10:覇道の始まり
「──アラタくんっ! アラタくん起きて!」
……アリスの今にも泣きそうな声が、俺の意識を呼び起こした。
ここはどこだ……後頭部があったかくて、目の前が暗くてなんか重い。顔の上に何か乗ってるのか?
ジャンヌのアホをぶった切った後、俺は一体どうなったんだ……?
(あーダメだ……頭がなんかボーっとする……)
状況を把握しようにも考えが全然まとまらない……。
それに、顔の上に乗ってるモノは何なんだ? ぷにぷにとしていて、ほのかにミルクっぽい匂いがする。自然とよだれが出てきちゃったぞ……。
(うーん──とりあえず、食べてみるか……)
そうして俺が口を開き、甘い匂いのする何かにかじりついてみると──
──もにゅんっ。
「ひゃうぅうっ!?」
「ふぇっ?」
ボリュームたっぷりの噛み応えを感じると同時に、少女の艶声が響き渡った。
えっ……もしかしてこれって、え……!?
やがて柔らかい例のナニカが、俺の口からよだれの糸を引きながら離れていく。
そうして見えた『二つのお山』の先には、頬を赤くしてプルプルと震えるアリスの顔が……!
「ア、アラタくん……!」
「えっ、えーと……おはようございます?」
どうやら彼女、俺の頭を膝枕しながらぎゅっと抱きしめていたらしい。
なるほどなるほど……つまりさっきまでの俺は、太ももと『お胸』で幸せサンドイッチにされていたというわけか! つまりさっき俺が食べちゃったモノとは──ッ!
「──アリスさん、もう一回味見させてもらってもいいですか……?」
「ってよくないわよっ! バカー!」
滅茶苦茶になった洞窟内に響き渡る、泣き声交じりのアリスの怒号。それを聞いて俺は、自分が勝利を掴んだことを実感したのだった。
◆ ◇ ◆
すっかり半壊してしまった【タルタロス地下洞窟】。そこからどうにか脱出した俺たちは、夕日の照らす大草原に出迎えられたのだった。
涼やかな外の風を感じた瞬間、思わず二人してへたれこんでしまう。
「はぁ~……なんかすっごく大冒険をしてきたって感じだなぁ。HPは回復してもらったのに、精神的にはもうヘトヘトだよ……」
「ふふっ、それはそうよ。だってキミ、何十人もの騎士を相手に大立ち回りをして、その上で勝っちゃったんだから。
もしかしてアラタくんって、リアルで剣道とかやってたり? もしくは軍人さんだったり……」
「まさか。格闘技どころか喧嘩もしたことないヘタレ小市民だよ。ホント怖かったなーあいつら……」
「ええ……?」
ヘタレとは何か、小市民とは何かと、ブツブツ呟き始めるアリスさん。
その後は瞳をジっと見られて、「キミは絶対に喧嘩とかしちゃダメだからね? 絶対に絶対だからね?」とお母さんのように言い聞かせられた。いやしないって。
そうしてしばらく俺たちは、茜色の空の下に座り込み続けた。
モンスターが寄ってくることもなく、ただただ静かで穏やかな時が流れ続ける。
ああ、ログアウトしてベッドに沈むのもよかったが、肩に感じる少女の体温を振り切ってまで落ちることはないだろう。今しばらくは彼女と寄り添い合っていたかった。
それからどれくらいの時が経っただろうか……不意にアリスが小さく微笑み、ぽつりと口を開いた。
「──アラタくん。キミにはきっと、“アバターを操る才能”があるんだと思うの」
「アバターを操る?」
「そう。オークと対峙した時に言ったでしょう? 初心者の内はバランスを取るのも難しいって。
だってリアルとは重心も違うし……それにステータスっていう現実にはない補正値が存在するんだもの。
よくあるのよ? 短期間に敏捷を上げ続けたプレイヤーが、自分のアバターに振り回されて転びまくっちゃうことって」
そのとき浮かべられたアリスの笑みは、どこか寂しげで自嘲的だった。
ああ、もしかして……、
「……アリスは、アバターを操ることが苦手だったりするのか……?」
「……うん、いつまで経っても慣れなくてね。リアルと同じ体型にしてるのに、剣を振るえば転んでばかりのダメダメプレイヤーだったわ。それで結局は一からキャラを作り直して、魔力だけが高い『小悪魔族』を選んだの。
これなら実質、後衛しか出来ないもの。後ろで回復呪文を飛ばしていれば、誰の迷惑にもならないって思って」
──キミと比べたら天と地くらいの差よね。本当に……アラタくんはすごいわ。
そう語るアリスの声色は、関心と諦めで彩られていた。
俺は黙り込んだまま、彼女の言葉を聞き続ける。
「数十人の騎士たちを目の前にしたとき、私は一瞬で諦めちゃったわ。
……でもキミは違った。ひどい目にまで合わされたのに、あいつらに全力で反逆して、気絶しちゃうくらいの集中力を発揮して……そうして勝利をもぎ取ってみせた。
力不足でギルドから追い出された私とは……あまりにも違い過ぎるよ……!」
……次第に混じっていく涙声。やがてアリスの口から出る言葉は、悲しき嗚咽へと変わっていった。
「悔しい、よ……! 出来ることなら、私もキミみたいな強さが欲しい……!
馬鹿にしてくる騎士たちを全員倒して、私を追い出したギルドの人たちを見返してやりたい……ッ!
私も、つよくなりたいよぉ……っ!」
「……アリス」
言うべき言葉が見つからない。だから俺は、彼女のことを抱きしめた。
それくらいしか俺にできることはなかった。
「っ……ごめんね、アラタくん……! 初心者のキミを困らせるような、こんなどうしようもない先輩……嫌だよね……」
「嫌じゃないよ、アリス。……騎士たちに殺されて落ち込んでた俺に、お前は声をかけてくれた。酒場に連れてってくれて、愚痴を聞いてくれた。ゲームのことを教えてくれた。
そして自分の秘密の場所まで見せてくれて……冒険の楽しさを教えてくれたんだ。そんな相手のことを、嫌に思うわけないだろうが」
「アラタくん……っ」
俺の胸にすがりつき、銀髪の少女は泣き続けた。
……まったく自分が情けなくなる。俺なんて羨まれるほどの価値もない、泣いてる女の子に気の利いた一言も言えないグズだ。せいぜい彼女のことを優しく撫でることくらいしか出来なかった。
ああ、でも……せっかくアリスが胸の内を明かしてくれたんだ。つまらないかもしれないが……俺も一つ、何かを語ることにしよう。
「なぁ、アリス。今回はちょっと頑張ってみたが……俺は別に、勇気ある好青年とかそういうタイプなんかじゃないんだ。
むしろリアルじゃビビリの小物だ。戦うこともなく逃げ出した……どうしようもない元社畜なんだよ」
「えっ……?」
泣きはらした瞳で上目遣いに見てくるアリスに、俺は言葉を続ける。
「つまらなかったら聞き流してもいいんだけどさ──実は前の会社に、ちょうどあのジャンヌダルクみたいな頭のおかしい女上司がいたんだよ。
そいつは滅茶苦茶キツい性格をしててさぁ……特に俺に対してはそれはもう容赦なくて、お茶を入れろだの肩を揉めだのパンを買って来いだのと言ってきたり、挙句の果てには家まで送れだの晩御飯を作れだの、ベッドまで運べだの全身を舐めろだの──」
「そ、そうなんだ…………ってベッドまで運べッ!? 全身を舐めろ!?」
「ああうん……ぶっちゃけるとあの人、キツすぎる性格のせいで30手前だってのに恋人も出来たことないらしくって焦ってたんだよ。
それでまぁ、俺が標的になっちまったみたいでさ……」
ああ、しかも逆らったら暴力を振るってくるどうしようもないヤツだったなぁ。
一応、金髪ハーフで無駄に美人な女だったから狙ってる男もいたにはいたんだが……アイツ、ものすごく優秀な上に、自分と同じくらい仕事ができる男じゃないと駄目っていうメンドクサイ女だったし。
──がんばって仕事覚えて損した。
「そんで少し前……ウチの部署に、高校出たての女の子が入ってきてさ。小柄で可愛い子だったんだけど、例の女上司が若さに嫉妬して、いじめるようになっちまったんだよ。
部署のみんなは見て見ぬフリをしてたんだけどさ……ある時、ちょっと度が過ぎるかなぁって思って……ついつい新人の女の子のことを助けちまったんだよなぁ。そしたら……うん」
「……もしかして、キミがいじめられるようになっちゃったの?」
「いや──あの女上司、俺が新人の子に気があるんだと思い込んで、ついに俺のことを無理やり襲ってきやがったんだよッ!
気が付いたらアイツの家のベッドに縛り付けられてて、目の前にはネグリジェ姿になったあの女が──!」
「えええええええ!? そ、それでどうなったの!?」
「ああ……気合いで縄を引きちぎって逃げ出してやったさ。
まあそれまでに全身を殴られたりしたけど、アイツも股からちょっと血を流してたから勝負は引き分けだな」
「ってそれちょっと負けちゃってるわよね!? ちょっとヤられちゃってるわよね!?」
アリスさん、顔を真っ赤にしながらもわりと興味津々である。
まぁ、そんなわけで……
「──そんで俺は、女上司が怖くなって会社を辞めちまったってわけだ。裁判を起こして法廷で戦うって手段もあったんだけど、当時の俺には勇気がなかった。
そんな経験があったからさ……もう、逃げたくはなかったんだよ。勝ち組気取りの乱暴な連中から全力で『勝利』を奪ってやりたかった。
いじめられていた後輩の女の子みたいに──悲しい顔を、アリスにはさせたくなかった」
要するに、男の意地で戦い抜いただけなのだ。
気に入らないから騎士連中をぶっ殺して、守りたいからアリスのことを守っただけである。
「──だから……なぁ、アリス。どうせこいつはゲームなんだから、お前も思いのままに生きてみようぜ。
もしもアリスが望むなら、俺と一緒に騎士たちを皆殺しにしよう。お前を切り捨てたギルドの奴らも、気に入らないならぶっ殺してやろうぜ。な?」
「っ……でも、」
「大丈夫、俺がお前の力になる。……もしも争い自体が嫌だっていうならそれでもいいさ。俺一人でこの世界の闘争を激化させてる【暁の女神】の連中を全滅させるだけだ。そうすればまぁ、少しは平和になるだろうよ」
──さあどうしたい。この“邪魂に満ちた世界”で、お前はいったいどんな理想を叶えてやりたい。
そう問いかける俺の言葉に、アリスは黙って顔を伏せた。
そうして小さな両の手を、ギュっと固く握りこみ……確かな決意を瞳に秘めて、俺へと高らかに宣誓する。
「私はっ……私も全部、ぶっ殺してやりたいッ! 私を馬鹿にした人たちを、全員殺して見返してやりたい!
だからアラタくん、私を助けて──!」
「任せろアリス、今日から俺はお前の騎士だ。一緒に仲良く覇道を歩もう」
夕日の照らす空の下、こうして俺たちは一つになった。
ああ、傍から見たら笑いものだろう。初期装備の初心者と、力不足で追放されたギルドマスターの少女が、実質『世界征服宣言』なんてしてるんだから。
あまりにも無茶な話だと思うが──あいにく俺は、笑い話で終わらせる気など毛頭ない。
誓ったからには果たして見せる。この子が願い続ける限りは、俺も全力で力を貸そう。
そんな思いを胸に秘め、アリスのことを今一度優しく撫で梳かした。
そうしていると、不意に彼女が笑いかけてきた。
「ふふふ……それにしても一緒に覇道を歩もうだなんて、ずいぶんと物騒な騎士様がいたものね。なんだかアラタくん、騎士というよりゲームに出てくる魔王様みたいよ」
「ははっ! もしもアリスがお姫様だったら、魔王として攫ってやろうかな」
「あら……攫われなくても、私はとっくにキミのものよ?」
「えッ!?」
絶句するほどの大胆過ぎる返し……ッ! それに狼狽する俺に、アリスは「冗談よ」と言ってクスクス笑うのだった。
あーまったく……とんだ小悪魔がいたもんだぜ。あ、小悪魔だった。
くそっ、こうなったら俺もなんか、からかい返してやる。
そんなことを思いながら言葉を探していると──
「……そういえばアラタくんって、『新田』っていう名字だからアラタって名前にしたの?」
「えッッッ!? いやっ、ちょ、それは!?」
「ふふふ……やっぱりそうだったんだ……」
──ま、まさかのリアルネーム一部バレである……! 安直なネーミングとはいえ、出会って一日で気付くか普通!?
どうしてわかったのかと問いかけるも、アリスは答えずに笑うばかり。それどころか困惑する俺のことを放置して、さっさと街へと歩いて行ってしまう始末であった。
うーん、流石は俺の大天使アリスさん……神通力でも使えるんだろうか?
「……って、ちょっと待ってくれよアリス先輩! 俺、街までの帰り方わからないんだけどーっ!」
「もー後輩くん遅いよーっ! それと………………」
──あの時はありがとうございました、センパイ。
「えっ、今なんて!?」
「なんでもなーいっ!」
こうして、夕日の照らす大草原を俺とアリスは走り続けた。
この日より──俺たちの覇道は始まったのである。




