第三章 奪われたもの、喪ったもの(7)
同じ夜、サーラの父の屋敷。
シェリーは打ちひしがれた姿で庭園のベンチに座り、茫洋とした目を宙に漂わせていた。
ココを守れなかった悔恨の念で、心が軋む。
思いあがりだった。
自分の力であれば、ココを傷つけることなどない、と自惚れていた。
何と愚かだったのだろう。
また、再会したアンジェラのことが脳裏に焼きついて離れなかった。
シェリーは彼女を救えなかった。
誰よりも大事に想っていた彼女が罪を着せられた時、何もすることができなかった。
そして逃亡した彼女を追い、再会を果たしたあの夜。
狂気に衝き動かされ、残虐な殺しを重ねる彼女を、その無間地獄から救えなかった。
絶望の中で業火に焼かれたアンジェラ。
耐え難い喪失感に苛まれたシェリーだが、死ぬこともできずにただ生き続けた。
そんな深い心の傷も、歳月が徐々に癒してくれた。
マナの父と出会い、人の世で生きることも悪いことではない、と思い知らされた。
せめてもの罪滅ぼしに、自分の体得した飛燕刀術を世のために活かせればと思い直した。
そして、父を喪ったマナと、家族と死に別れたココと過ごした日々。
(私は……この子たちと出逢うために生きてきたんだ……)
シェリーはそう想うようになった。
彼女たちが健やかに成長し、やがて大きな希望を抱いて巣立っていくその日まで生きていこう、そうシェリーは誓った。
三年前、マナが聖白龍女学園に合格した日には、心から涙を流して喜んだ。
人に対して恐怖を抱いていたココのことはずっと気にかかっていたが、彼女が勇気を振り絞って今回の旅に加わってくれたことは本当に嬉しかった。
彼女たちはシェリーに残された、最後の生き甲斐だったのだ。
そしてそれを、今日、死んだと思っていたアンジェラによって奪われてしまった。
(ココ……アンジェラ……。私は、いったいどうすればいいの…?)
ため息を何度も洩らしながら、繰り返し自問した。
「……師母様、よろしいですか?」
不意にマナの声が聞こえ、シェリーは我に返った。
顔を上げると、心配そうな顔をしたマナが立っている。
シェリーの返事を待たずに、マナはその隣に座った。
「マナ……ごめんなさい。私のせいでココが……」
沈痛な面持ちでうめくように声を出すシェリーに対し、マナは意外な一言を返した。
「師母様。もう、過ぎたことを言っても仕方ありません」
「何ですって!」
冷静そのもののマナの口調に、シェリーは我知らず声が大きくなってしまった。
だが、マナはやはり静かな顔で真っ直ぐに見つめてくる。
シェリーは急に、熱くなっていた気持ちが落ち着いてくるのを感じた。
「しっかりしてください、師母様。まずは息を整えて落ち着きましょう」
マナが両手をシェリーの手に重ねた。
その温もりに、シェリーの刃物のようになっていた心が僅かながら和らいだ。
(しかし、これではどちらが師母か分からないわね)
そんなことを想う余裕すら出てきた。
様々な想いが絡み合い、混乱していた頭が解きほぐされてくる。
「ココのことはもちろん心配ですが……。その、今回は本当に……不謹慎かもしれないのですが、不幸中の幸いだったと思うのです」
マナの言うことが理解できず、シェリーは目を丸くした。
その様子に、慌ててマナが付け足すように続ける。
「まず、さらったのがココの兄だったという点です。彼がいる限り、ココが傷つけられるようなことは絶対にないでしょう……その、師母様の話を聞く限りでは、ですが」
確かにそうだ、とシェリーは思った。
あの時、一瞬垣間見えた、兄と名乗る男のココを見る目は愛情に溢れていた。
荒くれ者揃いの傭兵たちの長であるが、さすがに肉親を、実の妹を飢えた狼どもの餌にするような真似はしないだろう。
「それに、彼が傭兵たちのリーダー格、という点も幸運でした。彼が立場的に弱い存在であれば、ココの身も危うかったかもしれません」
シェリーは大きく頷いた。マナの話は理にかなっている。
もちろん、彼らの間で権力闘争が勃発する可能性も否定できない。
だが、実際に立ち合ったシェリーの感触では、彼が不覚をとるようには思えなかった。
ただし、アンジェラを除いては、だが。
「また……あの、これも不謹慎な話なのですが……」
眉をひそめるマナだったが、シェリーは続けさせた。
「その、傭兵たちと元締さんたちが抗争中だったのも、幸いだと……。いえ、そのすいません」
「謝るようなことじゃないわよ、マナ。続けて」
「はい。これがもし抗争中でなかったら、彼らはそのままココを連れ出してしまっていたかもしれません。そうなったら、探し出すのも難しいところでした。ですが、抗争中にまさか『妹と再会できたから戦いは止めよう』などとは言い出さないでしょう」
シェリーの口元が綻んだ。
そう、彼らはまだこの帝都にいる。
しかも、その居場所は元締たちが必死になって捜索しているのだ。
「ですから……その、私たちは元締さんの知らせを待って、ただ一心にココを助け出すことだけに専念できるわけです。ココを人質にとられるような心配はせずに」
「……フフ、よくできたわね、マナ」
シェリーが笑みを浮かべると、マナは少しばつの悪そうな表情になった。
妹弟子がさらわれた今、褒められてもあまり素直に喜べないのだろう。
「確かに貴女の言う通りよ。ダメね、私ったら。そんな判断もできなくなるなんて」
ゆっくりと首を振ってため息をつく。
「それは、師母様がココのことを……その、本当に心配なさっているからです」
マナの言葉に、シェリーは頷いた。
さらわれたのがココやマナでなかったら、きっと自分も落ち着いて対処できただろう。
実の子を奪われた母の心境とは、このようなものなのだろうか。
「ありがとう。でも、貴女のおかげで落ち着いたわ。本当に立派になったわね。これからは……そうね、マナお姉様、と呼ぼうかしら」
悪戯っぽく笑うと、マナが赤面した。
「こ、こんな時に、な、何を言っているんですか、もう!」
その慌てた様子を楽しげに眺める。
「その、私もついさっきまでは、ココが心配で心配で……ずっと泣き通しだったんです」
マナの表情が一瞬暗くなり、シェリーははっとした。
そして、ココとアンジェラのことばかりで頭が一杯になっていた自分を恥じた。
師母失格だな、と自嘲した。
「ゴメンね、マナ……」
「そんな、師母様……そういうつもりで言ったのでは……」
「分かっているよ。うん、おかげでスッキリした。自分が何をするべきか、何を考えて動くべきか、頭の中で整理できたわ」
月を見上げ、それからゆっくりと目を閉じた。
状況は決して良いとは言えない。
だが、何もかも万全の状態を望むことなどが、そもそもおかしいのだ。
自分の夢、希望を阻害するものに対し、最も効果的な方策を練り、全力で事に当たるしかない。
そうしてこそ、マナの以前の言葉のように、
「やってやれないことはない」
と、自信を持って言うことができるのだ。
身体の奥底から勇気が湧いてくるのを感じる。
それからシェリーはマナと共に、静かな夜を過ごした。
(続く)




