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第一章 帰郷、旅立ち(4) 

「…おなかすいた」


 感動の再会にむせび泣くマナは、ココの一言で現実に引き戻された。

 陽はもう中天に昇り、眩しく草原を照らしている。

 シェリーがくくくっと笑い、


「そうねえ、もうそろそろお昼ご飯の支度をしないとねえ」


 と、のんびりとした口調で、マナの頭を撫でながら呟く。

 マナも一つ息をつき、師母の胸から離れた。


「師母様、食料はこれから集めるのですか?」


「そうよーん、いつもと一緒。あなたも来る? 家でゆっくりしててもいいんだよ」


「私なら大丈夫です。お供いたします」


「そ。でも、都会暮らしが長かったお嬢様には、ちょいときついかもしれないわよん?」


 その挑発するような物言いにも、マナは自信に満ちた表情で「平気です」と答えた。

 ほんの数分後には、やっぱり休んでおけば良かったかも、と若干後悔していたのだが。


 白金の髪をなびかせ、胸元の鈴を鳴らしながら、師母が獣道を悠々と駆け抜ける。

 そのすぐ後方を、ココが笑みを浮かべながら続いていく。

 そしてマナは、若干強張った顔で最後尾を走っていた。


(予想はしていたけど……これはきついわね……)


 マナたちの学ぶ刀術では、『軽功』の修行を毎日欠かさず行っている。

 軽功は他の武術でも扱っているが、要するに身軽に身体を動かすための技だ。

 武に身を置く者であれば、時に腕力で敵わない屈強な相手と戦うこともある。

 マナたちのように女性であれば尚更だ。

 そんな時に役に立つのが、この軽功である。

 素早い動きで敵を幻惑し、隙を突いて攻撃する。

 敵わぬとなった際に、逃げるためにも大いに役立つ。

 学園の武術の修行でも、この軽功の修行は日々課せられていた。

 マナは同学年の中でも足が速く、持久力にもかなり自信があったのだが……。


(こんな峻険な山道は帝都には無いものね……)


 武術の心得の無い者なら、普通に歩いていても転ぶ、あるいは数十分で音を上げそうな険しい道だ。

 いや、道とはとても言えないような場所もある。

 コケの生えた岩の上を飛び伝い、崖のような斜面を一気に駆け上がり、苦手な者なら立っているだけで足がすくんでしまうような高所を当たり前のように降りていく。

 三年前の自分は、こんな場所を駆けていたのかと内心呆れた気持ちにもなった。


 それにしても、自分がいない間のココの成長には目を見張るものがあった。


(昔は怖くて泣いていた、あの子が……大したものだわ)


 あの頃は師母のすぐ後ろを自分が駆け、それからだいぶ離れたところをココが半ベソになりながら追いかけてきたものだ。

 それが今や、立場が逆転してしまっている。

 もっとも、今のマナはさすがに半ベソにはなっていないが。


 山野を駆け抜けつつ、道々で止まって山菜を集める。

 それを背中の籠に入れると、また駆けていく。

 時には鹿や猪といった獲物を仕留めることもあるが、師母の話では昨日猪を獲ったばかりなので今日は見過ごすのだとか。

 往復一時間ほどの行程だったが、戻る頃にはマナは汗だくになっていた。


 その夜。

 マナの帰還を祝うささやかな宴が行われた。

 宴といっても、師弟三人水入らずの「いつもの食事」で、そのことが一層マナにとっては嬉しかった。

 メインは昨日仕留めた猪の鍋だ。

 固く引き締まった猪の肉を、大鍋で時間をかけてじっくりと煮込む。

 脂身の多い肉だが、煮込めば煮込むほど柔らかくなり、これが実に美味い。

 大きめに切った牛蒡や山菜をたくさん入れ、師母の一族秘伝の調味料を加える。

 これによって肉の臭みが消え、旨みがさらに増すのだ。


「お肉♪お肉ぅ♪」


 ココは先程から大はしゃぎだ。

 食べ盛りの彼女は、山菜ばかりの昼食では満足できなかったらしい。

 目を爛々と輝かせ、今にもよだれが落ちそうな顔をしている。

 その様子を師母が嬉しそうに眺めていた。

 板敷きの質素な造りの山小屋の中に、美味そうな匂いが充満していく。

 マナが師母の元に引き取られた五歳の時から、入学までの十年間を過ごした山小屋は、何一つ変わることなくそこにあった。

 寝所と台所、師母の書庫と、食事をとるための居間。

 離れには厠と鶏小屋があり、少し離れた川沿いには温泉が湧いている。


「やっぱりねえ、女の子はちゃんとお風呂に入らないとねえ」


 という師匠の強い希望があって、ここが住まいとして選ばれたのだ。


 ぐつぐつと煮える鍋から、煮込まれて白くなった猪肉と、人参・牛蒡を掬い、椀に入れる。

 熱い汁を一口すすると、その濃密な旨味に思わず舌鼓を打ちたくなった。

 汁が喉を流れ、胃に落ちると身体の奥からポカポカと温かくなってくる。

 今はもう春だが、冬場には本当に生き返るような瞬間だ。

 マナの隣では、ココが目を細めて頬張った肉をモグモグと咀嚼している。

 脂身の多い肉だが、噛むほどに旨みのある熱い肉汁が溢れ出て、舌が蕩けそうになるのだ。


「さあさあ、仔猫ちゃんたち。じゃんじゃん食べなさいねー」


 師母はしばしば、弟子たちを『仔猫ちゃん』と呼ぶ。あるいは『私の宝物』と。

 マナもココも、その文字通り彼女を本当の母のように愛し、慕っていた。

 普段は天真爛漫、というよりもお茶目が過ぎる人だが、武術に関しては人一倍真摯で厳しい。

 昼間は軽功の修行後に、「もうマナは忘れちゃってるんじゃないの?」と、飛燕幻舞流刀術の型稽古をみっちりと受けた。

 学園では、刀仙天女と並び称される『剣聖神女』が伝えたとされる『戴天踏地流剣術』を修めることが義務付けられている。

 両刃の細剣を自在に操り、『攻防一体』とも称えられる流派だ。

 マナは在学中も、就寝前の自由時間に師母から学んだ飛燕幻舞流刀術の反復稽古は続けていたが、やはり師母の元で修行していた頃よりも甘いところがあるようだ。


「マナ、脇を締めなさい!ココ、お尻に力を入れて!」


 師母の叱責を受けながら、何度も型を繰り返す。

 型こそ全ての基本、と師母は昔から口をすっぱくして愛弟子二人に言っていた。

 この飛燕幻舞流刀術の型を全て修め、軽功の修行を極めればまずどんな敵にも後れをとることはない、とまで断言している。

 栄養たっぷりの猪鍋は、昼間の稽古で疲れきったマナとココを十二分に癒してくれた。


「ところでさあ、マナ。学園では戴天踏地流剣術をどこまで修めることができたの?」


 食後に茶を飲んでいると、師母が尋ねてきた。

 その目は好奇の光に満ち満ちている。


「ええ、その……卒業前に師範代になることができました」


 少しはにかみながらマナは答えた。

 武術の流派の中には、他流を学ぶことを一切禁じているものも多い。

 どうしても学びたければ、師によって破門にされてしまうのだ。

 だが、飛燕幻舞流刀術では始祖以来の伝統で


「使う当人の役に立てるのであれば、他流を学ぼうとも問題ない」


 とされている。

 乱世の時代を自由奔放に生きたと伝えられる刀仙天女様らしいよね、と師母は笑っていた。

 ちなみに剣聖神女もまた、他流を学ぶことを教えの中で推奨している。

 同じ乱世を生きながら、刀仙天女とは対照的に質実剛健を体現したような人物だったとされているが、


「習得した武術を活かすも殺すも当人次第。志を抱き、学んだ技を自らの糧とできるのであれば構わない、流派など一々問う必要はない」


 という言葉が遺されていた。


「ははあ、凄いね!さっすがマナ!」


 師母の心底喜んでいる姿に、マナの胸が熱くなる。

 剣術の修行は本当に厳しく、三年で師範代になるまでには言い知れぬ苦労があった。

 手足の肉刺マメが何度も潰れ、その痛みで寝つけない夜を幾度も過ごしてきた。

 そんな苦しかった日々も、師母の笑顔ですべて報われた気がした。


「ふううん、それじゃあ一つ、その技を見せてちょうだいよ」


 喜びに浸る間もなく、師母が興味津々といった様子で顔を近づけてくる。

 隣に座るココも無邪気な顔で


「見たい!見たい!」


 と、ぴょんこぴょんこ跳ねてはしゃいでいた。

 さすがにそこまで期待されてしまうと、披露せざるを得ない。

 マナは少し困った表情を浮かべながらも、寝所に置いていた剣を手に取った。


(続く)

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