9:“反逆の意思”
「はぁー……流石に疲れたな……」
紫水晶の光に照らされながら、俺は深く溜め息を吐いた。
頭がズキズキと痛い。圧倒的な大軍を相手に、集中力を振り絞って戦い続けた弊害だろう。潰れたままの右目もまた、今さらになって鈍痛を発し始める。
だがまぁこれで……。
「──よぉジャンヌ。お前の部下共67人、悪いが全員殺させてもらったぞ?」
そう言って俺は、焼け焦げた戦場を背にジャンヌダルクを睨みつけた。“さっさとお前もかかって来いよ”と、挑発的な意思を左目に込めて。
その視線を受け、金髪の女騎士はビクリと身体を震わせる。
「なっ、なんなのよアンタ……っ! ぁあっ、ありえないでしょうがこんなのッ!?」
「なにって、ただの初心者だが」
「アンタみたいな初心者がいるかッ! くそっ……負け犬の『魔人種』風情に、こんな……こんなぁ……っ!」
慄きながら後ずさるジャンヌダルク。ははっ、負け犬……ねぇ。
俺はヤツの隣で目を見開いているアリスにもまた聞かせるように、迷いない口調で言い放ってやった。
「……負け犬にだって牙があんだよ。このままずっといつまでも、魔人種が下に居続けるとでも思ってんのか? どいつもこいつも今の立場で燻ってると思ってのか?
──だとしたら甘ぇよ」
閉じた右目から血涙が落ちるのを感じながら、固まっている騎士様に言葉を続ける。
「お前たちが行っている初心者狩り……アレには一つの欠点がある。それはシンプルに、ヘイトを稼ぎすぎることだ。
俺みたいに何となくでゲームを始めた、『派閥争いに興味のないライトユーザー層』までごっそり敵に回す行為なんだよ」
そうして現に、俺はこいつらを殺すと決めた。ああ、他にもきっと同じ者はいるだろう。
アリスは多くの魔人種プレイヤーたちが引退しただのキャラを作り直しただのと嘆いていたが、そんな腑抜けた奴らばっかじゃないだろ。騎士の横暴にブチ切れている連中もまた相当数はいるはずだ。火種はとっくに出来上がっている。
「すこし頭を回せば分かることだ。お前たちが常勝できてる本当の理由……それは単に、士気が高いからに過ぎない。
わかるか? 勝ち続けてるから勝ててるんだよ。つまり──」
大剣を今一度握り直し、ジャンヌダルクへと切っ先を向ける。
ここまで語れば、お前もとっくにわかってるはずだろう?
「──お前たち聖騎士は、一度でも大敗すれば一瞬にして地位と名誉を刈り取られるぞ……ッ!
なにせ恨みを抱いている連中は山ほどいるんだ。一度でも勢いに陰りが出れば、敗者共が嬉々として逆襲を仕掛けに来るだろうさ。
たとえば今回みたいに、“たった一人の相手に大軍勢が打ち倒された”──なんて噂が流れたら、さてどうなるか……!」
「ぐぅ……!?」
口角を吊り上げる俺とは逆に、徐々に顔を青くしていくジャンヌダルク。
ああ、レベルで言ったらこの女のほうが確実に上だろう。装備も戦闘経験も圧倒的に勝っているはずだ。だというのに、少し言葉責めされた程度でこの様である。
(ははっ……こんな奴にされるがままだったとか、自分が情けなさ過ぎて笑えてくるな……)
ゆえに殺そう、さぁ殺そう。決して、決して逃がさない。
……この聖騎士に嬲られてきた他の被害者たちのためにも、こいつはここで確実にへし折る。
「くっ、クソぉ! アタシたちはまだ負けてないッ! このアタシさえアンタに勝てばいいのよッ! だからっ、うっ、動くんじゃないわよッ! もしもアタシに近づいたらっ、」
「隣にいるアリスのことを殺すってか? ああ、やってみればいいじゃないか。
どこかのクソ女が言っていたが、これは所詮『ゲーム』だ。何をしたって犯罪にはならないし──死んでも街で蘇生するだけなんだからなぁ?」
「なっ……てっ、てめぇ……っ!」
皮肉られたのがよっぽど屈辱的だったのか、女騎士は憎々しげに表情を歪める。さぁほらどうした、やってみろよ畜生らしく。
……まあもっとも、アリスを傷付けさせる気は毛頭ないがな。
「──お前が俺から意識を外した瞬間に、その首を切り落としてやろう。
そうしたらお前は本当に終わりだ。“人質まで取ろうとした挙句、無様に殺されたゲス女”として笑い者になるぞ?
プライドの高いお前は、そんな立場を許せるか? そんな自分を許せるかぁ?」
──いいや許せるわけがない。キャラを消そうがゲームを辞めようが、きっと心の傷になるだろうなぁ。
「うっ……ぁっ、ああああああああああッ!」
目つきの悪い碧眼を揺らしながら、ジャンヌダルクは咆哮した。
そうして肩を震わせて……ついのその双眸に、病的なまでの殺意の光を輝かせる。
「くそっ……クソ、クソ、クソォオオオオオオオオッ! どうしてこのアタシがこんな雑魚に追い詰められなきゃいけないのよぉ!?
嬲られろよ! ボコられろよっ! このアタシを気持ちよくするために絶叫を上げろよォォオオッ!」
いよいよ女はブチ切れて、身勝手な獣欲を叫び上げた。
ははっ……分かりやすくていいじゃないか。いっそ可愛く思えてきたぞ、死ね。
「殺してやるっ……殺してやる殺してやる殺してやるッ! このアタシに逆らうクソ男は、全員殺して屈服させてやるぅうううッ!」
──喚くと同時に、ジャンヌダルクの両手が輝き光る。
一瞬の閃光の後にあったのは、紫電を纏った『白銀の双剣』であった。
それが顕現した瞬間、アリスが表情を強張らせる。
「ッ──アラタくん気を付けてッ! あれは≪色欲聖剣マグダレナ≫! 斬った相手を高確率で麻痺させるトップクラスのレア装備よ!」
「なに……?」
つまり、運が悪ければ掠っただけでも行動不能にされちまうってことか。
逆に俺の防具は、初期に貰えるボロい着物が一丁だけだ。防御性能など絶無に等しい。
圧倒的な装備の差を認識した俺に、ジャンヌダルクが狂笑を浮かべてきた。
「くひひっ……! そう、アンタみたいなボロカス野郎……一撃当てれば何の抵抗も出来ない肉人形にしてやれるってわけよッ!
さぁ、アタシの奴隷になれ! ジャンヌ様と呼んで全身を舐めろッ! 勝つのは、このアタシだぁぁあッ!」
バチバチと唸る雷撃の双剣を構え、邪悪なる女騎士は獣のように狂い叫んだ。
ああまったく……本当に殺し甲斐のありそうな女だ。
俺も炎剣をまっすぐに構え、全身に殺意を充満させた。
「寝言は寝て言え、勝つのは俺だ。さぁ──かかってこいよ、ジャンヌダルク。お前の全てを穢し尽くしてやる……!」
極限にまで高まっていく互いの闘志。それによって空気が揺らめき、洞窟内が必殺の気配で満たされていく。
そして俺たちは、足裏に渾身の力を溜めこんで──まったく同時に駆け出した。
「「うおおおおおおおおおォオオオオオオオオッッッ!」」
高らかに響き合う開戦の叫び。互いの敵を滅殺すべく、ただ一合に全てを懸ける。
かくして、命が交差する瞬間まで約3秒──俺はここで悟ってしまった。
このままいけば、負けるだろうと。
というのも、ジャンヌダルクは肉食獣のごとく疾走体勢を低くし、眼前で双剣をX字に構えることで完全に前面をガードしていたのだ。
一本目の刃で俺の大剣をいなし、続く二本目で仕留める気なのだろう。
(ははっ……なるほどな。もともと俺は初期装備の雑魚だ。一撃必殺さえ防がれたら、その時点でお終いだ……)
腐ってもトッププレイヤーといったところか。挑発を重ねることで完全に冷静さを欠かせたと思っていたが、予想以上にこの女は戦上手だったようだ。
──終わりの時まで約2秒。刃越しに見えるジャンヌダルクの口元が獰猛に裂けた。
ああ、お前の戦術は正しいよ。【反逆の意思】で筋力をブーストしているとはいえ、相手のステータスが高すぎれば押し切ることはまず不可能。軌道を逸らされ終了だ。
──決着まで、約1秒。
もはや逃げることは叶わない。
「このォォオッ!」
「あっはぁっ!」
破れかぶれで振り下ろした俺の大剣が、ジャンヌダルクの双刃とぶつかり合った。
飛び散る火花を浴びながら、全力で力を込めるが……やはり両断することは出来なかった。俺の敗北が決まった瞬間だ。
「アっ、アラタくん──ッ!?」
「ぎゃははははははッ! 死ぃねぇええええええ!」
アリスが悲痛な声で叫んだ。ジャンヌダルクが殺意のままに吼えた。
そうしていよいよ傾く均衡。俺の斬撃が徐々に徐々に、そして確実に逸らされていき──────
「──まだだァァァアアアッ! 俺の反逆の意思を舐めるなァァアアッ!」
まだだまだだまだだまだだっ! 負けて堪るかふざけるな! 『奥の手』がないと思ったかッ!
ああ、俺はこの瞬間を待っていたッ! 悪しき戦姫よ思い知れ、勝利に飢えた悪鬼の意地をッ!
握る大剣に死力を込めて、死の一瞬を数コンマだけ引き延ばし──俺は高らかに吠え叫んだ。
「音声入力、パラメーターチェンジッ! 全フリーステータスポイント“500”を、筋力値へとブチ込みやがれぇぇええええッ!」
「なぁッ!? 戦闘中にステータスアップを──って、500ですってッ!?」
俺の秘策に、ジャンヌダルクの顔から勝者の笑みが吹き飛んだ。
そう、今や俺のレベルは35。騎士共との戦いで一気に25レベル分もの成長を果たしていたのだ。
そして1レベル上がるごとに貰えるフリーステータスポイントは20。結果、合計500もの膨大な数値を俺は溜め込んでいたのである。
それを全て筋力値に注ぎ込んだのならさてどうなる? さらに【反逆の意思】の力によって倍加したら? そんな相手と真正面から打ち合ってしまったら!? その結果は火を見るよりも明らかだろう。
そう──全ては、この一撃のために……ッ!
「やっ、やめっ、やめろおおおおおおおおおおッ!?」
ジャンヌダルクは泣き叫びながら身を引こうとしたが、もはやその選択は遅すぎる。俺の敗北が決定していた時点で、お前の死滅は確定していたんだよぉおおおおッ!
「うおおおおおおおおおおおおおおッッッ!」
極限にまで増幅された筋力の前にはもはや抵抗など意味を成さない。かくして俺は、燃える刃に有り余る全ての力を注ぎ込み、雄叫びと共に振り下ろす──ッ!
「それじゃあなぁ、ジャンヌ様よォ! 『筋力極振り』舐めんなオラァァアアアアッ!」
「こんなっ──こんな馬鹿なァァァァアアアアアアアアッ!?」
──そして巻き起こる大爆砕。俺の一撃はジャンヌダルクの身体を真っ二つにすると同時に、洞窟そのものを崩壊させたのだった。