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迷宮の街  作者: 諸葉
11/22

リザルトその3

「ごめんね、なんだか任せっきりで」


 子供たちの騒がしい見送りを受けて、アリスとレティシアは孤児院を離れた。今のところの最果てだという街の外れを歩きながら、そう口を開いたアリスに、レティシアはにこやかに答える。


「なに、あれくらいの雑事は任せてくれて構わないさ。今回は特に、シスター自身もこういった話し合いには慣れていないようだったからね」


 シスターとの間で交わした、鑑定に関する取り決めのことだ。結局鑑定に対する報酬は、金銭ではなく孤児院に関する雑務を請け負うという形で決着がついたものの、話し合いを主導したのはリーダーであるアリスではなく、レティシアだった。適材適所といえば、その通り。しかし、駆け出しの冒険者としてはなにかと頼ることの多い彼女に負担をかけてしまってはいないかという懸念だったが、当の本人はそれを負担にすら思っていないような口ぶりだ。

 とはいえ、次に同じような機会が訪れた時には、自分が矢面に立たなければならない。いつまでも先達に頼ってばかりの駆け出しではいられないのだから。

 レティシアに軽く礼を言ったあと、そういえば、とアリスは思い出したように言った。


「シスター、どうしてお金を受け取るのを嫌がったんだろう」

「ああ……」


 アリスの疑問に、レティシアは難しい顔をして腕を組む。自分の背嚢を背負い、もう一人(レティシアの)分を前に抱えているアリスは首をかしげた。傍から見ればまるで主と従者のようだろうが、どんな些細なことであれ、仲間の役に立つのは悪い気はしないものだ。それに、いちいち他人の目を気にしていては冒険者などやっていられないだろう。

 ひとしきり唸ってから、憶測だけど、と前置きをして、レティシアは周囲をはばかるように小声で話し始めた。


「あの孤児院は教会が運営しているって言っただろう? 当然ながら、マリアンは教会から運営資金を受け取っているはずだ。孤児たちの食費や建物の管理費、雑費、その他諸々──」


 それも十分足りているとは言い難い。子供たちが飢えるほどではないようだが、彼ら彼女らの恰好は街で見かける子供たちのそれよりもみすぼらしく、建物に至っては実際に見てきた通り、とても安全で快適な住処とは言い難い。

 それでも、とレティシアは続けた。


「それが満ち足りた額でなかったとしても、あの孤児院にとっては命綱であることに変わりはない。さて、そこにボクたちみたいな冒険者が突然、それも長い期間に渡って何度もお金を渡したりしたら、どうなると思う? ……いや、考えるまでもないことだ。恐らく、教会から渡される運営資金は減らされるだろう。ボクたちが渡す金額を踏まえた上で、ね」


 仮にそれで帳尻ちょうじりが合うとしても、毎回必ず探索が成功し、未鑑定品を得られるとは限らない。時にはなんらかの依頼を受けて、街を離れることだってあるかもしれない。そしてそうなったとしても、教会は一度減らした資金を元に戻したりはしないだろう。


「……この街の教会って、そんなにひどいところなの?」


 眉をひそめてそう言うアリスに、レティシアは苦笑した。教会といえば聖職者が集い、神へ祈りを捧げたり、信徒へ説教したりするところだ。聖職者とは、弱者を救うものではないのか──素朴な田舎育ちのアリスにとっては、そんな認識だった。


「この街の教会は、規模が大きいからね。もちろん、それこそ聖人のように立派な人物もいるだろう。シスター・マリアンのように、慈愛に満ち溢れた人もいるだろう。けれど、組織というものは様々な人が寄り集まって出来上がるものだ。大きければ大きいほど、色んな人が、ね。中には、そう、領民の人気取りに使うだけの孤児院に無駄な金を流したくない──なんてことを思う人もいるかもしれない」

「……」

「あくまで憶測さ。そういった事態を懸念して、シスターは金銭を受け取らなかったんだろうという、ね」


 不快そうな表情で押し黙るアリスに、慰めるようにレティシアが言った。無理もないかもしれない。レティシアが聞いた限り、アリスがこの街に来てから知り合った僧侶や司教はエリィとマリアンだけだ。そして二人とも、聖職者と呼ぶに相応しい精神を持つ人物だ。だからこそ、その落差にショックを受けるのも無理はなかった。

 それに、あの孤児院の現状を見てしまったあとでは、この話をただの憶測だと突っぱねることもできない。


「……残念ながら、ただの冒険者であるボクたちができることは限られてる。それでも力になりたいと思うなら、今は取り決めた通り、あの孤児院のためにできることをするしかないよ」

「そうだね……。……いや」


 一度は納得したように見えたアリスが、かぶりを振った。そうじゃない、そうじゃないんだ、とつぶやいて。


「わたしたちにとって一番優先するべきなのは、迷宮の探索なんだ。孤児院を救うことじゃない。もちろん決めたことはきっちりするけど、優先順位を間違えちゃいけない……と、思う」


 レティシアは目を見開いた。それは、聞きようによっては冷淡な言葉だ。目の前の弱者を二の次にした、自分本位な言いざまだ。しかし──パーティを率いる、リーダーとしては。

 余ったローブの袖で口元を隠しながら、くくっ、と嬉しそうにレティシアが笑う。


「安心したよ。やはり、キミというリーダーについて良かった」

「エリィが聞いたら、きっと怒るだろうけどね」


 優しくて怒りっぽい僧侶を思い浮かべた二人は顔を見合わせ、笑い合った。



***



 道中タック商店で鑑定後の不用品を売却した二人は──予想通り、大した額にはならなかった──迷宮の前を通り過ぎ、領主の館がある敷地近くまで歩いてきていた。敷地内をぐるりと囲う壁に、豪奢な門扉の傍には衛兵が二人、門番として立っている。閉じられた門の向こう側には自分たちとは無縁そうな荘厳な庭園が広がっていて、その奥にはこの街のどの建物よりも大きな屋敷が鎮座していた。

 目を引く光景だったが、用があるのは領主の館ではない。正確には、その隣の建物だ。


「こっちまで来るのは初めてだけど、とりあえず道に迷う心配はなさそうだね」


 自分が歩いてきた道を振り返り、目の前の立派な館を見上げて、アリスは言った。街の入り口から訓練所や酒場、各種商店が並ぶ大通りを真っ直ぐ歩き、迷宮の前を通り過ぎれば領主の館だ。距離こそあるものの、途中で横道に入ったりしなければ、迷いようもない一本道。街の構造としてはこれが普通なのかどうか、小村出身のアリスにはわからなかった。


「そうだね。いびつかもしれないけれど、このわかりやすさはこの街の長所の一つだと思うよ。さあ、入ろう」


 レティシアはアリスをうながすと、領主の館に隣接して建てられた建物に足を向けた。大きさは大通りに並ぶ商店と同じか、すこし大きいくらいだろうか。石造りの頑丈な外壁以外にはこれといって装飾もなく、無骨な印象を与えるその建物は、訪れる者たち──冒険者にとってはむしろ親しみが持てる。

 中に入ってもその印象は変わることはなく、気休め程度に敷かれた敷物が建物の奥まで続いていて、左右両方の壁際には長椅子と机が設置してある。なんとなく既視感を覚えたアリスが奥に目をやると、突き当り正面にはそこで区切るように幅いっぱいのカウンターがあって、ああ、冒険者ギルドと似ているんだ、と思い至った。もちろん造りが似ているだけで、ギルドはもう少し華やかだったけれど。

 そして、ギルドと違う点がもう一つ。カウンターの奥には、なにやら大掛かりな魔法の宝物(マジックアイテム)らしきものがいくつか設置してある。

 二人が奥へ歩を進めると、横長のカウンターにぽつんと一人だけ立っている男性がこちらへ気づき、声をかけてきた。


「ようこそ、冒険者さん。登録証を確認します」


 人の好さそうな笑みを浮かべて言う彼に、レティシアが先んじて登録証を示した。その間に、アリスはそれとなく男を観察する。

 彼が着ているのは、今しがた領主の館の前で見てきたばかりの衛兵が着ているものと同じ鎧だ。兜をかぶっていないし剣も帯びていないが、どうやら彼も衛兵隊の一人らしい。


「はい、確かに。ご協力感謝します。どんなご用でしょう?」

「懸賞金の引き換えと、ゴミ拾いの清算をお願いします。ああ、それと──」


 レティシアが隣に立つアリスに視線を送る。


「彼女、初めてなので。できればすこし説明をお願いしたいんですが」

「ああ、そういうことでしたら、もちろん! では、順を追って説明しますね」

「お願いします」


 話好きなのか、それとも愛想が良いだけなのか、にこやかな笑顔のまま衛兵は承諾した。


「こちらでは、領主様が発行された依頼クエストに関する報告や報酬の受け渡しを行っています。と言っても、ほとんどは先ほど仰っていた迷宮内の魔物に対する懸賞金の引き換えと、ゴミ拾いの清算なんですけどね」


 人の好さそうな衛兵ははは、と苦笑した。ほとんど、ということはその二つ以外にも領主から発行される依頼がある、ということだろうか。


「こちらへ来られたら、どのような用件でもまず登録証の提示をお願いしています。それからご用件を伝えていただければ……今回は懸賞金の引き換えと、ゴミ拾いの清算、ということで。では、金額を計算しますので、依頼品の提出をお願いします」


 依頼品、と言っても要は倒した魔物の一部とガラクタを詰めた革袋だ。アリスが背嚢から取り出したそれらをカウンターの上に置くと、中で溢れたのだろう魔物の体液が、どちゃり、と嫌な音を立てた。

 慣れているのか、衛兵は顔色一つ変えずに革袋を受け取った。


「はい、確かに。では金額の計算なのですが、こちらの魔法の宝物で行います」


 そう言って衛兵が示したのは、彼の背後──カウンターの奥に見えていた、あの大掛かりな魔法の宝物だ。透き通ったガラス容器がいくつかの層を連ねていて、その間には何本も管が繋がれている。高さは丁度、大人の男と同じくらいだろうか。容器の中は一番下の空っぽの層以外それぞれ違う色の液体で満たされていて、装置中央のあたりには数字の書かれた小さな金属片が一列に並んでいた。

 この装置一つでも相当の値打ちものだろう。魔法の宝物などほとんど見たことすらないアリスでも察せるほどの大掛かりな代物だった。

 衛兵は踏み台に乗ると、一番上の層の容器にアリスたちが持ってきた"戦利品"を、中で溢れていた体液ごと流し込んだ。どぼどぼと水音を立てて、コボルトの耳やらオークの指やらが沈んでいく。不思議なことに、革袋から一緒に注がれたはずの赤黒い体液は容器の中の液体を濁すことはなかった。


「──」


 衛兵が、何事かをつぶやく。それは呪文にしては短すぎるように思えた。恐らくこの装置を起動させるための合言葉キーワードのようなものだったのだろう、ごうん、と唸るような音を立てて、大掛かりな魔法の宝物が目を覚ます。

 一番上の層に沈んでいた魔物の欠片が、ぼろぼろと崩れ始めた。同時に繋がれた管に液体が満たされていき、下の層へ吐き出される。吐き出されたのは液体というには粘性が高く、その層の中でもしばらくはその存在を確認できた。が、やがてそれも同じように溶け始め、また管を通って更に下の層に流される。その繰り返しを待っている間、衛兵はカウンターの奥から木製の大きな桶を取り出すと、ガラクタの詰められた袋をひっくり返して中身を検めはじめた。どうやらこちらは手作業で数えるようだ。


「これはね、切り取られた魔物の一部に残った二つの魔力を抽出しているんだ。一つはその魔物が元々持っていたもの。これで金額を査定する。もう一つは、こびりつくように染み込んだ迷宮のもの。これがちゃんと迷宮で倒したものであるという証明になる。上から何層にも分けて溶かして、ろ過して、測定するのに余分なものを失くしていく。そうして最後に残ったもので、査定するんだ」


 今まさに目の前で進んでいる工程を、レティシアが説明してくれた。もちろんこんな大掛かりなものがそんな単純な仕組みとは思えなかったが、きっとアリスにも理解できるように噛み砕いて説明してくれたのだろう。

 それを聞いていた衛兵が、称えるように拍手した。


「やあ、さすがは魔術師さんだ。自分は毎日のようにこれを使っていますが、仕組みまではとてもとても……」

「大抵そんなものですよ。なにも魔法の宝物に限ったことじゃない。ボクだってローブを着ているけれど、縫製の仕方なんて知りませんからね」


 ごもっとも、と衛兵は笑ってうなづいた。確かに、戦士が知っておくべきなのは剣の扱い方であって、作り方ではない。


「ゴミの方は全部で十三個ですね。こちらは拾った場所、品物に関わらず、一律一つ3gpとなります。今回は……39gpですね」

「こっちは査定はしないんですか?」


 アリスが問うと、衛兵は少し困ったような顔をした。


「ええ。こちらの魔法の宝物はガラクタには使えませんし……その、あまり大きな声では言えないのですが。迷宮内ではなく、街中で拾ったり自分たちで出したゴミを持ってくる方もいるのです。もちろん受け付けるのは冒険者の方のみですが、そうした方々も支援するというのが領主様のご意向でして。そのため、一つあたりの金額は低くなっています」

「なるほど……」


 ゴミ拾い一つにつき3gp。なるほど、一日かけて街中のゴミを集めて持ってこれば、その日の糧くらいにはなるかもしれない。もっともそれほど困窮しているようでは、果たして領主が期待しているような働きができるのかどうか、疑問だが──

 そんなことを話しているうちに、一番下の空っぽだった層に透明の液体が吐き出された。一見ただの水のようにも見えるが、あれが自分たちの成果の成れの果てというわけだ。次いで、かちゃり、かちゃり、と小さな音を立てて、中央の金属片が回転し始める。

 それがおさまると、衛兵はそこに並んだ数字──つまりは算出された懸賞金の金額を読み上げた。


「912gp、ですね。こちらが今回の懸賞金となります。ゴミ拾いの分と合わせて951gpとなりますが、よろしいですか?」

「ええ。それでお願いします」

「承知しました。ではご用意しますので、少々お待ちを」


 衛兵はカウンターの下へしゃがみ込むと、こちらからは見えない位置でなにやらごそごそとやり始めた。施錠された鍵を開けるような音がすることから、そこに金庫のようなものがあるのだろう。


「あとは報酬を受け取って終わり、だね。どうだい、次からは一人でもいけそうかな?」


 待っている間に、レティシアが話かけてきた。


「うん。大丈夫そう」

「それはなにより。誰がやってもいいことは、誰もができるに越したことはないからね」


 最初の探索では、エリィが率先してやってくれたことだ。そしてレティシアも──荷物を持ってここまで来られるのかという疑問は残るが──同じことができるだろう。誰がやっても、なにも変わりはない。だからこそ全員ができるようになっていれば、今回のように手の空いている者が代わりを務めることができるし、あるいは持ち回りで順番を決めてもいいかもしれない。大げさかもしれないが、知識や情報を得るのはそういった選択肢を作るためでもあるのだ。


「お待たせしました、報酬の951gpです。どうぞ、お確かめください」


 カウンターの下から立ち上がった衛兵は、ずっしりと重みのある革袋を台の上に置いた。同じ価値の金貨と比べれば軽量であることは確かだが、それでもアリスが目にしてきた金額としては今までで一番だ。

 レティシアが簡単に袋の中身を検める。


「確かに」

「はい。それではお疲れさまでした、冒険者さん。次の探索の成功を祈っています。お気をつけて!」


 最後まで愛想よく見送ってくれた衛兵に礼を言って、二人はその場を後にした。



***



「この街の衛兵さんって、全身金属鎧フルプレートアーマーで黙って門番してる人ばっかりだから、なんだかもっと怖そうなイメージだったけど。ああいう人もいるんだね」


 すっかり軽くなった背嚢を本来の持ち主に返したアリスが、帰路の途中で先ほどの衛兵を思い出しながら言った。


「そうだね。まあ、少数派だと思っておいた方がいいよ、彼のような人は。これほど冒険者に溢れた街でも、それを良く思わない人なんて、珍しくはないからね」

「うん……。そういえば、この後はどうする?」


 空を見上げれば、太陽は真上からだいぶ傾いた位置にある。とはいえ夕飯の時間にはまだ早く、このあと宿で荷物を整理しても時間は余るだろう。


「ああ、ボクはこのまま宿に帰って、部屋にもることにするよ。そろそろ地図の写しを作っておかないとね」

「地図の写し?」


 迷宮内の地図は、各々の冒険者が自作するというのが暗黙の了解だ。とはいえ、ギルドや領主が罰則を定めているわけでもないために親しい間柄のパーティ同士や金銭でのやり取りで地図を写す者たちもいるが、探索に慣れた者ほど自作した地図以外は信用しない。他人に写させてもらった地図が"正しい"という確証がないからだ。もし写した地図が間違っていて、そのせいでパーティが壊滅したりしたら目も当てられない。写させた方だって、責任の取りようがない。

 だから地図の共有は、どんなに仲の良い者同士でも同じパーティ内までにしておくのが無難なのさ──初陣の前夜、地図について話が及んだ時にレティシアはそう言っていた。実際探索中も曲がり角や玄室の召喚陣を潰す度に、彼女は地図を書き込んでいたのだ。

 それなのに、写しとは──?


「ああ。今は探索に持って行って現場で書き込んでいる一枚だけだろう? それだとなんらかのアクシデントでその地図が使えなくなったり、失くした時に取り返しがつかなくなる。だからまずは、予備として携行する分を一枚。更に宿に残しておいて、なにかあった時の保険としてもう一枚。備えは多いに越したことはないからね」


 言われてみれば、地図といってもただの羊皮紙だ。火をつければ燃えるし、破くのも難しいことではない。迷宮内でそうした事態に見舞われないという保証はないのだ。

 地図のことは──本人の申し出もあって──レティシアに一任していたが、そうした探索外の時間を使うような作業にはまったく考えが及んでいなかったことに、申し訳なさそうにアリスは謝った


「ごめんね。なんだか大変なことを任せちゃったみたいで」

「なに、確かにそれなりに時間はかかるけど、そう難しいことでもないさ。今のところ探索しているのも入り口から近いエリアだけだから、大した量でもないしね。それに、魔術書の写し書きなんて魔術師なら誰もがやることだ。この手の作業には慣れたものさ。それでも手伝ってくれるというなら、喜んで歓迎するけれど──?」


 意地悪な微笑みを浮かべて、小柄な女魔術師は顔を覗き込むように見上げてくる。まるで悪戯を思いついた子供のようなその表情は、普段の冷静で知的な彼女とは別人のように無邪気なものだった。共通しているのは、そのどちらも魅力的だということだ。


「え……っと……」


 不覚にも頬を赤らめてしまい、答えにきゅうしているアリスの表情を見て、満足がいったとばかりにレティシアは声をあげて笑った。


「あはは、ごめんごめん。もちろん冗談さ。早めに終わったとはいえ、探索を終えたあとには変わりないし、なによりキミは前線で体を張る戦士だ。ゆっくり休むといいよ。ボクも地図を写し終えたら、さっきのキミの狼狽えた顔をさかなに部屋で一杯やるとしよう」

「や、やめてよ、もう……」


 隣を歩くレティシアは、にこにこと笑って楽しそうだ。どうも、彼女は親しい相手をからかうのが好きらしい。今までそれはもっぱら幼馴染であるエリィにのみ向けられていたが、こうして自分もその餌食になっているということは、彼女なりに気に入ってくれているのだろう。それを喜ぶべきかどうかは微妙なところだが──

 そのうち、機会があれば反撃してやろう。そう心の隅に留め置いて、アリスは悪戯好きの魔術師との会話を楽しみながら、宿へと向かった。



***



「あら。おかえりなさい、レティシアちゃん、アリスちゃん」


 宿屋のドアをくぐった二人をそう出迎えてくれたのは、この宿を取り仕切る女性だ。部屋数も多く、部屋のランクもロイヤルスイートから馬小屋まである宿の主人にしてはすこし若すぎるようにも見えたが、行商を営む夫と夫婦で経営をしているらしい。提供する食事の材料やシーツ、ベッドなどの家具類から薪まで、必要なものを中抜きされずに調達できるおかげか宿代もいくらか良心的で、部屋の掃除も行き届いている。元々エリィとレティシアが利用していたこともあって、勧められるままアリスもここに宿をとっていた。


「ただいま、女将さん」

「今日はずいぶんお早いお帰りね? エリィちゃんもいないし」

「ええ、今日は朝早くから潜ってたので。エリィはたぶん今日は帰ってこないと思いますけど、部屋、空けた方がいいですか?」


 あの様子では、恐らくエリィは孤児院で一晩明かすことになるだろう。予め決めていたことなら問題なかっただろうが、今回はそうではない。そのため、取りっぱなしになっているエリィの部屋をどうするか、レティシアは訊ねたのだ。


「ああ、いつもの、ね。あまり何日も続くようなら一旦チェックアウトしてもらわないといけないけど、一日くらいなら大丈夫だから。部屋はそのままにしておくわね」


 事情を知っているのか、あるいは同じようなことが何度かあったのか──きっと両方だろう──女将は優しく微笑むと、咎めることもなく了承してくれた。


「いつもすみません。それと、今日はこのまま部屋に籠もるので、夕飯は部屋まで運んでもらっていいですか?」

「夕飯の配膳ね。かしこまりました。アリスちゃんはどうする?」

「あー、わたしは──」


 どうしようかな、と特に決めていなかったアリスの声をかき消すように、元気な叫び声が宿の外から響いてきた。


「女将さーん! 洗濯ものの取り込み、終わりましたー!」


 そう言いながら勝手口のある奥から、山のようなシーツを重ねたカゴを持って、誰かが出てきた。


「ごくろうさま、サラちゃん。後で畳んで、いつものところにしまっておいてちょうだいね」

「はい! あっ、レティシアさんにアリスさん! おかえりなさい!」


 一旦洗濯カゴを下ろして二人に気づき、いささか大きすぎる声で元気よく挨拶をしてきたのは、この宿で働く少女だ。サラと呼ばれた彼女はアリスたちより二つ三つ年下だと聞いていたが、その背丈は頭一つ分は高い。肩にかかるくらいまで伸ばした明るい茶色の髪は、仕事用だろうか、今は頭巾でまとめられている。その体躯に見合う膂力も有しているようで、これだけ大量のシーツを運んできたあとだというのに息一つ切らせた様子もなかった。

 それでも顔立ちだけは年相応で、幼さを感じさせる無邪気な笑顔で挨拶されると、そう悪い気はしないというものだ。


「ただいま、サラ」

「えへへ……お二人とも、今日はもうお仕事は終わったんですか?」

「ああ。ボクは今から部屋に籠もるところで、エリィは逢瀬──もとい、いつもの如く孤児院のお手伝い。アリスは──」


 ちら、と視線とともに話を振られたアリスは、自分だけノープランというのもなんだか格好がつかないような気がして、肩をすくめながら答えた。


「一休みしたら、訓練所でも行ってくるよ」

「だそうだ。まあ、無理はしない程度に、ね」

「あっ、あの! だったら、レティシアさん。その……もし、お邪魔じゃなかったら、なんですけど……」


 先ほどまでの溌剌とした様子から打って変わって、なにやらもじもじと言いにくそうにしているサラに、なにかを察したようにレティシアは微笑んだ。あの孤児院で、クーデリアという娘と話している時に見せた、優しげな表情だ。


「ああ、構わないとも。仕事が終わったら、部屋においで。この間の冒険譚の続きを話してあげよう」


 それを聞いて、サラの表情がぱっと明るくなった。


「わあ、ありがとうございます!」

「うん。それじゃあ、アリス。何事もなければ、また明日、になるのかな。ああ、分配金はそのまま、キミが持っておいてくれ。エリィにも伝えた通り、明日、改めて山分けといこう」

「わかった。なにかあったら、部屋を訪ねるよ。レティシアも、あまり根を詰めないようにね」


 リーダーからの気遣いに、魔術師は軽く片目をつむって微笑むと、部屋へと引き上げていった。


「それじゃあ、シーツ畳んで、しまってきますね! 失礼します!」


 そう言ってサラは再び大荷物を抱えると、軽やかな足取りで機嫌よくロビーを出ていった。

 一人残されたアリスも、一旦部屋で休もうかと思ったが──


「あの子ね、本当は冒険者になりたくて、この街に来たの」


 サラが出ていった方を見つめながら、宿の主人は誰にともなく言った。その表情は、普段見せることのない憂鬱そうなものだ。


「サラが、ですか?」

「ええ。故郷はずいぶん遠くの街でね。この街で冒険者になるのを夢見て、家出同然に飛び出してきちゃったらしくて。途中で路銀が尽きて困ってたところに、偶然主人()と出会って。本当なら家へ帰してあげるべきだったんでしょうけど……」


 商人は品物の売れ行きだけでなく、仕入れ先や卸先の情勢、その先を読み、なにをどれだけ仕入れるかを決める。街から街へと移動する行商人であれば尚のこと、道中の日程も含めた綿密な計画を立てているのだろう。見ず知らずの少女一人のために、その予定をひっくり返すわけにはいかなかったというわけだ。

 その罪悪感からか、誰かに話を聞いてほしかったのかもしれない。アリスとしても特に用事があるわけでもないし、相手は世話になっている宿の主人だ。愚痴くらい聞いてもばちは当たらないだろう。


「そのまま旦那さんの馬車で、この街に?」

「ええ。でも、冒険者になるには登録料がかかるでしょう? あの子、それを知らなくって」

「ああ……」


 さもありなん、とアリスは頭上を仰いだ。この街で冒険者として活動するには、ギルドでの登録が必要となる。そして、その登録には手数料として300gpが必要なのだ。登録後に支度金として500gpになって戻ってくるとはいえ、ただの少女に300gpもの大金をどうにかするアテがあるとは思えなかった。


「そっか、それでこの宿で……」

「ええ。さすがに放っておくわけにもいかないし、ね……。本人は働いてお金をためて、冒険者になるつもりみたいだけど……」


 一般の住民にとって、300gpは大金だ。とてもではないが、宿の従業員として働いて貯められる金額とは思えない。彼女がどれだけ節制しても、何年先になることか──


「しばらくしたら、また主人があの子の故郷の近くまで行商に行くから、その時にいくらか路銀を持たせて、家に帰すつもりなの」

「そのことは、本人には?」

「言ってないわ。……明るくて人懐っこくて、誰とでもすぐに仲良くなって。仕事も一生懸命やってくれるし、本当に可愛くていい子なのよ。だから……」

「……冒険者には、ならせたくない、ですか?」


 言い淀んだ女将の言葉を引き取ったアリスに、年若い宿の主人は申し訳なさそうにうなづく。


「ごめんなさいね。こんなこと、あなたにも、あの子にも失礼だし、私の勝手なのもわかってる。でも、この街で暮らしていると、ね……」

「……」


 女将の言わんとしていることは、冒険者となって日が浅いアリスにもよくわかる。そもそも冒険者という職業自体、まともな仕事とは言い難いものだ。遺跡荒らしや魔物退治、隊商の護衛から手紙の配達まで、頼まれればなんでもこなす──そう言えば聞こえはいいが、実際のところは仕事をえり好みしていては食っていけないだけだ。時には同じ冒険者同士で仕事を取り合うこともあるだろう。戦いの日々の中で、命を落とすかもしれない。それは、"真っ当な"職に就いていればほとんど心配する必要のないことだ。

 地下迷宮の探索のために冒険者の存在が欠かせないこの街だからこそ、こうして当然のように大手を振って表を歩けるだけで、小さな村や平和な街では冒険者などそこらのゴロツキと変わらない、と見るものも少なくない。事実、そうした素行の悪い冒険者も存在する。ギルドによって管理されているはずの、この街ですら。

 それに迷宮の探索にしたって、まともとは言い難いのだ。来る日も来る日も日の当たらない地下迷宮に潜り、魔物相手に命のやり取りをして、返り血にまみれながら地上へと這い出し、その日の糧にありつく。それを延々繰り返すのだ。いつかあの薄暗い迷宮で、物言わぬ屍となり果てるまで。

 それに比べれば、こうして宿屋の従業員として額に汗して働いている今の方が、よほど"真っ当"な生き方と言えるだろう。

 サラがレティシアに、話をねだる理由もわかった。あの話し好きの魔術師のことだ、自分たちの冒険譚──と呼べるほど立派なものではないかもしれないが──や冒険者について、面白おかしく語ってくれているのだろう。そうして、子供が夢を見る分にはいい。寝物語の英雄譚を聞いた我が子が、自分も将来冒険者になるんだと、瞳を輝かせて言ったとして、多くの親は笑ってうなづくことだろう。それは所詮、子供の語る夢だから、と。

 だが、サラはきっかけさえあれば"なれてしまう"のだ。家出同然に飛び出したという話からして、きっと両親にも反対されたに違いない。女将の判断は、お節介かもしれないが、大人として至極真っ当なものだ。

 しかし──


「女将さん。もし、サラが冒険者になったら、どうしますか?」

「えっ?」


 黙り込んでいたアリスがそう言って、虚をつかれたように女将が聞き返す。


「例えば、金貸しにお金を借りて登録を済ませちゃうとか。あり得ない話じゃないですよね?」

「それは……」


 登録料と支援金について、あの愛想の悪い受付嬢が言っていたことだ。元々は支援金目当ての登録を防ぐために設けられた登録手数料だが、今はその差額狙いの金貸しがいるので半ば形骸化している、と。そんなことをあの純真そうな娘がするかどうかはさて置いて、可能性はゼロではない。

 女将は顔をしかめて黙り込んだが、やがて諦めたようにため息を吐いた。


「その時は、一人の冒険者として接するしかないわね。うちを利用してくれるなら、お客さんとして」


 登録を取り消させるとか、考え直すよう説得するとか、そういったことまではしない──言外に、女将はそう言っていた。それは世話焼きのお節介というには行き過ぎている、と。


「ただ──もし、そんなことをそそのかすような人がいるなら、ちょっと対応を考えないといけないわね?」


 半ば睨むように視線を突き刺してくる女将に、アリスは降参するように手の平を肩のあたりまで上げて、苦笑した。


「もちろん。この話も、他の人には言わないです」

「ええ……お願いね。ごめんなさい、長話に付き合わせちゃって」

「いいえ、うちのパーティにはもっとなが~い話をする魔術師がいるので。大丈夫です」

「あら。ふふっ」


 それじゃあそろそろ、と部屋へ引き上げようとするアリスを、女将はそれ以上引き留めたりはしなかった。それ以上、念を押すことも。これで十分だと思ったのだ。若いとはいえ、良識ある人物なら、意を汲んでくれるだろうと。

 女将のこの判断は、決して間違っているわけではなかったが──結果的に、彼女はアリスという人物を、理解していなかったと言わざるを得ない。




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