス。パーティのリーダーをしています」
「あっ、は、初めまして……」
声をかけられてびくりと肩を震わせたものの、リネットはすぐに挨拶を返した。甲高いが決して不快には思わない、小鳥のさえずりのような声だ。その表情には、すこしだけ安堵の色がうかがえる。緊張しているのか人見知りをするたちなのか、自分から話しかけてくることこそないが、話をする気自体はあるようだ。
もっとも、そうでなければパーティに加わりたいなどと申し出たりしないだろうが──
「ええっと……とりあえず、すこし話をしようか。隣、いいかな?」
「はっ、はい、どうぞ……」
ひと言断ってアリスは椅子の一つを移動させ、隣に並べて腰を下ろすと、リネットもそれに倣う。二人で隣り合わせに並んで、テーブルにつく形だ。対面に座っては喋りにくいだろうと思ってのことだった。
こうして間近で見てみると、やはり整った顔立ちをしている。もっとも最初に受けた大人びた印象はどこにもなく、テーブルに視線を落とし、膝の上に置いた手を不安そうに握りしめるその様子は、とても迷宮探索へ挑もうという冒険者のものとは思えなかった。
彼女が身につけている装備にしてもそうだ。アリスは盗賊というものがどんな装備をつけるのか詳しくは知らないが、平服の上からつけている革製の胸当て以外目立った防具を身に着けている様子はなく、あまりにも軽装過ぎるように思えた。下半身には腿の付け根近くまでしか丈の無い下衣を穿いていて、むき出しの腿には小物入れと小刀を差した帯が巻きつけられている。
だが、一番目を引くものと言えば──
「リネットは弓を使うの?」
彼女が背負っているそれは、一般的に短弓と呼ばれる小型の弓だ。大型の弓と比べると射程こそ劣るものの、その小ささゆえに取り回しがよく、迷宮内で扱うにはこちらの方が適していると言えるだろう。とはいえ素材に使われている木材は年季を感じさせる樹皮のような濃い色に変わっており、迷宮探索のために買い換えたというよりは、長年使い込んだものをそのまま持ってきただけかもしれない。
話しのとっかかりとしては、無難なところだろう。話しかけるたびにびくりと小さく肩を震わせるリネットが、アリスの質問にこくこくとうなづいた。
「は、はい……。あの、私、元々は猟師をやっていて……山奥の、小さな村に住んでいたんですけど」
なるほど、それで弓か。口に出すとこの内気な元猟師の少女が話を止めてしまいそうだったので、アリスはうなづくにとどめた。同時に、彼女のこの恰好にも合点がいく。確かに、獲物を追いかけて素早く移動したり、あるいは木々や草むらに隠れて何時間も潜んだりするような猟師なら、このような格好の方が適しているだろう。むしろ冒険者が身に着けるような鎧など、邪魔になるかもしれない。
それにしても、猟師から冒険者に鞍替えとは。アリスは急かすことなく、続きを待った。
「私、父と二人で暮らしていて……。あっ、父も猟師だったんですけど、私なんかよりすごく腕の立つ狩人で、弓の使い方とか、獲物の獲り方なんかも、全部父に教わって……」
若干たどたどしくはあるが、リネットは懸命に喋り続ける。よほど父親を尊敬しているのか、暗かった表情がすこしだけ明るくなってきた。
だが──
「で、でも……すこし前に、村が、流行り病に見舞われて。それで、父も……」
「……」
流行り病、と一口に言っても様々だ。栄えた街や都市であれば薬や医者で対処が可能な病でも、小さな村では命取りになることが多い。彼女の村を襲った病魔がどんなものだったのかアリスに推しはかることはできないが、山奥の小さな村では外部から医者を呼んだり、薬を買ってくることすらままならなかったのだろう。
「自分が病に罹ったことに気づくと、父はすぐ私に、村から離れるようにと言いました。お前の弓の腕があれば、どこででも食べていけるから、と。……最初は、反対しました。病に罹った父を放って自分だけ逃げるなんて、嫌でしたから。そうしたら……」
一旦言葉を切ると、そこで初めて、リネットは笑顔を見せた。困ったような、呆れたような──苦笑に近い、柔らかな笑みだ。
「今まで生きてきて一番、すごい剣幕で怒られて。ほとんど追い出されるような形で、家を離れたんです」
「……優しいお父さんだね」
自分がもう助からないと承知の上で、娘の命だけはと心を鬼にしたのだろう。誰だって、死ぬのは怖い。その上誰にも看取られず、一人で苦しみながら朽ちていく道を選ぶことなど、並大抵の覚悟ではできないことだ。それを病に罹ってすぐに決断したというのだから、よほどの人物だったのだろう。そして、娘を深く愛していたに違いない。
リネットは嬉しそうにすこしだけ口元を緩めると、こくん、とうなづいた。
「母を亡くしてからずっと、男手一つで私を育ててくれました。不器用で、無口で、いつも怖い顔してて。でも……私を愛してくれていました。私は、そんな父が大好きで、尊敬してて……」
「……そっか。君が恥ずかしがり屋さんなのも、お父さん似なのかな?」
そう言われ、最初とは打って変わって自分の口がずいぶんと滑らかになっていたことに気づいたリネットは、顔を真っ赤にした。饒舌になったのは、きっと話題のせいだろう。
「あ、う……そ、そうかも、しれません……」
「ふふ。……それで、この街に来て冒険者になったの? その……猟師から冒険者になるって、あんまり想像つかないけど」
「はい……。頼るような親族もいなかったし、さすがに他の街へ移り住むようなお金もなくて。この街には何度か獲物の革や肉を売りに来たことがあって、そのときに聞いたんです。冒険者としてなら、この街は大抵の人を迎え入れてくれるって」
なるほど、リネットが冒険者になったのは、単に他の選択肢が多くなかったからというわけだ。いくら猟師とはいえ、そこらの野山に一人で生きていくわけにはいかないだろうし、他の街に移り住むとなればきちんとした身分を証明するものや、そこに住むための土地や家を買うお金が必要になる。どちらも、山奥の小さな村に住んでいた者に用意できるものではない。冒険者の登録料とて決して安くはないが、それらに比べればはるかに現実的な選択肢だったと言えよう。
不意に、リネットは表情を曇らせた。
「た、ただ、その……訓練所で、職業の適正を見てもらったんですけど……。その時に、冒険者の職業としては盗賊に分類されることになるって言われて。でも私、鍵開けとか、罠の解除とか、そんなの全然したことなくて……」
泣きそうな声で、リネットは言い募る。
冒険者としての職業は、大きく四つに分けられる。武器を持って前衛に立つ戦士、多種多様な呪文を操る魔術師、信仰する神への祈りで神聖魔法を行使する僧侶──そして、鍵の解錠や隠し扉の発見、罠の解除など、ある意味では探索に欠かせない盗賊だ。たとえどんな武器や呪文を扱えようと、この街の冒険者として登録する場合はこの四つに当てはめられる。それはギルドや訓練所が登録者の能力を保証するための、最大限の措置だった。リネットがどういう判断でもって盗賊として登録されたのかはわからないが、すくなくとも呪文や奇跡は使えないだろうし、かと言って戦士を名乗るにも前衛に立って弓を構えていては、多くの場合戦士に求められる役割を果たすことはできないだろう。
つまり彼女は、盗賊として登録されてはいるものの、その技術は素人同然ということだ。自発的に学ぼうとでもしない限り、鍵開けだの罠の解除だのといった技能が日常生活で身につくわけもないので、当然といえば当然ではある。
「そっか。だから、駆け出しのわたしたちのパーティに参加しようと思ったんだね」
「ご、ごめんなさい……」
恐縮したように謝るリネットに、アリスは安心させるように笑いかけた。
「謝ることじゃないよ。駆け出しなのは本当だし、わたしだってこの街にきて冒険者になって、まだひと月も経ってないんだから……ああ、そうだ。今度は、わたしたちの話もしないとね」
パーティメンバー募集の張り紙を出したのは、アリスたち三人がパーティを結成した直後だ。それから日にちはさほど経ってはいないものの、変わったこともある。自分たちが幾度かの探索を経験し、そしてなにより今日、新たな仲間を迎え入れたことを、話しておくべきだろう。
アリスは要点を掻い摘んで、リネットに話し始めた。
***
「そういうわけで、今ほかの二人と一緒に、新しいパーティメンバーが手続きをしているところなんだ。その子も戦いの経験はないし、わたしたちもまだ一階で経験を積みながら、すこしずつ探索範囲を広げてるところ。だから、盗賊としての技術もこれから練習してもらう形で大丈夫だと思う。ただ、稼ぎについては正直どうなるかちょっとわからないんだけど……」
単純に考えれば、頭数が増えれば一人当たりの取り分は少なくなる。だが、人数──つまり戦力が増えた分、今までよりも稼ぎの総額が増えれば、結果的に各々の取り分が増える可能性もあるのだ。問題は、まだ剣も握ったことのない戦士と、元猟師の盗賊が加わったことでどれほどの戦力増強になるかだが……こればかりは、やってみなければわからない。
「それでもよければ、わたしたちのパーティに加わってほしい。どうかな?」
笑みを収めたアリスが正面から見つめると、リネットは顔を赤らめたまま居住まいを正し、両手をぎゅっと握った。まるで緊張を顔全体で表現しているような強張った表情だったが、リネットはアリスの視線を正面から受け止め、真剣な眼差しで答えた。
「よ、よろしく、お願いします……!」
たどたどしく、しかし確かにそう言って、リネットは深々と頭を下げる。アリスは表情を緩めると、頭を上げたリネットに手を差し出した。
「こちらこそ。これからよろしく、リネット」
「は、はい……」
おずおずと、リネットは差し出された手を取り、二人は控えめな握手を交わした。
あとは登録を済ませれば、これでパーティは五人になる。ほかのメンバー──エリィやレティシアなら、きっとそれぞれの方法で親交を深めてくれるだろう。誰とでもすぐ仲良くなるサラは言わずもがな、だ。その辺りは特に心配してはいなかったが──人数が増えれば、パーティを率いるリーダーとして、負うべき責任も大きいものになる。まだまだエリィやレティシアに知恵を借りることにはなるだろうが、いつまでも今のままではいられない──
そんなアリスの胸中など知るはずもないリネットが、深々とため息を吐いた。緊張が解けてどっと押し寄せた疲れに押し出されたような、そんな吐息だ。
「どうしたの?」
「あっ、ご、ごめんなさい……! あの、私、断られたらどうしようって、ずっと悩んでて……ほっとしちゃって、つい……」
咎められたと思ったのか、リネットは慌てて謝りながら言った。盗賊に求められる役割は、時にパーティの運命を左右することもある。歴戦のパーティが凶悪な罠一つで壊滅することもあるし、隠し扉を見つけられないばかりに先の階層に進めず、足止めを食うこともあるだろう。そんな役割を、素人同然の技術しか持たないものに任せたいというパーティは少ない。
だからこそ駆け出しのパーティであるアリスたちを選んだのだろうが、それでも断られる可能性はゼロではなかった。ギルドからの支度金もあるとはいえ、そう何日も実入りのないまま過ごせるほどの貯えがあるようには思えないし、かと言って彼女一人で迷宮に立ち入るなど自殺行為に等しい。それこそ、"戦利品"を換金しに行ったときに衛兵が言っていたように、街中のゴミを拾って食いつなぐような生活を送るはめになっていたかもしれない。
そんな不安から解放されたからか、リネットは──何気なく、その言葉を口にした。
「もう、帰るところもないし……」
それを聞いた瞬間、アリスは固まった。ショックを受けた、ようにも見える。
そうだ。リネットには、帰る場所はない。遠く離れてはいても、故郷があり、そこで両親が待っているエリィやレティシア、サラとは違う。仮に家に帰ったとして、待っているのは骸となった父親だけだろう──
「……稼ぎが安定したら、弔いにいかないとね」
震える声で慰めるようにアリスが言うと、リネットは──なぜか、困ったように笑った。眉を八の字に下げて、呆れたような──いや、諦めたような。
「あ、いえ。それはもう、大丈夫です。家も、父も……もう、ありませんから」
「え?」
奇妙な言い方だ。父親を亡くした、ならまだわかる。流行り病に侵されて、一人家に残ったのだ。もう、生きてはいないだろう。それにしても、家も、父親も、"もうない"とは。
隠すつもりじゃなかったんですけど、とリネットは話した。
「家を出たあと、どうしても父が心配で……それに私、今まで故郷を離れて暮らしたことがなかったから、不安なのもあって。数日の間、すこし離れた山の中でキャンプしてたんです。それでも、やっぱり離れる決心がつかなくて、家に戻ったら……」
アリスは、黙って続きを待った。なにも、言えなかった。
「家が焼け落ちて、なにもなくなってました。きっと、私を追い出してすぐ、父が火を放ったんだと思います。病を広げないためか、私が戻ってきてしまうのを見越していたのかは、わかりませんけど……」
「……」
アリスは目を見開いて、言葉を失っていた。彼女の境遇に驚き、衝撃を受けたのだろう。──傍目には、そう見えた。
この場にレティシアでもいれば、気が付いたかもしれない。その見開かれた両の瞳が、目の前のリネットではなく、別のなにか──見ただけで体を強張らせ、言葉を奪ってしまうほどのなにかを、映していることに。
だが、今ここにいるのは、今日知り合ったばかりの少女だけだ。
「……だから、帰る必要はもう、ないんです。きっと父も、それを望んでいないと思いますから……。……あ、あの、アリスさん……?」
話の途中からまったく反応がなくなったアリスに、さすがに不審に思ったリネットが声をかける。まるで夢から醒めたように、アリスははっとする。
「……あ。ああ、ごめん……。つらいこと、聞いちゃったね」
取り繕うように、アリスが言う。早鐘を打つ鼓動と、噴き出した冷や汗を悟られないようにしながら。
「リネット。帰る場所は、なくなってしまったかもしれないけど……今自分がいる、居場所なら、作れると思うんだ」
次第に落ち着きを取り戻したアリスは、いつもの柔らかな笑みを浮かべて、リネットに言う。それは、紛れもない本心でもあった。
「わたしも、きっとほかのみんなも、君を歓迎するよ。これから、よろしく。リネット」
じわっと、リネットの視界がにじむ。目許を指で拭うと、相変わらず赤くなった顔のまま、リネットは答えた。
「はい……! よろしく、お願いします。私、精一杯、頑張ります……!」
感極まった声で、しかしはっきりと、リネットは言った。
こうして、元猟師の盗賊というすこし変わった来歴を持つ少女、リネットが仲間が加わり、アリスたちは五人のパーティとなった。これによって、彼女らの迷宮探索は大きな変化を迎えるだろう。それが良い方向に転ぶかどうかはともかく、それ自体は皆が確信していたことだ。
だが、その"変化"は思わぬ形で、唐突に訪れることになる。