赤い意思
王になりたいと思った。
私は、ルベライト卿ドミニクス・ストッケルは、王になりたいと思った。
それは私の父上も同じだった。彼は人間界で幼いながら世捨て人だった私を救ってくれた。とても優しい御方だった。私は幼子が親を神だと思うように、父上を神だと思っていた。しかし、父上には別の神が存在していた。
愚かで、支離滅裂で、罵詈雑言を吐き続ける肥溜めのような神だった。そいつは父上を位の低い諸侯としてしか見なかった。私を、大きく成長するまで吸血鬼に変えなかったのも、小さいままでは不便だからという良心からではないだろうと嘲った___『ああ、そうだろうなルベライト。お前には眷属をつくって養う領土すら無いだろうからな。聞いたか、その息子。お前の父親は出来損ないの貧弱な谷にしがみついて、そこの頭の弱い貴族に媚びへつらうだけの無能だ』。
とても神の言葉ではなかった。真祖としての権威にしがみつく、ひ弱な吸血鬼でしかなかった。
黄色い目の真祖だった。黄色い目から何代か経ち、父上は血を摂取するのも、政治に参加するのも辞め隠居した。私はどの真祖も嫌いだった。私の一族を岩壁の谷に押し込めていることに罪悪感や違和感を覚える者が誰もいなかったからだ。父上はあそこを『ルベライトの始祖が受け継いだ誇るべき土地』と言っていたが………私には三流貴族の捨て場所としか思えなかった。私が誇るべきものは父上と母上と、彼らに育てられた自分だけだったからだ。
けれど。けれど私は清廉な父上の最期の復讐を遂げたかった。父上は血を貯蓄する能力に秀でていたから、血を断っても50年程は生き続けた。しかし涸渇によるじわじわとした自殺は父上の精神を傷つけ……彼は干からびる今際の際に……。
『私の血を渡そう、ドム。すまない、おまえにこんなにつらい思いをさせて。しかし、しかしだ、どの真祖様もこのルベライトを……末席の貴族としか考えなかった……あやつらは異次元の者だからだ……でも許せぬ、私は王になりたいと一度願ってしまった、だからもう王を殺すしかないと思った、しかしそれは大罪だ。だから私は命を……でもどうしてもこの復讐心だけは持って逝けない、すまないドム……』
どうかあの真祖を殺して王になってくれ。
父上が死んで、時を同じくして母上は王都の家に帰った。私がそうさせた。彼女を復讐に巻き込みたくなかった。高潔な母上は私の真祖への復讐を危惧して中々動かなかった。
そして赤岩に住む貴族は私をそそのかして___実際は私がわざと乗ったのだが___国家転覆によるルベライトの再興を謀った。インカローズのシャーデンまで巻き込んで、武器を製造させた。
勝てると思った、思っただけだった。弱い真祖はいなかった。今回の真祖は部下を消耗品だとは考えていないようだった。黄色い目よりマシだ。あの碧眼は清い色をしていた。
「……ドミニクス」
地下牢で私は鎖で手を頭上に繋がれていた。首がじくじくと痛んだ。真祖の眷属の証だ。とても苛つく。その苛つきを隠さずに、かかった声の方向を向く。地下牢に降りる階段の途上、メイド服を着た少女がそこに立っていた。白銀の髪、ラティフォリア。彼女は代わる代わる交代する真祖の隣にずっと従っていた。彼女も恨むべきだろう、だが私は彼女の忠義を尊敬していた。だから殺したくなかった。だが今思うと、やはり殺しておいた方が身の為だった。
「……ラティフォリア」
彼女もまた浮かない様子だった。その眼差しは真剣そのものだが殺意は感じない。訝しんで彼女の背後を注視すると、忌むべき真祖が神妙な面持ちでこちらを見ていた。此度の真祖は射抜くような目でなく、腑抜けた碧の瞳を呈していた。くすぶった怒りに火が着いて、グ、と鎖を引っ張って身を乗り出した。
「動くなよ反逆者。それとも仲間と同じように喰われたいのか」
「アワワワ……相棒ぉ、今のは無いでしょ」
音もなく両隣に忍び寄っていた2人が途端に私の首筋に手を当てる。素手でも彼らなら簡単に私の首を落とせるだろう。そして血を吸い尽くすのだ。やれば良い。
「2人共止めなさい。……真祖様。彼がドミニクス、当代最初にあなたが眷属の証をつけた者です」
「……」
真祖は黙りこくっていた。私は沸々と存在を主張する憎悪に従い、沈黙を利用して血反吐の如き恨みを吐き出した。
「真祖___ヴァニタスよ。私は黄色い目のあなたに詰られる父を見ていた。そして貧窮さが積もる資源の乏しい谷に追いやられ苦しむ民を見てきた。私はもう耐えられなかった、真祖を殺す、それだけが今も私の目的だ」
「ふざけないでください、ドミニクス。あなたが干からびていないのは誰の慈悲があってのことか忘れたのですか」
「あなたこそふざけるな、ラティフォリア殿。あなたにはこの恨みが分からないのか」
「分かりたくもない。わたくしの血は真祖様の血。血を拒む身体がどこにあるのです」
彼女の忠義はやはり本物だった。寸分狂いもなく動く時計のように、彼女は忠誠心を元に動き働いているのだ。それは私の両隣に立つ者達も一緒だろう。
………やはり、殺して欲しかった。
「真祖よ、どうか私を殺せ。さもなくば死ね。でなければ私の怒りは終わらない」
この無様な願いに、真祖はようやく俯き加減だった顔を上げ、もう一度私を見た。黄色い目ではないからか、人を品定めするような笑顔を浮かべいないからか、猛禽のような印象は感じられなかった。
「お、俺は、あなたを助けるべきだと思って助けた………ほ、他の人達にも、………ラティにも同じことをした………だから、あなただけを傷つけたままにしておくのは、なんか、その___おかしい、気がしたんだ」
たどたどしい告白だった。それは私の嘲笑を誘うものだった。他の人にしたから私にもしただと? 反逆者と使用人を同等に扱うなど馬鹿馬鹿しい。
「……そそ、それに、この身体が、血の記憶っていうのかな。それがあなたのお父さんを見せたんだ。良い人だった、優しそうで、賢くて……俺の親父も、ぶきっちょだけど優しかったんだ。だから……だ、だから、そんな親父を侮辱されたら、怒るに決まってる」
「知ったように父上を語るな!! 貴様に何が分かる!! 貴様に殺された! 貴様が父上をあそこまで追い込んだ! そして私を復讐の鬼にした! 血の貯蓄量を増やす為に私が訓練した時間………母上を励まし続けた時間……弱ってゆく父上を見てきた時間……貴様は返せるのか!!!」
真祖の碧眼が揺らぐ。その程度だ、所詮は最弱の吸血鬼、異次元の住人なのだ。
___分かっている。父上を追い込んだ時の、放置した時の真祖とは中身が違うことも。だからこそ、このやり場の無い怒りはどうしたら良い?
「返せない、ご、ごめんなさい、む、無理です……だけど、だけど。俺は死にたくない。ラティが守ってくれた命だから……それに、あなたにも死んでほしくない。あ、あなたから吸った血が……どんどん消えていくけど確かに教えてくれるから」
あなたのお父さんが、あなたを大切に思っていたこと、自分が王になって痩せた土地から息子を解放したいと思ったこと、妻を愛していたこと、あなたを愛していたこと、そして。
「___ドム。あなたもこの記憶を感じた筈だ。だから後に退けなくなった。でもそれは俺もそうなんだ。あなたを救おうと心に決めた。あなたもお父さんもお母さんも、こんな仕打ちを受けるべき人じゃない___故に『私』は殺されない、おまえも殺さない。生きるべきだ。おまえへの『私』の罪は、『私』が背負う。死なないでくれ、ドム。おまえは王になどなりたくない筈だ。貴族に従うのも嫌な筈だ。その全てがおまえを怒らせるから___その、俺の友達になってください」
一瞬、真祖の目に何か変化があった気がした、気がしたのに、私はそれ以外の事象に気を取られていた。その口から零れ出た言葉に、ドムと呼ばれ、友になってくれと言われた。眷属として傍に控えろと。怒りの矛先を自分や他人ではなく、真祖だけに向けろと。
私が真祖に忠誠を誓い、その後代替わりした真祖から忘れ去られてから幾年月が経って、ようやく、私を……父上を。
「友、か。そんな近くに反逆者を置いては、ラティフォリア殿に助けられた命もすぐ潰えるぞ」
「させないよ。俺にはラティがいる、デジーもダンスさんもいるから。あなたにはわかってほしい。俺はこれまでの真祖とも、これからの真祖とも違う。そうなりたいとあなたが思わせてくれた。あなたは俺の精神の恩人だ」
____精神の恩人。
ガチャリ、と鎖が外される。身体は動かなかった。するとダンスに腕を支えられ、デジーに怪我の手当をされた。私はラティフォリアに近づき、囁いた。
「今回の真祖は随分変わった男だな」
「……ええ。初めてお会いした時、そう思いましたわ。ここに来る途中、怖がって震えて、2時間も地下牢の扉の前で考え込んでおりました……でも、ご立派で、勇敢で、お優しい方です」
その笑顔に何か心の澱が取り除かれた気がして、私は驚いた。しかし何より驚いたのは。
「………よろしく、ドム」
その碧眼に、私は賭けてみたいと思ったことだ。