ドクター来たりて真祖泣く
保健室イベントって、いいよね。
ドキドキ感たっぷりの、白い密室。窓から差し込む光に背くように二人きりの室内。保険医さんから漂う高そうな香水。長い脚と、泣き黒子。プックリとした唇、物憂げな垂れ目。優しくちょっぴりハスキーなボイス……。
ベッドに沈むからだを労ってくれる手は穏やかで、ハンドクリームの良い香りがする。爪も手入れしてるんですね、先生、先生………
「はぁーい骨入れま~すっ」
____なんか、マッドサイエンティスト風で、魔術師っぽい男性の特徴的な声が聞こえたんですけど空耳ですよね?
「いだだだだだだっっ!!!!!!!」
「コラあなた! 真祖様をいじめないでくださいますか!!!! 痛がってるじゃありませんか!!!!!!」
「あのォ、鼓膜破れちゃう」
血を吸っても治りきらなかった、というか倒れた俺を抱きとめる時にラティフォリアが力を入れすぎて脱臼させた左肩を治療され、悲鳴が我慢できなかった。こんな怪我初めてだし、戦っていた時はアドレナリンで気づかなかった、あんなにボコボコにされたことに恐怖を感じた。む………無理。吐く。吐き気を吹き飛ばそうと、医者をじっと観察する。
典型的な漫画の藪医者といった具合の、くたびれてつぎはぎな白衣(何故だか良い匂いがする)、短く刈った黒髪、泣き黒子、優しげな垂れ目。嫌みな位ダンディで整った顔。幻覚かなあ、背中に妙に仰々しい花のトーンが見えるよ? それに何かイケメンの向かい風が吹いてるんですけど。いやあ、これは語尾に「~でございます」ってついてる感じが!
「ヴァニちゃんおはよーじゃん☆やっほ☆」
………前言撤回だよギャップもりもりドクター。可愛い記号を渋さのアクセントに振りかけるな。担々麺に砂糖かけたみたいになってますけど。ギャルじゃ無いんだから。
どちらかと言うとまともじゃない感じの医者は、俺の困惑をそれはそれは楽しそうに小馬鹿にしており、ラティフォリアはその医者の態度に怒り心頭なご様子だ。医者は俺の左肩の調子を確認すると、よしよしと満足げに頷いた。
「うんうん、そこまでヒドくないね。ラティさんの応急処置が良かったみたいだ。そもそもラティさんが力の加減間違えなければ良かっただけのはな「お医者さんそれ以上はやめてください! ラティが憤死しちゃう!」
医者の追及__追い討ち、死体蹴りを寸での所で食い止め、とりあえず室内は静寂に包まれた。ラティフォリアは意気消沈して、俺より顔色が悪い始末だ。ぶつぶつ「まさかあれで骨がはずれるなんて……」とdisってんだか反省してんだか分からない文句を吐いている。俺は医者に向き直り、疑問をぶつけてみた。
「あの、俺あなたと会うのは初めてなような」
「あ、そーそ。僕はダンス! 君の身体とは長い付き合いなんだ。かれこれ、まあ、それなりに。で、僕には相棒がいてね。そいつが今来たから、挨拶頼むよ!」
医者改めダンスが後方のドアを指さす。つか名前まで陽気なのか。フットワークが軽そうで羨ましい。心から。
そんな俺の幼気でかわいらしい多少の羨望は、ドアにもたれて立つ血まみれの少女によって余韻も余さず消し去られた。一瞬大怪我しているのかと勘違いしたが、うわあ! 全部返り血だぁ! 肩口までの姫カットの黒髪で、俺の腰までしかないであろう背丈の、物騒に真っ赤な白衣を着た美少女だ。血まみれだけど。
「___デジーだ。自己紹介くらい自分で出来るんだがな。ダンス」
しかもワイルドな感じの大人な雰囲気だ! この血だくだく少女に頭を小突かれてもダンスは動じず、血が飛び散った自分の頭を「汚れちゃうじゃーん」とハンカチで拭いていた。そのハンカチその子にやれよ! つーか何で驚かないの? 見た瞬間のインパクトが悪魔のいけにえどころか悪魔だよ!? カオス過ぎるよこの状況! ラティフォリアァ!
「……うぅ、わたくし、わたくし自害致しますぅ! 太陽に焼かれるか生首だけで海に沈むか、真祖様のお好みの死に方は何でございましょう??」
だめだこりゃ。それにその死に方二番煎じだからね! なんかすごい聞き覚えあるし見覚えあるから。タンクローリーかロードローラーかどっちがお好みの重機ですかって聞かれるよりはマシかなあ、と首を傾げる。すると目の前の少女、デジーがあからさまにこちらを馬鹿にするような、長~い溜息を吐いた。舌打ちもセットだ。
「私は話の通じない馬鹿が嫌いでな。さあ、早く頭を撫でろ」
「あ、はいすいませんお茶ですか、焼きそばパンですか、それとも有り金ですか! すいませんゲーセンで使いやすいよう100円に換算してきますねボス! …………ん?」
イヤイヤマテマテ、頭を撫でろ? なんかの隠語なのこれ。吸血鬼内で流行ってるジョーク? 俺は鎖国人間なのでそんなアメリカン? いや吸血鬼だからルーマニア? な冗談分からないです!
俺の戸惑い方が癪に障ったのか、デジーは何故かダンスの二の腕をつねりながら続けた。少女の形相ではない。
「ふざけるな、ヤキシソヴァパン……とは何だ? げぇみゅしぇんたー? もイラつく響きだな。さっさと撫でろ、服がベトベトでもっとイラつく」
「は、はい」
無意識に敬語になってしまう気迫だ。俺は恐る恐るデジーの頭にポフン、と手を乗せた。…………? ポフン? 血まみれならもっとグチャ、とかミチャ、とかじゃないのか?
俺が面食らっていると、デジーはくつくつと堪えるような笑いを漏らした。
「ふはは……真祖さま、お前は血の飲み方も知らんのか? まあ、そこまでにしてくれ。こんな小さな体にそんな強く吸いつかれたら敵わんよ」
うわあァ! 俺は小さな女の子にホニャララする趣味は無い! 急いで手を離すと、何かが吸いつく感触がした__血だ。何となく喉が潤ってきた気がする。口内にも濃厚なバターや、美味しい唐揚げや、友達と買い食いした肉まんの匂いがして、涙が出そうになった。あれ、体感時間数時間程度なのに寂しいな。もう何年も友達に会ってないみたいだ。
もぐもぐと口を動かして、その郷愁に浸る。デジーはいつ間にか小綺麗になった姿で、満足げにくるりと回った。10歳を僅かに超えた位の華奢な少女だ。肌も薄白く、顔立ちは冷たい感じで、普通の小学生と比べると大人びている。へらへらとしているダンスよりよっぽど医者っぽい。
「さて、身支度も整ったところで。改めてよろしく頼むぞ、真祖様。今お前が吸った血はルベライトの差し金………になる筈だった兵士達の血だ。とんだ雑魚どもだったがな」
「やるじゃん相棒! だからあんなに大砲や武器だけが転がってたんだね~、通りやすかッ」
「お前はもっと働け。ふう、さすがにいっぺんに30人は腹いっぱいだ。真祖様がいて助かったよ」
「むぁッッッ!? デジー!! あなたまさか真祖様に穢らわしい反逆者の部下の残飯処理を!? させたのですか?! なんて事を……」
「うわあラティ正気に戻ったの!?」
目を血走らせたラティフォリアがデジーにつかみかかった。デジーはデジーでダンスの頭に手刀してるし。俺が一番の怪我人だった筈なのに! 俺は「喧嘩しないでください!」と持ち前の平謝りスキルで皆に言い聞かせた。うちの高校はちょこっと怖い先輩方が在籍していらっしゃったから、こういうヤンキームーヴは多少なら受け止められるような、できないような。止める方法を考えあぐねていると、意外にもダンスが俺に話しかけてきた。これは良い機会だ、と唾を飲んで喉を潤す。
「イヤーごめんねウチの相棒が。真祖サマが目の前にいるから高まったみたいです~」
「高ま……? あ、その、ちょっと聞きたくて」
「んー?」
「いや、あいつ……ルベライトはどうなったんですか?」
俺がそう質問すると、ダンスは小さく笑って、起きてすぐに元敵の心配とは優しいねえと言ってきた。完全にからかわれてるなこれ。でもラティフォリアとデジーはキャットファイト__いや……闘牛? 何あの剣? え、何かカーテンが一瞬で消し炭になったんですけど__もういいや。とにかく助け船は沈没している。正直、こんなタイプの大人と喋ったことがないから、扱い方が分からない。扱われ方も全く。でもダンスはガキの扱いをよく知ってると言わんばかりの余裕だ。その余裕を貼っつけて、彼は口角をニュイッと上げた。
「拗ねないでくれ、皮肉った訳じゃない……彼なら地下牢に閉じこめてある。君の願いだからね、ラティさんがきちんと眷属にした。しかしどうも反抗的でね。あれだけ頑固になるのは深い理由があるからさ。ねえ、ラティさん」
「そう言ってあなた去年もあーーたッくッしッのドレスを血塗れにしましたよねェ! 許せませんわ! 食らえオ゛ラ゛ァわたくしの必殺…………あ、はい。ええ、確かにそうですわ。あの頑なさは相当なものです。貴族や父親だけではない……あの自信、相当な権力者に焚きつけられたのでしょう。見た限り剣も一級品でした。あんな物を迅速に提供できるとしたら……あの地域ですと、一番近いのはインカローズ___『夕焼けの花畑』に拠点を置くインカローズ卿ですわ」
「インカローズ?」
首を傾げる。確か、とさっきから何故か脳裏に浮かび上がる貴族の名を羅列する。デジー曰わく、眷属と繋がっているのは俺の体の方だから、そこに入った俺の脳は体に馴染もうとしているらしい。だからこの世界の記憶も断片的にあるのだと。寄生みたいでぞっとしない。でも今は役立つから、忘れ物を思い出すように意識を集中させてみる。
___真祖、初代はその弱さ故に自分が倒れた時の保険に、それぞれ13の諸侯を眷属にして各々の望んだ土地を与えた。序列は数が少ない程真祖に仕えた者として高い。つまりルベライト卿は9番目だから、そんなに高く無いということだ。だから自分より偉い貴族を説得するより、直接弱い王を叩いた方が良いと考えたのだろう。そして、えーーとインカローズ卿は………うん?
「………インカローズって誰だ?」
その言葉を発したのは、俺ではなくデジーだった。心底不思議そうな表情だ。からかっている訳ではないらしい。俺も喉元まで出掛かってる。何か存在は体が感じてるけど、思い出せない。これは俺が元々この体の持ち主じゃないからってのには関係無い気がする。言うなれば___めちゃくちゃ影の薄い人間を必死に思い出そうとしているような。
谷を抜け、川を挟んだ丘陵地に広がる、一面の花畑。肥沃な土地とふんだんな水、素晴らしい開拓技術によって、インカローズの領地は『ある花』の生産を独占していた。美しい花だ。夕焼け色をした大きな花輪から、芳しい匂いが放たれている。しかも全ての花が平等に育つよう、完璧な均整さを保っている。そんな美麗な風景を土足で踏み荒らそうとする少女に、農民達はひれ伏しながらしがみついていた。
「おやめくださいシャーデン様! 今年分の花を全て燃やす気ですか!?」
「そうですよお嬢様、目を覚ましてください!」
「いーーやーーでーーすーーッッッ! シャーデンはこんなとこ燃やしますーーッッッ! どきなさいったら!」
花と揃いの夕焼け色の髪をいかにもお嬢様風縦ロールにセットした少女は、フリルたっぷりの白いシャツが汚れることも、高級革のビスチェが傷つくことも最早眼中に無い様子だ。
「目を覚ませはこちらの文句! もーーー! 邪魔しないでックシュンッ」
「うわあお嬢様がくしゃみを! お嬢様がお風邪を召された! 担架を! 担架をーー!」
「大 げ さ よ! ……ったく誰かこのシャーデンの噂でもしてるのかしら? ……ま、そんな筈無い、か」
夕焼け色の髪を梳いて、少女___インカローズ卿シャーデン・フロイデは悲しげに呟いた。