第四章 あなたを、忘れない(4)
それから数日後の深夜。
ミネアは屋敷内の自室で、寝巻き姿で机に向かっていた。
近衛騎士団入団試験の日は、刻一刻と迫ってきている。
その日のためにこれまで勉学と剣の修練に励んできた。
これだけ頑張ってきたのだから、きっと大丈夫という自信と同時に、もしかしたら、という不安にも苛まれている。
あの夜、正体不明の女――彼女はアンジェラと名乗っていたが――に出会って以来、ミネアは夜中に一人で稽古することを止めていた。
あの時の恐ろしさを思うだけで、いまだに総身が震え出してしまう。
まるで死神か幽鬼のような女だった。
彼女から、マナの師母がヤクザ者の一味だ、という話を聞いた。
その噂を学校で広めなさい、とも言われた。
ライバルであるマナを蹴落とすのは面白い、という思いもあったが、それをしなければこの女に何をされるか分からない、ということの方が恐ろしかった。
彼女は「今日のことは他言無用」と言い残して、煙のように消えていった。
両親に話したかったが、本当に殺されるのではないか、という直感がそれを妨げた。
それからずっと、彼女はミネアの屋敷を訪れてはいない。
だが、いつ来るかもしれないという恐怖から、やはり夜の稽古は行う気になれなかった。
マナの噂を広めた日、最初はとても気持ちが良かった。
いつも冷静なマナが、血相を変えて怒り出す様は思い出すだけで痛快だった。
だが、帰宅して一人きりになった時、何とも言えぬ居心地の悪さがミネアの心を襲った。
(私はいったい、何をしているの?)
聖白龍女学園の頃から、マナの存在が気にかかって仕方無かった。
中央人ではない、東方系の血筋なのに学業にも剣術にも優れている彼女を時に目障りだとも思った。
だが、だからといって彼女の師母を貶め、傷つけて何になるというのか。
そもそも、そんな卑劣な人間に、近衛騎士団に入団する資格があると言えるのだろうか。
そんな罪悪感がミネアの心を締めつけた。
マナの泣き顔を思い浮かべると、不意に胸が痛んだ。
女学園時代からずっと、彼女はミネアを蔑んでも憎んでもいない。
学園の誰に対しても笑顔で接していた。
そんな彼女を、自分は卑劣な手段で陥れようとしたのだ。
(私、私は何て嫌な人間なの……)
内心の声が己を責めたてる。
あれ以来、マナはほとんどミネアに顔を向けなくなってしまった。
無理もないだろう、あれだけのことをしてしまったのだから。
彼女に謝りたかった。
中央人としてのプライドが邪魔してできないままでいたが、謝罪して彼女に許して欲しかった。
そして――。
(私を……もう一度、もう一度見て欲しい……)
あの真っ直ぐな美しい黒い瞳で。
それがどれほど図々しいことか、と己の身勝手を呪いながらもマナのことを想っていた。
(……もしかして、私は彼女のことを…)
それだけは認めたくなかった。
だが、認めてしまえばこの苦しみから解放されるのではないか、とも感じていた。
(……好き、だというの……?)
(……どうしたらいいの……?)
このまま、マナと険悪な関係のまま入団試験を迎えてしまうかもしれない。
この苦しい思いを抱え込んだまま。
ミネアはゆっくりと首を振った。
まるでそうすれば、苦悩が頭から綺麗に振り落とせるかのように。
ため息をつき、窓の外を眺める。
美しい月の光が差し込んできていた。
暑い夏の夜であったが、流れ込む微風が上気した肌には心地よい。
「……え? 風?」
窓はさっき閉めたはずだった。
異変に気付き振り返ると、目の前に『あの女』が立っていた。
全身の毛が粟立つような、凄まじい殺気を身にまとって。
「あは、ごきげんよう、お嬢様」
悲鳴を上げる暇もなく、ミネアは胸の点穴を突かれて昏倒した。
(続く)




