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第三章 奪われたもの、喪ったもの(4)

「ココ!」


 ココがぐったりと倒れたのを見て、兄とシェリーが同時に叫んだ。


「あは、大丈夫よ。軽く点穴を突いただけ。傷一つつけてないわ」


 その女が振り返り、肩をすくめる。

 兄は女を憎憎しげに一瞥し、倒れたココを壊れ物でも扱うかのように優しく抱き上げた。


「ココ! ココ!」


 シェリーの血が沸騰した。

 我を忘れてはいけない、ということは長年の経験から理解していた。

 だが、そんな冷静な判断力が吹き飛ぶほどの怒りが、シェリーの中で荒れ狂う。


「道を開けろ!」


 この身がどうなっても構わない、と防御を捨て、一直線にココを目指した。

 立ちはだかる傭兵たちを一瞬で蹴散らしていく。

 その濁流の如き勢いに、傭兵たちがたじろいだ。


「あは、さっすが師姉様ねえ」


 女が満足げな笑みを浮かべた。

 一陣の風のように迫るシェリーに向かって、同じように低い態勢で近づいていく。


「どきなさい、アンジェラ!」


「あは、せっかくの再会なのに随分とつれないのね、師姉様」


 女――アンジェラが宙を舞った。

 常人技ではない跳躍力で、馬車の屋根に着地する。

 それに呼応するようにシェリーも飛び、馬車の上で両者の刀がぶつかり合った。


「……何だ、ありゃ……」


 女傭兵が思わず呟いた。

 何が起きているのかも分からない。

 凄まじい速さの打ち合いだった。

 薙ぎ、払い、跳ね上げ、打ち下ろし、斬る。

 かろうじて理解できるのは、どちらも達人の域に達しているということだけだった。

 瞬きした刹那に斬られるような、息もつかせぬ攻防だ。


 シェリーの目は憤怒に駆られていた。

 一方のアンジェラの目は恍惚とした光を帯びている。


「……まずい、保安隊だ!」


 傭兵の一人が声を上げた。

 保安隊の使う呼子の高い音が、かなり近くから聞こえてくる。

 この地区を管轄する保安隊が、事件の知らせを受けて駆けつけたのだろう。


「引き上げるぞ!」


 ココを抱きかかえた兄が指示を出す。

 傭兵たちの動きは速かった。

 得物を収め、兄を取り囲むようにしてまとまり、すぐに北東区の方角へ駆け出していく。

 護衛たちが彼らを追撃しようとするのを、側近が止めた。


「ココ! ココ!」


 なおも激戦を繰り広げながら、シェリーの目は兄に抱かれたココに注がれていた。

 その様子に気づいたアンジェラが刀を止める。

 彼女の表情には失望の色がありありと浮かんでいた。


「……つまらないわあ……師姉様ったら、ちっとも私のことを見てくれないのだもの」


「……何?」


 その言葉に一瞬放心したような表情を見せると、アンジェラはため息をついて飛翔した。

 石畳の上に着地した次の瞬間には、その姿は河を通る渡し舟の上に移動している。

 たまたま通りがかった舟らしく、船頭が唖然とした表情でアンジェラを見つめた。


「待ちなさい!」


「あは、そんなに焦らないで、師姉様。今度は二人きり、邪魔の入らないところで、もっともっと楽しみましょうよ」


 すでに傭兵たちの姿は、遥か遠くなっていた。

 保安隊がシェリーらを取り囲んだが、もうそんなことは彼女にとってどうでも良かった。

 ココの名を呼びながら、シェリーが冷たい石畳に崩れるようにして膝を突いた。

 その頬を熱い涙がとめどなく流れ落ちていった。


 その夜。

 傭兵たちの本拠となっている廃屋の薄暗い寝室で、ココは意識を取り戻した。


(ここは……どこ?)


 見慣れない部屋に戸惑いながら、意識を失う前のことを思い起こそうとした。

 ベッドの横に置かれたランプの火が微かに揺れている。

 身体全体が疲労感に包まれていた。

 首を巡らすと、傍らにあるスツールに大柄な男が座っていた。

 夜目の利くココは、それが兄――ルギだということにすぐに気がついた。

 物思いに耽っているようで、ところどころ傷のついた床を真剣な面持ちで見つめている。


 しばらくして、ココが目を覚ましたことに気づき、


「ココ。どこも痛くないか?」


 配下の傭兵たちが聞いたら目を剥くような、優しい口調で語りかけてきた。

 ココは声を出さずに、ただコクリと頷いた。

 痛みは無いが、身体が若干痺れたような感覚がある。

 まるで自分の物でないかのようだ。


「あいつが封じた点穴はもう大丈夫だ。しばらくは痺れるかもしれないが、ゆっくりしていれば徐々に治る。安心しろ」


 そう声をかける兄からは、とても荒くれの傭兵たちを束ねる姿は想像できなかった。

 ココは天井を見上げ、シーツを首のところまで引き上げた。

 荒れ果てた屋敷にはそぐわない、白く清潔なシーツだった。

 ココは目を閉じた。

 瞬く間に睡魔が襲ってきて、ココの意識は深い闇の底へと沈んでいった。


 妹が静かな寝息を立てたのを確認したルギは、そっと席を立った。

 本当は、再会できた妹の寝顔をずっと眺めていたかった。

 だが、彼には他にやるべきことが山ほどあった。

 寝室の扉を開け、薄暗い廊下に出るとアンジェラ――蒼血燕がいた。

 ところどころに穴の空いた壁にもたれ、相変わらず人を舐めた薄笑いを浮かべている。

 腹の底から沸き起こる殺意を抑え、ルギは彼女に首尾を尋ねた。


「元締の雇った情報屋があちこち走り回っているわね。ま、ここを知られるのは時間の問題じゃないかしら?」


 ルギはその報告に鼻を鳴らし、廊下をつかつかと急ぎ足で歩き出した。

 その後ろを、アンジェラが音も立てずについていく。


「お前がそいつらに情報を流しているのではないのか? お前はただ、殺し合いがしたいだけだからな」


「あは、それは名案ね。どの道、殺し合いで決着をつけるしかないじゃないの。こんなところでコソコソしてないで、さっさと殺ればいいのよ」


 ククッと、さも愉快そうにほくそ笑む。

 その声が耳に障り、ルギは舌打ちを洩らした。


「で、どう? 妹さんとの感動のご対面が果たせて満足?」


「……黙れ」


「あは、随分とお冠ね。怯えて口もろくにきいてくれなかった、ってところかしら?」


「黙れ。殺すぞ」


 ルギが足を止めて振り返る。

 気の弱い者なら、それだけで失神しそうな迫力だ。

 だが、アンジェラはまるで意に介さない態度で、


「……貴方、片思いって知っている? 恋焦がれていた彼女が、必ずしも貴方を愛してくれるとは限らないのよ?」


「フン、それはお前のことではないのか、蒼血燕」


 ルギが言い返すと、アンジェラの顔色が変わった。

 余裕の笑みが消え、狂気の光が目に宿る。


「……そうね、そう、そうかもしれないわ……。あは、私なんて、とっくに死んだものとして、すっかり忘れていたことでしょうねえぇええええ」


 ルギは、その豹変ぶりを無表情で見据えていたが、やがて踵を返し広間へと向かった。


(続く)

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