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迷宮の街  作者: 諸葉
13/22

一夜明けて

 その日、珍しく朝から起き出してきたレティシアと並んで、エリィは宿のロビーにある長椅子に腰かけていた。二人とも鬱屈とした表情で、なにも話そうとしない。原因は──無論、昨日のことだ。結局あのあと、皆言葉少なに解散して、次の日を迎えた。

 迷宮で壊滅したパーティの救助に協力し、その蘇生代金まで肩代わりして。結果、一人は無事に蘇生を果たし、もう一人は──灰になった。

 誰にも責められるわれはない。自分たちは、出来得る限りのことをやったのだ。しかも、なんの見返りもないことを承知の上で、だ。胸を張って、そう言えた。しかし──


『ちゃんと、見届けるんだ。キミが下した決断と、その結末を』


 レティシアは、敢えてそう言った。自分たちに何一つ利がなくとも、助けるという決断を下した彼女に。

 あの時、アリスが黙ったままだったら、すくなくとも一人が蘇生することはなかっただろう。あるいは、残された最後の一人が単身で救助に向かい、死体を一つ増やしていたかもしれない。その結果だけを見れば、アリスの選択はすくなくとも一人の命を救ったのだ。

 しかし──もしも助けなかったら。同時に、もう一人が灰になることはなかった。二人が残されることはなかった。それらも間違いなく、アリスの決断が生み出した結果だ。

 その結果を、選択を、レティシアは責めるつもりはなかった。ただ、知っていてほしかったのだ。これからアリスはリーダーとして、多くの決断を迫られるだろう。毎回必ず正解を選び取れるとは限らない。あるいは、正解のない選択を迫られる時すらあるかもしれない。そうして自分が選び取った選択肢が、誰かの運命を変えてしまうこともあるのだと。


 ──翌朝、エリィがアリスの部屋を訪ねても、返事はなかった。遅れて起きてきたレティシアにそう話すと、幼馴染の魔術師は悲しそうな顔で首を振り、それっきり二人はひと言も喋っていない。

 きっと、ショックだったのだろう。そうでなくとも、目の前で人一人が灰になっていく様を見れば、恐怖を覚えたはずだ。冒険者として迷宮に挑む限り、いつかそれは訪れる。自分もいつか、こうなるのかもしれない、と。それでもそれは、いつかは経験することだ。知っておくべきことだ。それが自分たちのパーティではなく、他人であれば尚のこと──レティシアはそう考えて、アリスを止めなかった。

 その判断が間違っていたとは思っていない。もしもこれで問題が起こるとしたら、それはいずれ起こっていたことだ。自分たちが当事者となる前に済ませておけたと考えるのは、非情に過ぎるのかもしれないが。


「……これから、どうしよっか」


 不安げな声で、ぽつりとエリィが言った。もしもこのまま、アリスが部屋から出てこなかったら。もしもこのまま、アリスが冒険者を辞めてしまったら。そんなことを考えているのだろう。そしてそれは、レティシアも同じだった。

 アリスと出会ってから、二人は様々なことを教えてきた。この街のこと、迷宮のこと、冒険者のこと。先達として、同じパーティの仲間として──そして、友人として。しかし同時に、二人もアリスを頼っていたのだ。ワケありの自分たちと快くパーティを組んでくれて、色んな口出しも素直に聞いてくれて。なによりパーティのリーダーとして、責任を果たそうと必死に学んでいたアリスに。彼女を失うかもしれないというこの状況で、不安を覚えていること自体がその証左だった。


「……とりあえず、一日待とう。明日、もう一度部屋を訪ねて、話しをして……その時、どうなるか、かな」


 レティシアはそう答える。こんなつまらない、場当たり的な考えしか浮かばない自分の頭が情けなかった。かと言って、今自分たちが無理に彼女と話そうとしても逆効果だろう。他にできることは、すくなくともレティシアには思いつかなかった。エリィもそう思い至ったのか、そうね、とひと言だけつぶやくと、ため息を吐く。

 それっきり、また沈黙が訪れた。どこかに食事をしに行く気にもなれないし、かと言って部屋に一人でいれば悲観的になる一方だろう。用もないのにこうして二人揃って座っているのがなによりの証拠だった。

 そんなわけで、二人は特になにをするでもなく、ただただ無為に時間を空費している。

 がらん、と宿の入り口のドアにつけられた来客を知らせる鈴が鳴った。開かれたドアの向こうから、大通りを行き交う人々の喧噪がすこしだけ聞こえてくる。朝から客だろうか、二人は特に気にも留めなかったが──


「あれ? レティシアがもう起きてる。エリィも、二人揃って珍しいね」


 そう親しげに声をかけられて、二人は跳ね上がるように顔をあげた。その声が、聞き慣れたものだったからだ。

 そう、そこに立っていたのは──


「アリス!? あんた一体……いや、どこにいたの!?」


 彼女らのリーダー、アリスだった。剣も鎧も身に着けていない平服姿だったが、その恰好はあちこちに泥がついていて、首には汗を拭くためだろうか、手拭いをかけている。

 驚いた様子のエリィに目を丸くしながら、アリスは答えた。


「ちょっと早くに目が覚めたから、訓練所に行ってたんだ。そしたらちょうど教官も来たところで、せっかくだからって稽古をつけてもらってて」

「ああ、それでそんなにボロボロなのね……。と、とりあえず癒しの奇跡を願うから、こっちおいで」


 よくよく見れば、アリスの恰好は泥だけでなくあちこちにり傷や打ち身の痕があった。あの教官はそれほど無茶な指導をするタイプではなかったが、よほど長時間鍛錬に付き合ってもらったようだ。長椅子は三人が並んで座っても十分に余裕があったが、わざわざ二人の間を空けるようにレティシアが席をずらしてスペースを作った。心配そうに手招きするエリィに、素直にうなづいたアリスは二人の間に腰を下ろす。

 傷に優しく手を触れ、エリィが祈りを捧げる。神々しい光が傷を取り払うと、アリスはいつもと変わらない笑顔でエリィに礼を言った。


「ありがとう。ごめんね、本当は宿に戻ったら傷薬でも塗っておこうと思ってたんだけど」

「いいのよ、これくらい。それよりほら、手拭い貸して。顔も泥だらけじゃない」


 先ほどまでの心配顔もどこへやら、甲斐甲斐しく世話を焼き始めた幼馴染に苦笑しながら、されるがままにごしごしと顔を拭われるリーダーの姿にやはり安堵を感じて、レティシアは声をかけた。


「なるほど、道理で部屋を訪ねても返事がないわけだ」

「あれ、今日は特に予定は立ててなかったと思うけど。なにか用だった?」

「訪ねたのはあたしでしょー、あんた起きてこないから。……これでよし、と」


 粗方泥を拭い終え、満足げにエリィはうなづいた。しかし、その表情もすぐに曇る。


「まあ、用っていうわけじゃないんだけど……。昨日、あんなことがあったし、ね。どうしてるかな、って」

「ああ……」


 得心がいったように、アリスがうなづく。しかし、彼女の表情は二人が想像していたよりも深刻そうには見えなかった。それどころか、不安そうな二人を安心させるように、微笑んですらみせる。


「心配かけてごめんね。わたしは、大丈夫。昨日のことは確かに残念だったし、これから冒険者として迷宮に挑む限り、他人事じゃないのもわかってる。まあ……実際に自分のパーティの誰かがそうなったら、その時は違うように感じるかもしれないけど。すくなくとも今は、わたしは大丈夫だよ」


 しっかりと言い切るアリスに、エリィはようやく安堵の吐息を吐いた。虚勢を張っているようにも、嘘をついているようにも見えない。いつも通りの、彼女だった。


「取り越し苦労だったみたいね」

「……そう、だね」


 対して、レティシアはいささか釈然としない様子だったが──それも一瞬のことだった。幼馴染の微かな違和感をエリィが問う間もなく、いつもの表情を取り繕ったレティシアは話題を変えるように言う。エリィも、無理に問い質すことはしなかった。


「それじゃあ、今日はどうする? 昨日はとてもじゃないけど休日とは呼べないような一日だったし、休みにしてもいいと思うけど」

「ああ、それなんだけど。二人に相談っていうか、聞いてほしいことがあるんだ」


 珍しいアリスからの提案に、二人は、取り分けレティシアは興味をそそられたようだ。好奇心に瞳を輝かせて、レティシアは身を乗り出した。


「へえ……キミの方から、それも疑問や質問じゃなく、相談とはね。もちろん構わないとも。ああ、なんなら場所を変えるかい? 聞かれるとまずい話なら、誰かの部屋に集まっても──」


 好奇心を隠そうともしない幼馴染の顔を、エリィはアリス越しに腕を伸ばしてぐいっと押し戻す。


「はしゃがないの。それで、相談って? 悩み事ならもちろん聞くわよ。ああ、それとも場所、変える?」


 二人のやり取りに苦笑しながら、アリスは首を振った。


「いや、ここでいいよ。というより、ここでちょうどよかった。……昨日のことなんだけど」


 自分の持ち出した話題に、二人の間に流れる空気が凍り付いたように感じて、アリスは慌てて両手を振った。


「ああ、そういう話じゃなくって。ほら、昨日の彼と一緒に迷宮に入って、一回だけだけど、戦ったじゃない?」


 彼──壊滅したパーティの、恐らくはリーダーだったであろう戦士。魔術師の弟と僧侶の妹を連れてこの街で冒険者としてパーティを組み──運悪く、初戦で壊滅した挙げ句に一人だけ逃げ延びた青年だ。迷宮に残された彼の兄弟の死体を回収するために、アリスたちは彼と一時的にパーティを組んで迷宮に向かい、玄室で戦闘を行った。

 とはいえ彼の持つ剣はその役目を果たせないほど破損しており、アリスの貸した盾を構えて後衛を守る役目に徹してもらっただけだ。言うなれば、ただ敵を前衛の位置で押しとどめただけだったが──


「あの時、いつもならわたしかエリィが彼が引きつけていた一体の相手をしてたよね。でも、昨日は違った。彼が押しとどめてくれたおかげでエリィはそのまま後列に攻撃を始められたし、わたしは敵の背中を簡単に斬りつけて倒すことができた」

「まあ……そうね。正直言うとあんまり期待はしてなかったんだけど、盾役としてはちゃんと役目を果たしていたわ」


 昨日の戦闘を思い返しながら、エリィは同意した。元々は戦士として育てられたエリィからして見れば、ロクに武具の手入れすらせずに迷宮へ挑んだ彼は戦士としては失格だったが、昨日の一時的なパーティにおいて、指示された通りの役目を果たしたのは事実だ。


「うん。前衛が三人揃っているってだけで、こんなに違うものなんだなって思って。それに、敵が突破してくる心配がなければ、レティシアも呪文の詠唱に集中できるんじゃないかな?」

「なるほどね。確かにキミの言う通りだ。もしかして、それを見越して協力を申し出たのかい?」


 だとしたら、アリスに対しての認識を改めなければならない。たとえ自分のパーティのためだとしても、他人の命を利用して実験のように試すなど、冷徹などという言葉では到底言い表せない悪辣さだ。もしも肯定していたなら、エリィが黙っていないだろう。

 だが、案の定というべきか、アリスは苦笑して首を振った。


「まさか。あの時はただ、放っておけなかっただけだよ。さっき話したのは、宿に帰って落ち着いてから考えてたことなんだ」

「……それを聞いて安心したよ。それで? 昨日の彼をボクたちのパーティに勧誘しようっていうのかい?」


 からかうように、レティシアが聞いてくる。それは一見皮肉のようでもあったが、その表情は嬉しそうだ。アリスがパーティのため、リーダーとして思考を巡らせていたことが嬉しいのかもしれない。

 アリスはもう一度、首を横に振る。


「まあ、そりゃそうよね。でも、ギルドの募集にはまだ応募はきてないんでしょ?」


 アリスがエリィとレティシアと知り合ったその日、冒険者ギルドで正式なパーティとして登録を済ませた時に、三人分のパーティメンバーの募集をギルドの掲示板に載せているのだ。もっとも、駆け出しのパーティに加わろうという奇特な者はそうそういないのだろう、今のところギルドからはなんの音沙汰もないままだった。


「うん。でも、それについてはアテがあるんだ。ちょっと待ってて」


 そう言うとアリスは席を立ち、宿の受付へ向かった。女将となにかを話したあと、自室へ戻るアリスを見送って、エリィとレティシアは顔を見合わせる。


「知らない間に戦士の友達でもできたのかしら?」

「さあ……。パーティを組んでからは、ボクとキミも、一人で行動していた時間はそれほどなかったと思うけど。元々知り合いがいたなら、最初からパーティに誘っているだろうし──」


 二人して首をひねっていると、程なくしてアリスが部屋から出てきた。肩にはいつも探索に持って行く背嚢を下げている。そして──恐らくは女将に呼んでもらっていたのだろう、ちょうどロビーにやってきたとある人物を連れて、二人の元へ戻ってきた。


「あ──」

「まさか……」


 二人が揃って声をあげる。それはアリスが連れてきた人物が、エリィもレティシアもよく知っているからだ。

 並んだアリスよりも頭一つ分は高い背丈。明るい茶色の髪は肩にかかるくらいまで伸ばされていて、今はいつものように頭巾でまとめられておらず、歩くたびにふわりと揺れている。


「レティシアさん、エリィさん。おはようございます!」


 わざわざ二人の名を呼んで元気よく挨拶したのは、冒険者を目指して故郷を飛び出し、その登録料を稼ぐためにこの宿で働いている少女──


「……おはよう、サラ」


 思いもよらない登場に固まっているエリィに代わって、レティシアが挨拶を交わす。


「アリス……。キミの考えはおおよそ見当がついたけれど。本気なのかい?」

「うん」


 迷いのない答えにレティシアは瞑目し、片手の拳を眉間に当てて考え込んだ。きっとその頭の中は猛烈な勢いで回転していることだろう。

 しばしの沈黙のあと、顔を上げた魔術師の表情は、諦めと苦笑が混ざったような曖昧なものだった。


「わかった。キミの判断に従おう。……いや、この言い方は卑怯だな。ボクはキミの選択を支持するよ」

「ありがとう。エリィは、どうかな?」

「……あたしは」


 名を呼ばれてようやく気が付いたように、エリィははっとした。恐らくまだ話を通していないのだろう、三人のやり取りを不思議そうに見ているサラと、彼女を連れてきたアリスを見ると、心優しい僧侶はうつむき、ぽつりとつぶやくように言った。


「あたしは……反対よ」

「どうして?」


 静かに、アリスが訊ねる。反対されたことに怒るわけでもなく、驚くわけでもない。きっと彼女なら、そう言うだろうという予感があった。

 エリィは答えない。苦い顔をして、押し黙っている。

 だから、アリスは代わりにそれを言葉にしようとした。


「それは、わたしたちが不利益を被るから? それとも、彼女のことを思って? もし後者だとしたら、それは──」

「わかってるわよ、そんなこと──!」


 声を荒げて勢いよく立ち上がり、エリィは真正面からアリスを睨みつける。隣に立つサラが、その大きな背をびくりとすくませた。

 アリスは遮られたまま口を閉ざし、エリィの視線を黙って受け止めている。


「あ、あの……皆さん、どうかされたんですか? サラ、お話があるって聞いてきたんですけど……」


 怯えた声で恐る恐る、サラが言う。はっとしたエリィが視線を逸らすと、アリスは緊張を解いたようにため息を吐いた。

 ──実は背中に冷や汗をかいていた。整った顔立ちに豪奢な金色の髪、そして普段は優しげな、あるいは年相応の少女の表情を見せるエリィだが、それらに比例して、本気で怒った時の迫力は半端ではない。リーダーとしての沽券に関わると思って、なんとか目を逸らさなかった自分を褒めてやりたいくらいだった。


「当人を放置してその是非を論ずる前に、まずは説明すべきだと思うね。リーダー?」


 二人のやり取りを黙って、かつ冷静に傍観していたレティシアが言う。その声はいつものようにからかうようなものではなく、むしろ感情的になった二人を非難するようですらあった。


「ああ……。ごめん、サラ。説明するね」

「は、はい」


 改まった様子で言われて緊張する大柄な少女を安心させるように微笑むと、アリスは部屋から持ってきた背嚢を探って一つの革袋を取り出し、差し出した。手に持つとじゃらりと音のするそれは、中に何が入っているかは明らかだ。

 差し出されるまま素直に受け取ったサラは、首をかしげる。


「あの、これは……?」

「その袋には、300gpが入ってる。それを使って、ギルドで冒険者登録をしてほしいんだ」


 長椅子に腰を下ろしたエリィが、小さく祈りの言葉を口にした。構わず、アリスは続ける。


「そして、その見返りとして、わたしたちのパーティに加入してほしい」


 ──数秒の沈黙のあと、大きな少女の大きな声が、宿屋中に響き渡った。

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