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優しい吸血鬼


 ヴァニタス、と彼は言いました。

 わたくしは、血の味のする口を開けて、血の海から体を持ち上げようとして、それでも目しか動かせなかったのです。でも、確かに彼はそう言いました。

 ヴァニタス、来るべき空虚な死の暗喩。

 わたくし達吸血鬼のほとんどは、あなた様を軽蔑し、蔑み侮り、歯牙にもかけません。吸血鬼とは、その吸った血の量でも強さが決まりますが、一番はその血をいかに『溜め込める』かで力が決まります。血の貯蓄、それが吸血鬼の品格や能力を高める材料なのです。

 ルベライト卿は、強い。血を蓄える才能がある。それに対して、あなた様は。

 ヴァニタス。空虚なからだ。あなたは血を『()()()()()()』。だからあなたは弱い。吸った血の量はザルに入れた水のように減り、ゼロになり、マイナスになる。

 ____でも、諸侯らは知らない。

 あなた様は、惨めな吸血鬼(ミゼラブルブラッド)という不名誉な二つ名を持つ。けれど、わたくしは知っている。

 あなた様はわたくし達を創ってくれた。その『血』はわたくし達に対して、『()()()』を持つ。

 つまり、あなた様はわたくし達の真祖であるが故に、わたくし達の『血』を自由に操れるのです。




「ルベライト子爵ドミニクス・ストッケル。赤岩の谷(ルベライト)の貴族にして我が9番目の眷属の血筋。その身に私は子爵を授けた。すなわち貴様は私の寵愛を受けし息子。如何にしてこのような狼藉を働いたか?」


 真祖様の碧眼が、鋭さと冷たさと慈しみをもってルベライト卿の身体をその場に縛りつける。ルベライト卿は顔をわずかに青白くしたが、大剣を構え直した。


「真祖、我が王。私はあなたの全てが気に食わない。その御身は弱く、血はか細い。国の内政を司る諸侯は王になれないと言うのに、あなたの御身に入った見知らぬ魂は真祖として君臨する。……私の父は、いくら国に尽くしても王になれぬと悟り、失意の内に私に血を託して死にました」


 ルベライト卿がつかつかと真祖様に歩み寄り、大剣ではなく振り上げた拳で、その白い頬を張り飛ばした。真祖様はわずかに呻いて、弾けるように倒れた。わたくしは助けようと思って、でも身体が動かなかった。血が抜けていく倦怠感が身体を支配する。ふわりと脳味噌が浮く感覚、強烈な眠気と、停滞した痛み。


「弱いな」


 真祖様が悲痛な声を出しながら暴れる。腕を踏まれているのだ。左腕の骨が折れて、剣の束で華奢な鳩尾を殴られる音、嘔吐__聴きたくない、こんな酷い。真祖様の身体が、首を掴まれたままで持ち上げられる。真祖様がゲホゲホと咳き込んだ。


「ゥ、ぐ……」

「弱い、真祖様。あなたはやはり弱いな。惨めな男だ」

「ぐあァあぁっ!!」


 彼の首の骨がミシミシと軋んだ。ルベライト卿は醜悪に口端を吊り上げる____しかし、真祖様は苦しみに悶えていた表情を一変させ、微笑みながらルベライト卿の頬を撫でた。


「何、そんな、満身創痍の筈、」

「___ふふ、強くなったな。私は嬉しいよ。ストッケルの坊や、さあそんな怖い顔をしないで」

「なッ___ヒッ!!」


 真祖様がルベライト卿の両頬を両手で包み込んだ。折れた左腕がみるみるうちに再生し、逆にルベライト卿の肌はハリを失い、彼は真祖様から手を離し、うずくまった。


「頑張ったなぁ、もう良いんだぞ? ありがとうな、皆を生ぬるく殺してくれて。これだったら修復可能だ」


 立ち上がった彼の足下を中心として、赤黒い血が出現する。その血はまるで意思を持っているかのように、倒れ込んでいる使用人とわたくしの方へ流れ、皮膚に染み込んでいった。徐々に部屋に生気が溢れ、わたくしの身体にも動ける程の血が流れてきた。


「___『血』とは受け止め、溜め込み、分け与えるものだ。私はとりわけ授与が得意な無能だよ。貴様は強いな。ぜひ欲しいな、その血が」

「やめ、やめろ……殺せ! 何故血を奪う、一思いに殺せ!!」

「いやだ。貴様が私の使用人から奪った分は貰ったが……まだ貴様の父親の分は貰っていない___ラティ」


 名前を呼ばれる。それだけでわたくしは毅然と立ち上がることが出来た。その言葉の強さに背中に寒気が走った。


「はい」

「どうか彼を許してほしい。ドミニクスは反抗期の子供のようなものだ。だから始末は、私がつけて良いかな?」


 ルベライト卿に穴を開けられた腹を撫でる。真祖様のお力によって、それは綺麗に塞がれていた。使用人達を見る。皆、憔悴してはいるが問題はない。ここまで元通りになってしまえば、もう自分の怒りなんて真祖様に対する不敬になってしまうだろう。頷くと、真祖様はにっこり笑い、ルベライト卿の額を撫でた。糸の解ける響きと共に、ルベライト卿が力を蓄える為に吸ってきたであろう全ての血を吸収した。ルベライト卿は青白くなった顔を悲痛に歪ませ、真祖様を恐る恐る見やった。


「では、そうさな。貴様は今日から私のものだ」

「そ、そんな、血が」

「赤岩の貴族に伝えよ。ルベライト子爵ドミニクス・ストッケルはもう赤岩の谷(ルベライト)を統治する者ではない。それに、赤岩の貴族さえあそこはもう支配できない。あそこは私の直轄地としよう……そしてドミニクス。貴様は私の部下になれ」

「クソ、いや、だ」


 それを聴いて、真祖様は悲しそうに眉を寄せる。わたくしは、こんなに真祖様を殺そうと頑なな男をまさか部下にするなんて考えられないと思った。もう卿も後には退けないのだ。多分、赤岩の貴族に焚きつけられたのだろう、父をも犠牲にする業火によって。そう思うと哀れだ。かわいそうな坊やだ。今も震えて絶望の淵にしがみついている。奈落の底に落ちまいとしている。血走った目に涙がほとばしる。真祖様は、「安心しろ」と彼に囁いた。


「ドミニクス、貴様の一族に手は出さない。私はそんなに強くない。もう満身創痍なのだ。血を使いすぎた。だから護っておくれ」


 それに、貴様は王にならぬ方が強いと思うぞ。

 そう言い残して、真祖様は背中から倒れた。わたくしは慌ててその御身を受け止め、静かに床に寝かせた。軽い。細くしなやかな身体は、真祖様に相応しく美しい。それに、此度の真祖様はとてもお優しい。わたくしはルベライト卿に向き直り、彼の姿を認めた。精神が衰弱し、うつろに座り込んだその人は、もう怒りを呼び起こすような見た目では無かった。わたくしは彼の口をこじ開け、胸ポケットにしまっていた瓶を取り出した。中には真祖様の血液が入っている。眷属を増やす用の貴重な品物の一滴を、ルベライト卿に無理やり飲ませた。彼は勿論抵抗したが、もう遅い。彼の首筋にぼろぼろになった十字架の紋章が浮かび上がる。


「あなたは真祖様直属のしもべ。ルベライト子爵ドミニクス・ストッケル改めドミニクス。真祖様の血にその身を捧げなさい……アリア。彼を地下牢に。状況が整理出来るまで厳重に監視してください」

「分かりました、ラティフォリア様」

「わたくしは真祖様を2階へ運びます。ルークはいつもの医者を呼んでください」

「分かりました、ラティフォリア様……傷は」

「わたくしより真祖様を心配してください。でも、ありがとうございます。優しいあなた達が助かって良かったです」


 使用人達に思ったままを述べる。彼らは笑顔でそれに応じてくれ、わたくしは少し暖かい気分になった。上機嫌で真祖様を抱え、難なく2階へ上がり、寝台に彼を横たえる。そしてその脇に腰掛け、自分の指の肉を歯で引き裂いた。


「…………よろしくね」






_____夢を見ていた。

 微睡むような、心地良い夢を見ていた。

 ラティフォリアも、使用人達も、全員助けたくて。自分の『血』に叫んだ。抜けてゆく力を引き止めはしない、その代わりにあの人達に届いてくれと。だからそうなった。

 痛かった。痛くて、自分の弱さを痛感して、でもルベライト卿の痛みも分かった。だからそうした。


「馬鹿ね」


 虚空の中に、少女は立っていた。

 年の頃、恐らく18歳くらい。黒髪からプラチナブロンドに変わる特異な髪色の、前髪の長い重ためツインテール、吊り眉たれ目で、何か妙に露出度が高いゴスロリファッションに身を包んでいる。…………タイプだ。可愛い。結婚してくださいと申し込もうとして、デジャヴに気づく。何も言葉を発しない俺を咎めることもせず、少女___サイザデイは持っているけばけばしい蝙蝠傘をくるりと回した。


「こんなに傷だらけにしてさ。まあ、あいつは魂に引っ張られて性質を変える奴だからしょうがないのか」


 傘の先で、胸を小突かれる。曖昧だった四肢の感覚が戻って、自分が今暗闇の中にいることを感じ取れた。サイザデイは相変わらずの美しい口角で独白を続ける。


「今回の目の色は碧なのね。緑よりはマシかな。藍の方が好きだけど___やっぱり赤には至らないのね」


でもいいわ。彼女が首を横に振る。やっぱり、ラティフォリアに似ているような気がする。でも、纏う気配も、口調も、全く違う。不思議だ、もっと話したいのに、力がまた抜けてゆく。サイザデイは、意識を失いかけている俺に近づき、手をとった。そして、きつくまぶたを下ろした。手の甲に、涙が落ちる。その瞬間、俺は自分の存在が世界に肯定されたような安心感を覚えた。


「ヴァニタス。アンタとはもう会いたくないワ。ラティにも伝えて頂戴_____」




 意識が浮上する。

 目を開けると、綺麗な部屋の天井がうつる。横には、回復したラティフォリアがいた。彼女はこちらに気づくと、俺の額に氷嚢を当ててくれた。冷たくて気持ちが良い。



「おはようございます、真祖様」

「ラティフォ、」

「ラティ、とお呼びくださいませ、真祖様」

「____おはよう、ラティ」


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