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第四章 あなたを、忘れない(5)

 シェリーは夢を見ていた。

 妖かしの里で過ごした頃の夢だった。

 師母様がいて、アンジェラがいた。

 窓から差し込む春の柔らかな陽射しと、道場のすぐそばを流れる小川の静かなせせらぎ。

 小鳥のさえずりと、師母が肌身離さず持っていた、鈴の美しい音色。


(師母様、アンジェラ……)


 二人が笑顔を向けていた。

 これは夢だ、もう二度と目にすることのない光景なのだ、ということは理解していた。

 だからこそ、この夢をもう少しだけ見ていたいと願った。

 だが、覚めない夢などあるわけもなかった。


 シェリーは、不穏な気配を感じ取って眼を覚ました。

 目覚めると同時に枕元に置いた刀を取り、周囲を窺う。

 窓の外にアンジェラがいた。

 満月の光を浴び、白金の髪が神々しいまでの輝きを放っている。


「遅かったわね、アンジェラ」


 シェリーは冷静だった。

 妹弟子を見据えたまま、寝台で眠るマナとココに声をかける。


「すぐに準備をなさい。でも、手出しは無用よ」


 はっと目覚めたマナとココが息を呑む。

 だが、彼女たちも落ち着いて戦いの準備を整えた。

 アンジェラの襲撃に備え、シェリーは常に警戒を怠ってこなかった。

 二人の愛弟子に戦いの準備をさせたのは、万が一の時のためでもあり、この戦いをしっかりと見てほしい、という思いもあった。


 アンジェラが求めているのは、自分との『立ち合い』だということを知っていた。

 誰にも邪魔されず、己の全てをぶつけられる環境で戦いたいと願っているのだ。

 だから自分は、持てる力の限りを尽くしてそれに応えようと決意を固めていた。


 シェリーが戦闘態勢で外に出た。マナとココがそれに続く。


「……ミネア!」


「……お兄ちゃん!?」


 マナとココがほぼ同時に叫ぶ。

 シェリーの顔が怒りに歪んだ。

 アンジェラの背後に、ルギとミネアがいた。

 縄で縛られたミネアは、空ろな目つきで芝生の上に座り込んでいる。

 その横に立つルギの表情は苦悩に満ちていた。


「あは、ここまでは順調ね。じゃあ、ルギさん。私の言った通りにしてね」


 アンジェラがルギに冷ややかな笑みを向けた。


「……こんなことをして、何になると言うんだ」


 ルギが苦々しげに吐き捨てる。


「あは、貴方の知ったことではないわ。約束を破ったら、あの人が死ぬわよ」


 薄ら笑いを浮かべるアンジェラ。

 ルギは舌打ちし、三節棍を構えてシェリーに向かって突き進んだ。


「お兄ちゃん!? 止めて!」


 ココが目を見張り、絶叫した。

 シェリーは向かってくるルギの姿と、その後ろで冷笑するアンジェラの姿に不信感抱かずにはいられなかった。


(あの子は私との一騎討ちを望んでいるはず……)


 アンジェラの真意が汲み取れなかった。

 しかし、目の前に降りかかる火の粉は払わなければならない。


 ルギが上段に構えた三節棍を振り下ろす。

 武器の間合いは長いが、動きが大振りなので避けるのは簡単だった。

 地面を打つと同時に、下から掬い上げてくる攻撃も予測どおりだった。


(……本気ではない?)


 以前の立ち合いの時よりも、ルギの動きにはキレが感じられなかった。

 その瞬間、ルギの後方に控えていたアンジェラが動き出した。

 シェリーは瞬時に彼女の狙いを看破し、絶叫した。


「マナ!」


 その声が届いた時には、すでにマナの眼前にアンジェラが迫っていた。

 師母と同じ白金の髪と白い肌。

 だがその目には、師母のような優しさは欠片もない。

 代わりに、境界をとうに越えてしまった狂気の光が宿っていた。

 マナは、気息を整えて戴天踏地流剣術の防御の構えをとった。

 師母からは、数週間前からこういわれていた。


「戴天踏地流剣術の中に、私から学んだ飛燕幻舞流刀術で活かせるものを取り入れなさい」


 それはつまり、剣聖神女の編み出した剣術に、刀仙天女の技を組み込む、ということだ。

 当然ながら、得物が違えば技も変わる。

 だが、そこに一つでも取り入れられるものがあれば大きな武器になる。

 それを成し遂げられるのは二つの流派を学んだ貴女しかいない、と励まされた。


「あは、貴女とは初めましてね、お嬢ちゃん」


 やわらかで美しい声とは裏腹の、凄まじい斬撃が襲いかかってきた。

 三手、四手、五手、と途切れることなく技が繰り出される。

 その鋭くも重い一刀一刀を、マナは後退しながら捌ききった。


「あは、やるじゃないの。さすがは師姉様の一番弟子ね」


 感心した声を上げながらも、その攻撃は止まる気配もない。

 急所を的確に狙うその刀は、防げなければいずれも致命傷となる。

 気を抜く余裕など微塵もなかった。


(……師母様……)


 命を懸けた必死の防戦のさなか、マナは敬慕してやまない師母のことを想った。

 父母との別れ。

 三人で共に過ごした日々。

 母代わりに自分を育ててくれた師母。

 そしてあの、月下で魅せられた美しくも力強い演武。


「うおおおおおっ!」


 マナは我知らず叫んでいた。

 丹田に込めた内功を一気に吐き出す。

 上段から打ち込まれたアンジェラの刀を弾き返した。

 アンジェラの身体が後方に跳ぶ。

 さすがに、バランスを崩すことなく華麗に着地した。

 その目は思いがけぬマナの強さに驚き、見開かれている。

 しかし、すぐにその驚愕は喜びに満ちた笑みに変わった。


「あは、私を押し返すなんて大したものね。じゃあ、師叔母様も本気出しちゃおうかな」


 態勢を低く構え、再び襲いかかろうとする。

 一方のマナは、肩で息をしていた。

 今の一撃に力を入れすぎたためだ。

 だが、もちろんここで休んでいるような暇はない。

 全身にのしかかってくる疲労感を抑え、もう一度気息を整えようと試みた。


(……まずい!)


 アンジェラが一気に間合いを詰めてきた。

 一方のマナは、まだ呼吸が整わない。

 この状態のまま、あの連撃を凌ぎきる自信はなかった。

 だが次の瞬間、突風のような速さで、褐色のしなやかな肢体がマナの横を駆け抜けた。


「ココ!」


(続く)

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