7:殺意の覚醒
「アっ……アリスーーーーーーーーーーーーッ!?」
絶叫が、喉の奥から迸った。
わけが分からない、わけが分からない。ついさっきまで楽しく二人で冒険し、仲睦まじく笑い合っていたゴシックドレスの少女が……どうして今、矢衾となって倒れ伏しているというのだ?
俺の頭はパニック寸前だった。そうして指先を震わせながら、血の海に沈んだアリスに手を伸ばさんとした──その時である。
「──ギャハハハハハッ! ごめんなさいねぇ鬼のお兄さん!? 楽しいデートをぶち壊しにしちゃってさぁ!」
嘲笑を含んだ女の声が、俺の背後より投げ掛けられた。
さらにはそれに追従し、複数人の忍び笑いが二人だけだった世界に響き渡っていく。
俺は緩慢に後ろを振り向き──そして絶句した。
そこには、豊かな肢体をバトルドレスによって包んだ金髪の女を筆頭として……何十人もの『聖騎士』たちが立ち並んでいたのだから。
「なっ……お前らは……!?」
弓矢を構えた部隊がいた。剣を携えた部隊がいた。槍を手にした部隊がいた。
──まさに騎士団である。皆一様に銀色の甲冑で身をよろっている様は、そうとしか言いようがなかった。
ただし……彼らの瞳に宿っているのは騎士道精神の輝きなどではなく、嘲りに満ちた下劣な感情の光だったが。
「あーあー可哀想に……」「≪麻痺矢≫と≪封術の矢≫を山ほど食らっちまったなぁ! その嬢ちゃん、もう詠唱も何も出来ねぇぞ?」「残った鬼の野郎のほうは……なんだ、初期装備じゃねえかよ。殺し甲斐がねぇぜ」
耳障りな声で、口々に好き勝手なことを言う騎士の者たち。彼らの言動に対して湧き上がるのは、怒りよりもまず困惑だった。
「なんで……どうしてここに騎士たちがいるんだよ……!」
混乱と恐怖で思わず声が上擦った。アリスとの冒険で忘れかけていたゲーム開始時のトラウマが、脳裏に再び蘇っていく。
ああ、本当になんでこの場所に騎士たちがいるんだ。ここは、彼女にとっての秘密の場所じゃなかったのか?
そんな俺の疑問に答えたのは、リーダーだと思わしき金髪碧眼の女騎士であった。
「いやねぇ、アタシもビックリしてるわけよ。『初心者狩り』の帰りにたまたま新ダンジョンを見つけたもんだから、喜び勇んで入ってみたら奥から戦闘音が聞こえるじゃん?
チッ、お手付きかよって思いながらも、奥まで来てみたらこうして……ねぇ?」
そう言って女は、青い瞳を肉食獣のようにギラつかせ、倒れ伏したアリスのことを睨んだ。
そして、言い放つ。
「──本当に驚きだわぁ。連戦連敗の責任を押し付けられて追い出された、カブトムシよりも弱い“元ギルドマスター”さんがいるなんてねぇ……!」
「何……!?」
アリスが、例のギルドマスターだって……!?
俺は振り向き、伏したまま動かない彼女のことを見た。
(そうか……だからあんなに、魔人種軽視の風潮について気に病んでいたのか……)
俺みたいな初心者のサポートを行っているのも、きっと罪滅ぼしの一環だったのだろう。立場を考えれば、これまでのアリスの言動には納得がいった。
だが、しかし。
「……だとしても、アリス一人で気負うことじゃないだろうがよ。それに魔人種ギルドの連中は、アンタみたいな優しい人に責任全部おっかぶせて、捨てるようにして放り出したっていうのかよ……!」
苦い不快感が胸へと走る。ギルドの者たちは、彼女を追い出してそれで騎士たちに勝てるとでも思ったのか? 魔人種軽視の風潮が収まるとでも?
……答えは否だろうがよ。こうして今、騎士たちに嘲りの視線を向けられている状況がそれを証明している。
「ああ……クソっ」
果たしてアリスは、笑顔の裏でどれだけの痛みを抱えていたのだろうか。
俺は動かないままの彼女を背に庇いながら、騎士の集団へと懇願した。
「──頼む。俺のことならどうにでも殺してくれ。何度だって殺してくれてかまわない。だからどうか……この子のことは見逃してやってくれないか? この通りだ……」
そう言って俺は、ヤツらに対して深々と頭を下げた。
はぁ……気分転換で始めたゲームだってのに、なにやってんだろうな俺は。リアルは冴えない元社畜で、そんでゲームでも頭下げてるとか爆笑モノだろ。
馬鹿なことをやっているという自覚はあるが──だけど、それでも、
「この子は……アリスはとっくに傷付いてんだよ! だからもう放っておいてくれないか!? 俺でよければ何でもするからよぉ!」
心からの誠意を込めて、騎士の者たちへと訴えかけた。
アリスはNPCでもなければモンスターでもない、リアルに血の通った人間だ。たとえゲームでは『魔人種』とかいう存在だろうが、虐げられれば傷付く心をもっている。
そしてヤツらも、それくらいはわかっているはずだ。
「頼む……頼む……!」
ゆえに俺は、騎士たちの人情だけを信じて改めて頭を下げたのだが──しかし。
返ってきたのは、右目を抉る指での一撃だった。
「ギッ──ガアアアアアアアアアッ!?」
「あははははっ! 何も叫ぶことないでしょう!? 痛みに対してはセイフティがかかってんだから、鈍痛くらいしか感じないでしょうが!
──まっ、眼球ぶっ潰されて眼孔の奥に指を突っ込まれてるっていう不快感はどうしようもなく堪らないでしょうけどねぇ!」
気づけば目の前には、ニヤニヤと嗤う金髪の女騎士がいた。ヤツは俺の右目に指を差し入れたまま、下卑た調子で言い放つ──!
「傷付いてるから放っておいてくれだぁ!? アハハハハッ! バァァァカッ! だからこそ嬲り甲斐があるんだろうがよッ!」
「はぁっ……!?」
この女はいったい、何を言ってるんだ……!
半分だけとなった視界に映る女の言い分が、まるで全然わからなかった。だからこそ、嬲り甲斐があるって……、
「こっ、これはあくまでゲームだろうがよ!? 俺たちは別に本気で憎み合ってるわけじゃないんだっ! だから、だから見逃してやったって、」
「──ゲームだからこそイイんだろうがよッ! ボロッカスの相手に好き勝手に暴力振るっても、どうせ犯罪にはならねぇんだからよぉ!
たとえばこうして……目の中グチュグチュかき回したりしてもなぁあああああ!!!」
「ひっ──ぐぎぃいいいいいいいい!?」
瞬間、頭の中で光が弾けた。
女が指を動かすたびに白い光がまばゆく輝き点滅し、体が勝手にガクガクと揺れる。
さらに女は俺のことを押し倒すや、腰にまたがって指を激しく出し入れし始めたのである──ッ!
「あぎぃいいッ!? ガッ!? がッぐッ!?」
「アハハハハハハハッ! やべぇえええええ! スッゲェ興奮するぅううううう!!!
ほらほらほらほらお兄さぁんッ! 大事な穴に入っちゃってるわよぉ!? ズタボロにされて転がってるロリ彼女の横で、別の女に殺られて逝っちゃえェッ!
精神ボッキリ折れちゃって──このジャンヌダルク様に跪きなぁあああ!」
眼孔に突っ込んだ血塗れの指ごと、女騎士は──ジャンヌダルクは俺の上で何度も何度も腰を上下させ始めた。
淫らに頬を紅潮させた様はひどく下劣で、脳内で弾ける不快感も相まって吐き気すらも催すものだった。
どうにか彼女を引き剥がそうと、ブルブルと揺れる大きな胸や白い太腿に指を食い込ませて引っ張るものの、ステータス差からかまったくビクともしやしない。
……それどころか視界の端に、
『あなたは性的なハラスメント行為をしている可能性があります。相手からの拒絶申請を受けた場合、こちらはあなたを強制的に監獄エリアへ転送いたします』
──などと、あまりにも見当違いすぎるシステムメッセージが流れてきたのだ! 馬鹿じゃないのかクソ運営ッ!?
「アッハァ! いいわよいいわよお兄さ~んっ! 『行為承認』っと! さぁほら、このジャンヌ様がママになってあげるわぁッ!
ゲーム内だとズップリまでは出来ないけど、それならリアルで会っちゃえばいいのよぉ! アタシ好きなタイミングで排卵できるから!!!」
なんだこいつ!? なんだこいつ!!?
女の嬌声と俺の絶叫、そしてジュブジュブという水を掻きまわす音だけが洞窟内に木霊し続ける。
(も、もう耐えられない! もう限界だ終わらせてくれッ! ……だっていうのになんで俺のHPは、まだ3割しか減ってないんだ……!?)
そうして困惑する俺に、ジャンヌダルクは蕩けた笑顔で饒舌に語る。
「ハァ、ハァ……! ヒヒヒッ……逝きたくても逝けないことに戸惑ってるようねぇ、お兄さん。現実だったら致命傷もいいところだってのにね?
まっ──そこらへんはゲームってわけよ。たとえば筋力ステータスを死ぬほど上げまくったとして、それでハイタッチで相手の片腕ぶっ飛ばせるようになっちゃったらスキンシップも出来やしないでしょう?
そんなわけで、プレイヤーによる徒手空拳のダメージは最低限のモノになっちゃうみたいね」
女はそこで言葉を切り──そして凄絶に笑みを深めた。
「だぁかぁらぁぁあ……! お兄さんの眼孔や耳の穴をぶっ壊れるまで穿りまくろうが、ダメージがほとんどない“ただの指突”として扱われちゃうってわけよぉ!!!
それにこのゲームは、残念なことに内臓は再現されていないッ! つまりは逆に、へその穴に指をぶっ刺して中身をグチュグチュかき回そうが、アバターへのダメージは最・低・限ッ! 不快感とショックでテメェの精神が滅茶苦茶になろうが、死んで逃げるこたァ出来ないんだよォ!」
「っ……!」
下卑た哄笑が響き渡る。
ああ、なんだよこの女……頭おかしいんじゃねえのか!? 見た目だけなら女騎士、あるいは姫騎士といったところだが、中身はそこらのケダモノ以下だ。完全に精神が腐ってやがる……!
「んじゃぁお兄さん……続き、シましょっかぁ?」
淫猥に、そして下劣に微笑むクソ女。控えている騎士たちも腹を抱えて笑うばかりで、俺が苦しめられる姿を楽しんでいる様子であった。
俺を助けようとする者は、ここには誰も居やしなかった。
(畜生……こんなクソゲー、やっぱりやるんじゃなかった……!)
今さら後悔しようが遅い。クソ女の片手が俺の左目に添えられて、ゆっくりとゆっくりと親指を押し込んでくる。
そうしてついに、俺の目玉が眼窩の奥へと落とされんとした──その刹那、
「ゃ……やめな、さい……!」
弱々しくも確かな声が、俺の隣から凛と響いた。
それと同時にクソ女も片手を離し、声の主を睨みつける。
ああ──この地獄において俺の味方となってくれる者が、ただ一人だけいるじゃないか。
「ア……アリス……ッ!」
「うん、こんなことに巻き込んじゃってごめんね……アラタくん」
全身を矢に射抜かれていながらも、銀髪の少女は──アリスは俺に優しく微笑む。
脂汗を流していることから、無理して笑顔を作っているのがわかった。いつかの時と同じように、俺を安心させようとしているのだろう。
震える唇で、彼女は言う。
「……落ち着いて、『音声入力、ログアウト選択』と唱えなさい。そうしたらキミの精神はちゃんと現実に帰れるはずよ」
そ、そうか……最初からそうすればよかったじゃないか……!
これはあくまでもゲームなんだから、ログアウトすれば済む話だ……。
アリスの助言に、クソ女は忌々しそうに舌打ちをする。
「チッ、テメェ余計なこと言ってんじゃねえよメスガキッ! パニック状態の初心者を嬲んのが楽しいのによぉ。
クソっ……久々にイけそうな相手だったってのに、ホント残念だわぁ……排卵して損した」
そんな自分勝手なことを言いながら、クソ女は俺の右目から指を引き抜いて立ち上がった。
(はぁ、これでようやく解放される……)
そう思い、身体を弛緩させた──その時である。
「ごめんなさいねぇお兄さん──このジャンヌ様には信念があんのよ!
一度目を付けた男は絶対に屈服させて、二度とアタシのことを忘れなくさせるっていう拘りがねぇ──ッ!」
言うやクソ女は俺の首を掴むと、数十人の騎士どものところへぶん投げたのだ……!
「なァッ!?」
突然のことに受け身も取れず、無様に騎士たちの足元に転がってしまう。
一体何をどうするつもりなのかと困惑する俺に、ジャンヌダルクは指に付着した俺の体液をチロチロと舐め取りながら、凄絶な笑みで言い放った。
「ふふっ……鬼のお兄さん、アタシからも一つ教えておいてあげるわぁ。
ログアウト処理が完了するまではねぇ……約一分間の時間が必要になるのよ。だからその間ぁ──」
──お兄さんのことを、徹底的に苦しめてあげるわぁ……!
女がそう言った瞬間、騎士の一人が俺のみぞおちを踏みつけた。
「がはぁッ!?」
それに喘ぐのも束の間、俺の顔面を他の騎士が蹴り飛ばし、さらには全身を踏みつけてくる。
「アッ、アラタくんっ!?」
アリスの叫ぶ声が聞こえるが、もはや彼女の姿は見えない。
今や俺は騎士たちに囲まれ、虫ケラのように全身を踏みにじられていた。
そのたびに不快感と衝撃が走り、俺の精神を滅茶苦茶にかき乱していく……!
「可哀想だなぁお前さん、ウチのジャンヌ姐さんに目を付けられちまうなんてよぉ!」「動画でも撮って晒してやろうぜぇ!」「オォラ! 何とか言ってみろよザコが!」
……罵倒、嘲笑、侮蔑に愉悦。口々に好き勝手なことを言いながら、俺のことを嬲り楽しむ騎士たちを見て思った。
なんだこれ、と。
──残りHP、50%。
「アハハハハハっ! アンタたちぃ、間違ってもあっさりと殺すんじゃないわよぉ!? ログアウトが完了する寸前で死ぬようにしなさい!
特に首と胸はあんまり傷付けちゃダメよ? このゲーム、グロ規制からか臓器は再現されてないくせに、首が取れたり心臓のあたりを貫かれると一撃死する仕様になってるからねぇ」
ジャンヌダルクの不快な声が、俺の耳朶を震わし汚した。
ああ、アリスとの楽しかった冒険が何だかひどく懐かしく感じる。
──残りHP、40%。
「アラタくん……ごめんね、ごめんね……っ! 全部、私のせいで……!」
暗く沈んでいく俺の心に、アリスの泣き声が虚しく響いた。
いやいや……だからアリスのせいじゃないって。アンタとの冒険は、本当に本当に楽しかったよ。短い間だったけど、アリスとの思い出は俺の宝物だ。
──残りHP、35%。
……いよいよ終わりも近づいてきて、俺はどうでもいいことを思った。
確かこのゲームだと、死ねば所持金のいくらかと、経験値の半分を喪失することになるんだったか。
(所持金はいいや……どうせ大して持ってなかったし)
でも、経験値は少し困る。
これはアリスとの冒険で稼いだものだ。ほんの少しの間だったけど、二人で協力してモンスターを倒して、そうして手に入れた冒険の象徴だった。大切な思い出の結晶だった。
それを──こんな奴らに奪われるのか?
俺とアリスを徹底的に見下して、人間扱いすらしていないカスみたいな連中に?
聖騎士というだけで、勝ち組というだけで、浅ましく驕り高ぶった者たちに俺はこのまま殺されるのか。
「はっ……ははは……」
そう気づいた瞬間、自然と口から笑いが零れた。ボロボロになった右手を挙げて、顔を覆ったが止まらない。
「はははっ! ははははは!」
おかしくっておかしくって、馬鹿らしくて堪らなかった。
自分の無様がとても笑える。笑う俺を見てキョトンとしている騎士どもがまた笑える。
ああ、こんな奴らにやられちまうのか。こんな連中にアリスとの冒険を台無しにされるのか? はははははっ!
「な、なんだコイツ……」「頭おかしくなっちまったのか……?」「なんか気味わりぃよ……もう殺しちまおうぜ」
本当に本当に、笑えてしまって仕方がない。
「ははははは! ははははははははははッ!!!」
本当に本当に、本当に本当に本当に本当に本当に……ッ!
──残りHP、30%。
【反逆の意思】、発動。
「──ゴチャゴチャうるせぇんだよ、塵屑共が……ッ!」
そうして俺は、ひとまず周囲の6人ほどを血祭りにしたのだった。