第三章 奪われたもの、喪ったもの(13)
「……師母様の仰っていた通りだわ」
口元に微笑を浮かべたまま、静かに語る。
その冷静な態度に、マウツのこめかみが脈打った。
「……何だって?」
怒気を孕んだ声にも怯むことなく、マナは続けた。
師母様ならきっとこう言うだろう、と声色まで真似ながら。
「弱いワンワンほどよく吼えるって。吼えてさえいれば、間抜けなご主人様から美味しい餌がもらえるのでしょ?」
挑発は本人を直接貶めるだけではなく、本人の慕う人間を軽んじる方がより効果的だ。
マナも先日ミネアに師母を侮辱され、我を忘れるほどの怒りを覚えたものだ。
「てめえっ!」
挑発の効果はてきめんだった。
マウツが血相を変え、間合いを一気に詰めてくる。
右手大上段から力任せの一撃。
しかし、軌道が見えていれば怖くはない。
冷静に見極めたマナの突きが一瞬早く、マウツの肩口を捉えていた。
その激痛に、マウツが右手の剣を床に落としてしまう。
肩当てでガードされているものの、内功を込めた渾身の突きによって、真後ろに勢いよく吹き飛ばされた。
背中をしたたかに打ちながらも起き上がろうとしたが、接近したマナの蹴りが入った。
左手の剣を飛ばされ、首筋に剣を突きつけられて、ついにマウツは観念した。
マナはこうして、実戦初勝利を鮮やかに飾った。
しかし、その喜びに浸っている暇は無かった。
(師母様……!)
アンジェラの猛攻は止まらなかった。
切れ間無く放たれる斬撃と蹴りに、付け込む隙が見出せない。
だが、一方的に押されながらもシェリーは攻撃の傾向、動作のクセを観察することを怠らなかった。
終始不敵な笑みを浮かべながら、静かな呼吸で鋭く迫るアンジェラ。
さすがに、シェリーたちの師母も認めたほどの天才だ。
だが、絶対に破れない技など存在しない。
疲れを知らない人間はいない。
どこかで必ず、勝機は見出せるはずだ。
(もっとも、それまで私が保つかどうかだけどね!)
シェリーの体力も限界が近づいてきた。
いや、とうに限界に達しているといっても過言ではない。
これがもし、自分一人の命を守る戦いであったら、とうに敗れていたかもしれない。
しかし、
(マナとココを護る! あの二人のためにも、今ここで死ぬわけにはいかない!)
という使命感が、心の強靭な軸となって彼女を支えていた。
人は、自分だけのために頑張り続けることは難しい。
だが、『大切な誰か』のためであれば、どこまでも踏ん張ることができるものなのだ。
アンジェラの表情から、徐々に薄ら笑いが消えていった。
その代わりに、何か悲しみにくれるような色が浮かんでくる。
技の鋭さも速度も衰えてはいない。
だが、その殺気が少しずつ失せていくのをシェリーは感じ取っていた。
不意にアンジェラが攻撃の手を止め、後方に跳躍した。
そこで間合いを詰めるだけの余力は、シェリーに残されていなかった。
油断無く妹弟子の様子を窺いながら、気息を整える。
「……つまらないわ」
アンジェラが、失望しきった表情で呟いた。
その言葉の真意をシェリーは理解できなかった。
「……戦いなんて、本来楽しむものではないのよ、アンジェラ」
「そうじゃないわ、師姉様。そうじゃないの……。だって、師姉様ったら、ちっとも私のことを見てくれないのだもの」
そう言ったアンジェラの瞳には、涙が浮かんでいた。
「せっかくこうして二人きりで戦っているというのに、師姉様はあの子たちのことしか考えていないのね……。私がこの時をどれほど待ち望んでいたか、師姉様には分からないんだわ!」
アンジェラの口調は、残忍無比な『蒼血燕』のそれではなかった。
そこにいるのは、里で共に修行を積んだ、あの『甘えん坊の妹弟子』だった。
「アンジェラ、貴女は……」
思わず構えを解いてしまったシェリーの耳に、数名の男たちの怒号が飛び込んできた。
傭兵たちをほぼ全滅に追い込んだ、元締の兵が屋敷内に雪崩れ込んできたのだ。
「……おまけにまた邪魔が入るのね。ああ、もう、最悪、最悪、最悪だわああああっ!」
アンジェラが狂気に満ちた表情で絶叫した。
呆気にとられたシェリーを尻目に、踵を返してアンジェラが居間の外に駆け出していく。
咄嗟に、ココとマナの身を案じたシェリーが、二人の姿を探した。
二人は無事だった。
マナがココを包み込むように抱き、しっかりと護っている姿を見てシェリーは安堵した。
ルギとマウツの姿はいつの間にか消えている。
廊下に出てアンジェラの姿を追おうとしたシェリーだが、そこには負傷して倒れこんだ元締の兵の姿しかなかった。
遥か遠くから、アンジェラの叫び声がわずかに聞こえてくる。
「追ってきてくれないのねっ! 本当にひどい師姉様!」
(アンジェラ……)
その声はいつまでも、シェリーの耳から離れなかった。
(四章 あなたを、忘れない に続く)




