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第三章 奪われたもの、喪ったもの(8)

 その翌朝、ルギはココの寝室を訪れた。

 夕べは部下の報告を聞き、指示を出していたため、ほとんど眠っていない。

 元締の息のかかった連中が、街の至るところで情報収集にあたっているらしい。

 また、元締の屋敷周辺も篝火が焚かれ、臨戦態勢が整っているとのことだ。

 別区域の元締からの助っ人や、彼の名を慕って駆けつけた侠客なども続々と陣容に加わっているという。

 総兵力では、ルギたち傭兵を遥かに凌駕するようだ。


 寝室の扉をノックすると、ココが小さな声で返事をした。

 中に入ると、ココはベッドに入ったまま身を起こして、警戒心をあらわにした表情でルギの様子を窺っていた。


「……夕べは、よく眠れたか?」


 何と声をかけていいのか、ついさっきまでルギは悩んでいた。

 彼らしくもなく、声に落ち着きがない。

 ココは小さく頷いた。

 部屋の中に一歩踏み出すと、自分の身を庇うようにシーツを掻き寄せた。

 ルギはそれ以上入らず、手を伸ばしてスツールを引き寄せ、窮屈そうにそれに座る。


(貴方、片思いって知ってる?)


 蒼血燕の言葉が頭をよぎる。

 ルギは懸命にそれを振り払おうとしたが、ココが怯えていることは厳然たる事実だ。

 拉致され、見ず知らずの場所に連れてこられたのだから、当然だろう。

 たとえそれが、血を分けた実の兄だとしても。

 ルギは慎重に言葉を選び、何とか彼女の心を少しでも開かせようと試みた。

 腹は減っていないか、着替えは用意している、どんな服がいい?などと。

 だが、妹は今にも泣き出しそうな顔で首を振るばかりだった。

 そしてついに、


「帰して……。師母様と師姉様のところに帰して! 師母様と師姉様に逢いたいの!」


 ココは顔を両手で覆い、泣き出してしまった。

 ルギは途方に暮れた。

 何と言葉をかけてやるべきなのか、分からなかった。

 この場から逃げ出したい、という衝動に駆られた。

 だが、それだけはできなかった。

 今日にも元締の率いる兵隊がこの場を襲うだろう。

 そうなれば、もう二度とココと出逢う機会はないかもしれない。


「ココ、すまない……本当にすまなかった……。だけど、頼むから俺の話を……聴いてくれないか……?」


 ルギは懸命に言葉を振り絞った。

 そして、ココが泣き止むのをじっと待つ。

 ココが少し落ち着くと、ルギは別れてから後のことを語った。

 崖から落とされ生死の境を彷徨い、情の無い世界で血と泥に塗れて生きたこの十数年を。

 そしてその間、ずっとずっとココのことを考え続けてきたことを。

 語り続けながら、いつしか自分の声が震えていることにルギは気づいた。

 辛いことばかりの人生だった。

 荒み、乾いた心を潤してくれるものを求めていた。

 今ようやく再会できた妹が、きっと自分を癒してくれると、勝手に思いこんでいたのだ。


「……俺は本当にお前に逢いたかったんだ……だけど、こんな形になってしまった……すまない、ココ。本当にすまなかった……」


 語り終える頃には、ルギはがっくりと肩を落としてしまっていた。

 自分はこんなことが言いたかったんじゃない、という思いがあると同時に、ココに全て話したことで忌々しい過去と現在の境遇から解放されたような感覚もあった。

 いずれにしても、それは妹にとって迷惑なことだろう、と自嘲しながらも。

 顔を上げると、ココが真っ直ぐに自分を見つめていた。

 その瞳には先程までの怯えは感じられなかった。

 潤んだ美しい黒瞳を見て、ルギの背筋に雷に打たれたような衝撃が走った。


「……お兄…ちゃん……」


 小ぶりな唇が開き、やや躊躇いがちながらも呼びかけられて、ルギは愕然とした。

 俺はただ、この一言が聴きたかっただけなのだ、と悟った。

 昔のように、あの幸福そのものだった頃のように自分を『お兄ちゃん』と呼んでくれる。

 それだけで胸が熱くなった。

 ココは静かに、ところどころ涙で声を詰まらせながら、今度は自分が誘拐師たちに連れ去られてからのことを話し始めた。

 誘拐師たちの魔手から救われたこと、師母と姉弟子との出会い、人里離れた山奥での三人の生活、そしてこの帝都への旅。

 ぽつりぽつりと語りながら、時折笑みも洩らすココの様子に、ルギの胸に温かい気持ちが染み渡ってきた。


(そうか、ココは……ココは、幸せに生きることができたのか……)


 そのことが純粋に嬉しかった。

 ココを救ってくれたあの女――シェリーに感謝したかった。

 だが同時にその幸せを、今、自分が崩しているのだということに深い罪悪の念を抱いた。

 ココをさらったことを後悔した。

 妹に逢いたい、話をしたい、そして二人で……という願望のために傭兵たちを動かした。

 ココの心情も境遇も何も考えず、ただ己の手に奪い返すことに囚われた自分を責めた。


(俺はバカだ。どうしようもないバカだ……)


 自責の念に駆られるルギを、ココが心配そうに見守っていた。

 健やかに、人間らしい幸せを享受して育ったココの優しさに、涙を零すところだった。

 だが、そんな彼の思いは慌しい足音で打ち破られた。


「親方! 連中がこちらに向かってきます!」



 昨夜のシェリーは、やはりココのことが気がかりで、なかなか寝つけなかった。

 傭兵たちの根城を発見次第、元締から連絡が入ることになっていたこともある。

 朝食を摂り終えた頃に使いの者が寄越されると、シェリーとマナは馬車に乗り、元締の屋敷に急行した。

 シェリーは止めたが、マナはついていくといって聞かなかった。


「貴女ね、自分の立場が分かっているの? 貴女には他にやるべきことがあるでしょ?」


 厳しい表情で問うシェリーにも、マナはまるで臆することなく、


「もちろんです。しかし、ココの命はそれ以上に大切です」


「マナ……。ココは私が必ず連れ帰るわ。私のことが信頼できないの?」


 マナは信頼、という言葉に一瞬顔色を変えたが、


「師母様の腕はもちろん信頼しています。ですが、私はココが窮地にあれば必ず助けに行きます。師母様が誰かに侮辱されたら、私は許しません。それは私がこの身に固く誓ったことです。たとえ師母様に叱られようと、それが私の道です」


「マナ! 師母の命に背くつもりなの!?」


 我知らず声を荒げてしまった。

 マナを危険な目には遭わせたくなかった。

 ココ救出のためには、アンジェラを倒さなければならない。

 傭兵たちも危険だが、彼女の比ではない。

 あの男の妹だったココは殺されずに済んだが、マナに対しては容赦しないだろう。


 だが、シェリーの厳しい叱責にも、マナは負けなかった。


「私は、たとえ師母様に破門されようとも、ココを助けます!」


 一点の曇りもない、決意に燃える目。

 その強い意志に、シェリーはマナの亡き父の姿を思い浮かべた。

 彼はある日、こう言っていた。


「俺の親父は上司の命令に背いて人助けをして、それが元で騎士の身分を剥奪されたんだ。だけどな、俺がもし親父の立場でもそうするね。たとえ皇帝陛下のご命令に背くことになっても、俺は己の義侠を貫くんだよ」


 そのあまりにも真っ直ぐな心。

 己の立身や利益を顧みない生き方。

 マナは間違いなく、彼の血を受け継いでいる。

 そして、彼女がこのような人間に育ったことを、シェリーは師母として誇りに思った。


「……分かったわ、マナ。そこまで覚悟ができているのなら、私はもう止めないよ」


(続く)

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