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迷宮の街  作者: 諸葉
14/22

少女の夢

 故郷を離れて冒険者となるべくこの街を訪れたものの、とある事情から宿屋の従業員として働くことになった少女、サラ。年齢や性別に見合わないその長身と、普段なら男手を必要とするような力仕事もなんなくこなす頑健な体は、半ば彼女の事情に同情して面倒を見ることにした女将の予想をはるかに超えて、宿の運営に貢献していた。

 しかし、この少女のもっとも優れているところは別にある。誰にでも、どんなときにも明るい笑顔で接し、挨拶を交わす。たったそれだけのことだったが、迷宮の探索や魔物との戦いで疲れた体を引きずって宿へと帰ってきた冒険者たちにとって、温かく出迎えてくれる者がいったいどれほどの癒やしになることか。取り分けその分け(へだ)てのなさは、それぞれが様々な事情を抱える冒険者にとって、得難いものだ。

 当初、女将は路銀を持たせてサラを故郷へ帰すつもりだった。だが今となっては、彼女がこの街を離れることを残念がる者は多いだろう。この宿屋にとって、サラという少女はそんな存在になっていた。

 そして今、それが別の形で実現しようとしていた。


「……」


 手渡されたずっしりと重たい袋を大切そうに抱え、それに視線を落として黙り込む様子は、普段のサラとは別人のようだ。冒険者になるという当初の目的が思わぬ手段で達成されようとしているわけだが、とても喜んでいるようには見えない。むしろ、諦めかけていたものを突然手渡されて困惑しているような──そんな様子だった。


「ねえ、さすがに話が急すぎたんじゃない? 別に今すぐ答えを出さなくても……」


 気の毒に思ったのか、エリィがそう言うが、アリスは首を縦には振らなかった。


「確かに、時間をかけてよく考えた上で物事を決めるのはいいことだと思う。でも、その選択が困難な道であればあるほど、時間をかけた分だけそれを選び取ることは難しくなると思うんだ。それがずっと、望んでいたことや目指していたものであったとしても」


 サラは冒険者になるために、この街を訪れた。それにどんな意味があるのか、あるいは冒険者になってなにがしたいのか。詳しい事情をアリスは知らなかったが、それがどのようなものであれ、真っ当に生きていくことの方がよほど楽なはずだ。ちょうど、この宿で働いている今のように。もちろん、ただ生きていくだけでも困難に直面することは多々あるだろうが、すくなくとも日常的に命の危険に晒されるようなことはないはずだ。そして、そのような道を自ら選んだ変わり者として、時に人々から奇異の目で見られることも。

 冒険者は決して華々しい職業ではないし、叙事詩に歌われるような冒険をして、恵まれた人生を送れるものはごくわずかだ。それでもその道を選び、あるいは選ばざるを得ない理由がある。そうした者が、冒険者となるのだ。


「それは……そうかもしれないけど。でも、だからって──」

「ちょっと、いいかしら?」


 口論になりかけたエリィとアリスに割って入るように、背後から女性の声がした。振り返ったアリスの背後にいたのは、この宿の運営を取り仕切る女性だ。

 アリスは彼女から、サラが冒険者になるためにこの街へきたこと、しかし登録料が足りなかったために宿で雇っていること、いずれは故郷へ帰すつもりであることを聞いていた。そしてその時、釘を刺されたのだ。もしも彼女を(そそのか)して、冒険者にさせるようなことをしたら──と。


「女将さん」

「ごめんなさいね。話はだいたい聞こえていたわ。私があれこれ口を出すつもりはないけど、この子は今はまだ、ウチの従業員なの。どうするつもりなのか、話を聞かせてもらってもいいかしら?」


 そう言って、女将は厳しい視線をアリスへ向けた。口約束ですらないとはいえ、彼女にしてみれば信用を裏切られたも同然なのだ。無理もないかもしれない。


「もちろん。元々、女将さんには後できちんとお話するつもりでしたから」


 対するアリスは平然とうなづくと、ひとまず座ろうと二人に手振りで示す。

 後で話す──それはつまり、どちらに転がっても女将が知るのは結果だけということだ。元々女将はサラになにかを強制するつもりはなかったが、それでも褒められたやり方ではない。生半可な話では納得しないぞと、女だてらに宿の主人として多くの冒険者を相手にしてきた女将はそう心に決めると、ロビーにある長椅子へ腰を下ろした。


「サラちゃん?」

「えっ……。あっ、ごめんなさい……!」


 心ここにあらずといった様子で立ち尽くすサラに女将が声をかけると、はっとしたように少女はその隣へ座った。先ほどまでの話も、聞こえていたのかどうか──


「さて、話をしようにも本人が決めかねている状態だ。ここはひとまず、なぜ彼女をパーティを誘おうと思ったのか、その理由を説明してみてはどうかな、リーダー?」


 全員が席につくと、レティシアが口火を切った。いつもなら自分たちのパーティに関することであれば、アリスに代わって滔々(とうとう)と語っているところだ。しかし、今回ばかりはアリス本人の口から、その考えを聞かなければならなかった。今回の一件は、言わばアリスの独断専行だ。咎めるほどのことではないにしろ、理由を確かめておかなければならない。


「そうね。っていうか、あたしたちもどうしてサラなのかってところは聞いてないし」


 エリィが同調すると、アリスもうなづく。テーブルを挟んで向かい側に座った女将とサラへ向き直ると、アリスは話を始めた。


「二人とももう知っていると思うけど、わたしたち三人は冒険者としてパーティを組んで、迷宮の探索をしています。探索したのはまだ二回だけで、どちらも地下一階の入り口付近を歩いただけだけど、そのどちらも大きな怪我もなく戦果を持ち帰ることができました。稼ぎも、決して少なくはないと思っています。すくなくとも、わたし個人が300gpを渡せる程度には」

「確かに。三人とも馬小屋じゃなくて、ちゃんと部屋を借りてくれてるものね」


 女将が言った。この宿屋には、いくつかの部屋のランクとは別に、寝床として馬小屋が貸し出されている。寝具らしいものは藁しかないし、馬と一緒に寝るわけだから臭いなどもひどい。それでも宿代すら払えないような新米冒険者がせめて夜露をしのげるようにと、女将の厚意によって無料で開放されているのが馬小屋だ。実際、そこを利用する冒険者も決して少なくはない。アリスたちとて、もしも稼ぎが悪ければお世話になっていたところだ。

 継続して宿代が払えているということは、それだけ安定した稼ぎがあるということの証左でもある。うなづくと、アリスは続けた。


「冒険者として、ただ暮らしていくだけなら今のままでも十分なんだと思います。そのうち経験を積んで、装備や道具を買いそろえればもっと稼ぎもよくなる。でも、それじゃだめなんです。わたしたちは、日銭を稼ぐために迷宮へ行くわけじゃない。わたしたちには、迷宮の深層を目指す理由があります」

「それは……領主様のお触れのこと?」


 "迷宮へ挑み、魔物が湧きだす原因を調べ、その謎を解明すること"──この街で活動する冒険者すべてが請け負うことになる、領主から発行された依頼(クエスト)だ。この街は表面上、そのためにほぼ無制限に冒険者を受け入れている。それは、冒険者でなくともこの街で暮らす住民ならば誰もが知っていることだった。

 もっとも、それが名目上の理由に過ぎないことも知られているが──


「それもあります。でもそれとは別に、わたしたちにはそれぞれに深層を目指す理由があるんです。でも、今のまま三人で探索を続けても、深層にはたどり着くことすら難しい。だから、わたしたちには新しいパーティメンバーが必要なんです。冒険者ギルドでも募集の張り紙は出してもらっているけど、今のところ音沙汰はありません。わたしたちみたいな駆け出しのパーティに自分から参加しようっていう人は、ほとんどいませんから。だから──」

「だから、サラちゃんを誘ったの?」


 女将の言葉に、アリスはうなづいた。


「はい。でも、誰でもよかったわけじゃないんです。わたしがサラを誘ったのは──」


 アリスはサラに視線を向ける。相変わらず手元に視線を落としたままの少女は、ここまでの話を聞いても反応はなかった。

 構わず、アリスは続ける。


「わたしたち三人とも、面識があったからです。もちろんわたしたちだけじゃない、この宿を利用している冒険者なら、きっと皆知っています。サラが明るくて素直で、いつも一生懸命に宿の仕事をしてて。誰にでも分け隔てなく接してくれる、とってもいい子だってこと。もしわたしたちとパーティを組んだとしても、きっとうまくやっていけると思ったんです」

「……そうね。それについては、否定のしようがないわ」


 嘆息しつつ、女将は隣に座るサラへ優しい視線を送る。その眼差しは、まるで母が我が子を見るようなものだった。


「あと、レティシアとは個人的に交友があったみたいだし」

「ああ……時間がある時、たまに部屋で話すくらいだったけどね。知っての通り、ボクの話はなが~いから。どんな話でも興味津々に聞いてくれるサラの存在は、ボクにとっても貴重だったんだ」


 そう過去形で言ったレティシアは、ため息を吐いた。この話がどう転んでも、その貴重な聞き役は失われてしまうだろう。


「……レティシアさんのお話は、サラの知らないことばかりで。色んな物語や、冒険者さんたちのこと、この街の迷宮のこと……たくさんのことを、教えてもらいました」

「……そうだね。色んなことを話した」


 ぽつり、ぽつりとつぶやくように言うサラに、優しくレティシアが答える。女将にしろレティシアにしろ、こうして優しく接するのは彼女が子供だからではなく、その普段の行いからだった。本当に、この宿に関わるもの皆に好かれているのだ、この娘は。だからこそ、その進退をこうして心配されもするのだが。


「ねえ、サラ」


 アリスが名を呼ぶと、うつむいたままだったサラが顔を上げる。その表情は迷いと困惑と、どこか怯えのようなものが見えた。普段の彼女を知っているだけに、それは痛々しくもあるほどだ。

 その表情を見てアリスは逡巡したが、その問いを口にした。


「君はどうして、冒険者になりたいと思ったの?」


 聞いておかなければならなかった。アリスとてこうして誘いはしたものの、それはあくまでサラが自分たちの求める条件と合致した存在だからというだけだ。無理に勧誘するつもりはなかったし、冒険者となり、今のところ順調に活動を続けている自分たちが、それでも世間一般から見ればどういう存在なのかも理解している。

 だから、確認しておかなければならない。あるいはそうすることで、彼女の中でなにかしらの踏ん切りがつくかもしれない。例えそれが、どのような決断であったとしても。


「サラは……」


 アリスに問いかけられたサラは、まるで大切なことを今の今まですっかり忘れていたことに気づいたように、ぽかんとした表情でつぶやいた。しかし、それもすぐに思い出せたようだ。サラは目を伏せると、ゆっくりと語り始めた。


「サラは、小さい頃から色んなお話を聞くのが好きでした」



***



 母がベッドで寝物語に聞かせてくれた、悪い魔物を退治してたくさんの宝物を得た勇者の話。たまに故郷の酒場へ来る吟遊詩人が歌う、邪悪な竜を討伐する竜殺しの英雄(ドラゴンスレイヤー)の英雄譚。お気に入りの本に書かれた、さらわれたお姫様を助け出す王子様の物語。

 幼いサラは、誰かから語られ、あるいは書物に記された物語に心を躍らせた。自分もいつか、物語に語られるような冒険をしたいと思うようになった。それは、誰しもが子供の頃に抱く夢だ。そして、成長して現実を知り、大人になって世界を知ると、いつの間にか手放してしまうものだ。

 けれど、サラはその夢を手放すことができなかった。

 同じ年頃の子供たちとごっこ遊びをする時、お姫様や王女様ではなく、勇者や戦士の役をやりたがるサラを、男の子たちは変な奴だと笑った。大人になったら冒険者になるのだという男の子たちに混じって、剣に見立てた木の枝を振り回したりもした。幼い頃は、そうしていても変わった娘だとすこし笑われるくらいだった。

 けれど。


「大きくなると、みんな……女の子は家の仕事を手伝ったり、男の子は働くための勉強をするようになりました。サラみたいに冒険者になりたいなんて言う子は、今はもう一人もいません。パパにもママにも、女の子なんだから、いつまでもそんなことを言っていちゃいけないって言われました」


 それは、ごく当然の、どこにでもある話だった。なにもサラの両親が、子供の夢を奪おうとしているわけではない。よほど裕福な家でもない限り、十を過ぎた頃から大抵の子供はいずれ継ぐことになる親の仕事を手伝うか、あるいは奉公に出るための準備を始める。そうして数年経って一人前の"大人"になるのだ。そうならなければ、困るのは本人なのだから。サラの両親も我が子を思ってのことだったのだろう。

 その点でいえば、実家が大きな商家であるレティシアや両親が傭兵だというエリィの方が特殊な例だった。


「でも……サラは、諦められませんでした。いつか強い戦士になって、悪い魔物をやっつけて、たくさんの人を救うんだって。子供の頃から同じ年頃の子たちの中では一番背が高かったし、力比べなら男の子にだって、負けたことはなかったんです。これはきっと、神様がサラを応援してくれてるんだって思ってました」


 アリスがちらと隣席のエリィを見ると、敬虔な僧侶はあたしに聞くなとばかりに顔をしかめた。当然だ、彼女は神の信徒であって神ではないし、今この場で自らが信奉する教義を説くわけにもいかない。


「わかってたんです、本当は。パパとママが正しくて、周りの子たちの方が普通なんだって。おかしいのはサラの方なんだって。でも、ある日この街の噂を聞いて、居ても立っても居られなくなって……」


 お小遣いを握りしめて故郷を飛び出したんです──サラはそう締めくくった。あとは聞いた通り、路銀が尽きたところで偶然にも行商を営む女将の夫と出会い、街まで連れてきてもらったのだと。子供の小遣い程度では、大した距離は移動できなかっただろう。この街へたどり着けたのは間違いなく幸運だっただろうが、彼女の人生にとっては、果たして同じことが言えるものかどうか。

 話を聞き終えて、一同は重たい空気の中押し黙った。冒険者になることに反対していた女将ですら、うつむくサラを沈痛な面持ちで見つめるだけだ。

 いつも元気いっぱいで、誰にでも明るく接するこの娘が胸の内に秘めていたものが、こんなにも真剣な情熱と、そして苦悩だとは思いもしなかったのだ。皆──それほど年の違わないエリィやレティシアですら、結局は彼女を子供だと思っていたのかもしれない。

 ただ──この場にいる一人だけは違った。


「ねえ、サラ」


 アリスはもう一度、少女の名を呼び、顔を上げさせる。今にもこぼれ落ちそうなほど目に涙を浮かべるサラを、正面から見つめた。


「迷っているのは、わたしたちのパーティに入ること? それとも、冒険者になること?」


 アリスがサラに出した条件は、登録料を肩代わりすることと引き換えに、自分たちのパーティに加入することだった。それは自分たちにとっても、恐らくはサラにとっても悪い話ではなかったはずだ。それなのに、サラは手渡された登録料を持ったまま、沈黙を続けている。こうして事情を聞き終えても、結局のところなぜ迷っているのか、なにを決断しかねているのかすら話していなかった。


「……わからないんです」


 普段のはきはきとした喋り方とはまったく違う、蚊の鳴くような声でサラが言う。


「この街に来れば、冒険者になれるって、思ってました。でも、冒険者になるにはお金が必要で……女将さんにお世話になって、お金を貯めることになって。いつか冒険者になるんだって思いながら、毎日一生懸命、宿のお仕事のお手伝いをしました。でも……」


 とうとうこぼれ落ちた涙が、ぽた、と少女の膝を濡らした。


「結局それって、故郷にいた頃と変わらないんです。いつか夢を叶えるんだって言いながら……自分に言い訳しながら、暮らしてるだけで。もしかしたら、もうとっくに諦めてたのかもしれません。だから……アリスさんに誘われた時、急に……怖くなったんです」


 この街で暮らしていれば、程度の差はあれ冒険者と接する機会は必ずある。ましてや宿の従業員ともなれば、毎日顔を合わせることになるだろう。中には気の合う人もいるかもしれない。そうでない人もいるかもしれない。そんな彼らと接するうちに、唐突に、それはやってくるのだ。


「朝、挨拶してお見送りした冒険者さんが……夜になっても、次の日になっても、帰ってこないんです。ここでお世話になるようになってから、何度も、何度もありました。帰ってこなくなった人の部屋を片付ける、お手伝いをしたこともありました。お部屋は皆、いつもと変わらないんです。探索に使うもの以外の荷物は置きっぱなしで……帰ってくる、つもりで……みんな……」


 ぽろぽろと涙をこぼしながら、サラは声を震わせる。

 あの迷宮で消息を絶った冒険者は数知れない。アリスたちも、昨日壊滅したパーティの救出を手伝ったばかりだった。結局最良の結末には至らなかったものの、それでも彼らはまだ幸運だったのだろう。全滅して誰の助けも得られないまま、物言わぬ骸となって散っていく者たちの方が多いはずだ。

 朝見送った人が、帰ってこない。たったそれだけのことだ。この街で冒険者に関わる仕事をしている者ならば、いずれは慣れなくてはならないことだ。しかし、その冒険者になることを目指す少女にとっては、あまりにも残酷な現実だっただろう。自分も同じ末路を辿らないという保証はない。そんな恐怖にただの娘が、夢や憧れだけで打ち勝つのは決して容易ではない。


「そっか……」


 納得した様子で、アリスはうなづいた。その表情は静かで、しかし諦念も悲嘆も浮かんでいない。


「確かに、あの迷宮に挑めば怖い思いもたくさんすると思う。怪我をすることだってある。それが命に関わるようなものになるかもしれない。自分じゃ解決できないことだって、あの迷宮にはいっぱいある。でもね、サラ」


 アリスは、パーティを率いるリーダーは、優しく微笑んだ。


「君は一人で冒険者になって、一人で迷宮に行くんじゃない。わたしたち、皆で行くんだよ。怪我をしたら、エリィが癒しの奇跡で治してくれる。わからないことがあったら、レティシアに聞いてもいい。怖くて一歩も動けなくなったら、わたしが手を引くよ。泣きたくなったら……うーん、エリィの胸を貸してもらおう。レティシアもそうしてた」


 最後の余計なひと言に、両隣に座る仲間たちから小突かれて、リーダーは笑った。怖いものは怖い。しかしそれは、仲間たちと分かち合い、和らげることができるのだと言うように。


「あの迷宮で待ってるのは、吟遊詩人が歌うような、華やかな冒険譚とは程遠いものかもしれない。でも、あそこにはまだ誰もたどり着いたことのない場所がある。誰も見たことのないものが、きっとある。だから、サラ」


 アリスは席を立ち、言った。


「わたしたちと一緒に、それを見に行こう」

「……っ。サラは、サラは……っ」


 涙を流し、嗚咽を漏らしながら、少女は立ち上がる。


「サラは……背が高くてっ、頑丈で……力比べなら、誰にも負けませんっ……! でも、剣を、握ったことも、なくて……魔物も、見たことすらなくてっ。もしかしたら、怖くて、足がすくんじゃうかも、しれません……っ。それでも、それでも……連れて行って、くれますか……?」


 嗚咽を堪えながら、懸命に、サラが言う。

 アリスは首を横に振り、答えた。


「違うよ、サラ。連れて行くんじゃない」


 アリスは少女に向かって、右手を差し出す。


「一緒に行くんだ。わたしと、エリィと、レティシアと、サラと。四人みんなで、行くんだよ」

「……っ! はいっ……!」


 差し出された手を握って、サラははっきりと返事をした。それはもう、憧れの冒険をただ夢見て暮らす少女のものではなかった。


 サラはわんわんと声を上げて泣いた。それは宿の外まで聞こえるような泣き声だった。

 けれど、それを責めるものも、痛ましげに見るものも、この場にはもういない。その涙は、彼女が勇気を振り絞り、夢への第一歩を踏み出した証だったのだから。



***



「ようこそ、冒険者ギルドへ」


 制服のフードを目深に被った不愛想な受付嬢が、受付の前に立った者へ向けて、何度も繰り返した言葉を事務的に、冷たく言った。同時にさり気なく、目の前に立つ人物を観察する。

 落ち着いた色合いの平服の上に、心臓を守る革の胸当てだけをつけている。防具らしきものはそれくらいで、冒険者というにはあまりに軽装に過ぎる装備だった。身に着けた服もあちこちにほつれやすり切れがあって、見る者にはあまり良い印象を与えないだろう。

 と、そんな感想などおくびにも出さず、お決まりの文句を続ける。


「ご用件をどうぞ」


 あまりにも冷たい声に気圧されたのか、その人物は躊躇うように口ごもったが、恐る恐る一枚の羊皮紙を受付に差し出すと、言った。


「あの、パーティメンバー募集の張り紙を、見たんですけど……」


 差し出されたのはまさに、その張り紙だった。依頼にしろメンバー募集にしろ、行き違いにならないように、請け負ったり募集に乗る場合はこうして剥がして受付まで持ってくる決まりになっている。

 その張り紙に、受付嬢は見覚えがあった。それを記し、掲示板に貼り付けたのは、他ならぬ彼女だったからだ。もちろん、なにが書かれているかも覚えている。


「登録証の提示をお願い致します。……はい、確かに。ではこちらのパーティへの参加希望、ということでよろしいですか?」

「は、はい。お願い、します……」


 その羊皮紙には、パーティメンバー募集の旨が書かれている。求める人数、職業、そして──現在のメンバーについて。

 そこには、アリス、エリィ、レティシアの三名の名が記されていた──

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