ある神社にて
その神社は町から遠く離れた人気のない場所にあった。そこへ行くには日中でも薄暗く感じるような深い森の中を潜っていかなければならなかった。
草木が触れ合う音しかしないような静かな森を延々と歩き続ける。およそ舗装もされていない獣道のような小さな道しるべをひたすら見つめながら歩いていった。
やがて視界が開けた。
鬱蒼とした空間に切り取って貼り付けたような不自然さで小さな神社が構えていた。
こんな辺鄙な場所でも管理している者がいるのか落ち葉は綺麗に一ヵ所に固められ、建物も殆ど傷んでいる様子がない。先ほど目にした時の不自然さはきっとこの手入れのよさから来たものだろう。
どこで聞いたかもわからない噂話を信じて興味本位で来てしまったが、今更になって不気味さに寒気が走った。
ひとしきり境内を歩き回り写真に収めた後、一服してから願かけに賽銭箱に百円玉を入れた。
「おや、珍しい」
声がしたのでそちらを見ると、装束を纏った穏やかそうな男がこちらを見ていた。
「こんにちは。こんな所までよく来たね」
「ええ、まあ」
おそらくここの神社の人であろうが、やはり人がいたということが信じられずにいた。
そう思い始めるとこの男も本当に人なのかを疑い始める。
「歩いてきて疲れただろう。お茶でも出そう」
しかしその態度は二言三言言葉を交わした程度でわかってしまうほどに本心から歓迎されているようだったので申し出を断りきることができなかった。
少しして彼は急須と湯呑をお盆に載せて再び現れた。
「どうぞ。熱いので気を付けて」
「ありがとうございます」
濡れ縁に腰掛け、男が急須からお茶を注いでこちらに手渡した。
お茶が喉を通った瞬間、なぜか安堵に近い感情をもった気がする。一息ついたとき、それまで感じたことがないほどに時間がゆっくりと流れているのを感じた。
「人が来ることなんか滅多になくてね。このくらいしかもてなせなくてすまないね」
「いえ、お気遣いなく」
しばし沈黙。
「……人がいるとは思いませんでした」
「そうだろうね」
聞き様によっては失礼ともとれる言い方をしてしまったが、彼の反応はさして気にした風でもなかった。
「ここはすっかり忘れられてしまった場所だから。今じゃ多分ここに何が祀ってあるのかすら誰も知らないよ」少し寂しそうにそう言った。
「何が祀られているんですか?」
何かを知ってそうだと思った僕はそう尋ねた。
彼はじっと僕を見つめた後に「崇り神さ」と答えた。
ある小さな村では不作が続いていた。
そこで村人はその年で十になる子を山の神に捧げることにした。
彼女を神の子にし、豊穣の恩恵にあやかろうとしたわけだ。
その後彼女は十年に亘ってその土地の神社に住まうこととなった。
暫くは作物も採れるようになり順調かに思えたが、再び凶作の波が村を襲った。
村人は祈り、必死に彼女を祀り、豊穣を求めたがやがてその思いは反転し不作の元凶とみられるようになった。
世を知らず人を知らずに担がれるがままになっていた彼女はそのまま自分が何者で何をすべきかすらも知らず結局鬼として一生を終えることになる。
そして村人からの最期の仕打ちで不幸にも自分の立場を知ってしまった少女は理不尽を嘆き恨み神となった。以降それまでの凶作に加え火災、洪水、あらゆる災厄を撒き散らし続けた。
ようやくそれに気付いた村人たちは新しく神社を作り、再び彼女を祀った。
今度は豊穣にあやかるのではなく、許しを乞おうと。
彼女の怒りが治まるまでには長い年月を要したが、彼女が何に怒っているのかを忘れ始めた頃少しずつではあるが村は繁栄を取り戻し始めた。
そしてようやく自らの努力で村を発展させていこうと団結し始めた彼らに彼女は恵みをもたらすようになった。
怒りを鎮め、山の神として認知され始めたのだ。
そうして月日が経ち、村は一層の発展を遂げ新たな文明を受け入れるようになっていった。
技術の進歩により作業は効率化され、安定した繁栄が約束されるようになると同時に次第に世の中は祈る必要性をなくしていった。神の存在が不要になっていったのだ。
やがて存在を忘れられ、名を忘れられた神は力を失っていった。
そしてまた長い時が流れた。
ある男が下手を打って逃亡の生活を送っている途中、すっかりと道に迷い雨を凌ぐ場所を探していた。
食うものも持たずすっかり疲れ果てた彼は偶々見つけた古ぼけた神社で一晩を明かした。
差し込んだ光で目を覚ました彼の枕元には握り飯が置いてあった。
そして少女がそこに座っていた。
多少古い言葉だったので少し意思の疎通には戸惑ったが、害意はないらしいということと、何しに来たのかを問いかけられているようだったので事の顛末を簡単に話した。
「つまり、お前も爪はじきにされたのだな」というようなことを言って彼女はケラケラと笑った。
そして落ち着くまで住んでも構わないと提案されたので有り難く受け入れた。
彼女が神だと知ったのは暫く経ってからだった。同居の提案をしてきたのも彼女自身が家主だったからである。
すっかり寂れてしまい淀んでいた神社はそれからほんの僅かずつではあるが若返っているような感じがした。
沈んでいた空気は爽やかになり、時折獣が顔を見せるようになった。
そうしていくうちにこの土地に縛り付けられた崇り神と過ごす奇跡のような日常が当たり前になった。
信仰するものが、名前を呼ぶものが、知っていてくれるものが一人でもいる限り小さなものではあるが奇跡は起こせると彼は気づいた。
彼はただずっと穏やかに彼女とこのまま過ごせればいいと思った。
「信じるかどうかは君の自由だ。ただそういう逸話があったという話だ」
心霊スポット探索で来てしまった自分を恥じ入るばかりだった。
「お茶、御馳走様でした」
腰を上げると彼は微笑んだ。
「ああそうだ。願い事は済ませたかい。せっかくだから祈っていくといい。気まぐれな神様が奇跡を起こしてくれるかもしれないよ」
ちゃんと呼びかけてお願いするんだよ、と彼はある名前を告げた。