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第四章 あなたを、忘れない(3)

 それから一ヶ月の時が過ぎた。

 マナは再び学校に通い、来るべき近衛騎士団入団試験に向けて勉強と修練に明け暮れていた。

 シェリーに関して、また同窓生たちが色々と噂をしていたようだが、それもやがて消えていった。

 皆、自分の試験のことで頭がいっぱいだったからだろう。


 シェリーにとって何より喜ばしかったことは、ココが


「私も学校に行ってみたい」


 と、言い出したことだった。

 いずれは一人で生きていかなくてはいけないという、あの夜のシェリーの言葉に加え、マナから聴いた学校の話にいたく興味を覚えたようだ。

 本人はマナと同じ聖白龍女学園を望んだが、何しろ才女ばかりが通う学校である。

 しかも、今の時期からでは入学試験よりも厳しい編入試験を受けなくてはならない。

 シェリーがマナの入学時に世話になった事情通に相談してみたところ、聖白龍はもちろん他の学校を受けるにしても、来年の春まで必死に勉強して試験を受けたほうが無難、という結論になった。

 そういうわけで家庭教師を紹介してもらい、ココも毎日勉強に追われるようになった。

 本人は「師母様が教えてくれれば……」と思っていたようだが、短期間で鍛えるには専門家が一番、とシェリーに説得された。

 語学や歴史などは今までシェリーも教えてきたのだが、聖白龍合格のためには、それだけでは全然足りない。

 これまで無縁だった礼法なども徹底的に教え込まれ、四苦八苦の毎日だった。

 だが、思った以上に飲み込みの良いココは、家庭教師の話によれば聖白龍も有望、とのことであった。


 そして二人とも、夜にはシェリーによる演武の稽古が待ち構えていた。

 ココが思わず、


「これなら勉強の方がいいよ……」


 と半べそになるほどの厳しい修行だった。

 だが二人は必死でその猛稽古に喰らいつき、少しずつではあるが飛燕刀術の真髄を身につけつつあった。

 そしてシェリーは、愛弟子二人が勉学と修行に勤しむ姿を見守りつつ、いずれ迎えるであろうアンジェラとの決着に備えていた。

 定期的に元締を訪ね、アンジェラに関する情報を集める。

 時折耳に入る情報によれば、どうやらまだ帝都のどこかに身を潜めているらしい。

 また、同じく行方が定かではないルギと女傭兵のマウツだが、この二人は元締と敵対している区域にいるそうだ。

 だが、特に変な動きさえしなければ追っ手を放つつもりはない、と元締は語っていた。


 帝都東南区の歓楽街。

 その一角にある穴蔵のような居酒屋の片隅で、ルギとマウツは静かに酒を酌み交わしていた。

 二人ともフードで顔を隠すようにして、飲みながらも常に周囲に目を配っている。

 夜はすっかり更けていた。

 元締が追っ手を差し向けてくる可能性は低い、と判断してはいた。

 だが、何しろ二人とも元締の配下を何人も殺めている。

 元締の指図に逆らい、単独で命を狙う者もいるかもしれない。

 それに何よりこの稼業、油断すればすぐに命を落とすことになる。


 木の扉がきしむ音を立てて開けられた。

 ヒソヒソと話をしていた酔客たちが一斉に入り口に目を向ける。

 ルギたち同様、彼らのほとんどがスネに傷持つ者だ。

 他者に関しては、過敏なほど神経を使う。

 新客もルギたちと同様、頭からすっぽりと灰色のフードを被って顔を隠していた。

 周囲の不穏な視線にも構わず、ルギたちの座るテーブルに向かってくる。


「……お前は、まさか……」


 ルギの眼が鋭い光を放った。

 マウツが椅子を引き、腰の刀に手をかける。

 彼らの様子に、酔客たちも息を呑みながら様子を窺った。

 その新客がフードを外した。

 シニヨンにされた白金色の髪。

 見下すような視線がルギを捉えていた。


「あは、お久しぶりね」


 ルギの推察通り、そこに現れたのは殺し屋・蒼血燕だった。

 彼女の白金色の髪を見て、酔客たちが一斉にざわめいた。

 だが、誰一人席を立とうとはしない。

 下手に動けば殺されかねない、ということを彼らは熟知していた。

 彼女は仕事として、やむなく人を殺めるという人間ではない。

 大した理由も無く、まるで虫を潰すように殺しをやってのける。

 暗黒街でも屈指の厄種なのだ。

 気付かずにいてもらうというのが、一番の安全策とも言えよう。


「何しにきやがったんだ!」


 マウツが刀に手をかけたまま詰問する。

 蒼血燕は、全く意に介さない様子で空いていた椅子に座った。


「何って、そこにいるルギさんは私の雇い主よ? まだ契約は終わっていないからね。あは、次の指示を仰ごうと思ったわけよ」


 にんまりと笑い、マウツが飲みかけていた赤ワインを奪い、一息で飲み干した。


「バカな。あの件はもう終わりだ」


「へえ、このまま逃げ出すんだ?」


 憮然とした表情で答えるルギを、蒼血燕が心底ガッカリとした、という表情で挑発する。

 血相を変えて立ち上がろうとしたマウツを、ルギが片手で制した。


「何とでも言え。もう終わったんだ。お前との契約もここまでだ」


「……あらそ、せっかくこの一ヶ月探し回ったのに、これじゃ甲斐がないわね。それじゃあ、残りの報酬を頂こうかしら?」


 蒼血燕が片手を差し出した。

 ルギがため息をつき、足元のザックをテーブルの上に置いた。

 そして、金貨の詰まった袋を手渡す。


「持っていけ。これが今の俺の全財産だ」


「……あら、なあに? 全然足りないじゃないの」


 中身を覗き込んだ蒼血燕は、相変わらず薄笑いを浮かべていた。


「言ったはずだ、全財産だと。足りない分は必ず返す」


「あは、バカじゃないの? 私は殺し屋よ。まさか借金取りにでも見えるというの?」


「それで気に入らなければ、俺を殺せばいい。好きにしろ」


「親分!?」


 マウツの表情が蒼白となった。

 ルギは真っ直ぐに蒼血燕を見据えていた。


「やあねえ、貴方の命なんて興味ないわ……ふふ、じゃあちょっとだけお手伝いをしてもらおうかしら」


「……お前の師姉に関わることなら断る」


「あは、ご明察ね。そうよ、私の大事な師姉様のことなの」


 蒼血燕が、うっとりとした表情を浮かべた。

 ため息をついてルギが首を振ると、


「あは、断る? ……そうはいかないわよ」


 瞬く間の出来事だった。

 ルギが庇う間もなかった。

 蒼血燕の突き出した二本の指が、マウツの首筋に深々とめり込んでいた。

 何が起きたのかも分からぬ様子で、マウツが意識を失って倒れこむ。

 同時に、恐るべき速さで抜き放たれた蒼血燕の刀が、ルギの首に当てられていた。


「あは、遅い、遅い。それじゃあこの蒼血燕を捕らえることなんてできないわ」


「やめろ。殺すなら俺を殺せ」


 目の前に死の刃を突きつけられても、ルギは怯む様子も無かった。


「あは、だから殺すつもりなんてないって言ってるじゃないの。ただ私は、本来私が受け取るべき報酬の代わりに、あなたにちょっとだけお手伝いをしてもらおうってだけなの」


「……お前という奴はっ!」


「ひどい奴でしょ? ……あは、断れば彼女は殺して野良犬の餌にするわ」


 そう言ってルギから刀を離し、恐るべき早業でマウツの身体を抱きかかえ、首元に刃を当てる。

 冷や汗を浮かべて成り行きを見守っていた周囲の酔客たちも、その所業に呆気にとられていた。


「……分かった、マウツを放せ」


 ルギが苦々しげに洩らす。


「あは、それはダメね。正当な報酬も払わない人間の言葉なんて、信用に値しないわ」


「くっ!」


 ルギは何も言い返すことができなかった。


「その日がきたら連絡する。それまで、この子は預かっておくわ。大丈夫、殺したり苛めたりはしないから、ウフフ」


「……待て!」


 ルギの言葉など、もう蒼血燕には届いていなかった。

 彼女はマウツの身体を抱きかかえたまま、あっという間に扉の外に消えていった。

 ルギは歯噛みしながら、それを見送るしかなかった。


(続く)

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