第一章 帰郷、旅立ち(9)
それから何度も、彼とは共に『仕事』をした。
仕事は要人の警護だったり、裏社会の元締同士の抗争に助っ人として呼ばれたりなどであったが、幸い敵として相見えることはなかった。
異性で似た者同士は恋に落ちない、という話もあるが、この二人の場合もそれが言えた。
彼を魅力的な人物として捉えていたが、一人の男性として考えたことはなかった。
彼も同様、であったかどうか定かではないが、少なくとも口説かれた記憶はない。
彼は数年後、傭兵たちがよく出入りする帝都の酒場の看板娘と結婚し、翌年には長女のマナが誕生した。
その辺りの経緯を、シェリーは一時期帝都から離れていたため詳しくは知らない。
ただ、彼の妻となった娘が、いつも笑顔でてきぱきと仕事をする、愛嬌のある女性だったことは印象に残っていた。
その頃の彼は、家族ができたこともあってか、商家や酒場の用心棒など、ある程度安全な仕事を選んでいたようだ。
「いやあ、マナが本当に可愛くてな。もうね、あいつのためなら俺は何でもしてやりたいくらいだよ。おいおい、笑い事じゃねえぜ。あれはもう、本当に可愛らしくてなあ……」
などという見事なまでの親バカぶりで、周囲を半ば呆れさせていた。
この侠気溢れる父と優しい母の元で、マナはすくすくと成長した。
その頃シェリーは、ある噂を傭兵仲間から耳にした。
最近、彼がある街の保安隊に仕官しようとしている、という話だった。
帝都保安隊とは、文字通り街の治安維持のための部隊だ。
入隊の試験は厳しく、任務も過酷極まりないとされているが、部隊内で出世して騎士の称号を得る者もいるという。
「入隊に関しては年齢制限があるが、あいつはたぶんギリギリだからなあ」
「あいつの腕なら入隊してもおかしくねえ」
傭兵仲間の話を聞き、シェリーもうなずいた。
家族を持ち、護るべき者ができたことで、彼も思うところがあったのだろう。
荒くれ傭兵の子と保安隊員の子女では、確かにえらい違いである。
彼が騎士になることができれば尚更の話だ。
何より、誰よりも『ナイト』と呼ばれるに相応しい男が本当に騎士になる、というのは痛快ではないか。
だが、その時が訪れることはなかった。
その年の夏、数十年ぶりの大旱魃が大陸全土を襲った。
この旱魃の影響からか、今までにない症状の流行病が発生し、帝都でも多数の犠牲者が出ることになった。
そしてその病は彼の妻と、彼自身の身にも及んだ。
事態を知ったシェリーは、二人を救うべく奔走した。
山奥まで薬草を採りに行き、人々に慕われる名医の下も訪れた。
だが、その甲斐も虚しく妻は帰らぬ人となった。
そして彼もまた、妻の後を追うように死の床についていた。
「世話になったな、シェリー。本当にありがたいが、どうやら俺も駄目みたいだ」
彼の屈強な肉体は見る影もなく衰弱し、精気に満ちていた瞳には死の影が浮き出ていた。
もはや、ベッドから身体を起こす体力すら残っていない。
「何を情けないこと言っているの、貴方は生きるのよ。貴方が死んだらマナちゃんはどうするの!? しっかりしなさい、騎士になるんでしょ!?」
「ハハ、そうだな……。そう、何だかんだ言ってたけどよ、本当は俺もずっと騎士になって……。親父の……親父の名誉を回復させてやりたかったんだ……」
彼は弱弱しく笑い、傍らで佇むマナに目を向けた。
五歳のマナは、おかっぱ頭の愛らしい少女だった。
ただ、澄んだ眼に宿る強い光は父親譲りであった。
彼女は気丈にも涙をこらえ、病と懸命に戦う父を見守っていた。
「そう、貴方は騎士になるのよ。だから……だから、こんなところで負けてどうするのよ!」
シェリーが嗚咽を洩らす。
なぜ、なぜ彼のような男が、こんなところで志を遂げることなく死ななければならないのか。
「マナ、よく聞けよ」
彼はわが子の名を呼び、もはや骨と皮だけになった腕でそっと彼女を抱き寄せた。
まだ壮年の彼をここまで追い詰めた病を、シェリーは心の底から憎んだ。
「俺の親父は……何も落ち度なんかなかった……。無実の罪を着せられて、騎士身分を剥奪されて……。親父は俺に自由に生きろと言っていたが、俺はやっぱり親父の名誉を……」
途切れ途切れに、残り僅かな命を削るような必死の語りに、これが彼の遺言なのだと悟った。
「マナ、俺も親父と同じことをお前に伝える。自由に生きろ。すまない、シェリー。マナを……マナを、頼む……どうか……」
すがるような目がシェリーを真っ直ぐに見つめていた。
彼にとっての唯一つの心残りは、残される一人娘のことだけなのだ。
シェリーは神妙な面持ちでうなずいた。
「分かったわ。白金燕の名に誓って、この子は私が命懸けで守ります」
「ありがとよ……。白金燕が請け負ってくれるなら、何より安心だ……。マナ、よく聞きな。これからはこのシェリーを父ちゃん、母ちゃんだと思って生きるんだぜ」
涙を堪え続けてきたマナであったが、その言葉で父との別れを察し、ついに号泣した。
そして、ひとしきり泣いた彼女は、死の床につく父に向かって、思わぬ言葉を発した。
「お父様、わたし、わたし……。騎士になる!」
五歳の少女に、その言葉の意味がどれほど理解できていたか、シェリーには分からなかった。
どのような試練が待ち構えているのかは、もちろん知らないだろう。
ただ彼女は、一心に父の願いを叶えたいと思ったのだ。
そのあまりに健気な振る舞いに、シェリーの胸が熱くなった。
「おう……そうか、そうか……。はは、お前なら立派な騎士になれるかもしれないな。その日がこの目で見られないのだけがちょいと悔しいが……」
「お父様っ!」
少女の悲痛な叫び。
父は、その頭を愛おしそうに何度も何度も撫でていた。
そして、その手が静かに動きを止めた時、『ナイト』と呼ばれた傭兵はこの世を去った。
(続く)