第四章 あなたを、忘れない(10)
激闘の夜から数ヵ月後。
真夏の日差しが石畳を照りつける、昼の最中にシェリーたち三人は揃って外出した。
渡し舟に乗り、帝都の中心を流れる川を下っていく。
マナはあの後、無事に近衛騎士団の入団試験を受け、見事に合格した。
彼女は遂に、亡き父の念願であり、自らも切実に望んだ大きな夢を叶えたのだ。
シェリーとココは我が事のように喜び、涙を流しながら何度も何度もマナの頬にキスをした。
正式に任務に就くのは秋になってからだという。
ココは引き続き、来年の聖白龍女学園入学試験に向けて猛勉強中だった。
毎日山のように出される課題には、時折音を上げることもあるが、家庭教師の話では、かなり順調に進んでいるようだ。
飛燕幻舞流刀術の腕前も、めきめき上達している。
「マナ。私はね、ココに奥義と……この鈴を託そうと思うの」
ある晩、稽古の後でシェリーは密かにマナに打ち明けた。
「……はい」
「できれば貴女にも伝えたかったけれど…」
シェリーが残念そうに呟くと、マナは笑顔でこう答えた。
「いえ、師母様。私は近衛騎士団としての任務に専念致します。それに、師母様に仰せつかった、剣術と刀術の技を組み合わせるという使命もありますから」
この気高さと素直さがあれば、きっとできるはずだ、とシェリーは確信した。
マナの親友であるサーラも、同様に近衛騎士団の入団試験に合格した。
娘の快挙にアディンセル卿も、ほっと一安心といった様子だった。
「これでまた、貴女と一緒に過ごせるわね、マナ」
「そうね。本当に嬉しいわ」
喜びを分かち合う二人の姿に、長らく居候の身であったシェリーも目を細めた。
ミネアもまた、やはり同窓のマナたちと同じく近衛騎士団の一員となることが決まった。
合格発表で彼女の名前を見つけたマナが嬉しそうに抱きつくと、
「……と、当然ですわ! ……あ、そ、そんなに強くしちゃ、あ、だめ……」
顔を紅潮させてうつむいていた。
「……マナ、貴女って本当に人気者ね」
「……どういう意味でしょうか、師母様……?」
この鈍感さも、しばらくは変わりそうもないだろうな、とシェリーは肩をすくめた。
元締・バッツには後日、『蒼血燕』を倒したことを報告した。
元締は謝礼を渡そうしたが、当然シェリーは断った。
しかし、側近を含めた幹部衆にまで、ずらりと揃って頭を下げられてしまい、不承不承ながら受け取ることになってしまった。
「……こんな大金を貰っても、使い道がないわよ……」
うんざりとした様子のシェリーを見て、元締が豪快に笑いながら、
「金は天下の回りものって言うじゃねえですか。姐さんなら、きっと皆の役に立ててくださるでしょうよ」
「余計なプレッシャーをかけないでよね……」
シェリーは大きなため息をついた。
彼の治める縄張りは、今のところ平穏無事な様子だった。
ルギとはあの後、街でココと散歩している時に一度だけ顔を合わせた。
さすがは鬼族の男、アンジェラの刀で斬られた傷も、一週間ほどで完全に癒えてしまったそうだ。
アンジェラに連れ去られ、人質とされてしまった女傭兵のマウツも、閉じ込められていた廃屋から自力で脱出できたらしい。
「これからどうするの、お兄ちゃん?」
少し不安そうなココの問いに、
「まあ、しばらくは帝都にいるよ。今、賭場の用心棒を引き受けていてな。それでとりあえずは凌いでいくさ。相棒もそのつもりらしい」
ルギは苦笑を浮かべて答え、隣で仏頂面をしているマウツをちらりと見た。
「……悔しいけど、あんたにはまだ敵いそうにないね。でも、このままじゃ終わらないからな。いつか必ず、あんたを倒してみせるよ!」
マウツは、歯噛みしながらシェリーに鋭い視線を浴びせる。
シェリーが満面の笑顔で手をひらひらと振ると、舌打ちしてその場を去っていった。
ルギが肩をすくめ、「じゃあ、元気でな」と彼女の後を追う。
用心棒稼業ならルギほどの腕があればそれほど危険はないだろう、とシェリーはココを元気づけた。
(心強い相棒もいることだし、ね。)
シェリーは、これまで同様に悠々と日々を過ごしていた。
だが、いくら歓待してくれているとはいえ、さすがにいつまでアディンセル卿の屋敷に居候というわけにもいかない。
それに、元締から貰った報酬はとても使いきれるような額ではなかった。
そこでシェリーは、以前帝都に住んでいた頃の知人に仲介してもらい、飛燕幻舞流刀術の道場を建てることにした。
もちろん刀術を学ぶ場というだけではなく、自分と弟子二人が住むための住居も兼ねている。
ちょうど郊外に良い空き地があったので、そこに道場兼住居を建築することになった。
あと一週間ほどで完成する予定だ。
毎朝一人でふらりと出かけては、着々と進行する我が家の工事の様子を楽しく眺めている。
「……そろそろいいかな。船頭さん、ちょっと止めてもらえる?」
川の流れが緩やかになったところで、シェリーが船頭に声をかけた。
「どうしたの、師母様? あ、わかった! 新しいお家に寄っていくんでしょ?」
ココが尋ねると、シェリーはゆっくり首を振った。
そして、大事そうに抱えていた紫色の絹の包みを外す。
彼女がここまで持ってきたのは、白い陶磁器の壷だった。
「……師母様、その壷は……」
マナが目を丸くする。
「……そう、私の妹弟子アンジェラ……貴女たちの師叔母の遺灰よ」
壷の中にはアンジェラの遺灰が納められていた。
遺体をそのまま土葬する中央人とは違い、東方系の民族やシェリーたち妖かしの民は火葬を執り行う。
東方系の民族では、焼いた骨は壷に入れて墓所に埋められるのだが……。
「私たち妖かしの民はね、こうやって弔うのよ」
シェリーは懐から鈴を取り出し、指先でつまんで静かに鳴らした。
岸辺の草原には、色とりどりの花が競うように咲いている。
その中には、妖かしの里にも咲いていた菖蒲の花の姿もあった。
暑気を払う涼やかな風が船上を流れていく。
「……さようなら、アンジェラ」
シェリーがそっと呟き、壷を傾けた。
アンジェラの遺灰は風に飛ばされ、川の水に溶け込み、大地に降り、消えていく。
こうして彼女の肉体は火・風・水・土に還り、浄化された魂は天へと昇っていくのだ。
(師母様と二人で、もう少し私たちを見守っていてね)
シェリーが再び鈴を鳴らした。
マナとココはその澄んだ音色に耳を傾け、青空を舞う灰を感慨深げに見つめていた。
鈴の音は、いつまでも鳴り止むことがなかった。
(終)




