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迷宮の街  作者: 諸葉
10/22

リザルトその2

 アリスたちが通されたのは、客間として使われている一室だった。簡素なテーブルと椅子以外には、目立った家具らしきものはない。唯一花瓶に花が飾られた戸棚があったが、それも花屋で買うような華美なものではなく、そこらの野山から摘んできたような草花だ。

 こうして中に入ってみると、この建物──孤児院はかなり年季が入っている。廊下を歩けば数歩ごとに軋む音がするし、ドアの立て付けも悪い。非力なシスターはいつもそうしているのか、両手を使って押し開けていた。


「申し訳ありません。なにもお持て成しができなくて……」


 三人を席に案内しながら、申し訳なさそうにマリアンが言う。


「とんでもない! 頼み事をしてるのはあたしたちの方ですから」


 どうかお気になさらず、と慌てた様子でエリィが言った。


「ああ、むしろこちらが手土産の一つも持ってくるべきだったね。いや、エリィには用意があるんだったかな?」


 レティシアの言葉に、先ほどリクと言う少年にお土産がある、とエリィが言っていたことを思い出す。してみると、ここへ向かう道中露店に立ち寄った時に買っていたものがそうだろうか。

 こうした礼節にはいまいち疎いなと思いながら、アリスは成り行きを黙って見守った。次からは、自分が率先して用意するべきだろう。


「ああ、えっと。いつもの焼き菓子なんですけど、良かったら。みんなの分もあるんで」

「まあ、ありがとうございます。あの子たちも、きっと喜びます」


 さすがに未鑑定品や"戦利品"が入った背嚢に入れるわけにはいかなかったのだろう、エリィは腰帯ベルトに下げていた小さな袋を外すと、マリアンに手渡した。

 両手で大切に受け取って、本当に嬉しそうな笑顔で礼を言うマリアン。照れ笑いらしきふにゃっとした笑顔を浮かべるエリィも、実に幸せそうだ。

 冒険者向けの店ではなく、大通りの露店で売っていたことを考えると、袋の中身はそう高価なものではないだろう。しかし、甘味や茶葉といった嗜好品はそれだけで貴重品だ。孤児院で暮らす子供たちには、縁遠いものに違いない。それを我がことのように喜べるマリアンの優しい心根もまた、貴重なものだ。冒険者などというシビアな職に就いていれば、なおのこと。エリィがこんなことになってしまうのもわかる……かもしれない。


「さて、シスター。鑑定をお願いする前に、すこしだけ話したいことがあるんだ。いいかな?」

「は、はい……」


 改まった様子で話を切り出したレティシアに、すこし緊張した様子でマリアンが向き直る。


「さっきエリィも言っていたと思うけど、幸いなことにボクたちの今日の収穫は前回を上回る成果だった。これからもあの迷宮の探索を続けていれば、より多くの成果を持ち帰ることができるだろう。そうなれば、必然的に未鑑定品を得ることも多くなる。だから、もしあなたさえ良ければ、これからも鑑定をお願いしたいんだ」

「そ、それはもちろん……! 私で、お役に立てるなら」


 喜んで、と意気込むように言うマリアンに、レティシアは──なぜか一瞬、複雑そうな表情をした。が、すぐにいつものようににこやかな笑みを浮かべると、話を続ける。


「ありがとう。……では、ここからが本題だ。前回は小剣ショートソード一つということもあって結果的にうやむやになってしまったけれど、今回からは鑑定に対する代金を、きちんと支払いたいと思う。まあ、今のボクたちでは気持ち程度になってしまうかもだけど」

「代金……」


 まるで初めて聞いた言葉のように、呆然とした様子で修道女シスターは繰り返す。その言葉の意味をようやく飲み込んで、はっとしたマリアンは慌てて言った。


「い、いただけません! そんな、お金なんて……!」


 それ見たことかと言わんばかりに、刺々しい視線を送ってきたエリィに苦笑しながら、レティシアはマリアンを宥めるように小さく両手を上げてみせた。


「落ち着いて、シスター。これはなにも、互いの利益のためだけに提案しているわけではないんだ」

「ご、ごめんなさい……」


 取り乱したことを恥じるように、マリアンはうつむきかけ、しかし話の途中であったことを思い出したのか、慌ててまた顔を上げた。最初の挨拶の時こそ冒険者とは別世界の住人のような印象を受けたが、こうしてずっと見ているとエリィにも負けず劣らず、表情豊かな女性だ。

 いかにも真面目そうな表情を作って、レティシアが話を続ける。


「冒険者として司教の職に就き、その鑑定技能を飯の種……失礼、人々に役立てるために使う場合はね、あらかじめ取り決めをしておくのが一般的なんだ。未鑑定品一つずつに手数料……あー、寄進を受け取るのか、個数に関わらず一回いくらとするのか。それから鑑定に失敗した場合、どちらがその保証をするのか。だいたいはこのあたりかな」

「そ、そうなのですね……。ごめんなさい、冒険者の方々のそういった事情には疎くて──」

「いや、本来なら最初にこちらから説明しておくべきだったんだ。ボクたちはあくまで、あなたの厚意に甘えているわけだからね。それについては、申し訳ないことをしてしまった」


 そう言って今度はレティシアが頭を下げると、マリアンは今度こそ慌てて両手と首を振って、その顔を上げさせた。


「ただ……もしこのまま、ボクたちがあなたになんの対価も支払わず、その厚意に甘え続けたとしたら。そのことを他の冒険者が知った時、あなたに同じことを要求するかもしれない。あのパーティにはタダで鑑定しているんだから、自分たちにも同じ"施し"をしてくれ、ってね」

「あ……」


 施し、という言いざまになにか思い当たるものがあったのかもしれない。マリアンははっとした表情で声をあげた。

 弱者に対する施しは、聖職に就く者であればそのほとんどが、なんらかの形で関わっているはずだ。この孤児院だって、様々な理由で親元を離れた孤児という弱者を救済するための施設なのだから。

 もしも気まぐれに、物乞いや浮浪者にパンを一欠けら、貨幣を一枚くれてやったとしたら。"善いことをした"という自己満足だけを持って、さっさとその場から遠ざかるべきだろう。その場で待っていても、返ってくるのは決して感謝とは限らない。いや、大抵の場合は──もっと寄越せ、自分にもくれ、どうしてあいつだけ──そうした妬みや嫉みばかりだからだ。


「あるいはボクたちが白い目で見られるかもしれない。自分たちだけ楽をしやがって……と、ね」


 毎日の稼ぎがなければ食い詰めてしまうのは、冒険者だって変わらない。特にアリスたちのような新米パーティは貯蓄などする余裕もないから、死活問題だ。そこに本来ならかかるはずの必要経費を丸ごと考えずに済むとなれば、それこそ妬みの的になるだろう。


「大げさに聞こえるかもしれないけれど、決してあり得ない話じゃない。それに、ボクも、エリィも、アリスも、あなたの厚意には感謝してる。だからこそ、それにきちんと報いたいという気持ちもあるんだ」

「……」


 真剣に、真摯に訴えるレティシアに、マリアンは黙り込んだ。その表情にははっきりと苦悩が見てとれる。その理由までは、もちろんアリスにはわからない。こちらが代金を支払わないと言って困るのならまだわかるが、支払いたいと言われてなにを困ることがあるのだろうか、と。この施設の様子を見るに、裕福で金には困っていない……というわけでもなさそうだし。

 黙り込んでいたマリアンが、重たげに口を開いた。その表情はいまだ苦悩に苛まれているようで、そんな彼女の顔を晴らすためならその身をなげうつ男の一人や二人いてもおかしくないだろう。例えばすぐ隣に座っている僧侶のような。

 これまでのやり取りで彼女がどういう人なのか知ってしまったからか、こちらが罪悪感を感じてしまうほどだ。


「お話は、よくわかりました。私のことまで気にかけてくださったこと、本当に感謝致します。でも……ごめんなさい。どうしても、お金は受け取れません……」


 そう言って、マリアンは深々と頭を下げた。悄然とした様子で──しかし、断固とした意思を伴って。それを覆すことは、難しく思えた。

 しかし、これで交渉決裂となれば、自分たちにとっては大きな痛手になる。そう易々(やすやす)と引き下がるわけにはいかなかった。かと言ってこれ以上食い下がれば、今度はエリィが黙っていないだろう。マリアンとの間にどういう関係を築いているのかはわからないが、こうして頭を下げている今ですら不満そうな表情を隠そうともしていない。


「シスター、どうか顔をあげて」


 そう優しく声をかけたレティシアには、諦観もなければしつこく食い下がる様子もない。まるで全て最初から想定通りだとばかりに、普段と変わらない様子で話を続けた。そう、未熟なリーダーを教え導く、いつものように。


「ボクたちは、あなたの厚意に甘えている立場だ。無理強いするつもりなんてまったくないよ。一緒に、別の方法を考えよう。そのためにこうして時間をもらったんだから、ね」

「はい……」

「そうだな……金銭が駄目なら物品、と言いたいところだけど、迷宮で手に入るものが孤児院ここで役に立つとは思えないし。となると……やっぱり、労働力かな」

「労働力?」


 成り行きを見守っていたアリスが、レティシアに聞き返した。


「そう。シスター、あなたは一人で子供たちの面倒を見ていると聞いたけど」

「あ……はい。人手が必要な時は、教会の方に手伝っていただくこともありますけど……基本的には、私一人です」

「この大きな建物に、あの人数の子供たちだ。その生活を保つには、到底一人じゃ手が足りないんじゃないかな? それに、力仕事なんかもあるはずさ。そのへんを──」

「あー、それなんだけど……」


 同じく黙って話を聞いていたエリィが、レティシアを遮って割り込んだ。若干申し訳なさそうというか、バツの悪い顔をしている。


「力仕事、ね。もうあたしがやってるんだ。薪割りとか、家具の移動とか。高いところの掃除とか……ああ、あと建物の修繕も。もちろん、時間がある時だけど」

「はい。エリィには本当にお世話になっていて、だから私も、なにかお役に立てることがないかと思って、今回のお話を……」

「なるほど、ね……」


 二人が揃って叱られた子供のような顔をするものだから、やれやれとかぶりを振って、レティシアは苦笑するしかなかった。


「エリィ。キミ、いつの間に大工になったんだい?」

「見よう見まねよ。床板とか、痛んだり穴が空いてもそのままになってるところが結構多くて……なにもしないよりはいいかなって。怪我でもしたら大変だもの」


 その怪我とやらはやんちゃ盛りの子供たちを心配しているのか、それともこの見目麗しい修道女が傷つくことを恐れてのことなのか──レティシアも、さすがにそこまで意地悪な質問はしなかった。


「まあ、それはそれでいいことだ。そのまま続けてもらうとして……これからは、アリスにも手伝ってもらおう。手は多い方がいいだろう?」

「それは……まあ、そうね。毎日通えるわけじゃないし、一人じゃできることにも限りがあるものね」


 それでいいかな、とレティシアはアリスに水を向ける。もちろん、異論はなかった。


「任せて。力仕事なら負けないよ」

「あ、言ったわね? 期待してるわよ、戦士サマ?」


 笑顔で請け負うアリスに、にやりと笑うエリィ。


「と、勝手に話を進めてしまったけれど、それでいいかな? シスター」


 戦士と元・戦士──この二人の空気にはついていけないと思ったのか、同じく戸惑うばかりのマリアンにレティシアが訊ねた。


「は、はい! もちろんです。よろしくお願いします……あの、アリスさんも」

「うん。頑張ります」


 にこやかに、どこか気の抜けた笑顔を返されて、マリアンはほっとしたように息を吐いた。


「で、あんたはどうするの? まさかこっちを手伝うわけないわよね」

「もちろん。ボクが薪割りや床板の修繕なんて、できるはずがないだろう?」

「偉そうに言うことじゃないけどね……」

「適材適所さ。ボクは子供たちの勉強を見ようと思うんだけど、どうかな、シスター? 読み書きや簡単な算術くらいなら教えられると思うよ」


 孤児院は、ただ子供が育つだけの場所ではない。もちろん十分な食事と温かな寝床を与え、なにより身寄りを失くした子らに寄り添ってやることも大切な役割だ。だが、子供はいつか大人になる。いつか孤児院ここを旅立つ日が来るのだ。その時までに、一人でも生きていけるだけの技術や能力を身につけておかなければならない。親の稼業を継ぐことができない彼らが生きていくには、そうするしかないのだ。

 もちろん、そうしたこともマリアンは承知しているだろう。だが、できるかどうかは別の話だ。彼女自身がいくら優秀であろうとも、たった一人で大勢の子供に十分な教育を受けさせることは難しい。

 ぱっ、と花が咲いたように、マリアンの表情が明るくなった。この話を始めてから一番の笑顔だ。


「とても助かります! 私も子供たちに勉強を教えてはいるんですが、一人ではどうしても手が回らなくて……」

「そうだろうね。ひと口に教育と言っても、ここにいる子供たちは年齢も性格も様々だ。自分の名前の書き方から教えなければならない子もいれば、リクのようにもうすぐ働くための知識を身につけるべき年の子もいる。とても一人でどうこうできる話じゃない」

「……不甲斐ない限りです」


 行儀よく膝の上に置かれていたマリアンの手が、きゅっと握られる。悔しい、のだろう。教会に所属しているという彼女の立場がどういったものかはわからないが、預かる子供すべてに責任を持とうとするその姿勢は、危ういほどに誠実そのものだ。

 本来であれば、運営している教会がもっと人手を寄越すか、専門の人材を探すかするべきなのだが──


「さて、その一助となれるように頑張るさ。それじゃあ改めて……ボクたちのパーティは迷宮から持ち帰った未鑑定品をあなたに鑑定してもらい、その見返りとして、この孤児院での雑事や子供たちの世話を、時間のとれる時に請け負う──異存はないかな? マリアン・ピエリス」

「……はい。よろしくお願いします」


 改まった口調で確認されて、若干緊張した様子で、しかしはっきりとマリアンは答えた。これで鑑定に関する取り決めが、ようやく成立したというわけだ。結果的に街での仕事が増えたと言えなくもないが、金銭を支払うより実入りとしては良くなるし、マリアンにとっても決して悪い話ではない。

 なにはともあれ、交渉成立。場を仕切り直すように、レティシアは笑顔でぱちん、と軽く手を叩いた。


「さて、思いの外長くなってしまったね。早速今日の分の鑑定をお願いしよう」

「レティシアが変な理屈こねるから~」

「そういうキミは口を挟まずに我慢できて偉かったね。後でシスターに頭を撫でてもらうといい」


 長話への皮肉をすまし顔で返されて、ふん、と口をとがらせながら、エリィはパンパンに膨れた背嚢を探った。取り出されるのは、黒いもやで包まれ、その正体を見通すことができない物品だ。一つ一つ、慎重にテーブルの上に並べられる。中には武器らしきものもあったから、怪我をしないとも限らない。


「それじゃあ、始めますね」


 マリアンはそう言うと、未鑑定品の一つに手をかざし、瞑目した。触れる寸前まで手の平を近づけると、小さくなにかをつぶやく。それは呪文の詠唱のようにも、神への祈りのようにも聞こえた。

 アリスはふわ、と微かな匂いが広がるのを感じた。迷宮の中でエリィやレティシアが魔術を、あるいは奇跡を行使する時に幾度となく感じたものだ。レティシア曰く魔力の流れを感じ取っているというそれは、きっとマリアンのものだろう。清らかで、真っ白な匂い。匂いに色があるわけもないが、言葉にするとそんな感じだった。

 やがれマリアンの手の平からわずかな光がこぼれ、闇が払われるように、わだかまっていた黒いもやがぼろぼろと崩れていく。それに従って、目の前のものの形が、はっきりと見て取れるようになる。

 完全に黒いもやが取り払われたあとに残ったのは、薬品を収めるのに使われる容器だ。誰もが一度は見たことがある──


「傷薬、ですね」


 まだ目を閉じたままのマリアンが、はっきりとその正体を言い当てた。


「ああ……鑑定という技術──儀式と言った方がいいかな──にはね、それが何ものであるかを判定するための魔術も含まれているんだ。術者の知識にらず、その名前が頭に思い浮かぶ。さもないと、司教はこの世のありとあらゆる武具や道具を全て知っておかないといけないことになるからね」


 思わずぎょっとした表情のアリスに気が付いたのか、レティシアがそう説明してくれた。確かに、この黒いもやが払われるだけでは、その物品が何であるかまではわからない。傷薬のように誰が見てもわかる代物ならいいが、見たこともない武具や道具が現れる可能性だってあるのだ。


「……ずいぶん便利だね」

「ああ、便利だとも。だからこそ司教の職に就くのは難しいし、そんな人にこうして出会えたボクたちは幸運だと言える」

「な、なんだか恥ずかしいです……。私、そんなに大したことは」


 鑑定作業を続けながらも話が聞こえていたのだろう、瞑目したマリアンの頬が赤くなっている。


「シスターは凄い人ですよ。あたしが保証します」

「実際、その年齢で冒険者ではなく教会で司教として認められるなんて、普通はありえないことだよ。天性の才だろうね」

「……」


 教会、との言葉を聞いて、マリアンは一瞬表情を曇らせた。エリィにしろレティシアにしろ、彼女の集中を乱すつもりなど微塵もなかっただろう。ただ単純に、手際よく鑑定作業を淡々と続けるマリアンと、その能力を褒めただけだ。現にこうしている間にも、黒いもやが取り払われた品物が、テーブルの上を埋め尽くそうとしている。

 だが、結果的に──


「……あ、っ」


 マリアンは未鑑定品に──まとわりつく黒いもやに、()()()()()()()


「っ!」


 真っ先に行動したのはエリィだった。席を立って手を伸ばし、マリアンの腕を掴む。それでも一瞬遅く、触れられた黒い闇はマリアンの指先にこびりつき、その白い肌を這いあがってくる。エリィがマリアンを抱き寄せるまでには、黒いもやは彼女の身体に染み込むように消えていた。


「あ、ぁ……っ」


 震えた声を漏らしながら、マリアンが戦慄わなないた。震える肩を抱いて、エリィは自らの胸に顔を埋めさせるように、マリアンを抱きしめる。


「これは……!?」

「鑑定に失敗したんだ。未鑑定品にかけられた呪いが、術者……つまりマリアンに跳ね返った。まあ、呪いと言っても命にかかわるようなものじゃない。ただ、"二度とその品物に触れる気が起きなくなる"ような、怖気に襲われるんだ」


 明らかに尋常ではない様子に一瞬遅れて席を立ったアリスだったが、対照的にレティシアは席についたまま淡々と説明を述べた。鑑定はノーリスクじゃない──彼女自身がそう言っていたことを思い出す。そういえば、失敗した時の取り決めはしていなかった。


「恐怖を払う奇跡もあるし、教会に行っていくらかの寄進を納めて治してもらうこともできるけどね。大抵は、気分転換に散歩でもしていれば治る程度の、ごく些細なものさ。まして、あんな風にしてくれる人がいれば──」


 すぐに治る、とレティシアはため息交じりに締めくくった。


「大丈夫。大丈夫だからね……」

「あ、ぅ……っ。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 ぶるぶると震えるマリアンを抱きしめながら、その背をさすり、エリィは何度もささやいた。一瞬アリスと視線が合うと、大丈夫、と言うようにうなづいてくる。なるほど、これが失敗した時の対処法というわけだ。

 先ほどまでの二人のやり取りを見ていれば、今の状況は大いに照れるか恥ずかしがるかしそうなものだが、そんな様子はまったく見せないあたりは、エリィの僧侶としての矜持というものだろうか。彼女にとっては、これも立派な治療なのだ。



***



「……胸当て、ですね。これで、全部になります」


 黒いもやが払われて、金属製の胸当てが現れる。結局あれから一度も失敗することなく、マリアンはすべての鑑定作業を終えた。テーブルの上には傷薬をはじめとした薬品もあれば、剣や具足に杖、ローブとなど様々な物品が置かれていて、まるで露店商のような有様になっている。


「お疲れさま。ありがとうございます、シスター」

「いえ、そんなこと……。それよりも、私、失敗してしまって。エリィがいなかったら、どうなっていたか……」

「シスター……」


 見つめ合うエリィとマリアンを若干白けた目で見ながら、レティシアは探索で得た品々を見渡した。


「最後にいいものが出たね。これは売らずに、キミの革鎧と交換した方がいいかな」

「そういえば、ニーナもできれば金属製のものの方がいいって言ってたっけ。あとで着てみるよ」


 パーティの盾でもあるアリスの装備は、今のところ剣と盾を除けばすべてが革製品だ。もちろんそれとて強度はあるものの、やはり金属製の方が防御力という点においては優れている。パーティの戦闘に立って敵の攻撃を受け止めるという役割を果たすためにも、すこしでも優れた装備を揃えておくべきだ。自分のためだけではなく、パーティメンバー皆のために──


「さて、お二人さん。毎回邪魔して悪いけど、ボクたちはこのへんで失礼するよ。懸賞金の引き換えとゴミ拾いの報酬を受け取って、それからタック商店で使わないものも売らないと──」


 レティシアがそう言いかけた時だった。

 こんこん、と小さなノックの音がして、レティシアは反射的に口を閉ざす。


「はい。どうぞ」


 この部屋の、というより孤児院の責任者であるマリアンが答えると、ぎい、と軋む音を立てながら、ドアがすこし開いた。遠慮がちに開かれたドアの隙間から顔を覗かせたのは、子供たちの面倒を頼んだはずのリク少年だった。そのことを咎められると思っているのか、怖々とした表情で、部屋を覗き込むように見ている。


「リク? どうしたのですか?」


 安心させるためだろうか、優しい声音で、ゆっくりとマリアンが聞いた。ひとまずお叱りを受けずに済んでほっとしたのか、リクはドアをもう少し押し開くと、自分の後ろに隠れるようにくっついているもう一人を示した。


「ごめんなさい、シスター。クーデリアが、どうしてもって言うから……」

「あら……」


 リクに軽く背を押されて前に出てきたのは、幼い少女だ。繕った跡がいくつもある、やけに古ぼけたワンピースを着ていて、手には汚れてボロボロになった人形を抱いている。その表情はどこか虚ろで、この年頃の子供にしては精彩せいさいを欠いているように見えた。

 クーデリア──確か建物に入る前、レティシアを囲んでいたうちの一人で、腰帯ベルトにさしてある短杖ワンドに興味を示していた子供だ。

 シスターが席を立つのと入れ替わりに、リクはぺこりと会釈するとドアを閉めた。廊下を駆けていく足音が聞こえる。きっと、任せられた子供たちを見に戻ったのだろう。

 ひざを折り、かがんだマリアンが視線を同じ高さに合わせても、クーデリアはなんの反応も示さなかった。


「クーデリア? なにか、用事があったのですか?」


 優しく、マリアンが訊ねる。クーデリアは黙ったまま、首ごと視線を巡らせた。

 アリス、エリィ、テーブルの上で片づけかけた武具や薬品。マリアンが座っていた椅子──そして、レティシア。探し物を見つけたように、クーデリアはレティシアを見つめると、なにも言わずその傍まで歩いていった。


「……どうしたのかな、クーデリア?」


 席を立ち、マリアンに倣ってかがんだレティシアは、目の前の少女が見ているのが自分ではないことに気が付いた。彼女の視線はさっきと同じ、短杖に注がれている。


短杖これが気になるのかい?」

「……」


 クーデリアは顔をあげてレティシアを見る。その表情からは、肯定も否定も読み取れない。

 すこし考えて、レティシアは質問を変えた。


「もしかして、杖ではなくて、魔術に興味があるのかな?」

「……」


 幼い少女は黙ったまま──こくり、とうなづいた。マリアンが、はっと息を呑む。

 レティシアは珍しく優しい微笑みを浮かべると、クーデリアの頭にぽん、と手を乗せた。


「そうか。それなら、次に来た時には魔術について、色んなお話を聞かせることを約束するよ。それでいいかな?」

「……また、くる?」


 か細い声で、クーデリアが聞き返した。


「ああ、もちろん。いつ、とは言えないけど、必ずまた来るよ。さあ、もう少し外で遊んでおいで。シスターとのお話も、もうすぐ終わるから」

「……」


 こくん、とうなづくと、クーデリアは部屋を出ていった。リクのそれよりも小さな足音が、こつ、こつ、と遠ざかっていく。それが聞こえなくなるまで、誰も口を開こうとしなかった。

 最初に沈黙を破ったのは、マリアンだ。


「あの子は……クーデリアは、この街からすこし離れた、小さな村の生まれなんです。野盗に襲われて、両親を亡くして……。たまたま通りかかった隊商キャラバンと、その護衛についていた冒険者の方々のおかげであの子は命を拾いましたが、ここに引き取られた時にはもう、あの状態で……」


 悲しそうに目を伏せて、マリアンは誰にともなく語った。


「目の前で両親を失ったショックでしょうか、笑うことも、泣くこともなくて。唯一、あの服と人形を別のものにしようとした時だけ、凄く嫌がるんです。気にかけてはいるんですが、私にはどうしようもなくて……」


 孤児といっても、事情は様々だ。親に捨てられた子供もいれば、戦災や賊、魔物に襲われて身寄りを失くした子供もいる。その子たちの中には、クーデリアのように心に傷を負ったものも少なくない。

 よくある話だと、言うのは簡単だ。孤児院に引き取られ、飢えと渇きに苦しまずに済む分恵まれている、と。頼れるものもなく、一人で生きていく力も持たず、街の外やスラム街を彷徨った挙げ句に死んでいく子供とて、珍しくはないのだから。

 だが、だからと言ってあんな幼い子供に、目の前で起こった惨劇を受け入れろという方が無理な話だ。それがいつか、時間が解決してくれることだとしても。


「あの子があんな風に、なにかに興味を示したのは初めてのことなんです。レティシアさん……無理を承知で、お願いします。クーデリアを、どうか──」

「わかってる。魔術は本来、使い方次第で周りも、自分すら滅ぼしかねない危険なものだ。ここで断ったり誤魔化したりして、今後独学や聞きかじりで誤った知識を得てしまうとかえってまずい。あの子がどういう考えで魔術に興味を持ったのかはわからないけれど……なに、ボクは話好きだからね。彼女が納得するまで、話してみるさ」

「ありがとうございます。どうか……よろしく、お願いします」


 そう言って、まるで我が子を預ける母親のように、マリアンは深々と頭を下げた。



***



「さて……あとのことはボクたち二人でやっておくから、エリィ。キミは残って、シスターの手伝いをするといい」

「え……な、なんで──」

「これだけたくさん鑑定してもらったんだ。お礼はまた後日、というのも悪いだろう? 担保として残しておくよ」


 くく、と意地悪そうにレティシアが笑う。エリィとマリアンは顔を見合わせると──満更でもないような表情で、照れたように笑った。


「ま、まあ、そういうことなら、確かに仕方ないわね。悪いけど、そっちは任せるわ」

「ああ。分け前は明日、宿屋で改めて分配するとしよう。いいかな、リーダー?」

「うん。……でも、力仕事ならわたしも残らなくていいの?」


 アリスの純粋な、まるで空気を読まない質問に、一瞬部屋の中が凍りついたように三人は固まった。天然なのか、わざとなのか──

 一足先に立ち直ったレティシアが、アリスの鼻をつん、とつつく。


「どうやらキミには道中、ゆっくりと話をしないといけないようだ。それとね、二人でいくのはキミに"戦利品"を懸賞金に換える方法を一度見て、覚えてほしいからなんだ」

「あ、そっか……。前はエリィがやってくれたもんね。わかった、一緒に行くよ」


 やれやれ、とレティシアはかぶりを振って立ち上がる。アリスはテーブルの上に広げられていた品物を自分と、レティシアの背嚢に納めた。そして当然のように、二人分の背嚢を背負いあげる。荷物持ち役も、ずいぶんと板についてきた。


「それじゃあ、シスター。色々ありがとうございました。それと、これからもよろしくお願いします」

「は、はい! こちらこそ、よろしくお願い致します……!」


 背嚢のせいで多少ぎこちなくもお辞儀するアリスに、丁寧に礼を返すマリアン。自然、顔をあげたままの幼馴染二人の視線がぶつかった。


「しっかり働くんだよ、担保クン?」

「……わかってるわよ」


 隣にいる女性のせいか、からかわれても大人しくうなづくだけのエリィに、くひひ、とレティシアが笑った。エリィは悔しそうな表情を浮かべたが──それも、マリアンが頭を上げるまでのわずかな時間だ。

 それじゃあ、また明日──入り口でつっかえた二つ分の背嚢を押し出して、二人は部屋を出ていった。

 しん、と部屋の中が静まり返る。子供たちが元気に遊ぶ声が、遠く小さく聞こえてきた。窓から差し込む陽は傾いていて、そろそろ夕食の算段をつける時間だ。


「アリスさん、優しそうな方でしたね」


 先に口を開いたのは、マリアンだった。その穏やかな表情を見て、エリィも微笑みながら答える。


「ええ。なんていうか、ちょっとぼーっとしてて、頼りないとこもたまにあるんですけど。いいリーダーですよ」

「ふふ……よかったです。でも、あまり危ないことはなさらないでくださいね。……あの、エリィ」

「はい?」


 行儀よく体の前で組んだ両手をもじもじといじりながら、なにやら言いにくそうな様子でマリアンが口ごもる。顔が赤いのは窓から差し込む夕日のせいかと思ったが、あいにくと黄昏時にはまだ早い。

 不思議そうな顔で見つめてくるエリィに、マリアンは意を決して、言った。


「あの……頭、撫でます、か……?」

「は……ええっ!?」


 エリィがあげた大声は、外で遊ぶ子供たちにも聞こえていたようだ。彼らはしばらく騒いだあと、リク少年の制止も空しく、二人のもとへ押しかけることになる。丁度、部屋にいる二人がすこし迷ったあと、なにかをするくらいの時間を空けて。


 次の日、クーデリアの様子を見に孤児院を訪れたレティシアは、その時の様子を子供たちから聞かされて、笑い転げることとなった──


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