6:惨劇の始まり
その後はどうにかアリスさんを落ち着かせ、俺たちは冒険を再開することにした。
「ごめんなさい、さっきは取り乱しちゃったわね……」
「いやいや。……というか別に、魔人種軽視の風潮についてはアリスさんが気に病むようなことでもないんじゃないか?
いくらアリスさんが天使だからって、そんなに気負うことないと思うんだが」
「いや、天使じゃなくて小悪魔なんだけどね私。……まぁ、そうよね。ありがとうアラタくん」
うーん、口ではそう言いつつも、やはりどこか後ろめたい感情を抱えている雰囲気だ。別にアリスさん一人の敗北が魔人種軽視に繋がったというわけじゃないんだから、もっと気楽に構えていればいいのにと思う。
……もしも彼女が、ハムスターよりも弱いせいでギルドを追い出されたっていう例の女ギルドマスターだったら話は別かもしれないが……。
(──まっ、この人は天使だからな。世話焼きすぎて、いらない気苦労まで背負っちゃうタイプだとか最高に健気で素敵じゃないか。……ちゃらんぽらんな俺とは違い過ぎるよ)
俺は足早に歩を進めると、うなだれているアリスさんに大きな声で呼びかけた。
「さぁさぁアリスさん、どんどん行きやしょう! ぼーっとしてると置いてっちゃいますよー!?」
「あらっ、キミってばちょっと生意気よ?」
そこでようやく、口元を小さく綻ばせるアリスさん。うーん、可愛い。まるで野に咲く白百合のようだ。
お姉さんっぽくて年下っぽくて、とっても健気で優しいこの子と一緒なら、これからの冒険も最高に楽しめそうな気がした。
──たとえここが、“邪魂に満ちた世界”であっても。
※ ※ ※
【タルタロス地下洞窟】に潜り始めてから一時間近く。アリスさんの助言や回復サポートを受けながら、俺は相当数の戦闘を重ね続けた。
デカいコウモリやデカい蜘蛛、それに薄汚い緑の小人──ゴブリンの集団に出くわしたりもしたが、死にそうになったら即座にアリスさんがHPを回復してくれるため、危うげなく勝利し続けることが出来た。おかげさまで俺のレベルは10に達し、新たなスキルを習得できるようになったわけである。
「よーし、せっかくだから魔法系のスキルを習得してみようかなぁ! アリスさんみたいに俺自身も≪回復呪文≫のスキルを覚えておけば、いざという時に使えそうだし」
「あら、アレの回復量は魔力の高さに依存するから、魔力値が絶望的な『鬼人族』のアラタくんにはあんまりオススメできないわよ?
もしも魔法系のスキルを覚えるのなら、武器に属性を帯びさせる≪付与呪文≫なんてものがいいと思うわ。こっちは魔力の高さに関係なく、」
「よっし【付与呪文・炎】習得ッ! 大天使アリスさんからのオススメだったら活躍すること間違いなしッ!」
「ってえぇ!?」
俺の即決っぷりにそれでいいのかと戸惑うアリスさんだったが、「信じてるから」と言ったら顔を赤くして押し黙ってしまった(かわいい)。
冗談抜きで、今や俺はアリスさんのことを心から信頼しているのだ。ゲームを始めた時には酷い目にあったりしたが、それがきっかけで彼女に出逢えて本当によかったと思っている。
「よーし、もらえたフリーステータスポイントは今回も全部筋力に投入だ! 極振りこそロマンよ!
……あ、でももしも危なくなったら回復のほうお願いしまーす、先輩!」
「もうっ、後輩クンは調子がいいんだから!」
こんな具合で和気藹々と、笑い合いながら冒険を続ける俺とアリスさん。
そうして苔生す魔の洞窟を、先へ先へと進んでいくと──
「……お、おぉ……!」
──突如として目の前に広がった光景に、俺は思わず息を吐いてしまった。
淡い光が奥のほうから漏れ出してくると思ったら、なんと最奥には紫光に輝く巨大水晶が鎮座していたのである。
ああ、まるで氷山のようだ。とてもリアルではお目にかかれない光景だった。
その大きさもその麗しさも俺の心を圧巻させるには十分なものを秘めており、ただただ「綺麗だ」と呟くだけで精いっぱいだった。
呆然と佇む俺に、アリスさんが微笑みかけてくる。
「ふふっ、気に入ってもらえたかしら。ここは私しか知っていない秘密の絶景スポットなのよ? そもそもこのダンジョン自体、まだ騎士たちにはバレていない数少ない場所だしね」
まるでイタズラが成功した子供のように、クスクスと得意げに笑うアリスさん。──って、え?
「このダンジョンって、そんなに希少な場所だったのかよ!? ……いいのかアリスさん、俺……もしかしたら騎士のほうに寝返っちゃうかもしれないのに……」
もちろんそんなつもりはないのだが、彼女にとって俺は知り合ったばかりの一初心者だろうに。
酒場では「絶対に裏切らない」と宣言して見せたが、それでも流石に迂闊すぎる。
だというのに──
「……不用心だっていうのはわかってるわ。でもね、キミにはどうしても知ってほしかったの。
たとえどれだけこの世界が残酷だとしても……それでもこうして、綺麗なモノもあるんだって」
──彼女の紅い瞳には、とても優しい慈愛の光が宿っていた。
そうか……俺が最初に騎士の集団に襲われて、嫌な思いをしたことを……彼女はずっと案じていたのか。だからこうして、自分にとっての秘密の場所まで晒してくれたというのか。
ああ、まったく……本当にこの人は、クズで小物な俺とは全然違い過ぎる。リアルで絶対損してるタイプだ。
ゆえに──俺は迷わず片膝を付き、水晶を背に立つ銀髪の少女に向かって、改めて強く言い放った。
「俺は絶対に、アンタのことを裏切らないよ。だから一緒に……この世界を楽しんでいこうぜ、アリス」
「っ……うん! ありがとう、アラタくんっ!」
淡く輝く紫光の中で、美しく咲く彼女の微笑。
ああ──この光景に誓って見せよう。どんなに魔人種が追い詰められ、しんどい立場に置かれようとも、俺だけはこの人の側に居続けると。
そうして傅き続ける俺に、アリスがふわりと手を差し伸べてきた。
「ふふふ。そんなポーズを取っていると、まるでキミのほうが聖騎士みたいよ? 『鬼人族』よりも似合ってるんじゃないかしら」
「ははっ! アリスが『小悪魔族』をやめて、お姫様になってくれるなら転職しようかな」
「あら、護衛に雇っちゃったりして」
「おう、護衛に雇われちゃったりして」
適当な軽口をたたき合い、改めて俺たちは笑い合った。こうして心から笑顔になったのは果たしていつぶりになるだろうか。彼女に出会えたというだけで、十分にこのゲームを始めた価値はあったと思える。
「んじゃ……これからもよろしくな」
そして、俺が彼女の手を取ろうとした──その時である。
「ッ!? 危ない──ッ!」
不意に彼女は血相を変えると、差し向けていた手で俺のことを横に突き飛ばしたのだ。
何が何だかまるでわからず、俺は尻餅を付いてしまう。そうして目を白黒とさせたまま、彼女のほうを見ると……、
「──えっ?」
そこには全身を矢で射抜かれ、血を噴き散らしながら頽れるアリスの姿があった。