NO 12.
「ふーん、【ツバサ】かぁ・・・うん、いいね。それで決定」
眼鏡をかけて書類を眺めながら軽い調子で了承したボス。呆気に取られて声がだせなくなる俺達の隣で零夜の深いため息が聞こえた気がした。ってか、絶対ため息ついた!
全員集合の令を出されて朱雀の部屋へ向かったのは、花梨と話した翌朝のことだった。大して考えることもせずに思いつきで【ツバサ】だと決めてしまったわけだが、流石にもっと考えろっていわれるかと思ったのに。
俺の隣には白い服に身を包んだ伊織の姿。彼女もビックリしたように固まったままだったが、視線を感じたのかギギと固い動きで此方を向いた。刹那の間があって、整った顔が苦笑の形に歪んだ。
「ボス・・・いつも言っていますが―――」
「はいはい、ちゃんと考えてるよ。でも本人達の意思が一番大切だと思うんだよね。ってか名前くらい変じゃなければ何でもいいでしょ?」
「・・・名前のことではありません。貴方の態度の話です。」
“俺もこの名前に関しては文句を言うつもりはありませんから”と零夜まで言ってくれて、少しだけ顔がほころんでしまった。思い付きだったけど、いい名前だと思ってるから。
全員の顔をみると、優しい表情で頷いてくれた。
「はい、ということで隆哉」
「ハイ」
朱雀に呼ばれ表情を引き締めて返事をした。彼はニッコリと笑って
「ステージやるって言ったこと忘れてなーい?」
そう言った。
・・・あ。
「・・・すいません」
「ボス。流石に今日は無理です」
「うん知ってる。冗談だってー」
よかったぁ・・・。
思わずほおっと息を吐き出してしまうと、棗と花梨が爆笑した。
「お前、そんなこと言われてたのかよっ」
「冗談って気づけよな」
「いやぁ、ホントは【HANABI】と零夜・・・いや片桐 嶺也と一緒にゲリラライブでもしてもらうつもりだったのになぁ。【HANABI】が今日は無理って言ったからできなかったんだよ・・・」
じゃあ、もし二人が無理って言わなかったら・・・。
双子が乾いた笑みを漏らした。
◇
「ったく。あの方も無理を言われる・・・こんな新人たちに突然ステージなんてな」
京さんの呆れたため息と共に言われた言葉に心の中で何度も頷いた。
今俺達は【HANABI】の二人と零夜と共に見慣れた白い空間とは違う部屋にいた。簡単に言うと・・・視聴覚室みたいなところ。
グレーのカーペットにモノクロの壁、天井からぶら下がる変なマイクもあるし、楽器も一通り揃ってる。とりあえず自分の物だと指示されたベースを手に取ると、ずっしりとした重みが手に染みた。
「でも言われたからには実行しないわけにはいかないだろう。」
「当然。そのために俺達もお前も活動止めてんだろ?」
その言葉に反応したのは双子の二人だった。“【HANABI】が活動休止・・・”と綺麗にハモった声で呟いて二人して顔を見合わせた。あーあーお前等の考えてることよく分かる。自分たちのために二人が活動休止してまで面倒見てくれてることが嬉しいけど、しばらく二人の公の姿が見れなくて少し寂しい、みたいな感じ。その分二人のプライベートが見れるんだからいいじゃねーか。
そんな中伊織とヒサキは楽譜と睨めっこ中。昨日のうちに【HANABI】の二人が考えて作ってきた歌だという。すげぇ・・・。
“ここの音を♭にしたほうが・・・”“ええ、でもそれだと少し暗くなりすぎないかしら?”“大丈夫ですその分ギターを―――”
あーあーあー、もうなんでそんな細かいことまでわかるかなぁ。
せっかく手に持ったベースを弾く気になれず、元の場所に戻した。
「あ、いいもん見っけ」
ちょうど視界に入ったもの。暇なときによく弾くバイオリン。
そんな簡単に弾けるもんじゃねーけど、まあガキの頃からずっと親に習わされてたんだからまあ当たり前。
顎にチンレストを挟んで弓で弾いて軽く音を出す。ちょっとずれてる音を調律して、深く息を吸ったところで、みんなの声が止まっていることに気がついた。
やべ、怒られる。
そっと零夜に視線を向けると、驚いた顔をした彼の顔とぶつかった。彼のその表情が自分に向けられたことは一度もなくて、逆に俺が驚いた。
「な、んすか?」
「・・・いや、なんでもない・・・続けてくれ」
続き・・・?
え、弾けってこと??
思わず回りに目を泳がすと、全員が何度も頷いた。伊織とヒサキ、双子なんか目キラキラしてるし。
みんなの期待に負けて、一つだけため息をついてから弓を持ち直した。と、ふと顔を上げて“花梨”と呼んだ。
「俺だけとかやだ。お前もやれ」
「えー・・・何?クロイツェル?」
「それでいーや」
文句を言いながらピアノへ向かう花梨にお前も道連れだ、と呟いてやった。途端に花梨は苦笑した。そして、そろーっと視線を外していく棗の肩にぽんと手を置いた。
「で、お前・・・逃げられると思ってんのか?」
「ちっ・・・分かったよ。間奏でいいんだよな」
「てかそれしかお前は入れねーじゃん」
俺と花梨だけだと寂しいから。お前と花梨と俺は三人でワンセットだ。
花梨と同じ表情をしながらサックスを手に取る棗。
ベートーヴェンの“バイオリンソナタ クロイツェル”。俺と花梨と棗が好んでよく弾く曲だ。
この曲はバイオリンとピアノがほぼ対等の演奏をする。友達、みたいな感じでなんとなく好きなんだ。だけど俺と花梨だけだと不公平だから、落ち着いた間奏部分には棗のオリジナルの演奏が入る。これでようやく“俺達の演奏”になる。
花梨のピアノの音が入って、目を瞑った。
せっかくだ、音に浸っていよう。・・・いつが最後の演奏になってしまうかわからないのだ。
俺達が飛び込む世界は、それほど危険なのだから。
「・・・やはり、お前等か・・・」
零夜が呟いた一言は、音に集中する彼らに聞こえることは無かった。
「うわぁ・・・久しぶりに聞いたけど、やっぱ凄いね!」
長い演奏が終わって疎らな拍手に包まれながら苦笑いをした俺達に伊織が嬉しそうに言った。その隣では口元に緩い微笑を浮かべたヒサキと、驚いた顔をした京さん。零夜は既に興味をなくしたかのようにギターのチューナーを始めていた。分かってはいたけどさ・・・。自分から言っといて酷いだろ・・・。
なんだか少し気落ちしてがっくりと肩を落とす俺の傍らで、興奮からか先程より一オクターブほど高い声で話す皆。
「ね、曲の随所に彼らの楽器を入れてみたらどうかしら?」
「俺はこいつらと合わすのはめったに無いですけどねぇ」
「いーんだよ。サックスはそれだけでリード出来んだから」
京が呟いた言葉を噛み締めるように唇に弧を描く棗。彼がサックスを始めた理由は憧れの【HANABI】の京が同じくサックスを得意としていたからであった。
「俺が、テメェにそれを教えてやる。ギターもサックスも俺の得意分野だ」
「そう?じゃあ私は花梨君と伊織ちゃんかしら。キーボードと歌は私の担当だものね」
あれ、じゃあ俺は・・・
くるりと振り向くとニヤリとあの笑顔を浮かべた零夜の姿。
「もちろん。」
ああ、その言葉だけで分かりました・・・。
「お前な・・・俺をなんだと思ってんだ。」
「何って、バケモ―――」
「「馬鹿!!」」
ダブルで頭をはたかれて、自分がヤバイ橋を渡りかけていたことに気がついた。乾いた笑みを零しながら回れ右をしてみたが、時既に遅く。
「いい度胸だな、隆哉。ベースとサブ、それと片桐嶺也の演技力。みっちり扱いてやるから覚悟しろよ?」
・・・やべえ、俺生きて帰れるかなぁ・・・。
さあ、
羽休めの時は終わりだ
勇気を持て
自信を持て
空を仰いで
さあ
ゆけ
生き残るために