第9話 脳波計
病院に着くと丁度馬之助がエレベータから出てくるを見かけた。
馬之助の電話が終わるまで電話コーナーの外で待つ事にした。
こいつが一番怪しい。
物陰に潜んで何か証拠でもしゃべるんじゃないかと聞き耳を立てる。
馬之助の方が俺に良く聞こえるように話し声が段々と大きくなってくる。
冷静沈着な学級委員の馬之助がこれだけ怒るのだから、電話の相手はきっと随分とわがままな奴なんだろう。
「何回も言わせるな! お前が先走った事をしたから今回の事故は起きたんだ。責任を取るのはお前だ!」
やっぱりだ。馬之助には共犯がいる。
「俺は病院から離れられない。勝手に来い!
死人を生きてる風に見せかけるにも細工が大変なんだ!」
何を言っている?
「高瀬律子のモニターには細工をしておいたがいつまでも隠せない。物理的に時間が無い。本当に死ぬぞ」
断片的な話だけでも充分に不吉な予感がする。俺は高瀬律子の病室に急いだ。
表札の名前は高瀬律子。そこは集中治療室。絶対安静。立ち入り禁止。
ガラス越しにベットに横たわる姿からは顔はほとんど見えない。
頭には包帯を巻かれ、口にはチューブが突っ込まれ、腕には点滴。
ベットの横の機械がベットに寝る人間がまだ生きている事を証明している。
俺はカバンからこっそりとノートPCを出した。
液晶ディスプレーの角度を調整して、WEBカメラからPCの中の高瀬律子に絶対安静状態の高瀬本人の姿を見せてやる。
「俺に感謝しろよ、俺が人工呼吸してやったからお前は息を吹き返したんだ」
(感謝してるって)
しかし、馬之助は細工と言った。
この病室に細工を出来る物、医療用のモニターしか無い。
俺は恐ろしい仮定に気づいた。
もし馬之助が高瀬律子の医療用モニターに細工をしたらどうなるか?
つまりは、高瀬律子の症状が悪くなっても病院も医者も気づかないという事だ。
まさか、しかし。
馬之助は一体何の話をしていたんだ。細工。
ベットで眠りに着いている高瀬律子には何も変わった風には見えない。
そしてその横に置いてあるモニター。
細工。
「なあ、律子。お前、お前の姿が見えているか」
「うん」
「もし、あの横に置いてあるモニターが誤動作していたら、お前が生きている風に動いていたら、医者は問題無いと思って治療なんてできないよな」
(うん。でもそんな訳ないじゃん。白兎は何言っているの)
馬之助の電話の話は律子には聞こえていない。
あえて馬之助の事は言わないでおこう。
「これは仮定の話なんだけど、悪意ある第三者が、お前の医療モニターに細工をしたら、
正しく治療を受けられずに、お前が死んでいたら」
(不吉な事なんか言わないでよ。私は生きているんでしょ)
「仮定の話だ。けど、俺はその仮定が仮定でない気がする。律子、ここでちょっと待ってろ」
(何するの、ねえ、ちょっと待ってよ)
俺は面会謝絶の病室に忍び込んだ。
高瀬律子の頭、腕、には、電極が貼り付けられ、そしてそのケーブルはモニターに繋がっている。脳波計、心電図、体温が小さなモニターに表示されている。そこから先は病院のナースステーションにデータが転送されている。
俺の勘違いかもしれない。
馬之助は全く違う話をしていたのかもしれない。
けれど俺の勘が俺が正しいと言っている。
だれもが正しいと思う事。そこに必ず真実はあるとは限らない。
俺は小さい頃から人の言う事を信じていなかった。
他人と意見が違っても俺は、自分が納得するまでは意見を変えなかった。
他人の言葉をバカ正直に信じる奴、羊みたいな事は嫌だ。
うさぎかもしれない。ウサギは自分の目で耳で見て聞いた事しか信じない。
ラックに乗った医療用モニターは正常に動いている。
高瀬律子の生を証明してくれている。
俺は今、高瀬律子の生存の証明を否定しようとしている。
ベットで眠る高瀬律子から伸びるケーブル。
ケーブルは医療モニターに繋がっている。
俺の勘は、機械は間違っていると告げている。
ケーブルを抜いても機械は動き続けると言っている。
もし俺の勘が違っていれば、俺は病院の医者からこっぴどく叱られる。
けれど、俺が叱られるだけで、事実は確かめられる。
俺が間違っていれば律子は生きている。
俺が正しければ、律子はもう死んでいる。
俺は真実が知りたい。
俺は高瀬律子の医療モニターの前に座り込んだ。
脳波計のケーブル。
何か異常があれば看護婦さんが飛んでくるだろう。
俺が叱られて一件落着になる。
俺は恐る恐るケーブルを一本抜いた。
信頼性第一の医療器具のコネクタはそう簡単には外れない。
力を込めてケーブルを抜いた。
モニターを見上げる。
けれど医療モニターは何も変化しない。鳥肌が立った。
医療用モニターは規則正しくデータを表示している。
ありえない。ケーブルを抜いたのに何も変化が無い。
もう1本ケーブルを抜いた。けれど何も変わらない。
俺の心が凍った。涙が溢れそうになる。
俺は順々にケーブルを抜き始めた。
もう手は止まらない。
全てのケーブルを引き抜かれても、医療用モニターは、生きている人間から正常なデータを送られている様に表示し続けていた。
医療用モニターは誤動作している。
高瀬律子の生きている証明は全て嘘だった。
もう医者がどうこうしても手遅れだと俺は悟っていた。
病室に忍び込んでいる俺の姿を看護婦さんが気づいた。
病室に入ってくる。
「面会謝絶です。早く出て行ってください」
引き抜かれたケーブルの束を握ったまま 俺は看護婦さんの方に振り向いた。
「看護婦さん。この機械壊れている。機械が勝手にそれらしく表示しているだけだ」
涙を我慢している俺はそれだけしか言えなかった。
看護婦さんは抜かれたケーブルとモニターの表示の意味をすぐに悟った。
顔色を変えて駆け出していった。
「先生!」
担当医を呼びに行ったのだろう。
しかしもう手遅れだ。
絶望感の中で俺は律子の入ったPCをカバンに入れて病室を後にした。
途中で馬之助とすれ違う。
「白兎、来たか。高瀬律子は元気だろう」
「元気? だれが」
意気消沈した俺はそれだけ答えるのが精一杯だった。
「ところでPCを持っているのか?」
当直医が走って来て俺と馬之助の前を通り過ぎる。
「何時からなんだ」
「わかりません」
俺達の横を担当医が走って病室に駆け込む。
その様子を見て馬之助も事態の急変に気づいた。馬之助も病室に向かった。
俺は力無く病室を離れた。
1階の待合室まで降りてきてから俺はヘッドセットを付けた。
「律子。見ていたか?」
(うん)
「律子、気を落さずに聞いてくれ。お前の体の脳波が検知されていなかった。つまり、お前は脳死状態って事だ」
(見えてた)
「律子、お前、馬之助の何か恨み買っているか」
(同級生に恨みなんか買ってないわよ。白兎、アンタは別だけど)
「冷静に聞けよ。馬之助の奴は、病室の、お前の、お前を殺そうとした犯人だ。
救急車に馬之助が同乗すると言った時、俺は何も疑わなかった。
律子、すまん。
馬之助は機械に細工した。
お前の脳波計に細工した。
医者でも機械を信じる。
奴は、治療がいらないと見せかけたんだ。
そして、律子、お前は病院の中で、治療を受けられずに死んだんだ」