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第一章 帰郷、旅立ち(5) 

「では、始めます」


 やや緊張した面持ちで、剣を構えて礼をした。

 夜になり、昼間よりも少し冷たい風が山小屋の前の庭を通り過ぎていく。

 上弦の月が中天にかかっていた。

 無数の星々が夜空を華やかに彩る。

 傍らの巨石に師母とココが並んで腰掛け、マナの演武を見守っていた。


(師母様、ココ……。見ていてください、これが私の過ごした三年間です)


 マナは正面を真っ直ぐに見つめ、ゆっくりと剣を鞘から払った。

 静かに大きく呼吸し、気息を整える。

 総身の気の流れを意識し、心を静めた。

 如何なる時にも平静を保つこと。それが、剣聖神女の第一の教えだ。

 気を最良の状態に保つことができれば、剣の重みを感じることはなく、正に身体の一部として自在に操ることができる。

 師母にも、それは何度も教えられた。

 学園で修行に明け暮れるうちに、ようやくマナはそれを体感することができた。


 腰をやや落とし、下段に構える。

 頭の中に、周囲を取り囲む敵を想像した。

 彼らの攻撃をいかに回避し、どのように反撃するか。

 型稽古であっても、常に実戦を想定する。それもまた、師母の教えだった。

 振り返り、背後からの攻撃を跳ね除ける。

 防御の後は、すぐさま攻撃に転じる。

 敵の得物を叩き落し、続く側面から繰り出される斬撃は身を捻ってかわす。

 態勢を崩したその相手には構わず、次の敵に備える。


 「ふわあ……凄い……」


 シェリーの隣に座るココが、思わず感嘆の声を洩らす。

 その目は、「大好きな師姉様」の演武に釘付けになっていた。

 シェリーもまた、まばたき一つすることなく、真剣な面持ちで弟子の演武を見つめていた。

 やや反身の刀とは違い、剣は刀身が真っ直ぐになっている。

 その分、「斬る」よりも「突き」が攻撃と牽制の重要な技とされていた。

 剣聖神女の奥義『神雷三閃突き』などは、刀仙天女をして「完全に受け切るのは至難」だったと伝えられている。

 マナが架空の相手の武器を払いのけ、鋭い突きを放つ。

 流れるような一連の動きは、彼女が懸けてきた日々の賜物であろう。

 一つ一つの動作の繋ぎにも、隙が少ない。

 これは、演武を「決められた動作を繰り返すだけ」と考えている者にはできないことだ。

 常に実戦を念頭に置いた修行を積むこと。

 彼女の愛弟子は、その下を離れている間も教えを忠実に守っていてくれたのだ。


「……如何でしたか……?」


 演武を終え、礼をした後でマナが尋ねる。

 基本動作が中心の演武だ。

 気が遠くなるほど練習した型であったが、やはり師母の前で披露するのは緊張した。

 ココはしきりに「凄い!凄かった!」と、手を叩いて絶賛している。

 師母も満足げな笑みを浮かべ、「さすが師範代だね」と感心した様子だ。

 安心したマナだが、


「……ただ、途中の翻身掛剣、あれはもうちょっと膝を曲げた方が良かったと思うけど」


 指摘を受けてギクリとした。

 さすがは師母だ。

 足腰に疲れが溜まっていて、甘くなっていた箇所を見過ごしたりはしない。


(それにしても、他流の技の名前も特徴も、ちゃんとご存知なのね)


 出会う以前の師母の過去について、マナはほとんど知らない。

 だが、亡き父が、彼女の師母となる前のシェリーを「達人中の達人」と褒めちぎっていたことは、うっすらと記憶にある。


 一日の終わりにはゆっくりと温泉に入るのが、かねてからの習慣だった。

 雨の日以外は、ほぼ毎日入っているといってもいい。

 学園の寮では共用の大浴場があり、そこを毎晩順番で利用していた。

 だが、もちろん温泉ではなく湯を沸かして入るだけだ。

 彼女たちだけが恵まれているわけではなく、帝都でも貧民街を除けばほとんどの住人は近隣の共同浴場を利用している。

 貴族や騎士階級なら、自宅に風呂を備えているのが当たり前だ。

 それもこれも、師母によれば先々代の皇帝陛下が風呂好きだったことに由来するらしい。


「いやぁ、生き返るねえ……。どうお、マナ。久しぶりに入る温泉の気分は?」


「そうですね、やはり格別です……」


 上機嫌な師母の言葉に、マナもしみじみと呟く。

 白濁した温泉の湯は、少しぬるりした感触があるのだが、肌の美容にとても良いらしい。

 源泉は非常に湯温が高く、足を少し入れるだけで痺れるような熱さだが、マナたちが入っているのは少し離れた場所なのでちょうど良い湯加減になっている。


「それにしてもマナさあ…」


「何でしょう?」


「しばらく見ない間に、ずいぶん胸が大きくなったね!」


 師母がにんまりと笑い、マナの双丘に視線を向けてくる。

 反射的に胸を隠し、隣を見ればココもまるで珍しい物を発見したような目で胸元を覗き込んでいた。


「……ホントだ。師母様やあたしよりも、ずっと大きい……」


「か、からかわないで下さい、師母様!こ、ココもそんなに見るもんじゃありませんっ!」


 生真面目なマナの慌てる姿に、師母が楽しげに笑い転げた。

 それに併せて胸元の鈴も揺れる。

 師母は決してこの鈴を、たとえ入浴の時であっても手離そうとしない。

 マナが以前聞いた話では、これはシェリーの師母、つまりマナたちにとっては師祖母にあたる人の形見なのだという。


(続く)

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